48 風の暴君の来襲 ー祝福
このマルクト国には、守護聖獣と呼ばれる生き物がいる。
水の
大地の
焔の
そして大空の
その唐突さにある者は驚きのあまり言葉を失い、またある者は警戒すら忘れて恐怖に震え、はたまたある者は事態が飲み込めず放心する。
そんな中、
「風の暴君が我ら人の前にお出ましとは、珍しいこともあるものだ」
『……生意気な小僧、誰に向かって口を利いている?
その口を閉じるがいい』
だがその場にいる誰もが確かに
「あたま、こえする」
その声が耳から聞こえるのではなく、直接頭の中で響いていることに気がついたノエルは驚き、さらに怯える。
周囲でもそのことに気がついた騎士たちがざわめいているが、ノエルのように怯えることはない。
だが隠せないほど動揺している。
「大丈夫です、閣下がおられます」
風を纏う聖獣を相手に焔の魔術を使うのは危険である。
下手に焔を召喚しようものなら、圧倒的な魔力の差で制御を奪われてしまうだろう。
アーガン自身も頭の中に直接響く
そして危険を覚悟で、いざという時にはノエルを連れてこの場を脱出出来るように、いつでも焔を召喚出来るよう備えている。
「そなたは
それが領主からアーガンに出された命令だから。
アーガンなど足下にも及ばぬ上級魔術師であるセイジェルならば、万が一の事態にアーガンが焔の魔術を使っても、火傷一つ負うことなく自身を守ることが出来るだろう。
同じく高位魔術を操ることが出来るセルジュも。
直属の部下であるファウスやイエルを巻き込むことは不本意だが、今のアーガンにとっては、同輩である騎士たちよりもノエルを守ることが最優先事項である。
それが今の第一主命だから。
例えそのことで
「ぜ……ん員態勢を崩すな!
閣下をお守りするのだ!」
一度は緊張と恐怖に飲まれた小隊長だが、護衛騎士を率いる意地がその使命を思い起こさせたのか。
その声にほとんどの騎士は使命を思い出したものの、
しかも聖獣とはいえ獣は獣。
それが人の言葉を用い不快の念を示しているのだ。
すぐに気持ちを切り替えることは難しく、ほとんどの騎士が領主を守るという自身の役目に集中出来ずにいる。
「……おそらく念話だな」
そんな騎士たちの不安な心を鎮めようというのか。
珍しくセルジュが口を開く。
「以前に読んだ、古い文献にあった念話というものだ」
「それならばわたしも読んだ記憶がある。
確か
そんな二人の話によると、聖獣とはいえやはり獣は獣。
人の言葉を解することはなく、また話すこともない。
だがとある緑の神官が、彷徨い込んだ樹海の中で歳経たと思われる
その
それを神官は、文献に 「念話」 と書き記したのである。
「念話は魔術ではないため、我ら人には扱えぬ」
もちろん神官の記述がどこまで正しいかはわからない。
だが過去の文献に、聖獣に関する記述はそれ一つきり。
他に参照出来るものはない。
そして念話は 「我ら人には扱えぬ」 ため、
書物に残された古い記録によると、その神官はどうやら
もちろん神官もすぐさま聖域を
そして好きで入り込んだわけではなく迷い込んだこと、出口がわからないことを説明しようとしたが、
命からがら樹海から逃げ出し神殿に帰り着いた神官はその時の様子を思い出し、
これについてセイジェルとセルジュは、新たな記録が取れるなどと面白がっていたが、それは後日談。
この時点でクラカライン家の魔術師二人は、神官の記述とは違う点に気づいていた。
そう、
セイジェルなりの敬意を込めて
つまり会話が成立しているのである。
もちろん同じ聖獣とはいえ
さらには神官に聖域を侵された
この違いに意味はあるかもしれない。
そもそもセルジュが言い出すより先にセイジェルが古い文献のことを思い出していたなら、魔術師の探究心から、あえて自分から
護衛騎士たちはともかく、セイジェルにそういうところがあることを知っているセルジュやアーガンは、その可能性が高いことを強く思わずにはいられなかった。
わざと挑発するようなことを言った可能性も……。
(よりによってこんな状況で……こやつは!)
(閣下、お
こちらの従兄弟二人の内心を知ってか知らずか、平時と変わらぬ様子を見せるセイジェルは改めて
「聖獣殿にはお初にお目に掛ける。
わたしはクラカライン家の当主、セイジェル・クラカラインと申す」
『クラカライン……あの小賢しい魔術師の……』
すぐには思い出せなかったようだが、鼻に皺を寄せて呟くように返す。
過去の文献に、
少なくとも明らかな実在を証明する記録はない。
だがその様子を見るからに、
それならば
しかも良好な関係とは言いがたいのも、
それは明らかに魔術師としての探究心ではないけれど、クラカライン家の一員としてはセイジェルも気になったはず。
だが問うことは
『懐かしい笛の
「一体どなたと間違えられたのか。
わたしほどの名手もそうそういないと思うが」
『黙れと言っているのが聞こえぬか、小僧。
この良き日に血を流すは本意ではないゆえ、この場は見逃してやろうと思うておるのに』
「寛大なご処置に感謝すべきか?」
『このわたしにそのような口を利くとは。
その小賢しさは血か』
セイジェルの挑発に乗せられ、鼻に寄せたしわを深くする
だが意外にも
『そなたの相手はあとだ。
まずはご挨拶をせねばならぬ』
そのためにわざわざ足を運んだのだから……とばかりに言い置いた
実際には笛の
踵を返した
だがその先の動きをセイジェルがたった一言で制する。
「アーガン、動くなよ」
「ですが、閣下……」
まして生まれ育った村の近くで獣が見られるたび
聖獣と獣はおろか、おそらくそれらと魔物の区別すらつかないだろうノエルは、近づいてくる
逃げ出したいけれど、すっかり固まってしまった体は動くことが出来ず、ただただ抱えた鞄を握りしめて怯えるばかり。
けれどアーガンは、セイジェルの言葉に阻まれて助けてやることが出来ない。
怯えるノエルの様子すら気に留めることなく近づくと、おもむろに下肢を下ろし、広げていた黄金の翼を閉じる。
そしてまっすぐにノエルを見る。
『幼き
ヒトは我を
盟主が名付ければ、それが我が名となる』
それはつまり、
ノエルに語りかける
そもそも盟主とは?
