49 光るモノ

「やっと行ったか」

「とんだ暴君だったな」


 見上げた空遥かに金獅子グリフォンの姿が見えなくなるのを待って呟いたセルジュは、金獅子グリフォンが起こした風で乱れた髪を手櫛で直しながら語尾に吐いた溜息を隠す。

 そんな従兄弟の様子に同調しつつも、セイジェルは少し離れたところに立つフードの人物にチラリと視線を送る。


 おそらくセイジェルと並んで立っても負けないだろう長身の男で、明らかに周囲にいる騎士とは違う。

 今の今までそこにそんな人物が立っていることに気付いていなかったセルジュだが、フードを目深に被って顔こそ隠しているけれど魔術師であることは明らかである。

 だが不意にその正体に気がつくと、ガクリと肩を落とす。


「……セイジェル、こんなところにまで連れてきているのか?」

「わたしの側を離れるのは嫌だというので、一人だけだ」

「一人も五人も……いや、そもそもどうしてこんなところへお前が?

 城で待っている約束だっただろう」

「そのつもりだったが、遠乗りの準備をしているところに先触れ到着の報が届いた。

 どうせなら迎えに行ってやろうと思ってな」


 領主の自覚がないと誤解されかねない軽率な行動だが、この若い領主はいつもこうだ。

 腰の重い暗君と揶揄された先代に比べればずいぶんましだが、フットワークが軽すぎるのも考えものと常々側近たちを悩ませている。

 だがそれら全てを意に介さないのがセイジェル・クラカラインである。


 御年二十一歳になる白の領地ブランカの領主が、成人とともに領主に就任して早五年。

 当時は若すぎると危惧されたものの、祖父に当たる先々代領主が健在で、後見としてその執政を助け導いた。

 その祖父もすでに亡いが、他の三領主に引けをとらぬ手腕で白の領地ブランカを治めている。


 領主としての姿勢だけでなく、美しく整った容貌にも領民の人気は高いが、未だ夫人はおろか婚約者すらおらず後継者の心配もあり、こうやって自由気ままに出歩くことを側近たちは良しとしていない。


 実際、幼い領主を巡って政治が乱れている南の赤の領地ロホ

 その原因ともいえる先代領主の早世は、気分転換にと出掛けた遠乗りでの落馬である。

 側近たちが心配するのも当然のことであり、その側近の一人であるセルジュが文句を言うのも当然である。


 現在クラカライン家の血を引く者はセイジェルの他に、家を継げない女子をのぞいてもセルジュの他に数名おり、その一人にハルバルト卿バルザックがおり、彼の息子がいる。

 クラウス追放の騒動に一役買っていることを知られてからは先々代領主に遠ざけられたが、暗君と揶揄された先代領主の代になって、従兄弟であり義兄でもあるという立場を利用し、宰相として好き勝手に振る舞い、代が移った今も貴族院に居座り多大なる影響力を維持している。


 セイジェルはそんなハルバルトを排除すべく、自身の血を引く後継者が誕生するまでの暫定後継者として三人の従兄弟を指名している。

 一人はもちろんセルジュ・アスウェル。

 そして残る二人は、エセルスとルクスのラクロワ兄弟である。

 セルジュと同じく、クラカライン家出身の母を持つセイジェルの従兄弟たちである。

 つまり彼らは一組をのぞいて従兄弟という関係だが、クラカライン家の四兄弟と呼ばれ、それぞれが白の領地ブランカの中枢にある。


 もちろんハルバルトはそれを面白く思っていないのだが、四人もまたそんなハルバルトをよく思っていない。

 そんな状況の中、ハルバルトが追放に手を貸したクラウスの娘ノエルが、帰還を果たせなかった父に代わって新たにクラカライン家に加わろうとしている。

 おそらくユマーズから報告を受けていると思われるハルバルトは快く思っていないはず。

 なにかしら仕掛けてくる可能性もあり、ノエルの入城は極秘で行なうと打ち合わせていたのだが……。


 セイジェルは遠乗りにかこつけてなどと言っているが、騎士団にもハルバルトの息が掛かった騎士や貴族がいるのである。

 護衛騎士といえど油断は出来ないとセルジュは言うが、セイジェルは 「だからこそ」 といって先程のフードの人物を視線で指し示す。

 だがその正体を知っているセルジュは……


「あれはあれで危険すぎる」

「そう言うな。

 誓約ゲッシュはどちらかが死ぬまで。

 せいぜいそれまでの付き合いだ」

「万が一にもお前が死ぬ時にはあやつらを始末していけ。

 あんな化け物を野放しになど……」

「化け物とは……随分な仰りようでございます、セルジュ公子」


 いつのまにすぐそばまで来ていたのか。

 自分のすぐ後ろに立たれていることに声を掛けられるまで気づいていなかったセルジュは、背筋に冷たいものを感じながらも辛うじて表情を強ばらせるに止める。

 声の主はまだ若い、おそらくセルジュやセイジェルと変わらない歳頃の青年らしい。

 だが化け物呼ばわりされたことに怒る様子はなく、声は笑いさえ含んでいるように聞こえる。


「……その声……アルフォンソ……よりによって……」

「よりによって?

