46 来訪者の正体

「あやつは……いったい何を考えているのだ」

「あれは……おいセルジュ、あの方がなぜこんなところに?」

「それはわたしが訊きたい」


 セルジュとアーガンがそんなことを話しているあいだにも、ファウスが引き連れてきた騎馬の一団が迫り来る。

 イエルを通じてこの場からセスを引き離している間に一団は到着し、騎乗したままアーガンたちの周りをぐるぐると回り出す。

 そしてその輪を少しずつ広げ、安全圏を確保してゆく。


 輪の外に放り出される形となったイエルとセスは、最初、アーガンから引き離されたことで焦ったセスが剣に手を掛けようとするが、イエルの機転で辛うじて留まる。


「よせ、セス!」

「だってイエル、隊長が……」

「騎士団だ、よく見ろ!」

「え?」


 イエルの言葉で改めて馬上の男たちを見れば、皆が皆、騎士服を着用していた。

 すぐそばを通りかかった騎士の一人が二人の会話を耳に留め、呆気にとられているセスにチラリと視線を送る。


「どこのうつけだ?」


 決して大きな声で呟いたわけではない。

 けれど騒然とする中でも男の呟きはセスの耳にはっきりと聞こえたらしい。


「なんだとっ!」

「よせ!」


 声を上げて身を乗り出そうとするセス。

 その手が再び柄に掛かるのを見てイエルが、先程以上に語気を強めるが遅かったらしい。

 不意に馬をセスの側に寄せた別の男が一瞬にして剣を抜き、その鋭い切っ先をセスの眼前に突きつける。


「動くな。

 下手なことをすればその首が落ちるぞ」

「セス、絶対に抜くな。

 こちらに分が悪い」


 自らは抵抗の意志がないことを示すように両手を上げるイエル。

 その説得にも 「けど……」 と口を尖らせるセスに、輪を外れて馬の足を止めた別の一人が馬上から二人を見る。

 先程、セスを見て 「虚け」 と呟いた男である。


「リンデルト小隊には見ない顔だな、イエル・エデエ」

「先の緑の季節に配属されたばかりの新人ですよ」


 声を掛けられたイエルは両手を上げたまま呼び掛けに応える。

 おそらくは顔の広いイエルが一緒にいたことで、男たちはセスも騎士だと判断。

 剣を抜こうとしたにもかかわらず、先制する形でセスの動きを止めるだけにしたのだろう。

 そうでなければすでに首を落とされていただろう。


「新人?

 ああ、今年は数合わせで新人を多く入団させたからな。

 それにしてもたちの悪いのに当たったものだな、不運な」

「なんだとっ?」

「よせ、セス!!」


 さらに語気を荒らげてセスを制止したイエルは、一呼吸おいて口調を改め、馬上の男たちに話し掛ける。


「挑発するのはやめて頂きたい。

 騎士同士で争いたいわけではないでしょう」

「半人前と同列に並べられるなど、不快ではないか」

「……どうあれ、この場で我らが争い血を流すのは騎士団の恥。

 閣下の御前で醜態を演じられますか」

「相変わらず弁の立つ奴だ」


 一人の男は皮肉げに口元を歪めるが、もう一人の男は剣を下ろそうとしない。


「貴殿の話は理解した。

 我らとしても醜態を晒すなど御免被るが、軽率な真似をされては困るからな。

 御用がお済みになるまで、しばらくおとなしくしていてもらおう」


 つまりセスに突きつけた剣を下ろすつもりはないらしい。


「イエル……」

「とにかくおとなしくしていろ。

 そうすればなにも起こらない」


 どうしてこうなったのかわからず、ただ助けを求めるセスに対し、イエルもそう答えるのが精一杯。

 そんな輪の外の様子は、中にいるアーガンには時々上がるイエルの声と、周回する騎馬の隙間に時折見えるだけ。

 それでもなんとなくなにが起こっているのかわかったアーガンもまた、イエルと同じことを心の中で呟く。


 動けるものならばすぐにでも駆け付けて仲裁に入り、剣を下ろさせるところだが、アーガン自身、動けない状況にあったのだから仕方がない。

 周回する輪が十分な広さを確保したところで、その中から一騎が単身で出て来たのである。

 騎乗するのは輝かしい金の髪をした、年齢二十歳前後の青年である。


(今は動くな、セス。

 相手が悪い)


 不用意に走りだして馬にでも蹴られれば一大事。

 そう思い、突然の事態にすっかり怯えてしまったノエルの安全を確保すべく、両腕に抱えていたアーガンだったが、ほんの二、三メートルほどの距離で馬の足を止める青年を見て片膝を付いて頭を下げる。

 決して慌てることはなかったが、手を離すノエルのことだけは心配だった。

 隣ではセルジュが、アーガンとは違い立礼をしている。


「ご苦労だったな、二人とも。

 顔を上げよ」


 跪くこともなければ顔を上げろと言われてさっさと上げるセルジュと違い、跪いたままのアーガンはゆっくりと上げた顔で馬上の青年を見る。

 澄んだ紫色の瞳とアーガンの赤い瞳が合うと、青年は少し考えるような感じで話し掛けてくる。


「アーガン、それ・・が?」


 そう問い掛ける青年の視線の先には、初めて会った時のようにすっかり怯えてしまっているノエルがいる。

 肩から提げた鞄を細い両腕に抱え、身を小さくして恐怖を堪えているノエルに視線をやったアーガンは、無意識に被った帽子の上から大きな手で撫でてやる。


「はい、ノエル様です」


 すると青年はわずかに眉を寄せる。


「ノワールではないのか?