もっとも
『遅れ馳せながら、新たな盟主のご誕生に
まだ幼きご様子なれば、どうか健やかに育たれよ』
ノエルが生まれてすでに九年。
明らかに遅い挨拶だが、時間の概念が人とは異なるのかもしれない。
それでもやはり、聖獣が人の子の健やかな成長を祈るというのは違和感がある。
そんな疑問ばかりの
降ろしていた下肢をあげたと思ったら数歩後じさり、閉じていた黄金の翼をゆっくりと広げる。
そして一回だけ、大きくゆっくりと羽ばたくと、ふわりとその四肢が地面を離れる。
「お帰りの前に一つだけ」
『また貴様か』
去就を察したセイジェルがすかさず声をあげると、
するとセイジェルは改めて問い掛ける。
「お帰りの前に一つだけ、問うことをお許しいただきたい」
『口の減らぬ魔術師め。
貴様の知りたがることなどわかっている。
かつて、貴様と同じ問いをした者があったからな』
「それも血筋というものか。
わたしは後見人として知っておくべきと思ったまでのこと」
セイジェルの言葉に
そして応える。
『ヒトの姿をして生まれるのはヒトの世に必要ということ。
ヒトの姿をして生まれた盟主はヒトの世のものということだ。
我はヒトの世には関知せぬ。
ただ健やかに育たれることを願うのみ』
「なんとも素っ気ないお言葉だ」
『貴様など、我と言葉交わすことさえ許されぬ身。
応えてやっただけよしと思え』
「それはそれは寛大なことで」
ヒトの世、特にこのマルクト国には四つの領地それぞれに思惑がある。
そしてそれぞれの領地内でも様々な思惑があるように、聖獣にもなにかしら思惑があるのだろうか。
あるいはセイジェルたちには理解出来ないだけで、その答えは核心を突くものなのか。
疑問ばかりが増えるけれど、
『che tu possa essere felice……』
そう呟いて空高くへと還ろうとする純白の獅子は、黄金の翼をゆっくりと大きく羽ばたかせて風を起こす。
巻き起こる風に、金粉と黄金の羽根を舞い散らせながら、その中でも一際大きな羽根の一枚がノエルの頭上に。
また一枚がセイジェルの頭上へと舞い降りる。
すかさず掴もうと手を伸ばすセイジェルだが、羽根は彼の手を擦り抜けて
「セイジェルっ?」
「閣下っ?」
「
近くで見ていたセルジュやアーガン、騎士たちが驚きに声をあげるが、当のセイジェルは額に手を当てて少し考え込んでいたが、やがてそれらの声に応える。
「落ち着け、大事ない」
「それなら……いいが……」
呟くセルジュ同様、騎士たちも不安は拭えない様子。
だが実際に羽根が額に触れた瞬間、ほんのりとした生暖かさを感じた程度で体に違和感はない。
もちろんこのままなにもないとは限らないが、この場ではなにもないのでそう答えたのである。
一方のノエルは、降ってくる羽根をぼんやりと眺めていた。
セイジェルのように羽根を掴もうなどとせず、ただぼんやりと。
そして羽根の光が視界いっぱいになったところで意識が途切れる。
棒きれのように痩せっぽちなノエルの体が、膝からかくりと崩れ落ちるのを寸前で抱き留めるアーガン。
「姫っ?!」
自分の調子と
そしてそばに立つセルジュに話し掛ける。
「あちらはそうではないようだ」
「あれは……俺にはわからぬ」
「そなたにわからぬのであれば、わたしには到底わからぬな」
「これからはそうもゆかぬだろうがな」
「なるほど」
「
『……風とは馴染まれるが、光とはやや相性が悪いと見ゆる』
「なぜ?」
『我が与えるは光と風の加護。
いずれ馴染まれるであろう』
それはノエルがオブシディアンであることと関係があるのだろうか。
黒という色が闇に通じるのならば、確かに光とは相性が悪いかもしれない。
セイジェルやセルジュがそんなことを考えているあいだにも
人の声など、どんなに張り上げても届かないほど遙か高みへ。
ほどなくその姿は光となり、やがて風となって見えなくなった。
【ある騎士の呟き】
「笛の名手とは伺っていたが、妙なる音色で聖獣を呼び寄せるとは、さすが
聖獣の降臨に立ち会う機会など、この先あることではない。
なんという僥倖だ。
しかも聖獣殿の祝福を受けられるとは、さすが歴代領主の中でも名君と名高い
それにしてもあの子どもはいったい……?」
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