 はて、なんでございましょう?」

「黙れ。

 そのような口を利くことを許した覚えはない」

「相変わらずでいらっしゃる。

 公子のお相手はまたいずれ」


 変わらず笑いを含んだ声で応えるフードの青年は、一度言葉を切って 「それよりあちらを」 と身振りで示す先には、屈んだ膝にノエルを抱えたアーガンがいた。

 どうやらまだノエルが気がつかないらしい。


「……閣下」


 セイジェル、セルジュの視線に気がついたアーガンは、次にフードの青年にも気づいたらしくあからさまにギョッとした顔を見せる。

 どうやら彼も青年を知っているらしい。

 助けを求めるようにセルジュを見る。


「セルジュ……」

「よりによってアルフォンソだ」

「筆頭殿……」

「相手にするな」


 セルジュの話を聞いてますます表情を強ばらせるアーガンだが、被ったフードで顔を隠したままの青年の声は楽しげである。


「リンデルト公子におかれましては、一層筋肉の美しさに磨きを掛けられましたご様子」

「ひ、とう殿……」


 軽く会釈をしながらよくわからない挨拶の言葉を楽しげに述べるフードの青年。

 いよいよ怯え始めるアーガンと青年のあいだに、タイミングよくセイジェルの声が割って入る。


「そこまでにしておきなさい。

 それよりアーガン」

「は、はい、いくらお呼びしてもまったく……」

「聖獣殿はいずれ馴染むと仰っていたが、所詮は獣の感覚ということか」

「それは……わかりませんが……」


 戸惑うアーガンの返事を聞きながら、呼吸を確かめるようにノエルの口元に手をかざすセイジェル。


「息はあるようだ」

「閣下、縁起でも無いことを仰らないでください。

 なんのためにここまでお連れしたと思っておられるのですか」

「参考までに聞いておこう。

 そなたはどういうつもりで連れてきたのだ?」

「もちろんお幸せになって頂くためです」

「……………………なるほど、留意しておこう」


 迷いのないアーガンの返事に、なぜか沈黙するセイジェル。

 その考える様子にアーガンは不安を抱くが、ようやくのことで返された言葉の意味を知るのはもう少しあとのことである。


「気がついたようだな」

「姫様、ご気分は?」


 抑えた声でゆっくりと尋ねるアーガンの膝で、半分ほど開いた眼でぼんやりと空を見上げていたノエルはポツリと呟く。


「あーがんさま……いいにおい、した」


 この時、アーガンを含めて周囲にいた大人たちは皆、どこからか食事の匂いでも風に乗ってくるのかと思ったが、なにかに気づいたらしいノエルはおもむろに鼻を鳴らして臭いを嗅ぎ始める。

 この様子には覚えのあるアーガンとセルジュだが、さすがに近くに立つセイジェルのズボンを嗅ぎ始めたのには驚きを隠せなかった。


「姫様、なにを……っ?!」


 それでも生まれながらの上級貴族としての教養で、セルジュは辛うじて言葉に出すことを堪えるが、アーガンは、まるで周囲の騎士たちを代表するように言葉に出してその行動を問う。

 戦場における彼は冷静に状況を判断し、的確な指示で小隊を指揮しているが、こういう場面ではどうしてもお人好しな素が出てしまうのかもしれない。

 ノエルの行動は、そのぐらい誰にとっても想定外だったのである。


 しわになることも気にせず、小さな手でセイジェルのズボンを握るノエルはアーガンの膝から身を乗り出すように鼻を近づけてスンスンと臭いを嗅ぐ。

 その様子を見てアーガンは慌てて止めようとするけれど、そんなアーガンを止めるのはまたしてもセイジェルである。

 無言のまま小さく手を上げてアーガンを制止すると、眼下で、自分のズボンの臭いを嗅いでいるノエルの様子を眺める。

 厳しく叱りつけるか、下手をすれば蹴り飛ばされるか……そんな心配をして落ち着かないアーガンだが、セイジェルが次にとった行動はそのどちらでもなかった。


「どんな臭いがする?」


 自分の臭いを尋ねたのである。

 年齢的に加齢臭でも気にしたのかと思い、それこそ周囲はノエルがなんと答えるか冷や冷やしたけれど、そもそも彼女の精神年齢は見掛けの年齢よりずっと幼い。

 加齢臭なんて言葉も知らないだろう。

 実際にノエルの返事はまったく違うものであった。


「いいにおい、する」

「そうか」


 口の端をわずかに上げて小さく笑ったセイジェルは、「だが……」 と言葉を継ぐと、ゆっくりと屈んで片膝を付くが、それでもノエルより視線が高い。


「こういうことは感心しない。

 今後、人前ではやめなさい」


 決して声を荒らげて怒ったわけではないけれど、見掛けよりさらに幼いノエルでもセイジェルに叱られたことは理解出来る。

 急に怯えると慌てて手を引っ込め、アーガンの膝の内側に隠れるように身を小さくする。


「ごめんなさい、おこらないで……」

「怒ってはいない」


 そう言ってノエルをまっすぐに見たセイジェルは、不意にノエルの顎をしゃくるように上を向かせ、右に、左にと傾ける。


「面白いな」

「閣下?」

「確かに黒いだが、光を受けると暴君殿と同じ……いや、もっと柔らかい色だな、この金色は」


 琥珀トパーズには闇の中で光る性質があり、魔を跳ね返す守りとして神殿などの入り口に飾られることが多い。

 その琥珀トパーズを双眸に持つ金獅子グリフォンは、この場に居合わせた者たちを鋭い眼光で一瞥したが、光の角度で琥珀色に見えるノエルの双眸に鋭さはない。

 特に今はセイジェルに怒られたと勘違いして怯えているため、涙で潤んでさえいる。

 だがセイジェルはそんなノエルの様子には一顧だにせず、不思議な瞳の色に興味を示している。


「閣下、あまりそのように乱暴に扱われますと……」

「だが奇妙だな」

「どうかされましたか?」

「これはなんの光を受けているのだ?」


 白の領地ブランカの領都ウィルライトを目前に、町を遠目に眺めることが出来る小高いこの丘の上で小休止のため足を止めたアーガンたち一行。

 日当たりはいいとはいえ陽は頭上にある。

 顔を上に向けなければ眩しいほどの光はないはずだが、ノエルの瞳はなにかの光を受けて色を変え、ノエルもまた、眩しそうに一瞬目を眇めるのである。


「闇色のは光に弱いというわけでもないだろう」


 この昼日中に眼を開けていられるのだからそれはないはず。

 そこでアーガンが思い出したのは、少し前にノエルと交わした会話である。


「そういえば、町の方でなにか光っていると……」

「町? 城か?」

「そこまでは……ですが、確かにそのようなことを仰っていたのですが……」


 自身にはその光が見えなかったアーガンの歯切れは悪い。

 だが確かにそんな話をしたことを思い出したアーガンに、セイジェルは屈んだまま、自身の右手遥かに見えるウィルライトの町を確かめる。

 それから再びノエルに視線を戻す。


「……ひょっとしてそなた、ピラールが見えるのか?」


 もちろんノエルの返事はない。

 まだセイジェルが怒っていると思い、怯えているのである。


「たたかないで、いたいの、いや。

 おねがい……」

「ふむ、これはいったいどうしたことか」


 そう呟いたセイジェルだが特に困っている様子はなく、「だが……」と言葉を継ぎながらセルジュを振り返る。


「拾い物かもしれん」

「……使い物になればいいがな」


 セイジェルがなにを言っているのかわかるのだろう。

 皮肉を返すセルジュだが、セイジェルは口の端をわずかに上げて薄く笑みを浮かべる。


「そなたはいつも慎重だな。

 使えるかどうかではない、使えるようにすればよい」

「相変わらず酔狂な」

「そなたたちにはその酔狂に付き合ってもらうことになるが」


 少しも申し訳なさそうではないセイジェルの様子にセルジュも諦めたのか、鼻を 「ふん」 と鳴らしてそっぽを向いてしまう。

 だがセイジェルもそんなセルジュの態度に腹を立てる様子はなく、ゆっくりと立ち上がると、護衛騎士の小隊長に声を掛ける。


「帰城する」

「はっ!」



【セルジュ・アスウェルの呟き】


「この距離でピラールの光が見えるだと?

 わたしには……おそらくセイジェルにも見えないはずだ。

 これはクラカラインの血の濃さか?

 いや、血統を考えればセイジェルの濃さには及ばないはず。

 ならば黒曜石オブシディアンの能力か?」

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