 それに九歳と聞いていたが、ずいぶんと小さいな」

「それは……のちほどセルジュ公子からご説明があると思います。

 このような処でお話しすべきことではないかと……」


 ノワール・マイエル、それがノエルの本名である。

 いや、生まれ育った赤の領地ロホに出生は届けられていないから、ただのノワールかもしれない。

 ノエルというのは本人が本名を嫌ったために付けられた呼び名だが、その経緯を上手く説明する自信がないアーガンは、これまでノエルの世話をしてこなかった分の責任をとらせるようにその役をセルジュに押しつける。


 チラリとセルジュを見れば、わずかながらも不満そうな顔をしてアーガンを、やはりチラリと見ていた。

 さしずめ (面倒を押しつけるな) とでもいったところだろう。

 一方アーガンとセルジュ、従兄弟いとこ同士の無言のやりとりを眺めていた馬上の青年は


「わかった。

 あとで二人・・に訊くとしよう」


 そう言ってアーガンに肩を落とさせる。

 しかも正直者のアーガンは顔に出るから面白いのだろう。

 とても整った顔に柔らかな笑みを浮かべ、ノエルでもなければセルジュでもなく、アーガンを見ているのだからたちが悪い。


 アーガン以上に青年のことをよく知っているセルジュは、そう来るだろうことがわかっていたようで特段反応は見せない。

 それどころかいつものように、初めて会った時に逆戻りしたように怯えるノエルのこともまったく気にも掛ける様子もない。


 ノエルもそんなセルジュには助けを求めないが、本当に初めて会った頃に戻ってしまったのか、アーガンにも助けを求めようとはせず、強ばる体を縮こませて必死に鞄を抱えて震えている。

 髪を隠すための帽子を目深に被り、目に一杯の涙を溜めながら上目遣いに馬上の青年を見ているのである。


 すでに彼らを囲む輪は解けているけれど、警戒するように周囲に点在する馬上の、あるいは馬を下りた騎士たち。

 それは外から来る不審者の接近を阻むだけでなく、内側からの逃走を防ぐようにも配置されており、なにも知らないノエルが逃げだそうとしてもすぐに捕まえられてしまうだろう。

 しかも彼らはノエルの正体を知らないから、手荒に扱ってしまうかもしれない。

 あるいは迂闊に走り出そうものなら馬に蹴られてしまうかもしれない。

 そう思ったアーガンは、ノエルを落ち着かせようとして話し掛ける。


「大丈夫です、心配はありません。

 この方は……」

「アーガン」


 ノエルに先日のセルジュの話を思い出させようと話し掛けたアーガンだったが、その矢先に青年の声が遮る。

 続けられる言葉は……


「帽子を取れ」


 その無情な言葉に、アーガンが反論するより早くノエルが反応する。


「だめ、おこられる」


 そう声を上げながら抱えていた鞄から手を放し、両手で帽子を押さえる。

 もちろんそんなことをしてもアーガンの腕力にノエルが敵うはずはない。

 だがアーガンはそれをせず、青年に抵抗を試みる。


「お言葉ではございますが、このような場所では……」

「かまわない、帽子を取れ」


 繰り返される命令に逆らえず、やむなくノエルの帽子に手を掛けようとするアーガンだが……。


「たたかれるの、いや」

「大丈夫です、怒られません。

 少しお見せするだけなので……」

「いや……いや、おねがい。

 おかあさん、こわい。

 いたいの、いや」


 なんとかノエルを宥めて少しだけ帽子を脱がせようとするアーガンだが、怖がるノエルは聞く耳を持たない。

 もちろん強引に脱がしてもいいけれど、出来ればそうしたくないアーガンは困り果てるが馬上の青年はそんなアーガンを無情に急かす。


「アーガン」

「申し訳ございません。

 本当に少しだけ、我慢してください」


 慌てて青年に詫びたアーガンは、やむなくノエルの帽子を力尽くで脱がす……と言ってもさしたる力は必要ない。

 相手はほんの小さな子どもであり、ひどく痩せ細っていてさしたる腕力もない。

 むしろそんな細い体で水汲みや洗濯、掃除をしていたという話が信じられないほどである。


 アーガンの大きな手が少し帽子を浮かすだけで、中に押し込まれていた髪がこぼれるように落ちる。

 体を拭く時に髪も一緒に拭いてやっているが、幼い頃からろくに手入れはおろか、洗うこともなかった髪はひどくボサボサ。

 本当なら服装も含め、入城前にもう少し身だしなみを整えてやりたかったのがアーガンの本心だが……そのために今日は城下の町に最後の一泊をすることにしていたのである。

 それがこんな形で出来なくなっただけでなく、最後に嫌がることまでさせられアーガンには不本意きわまりない。

 けれど逆らうことは許されなかった。


「ごめんなさい……ごめ……ごめん……おかあさん、おこらないで……」


 生まれ育った赤の領地ロホの村を離れるにつれ、母親が掛けた呪いのような恐怖の呪縛から少しずつ解放されていたかのように見えていたノエルだったが、これで全てが水の泡である。

 いや、はじめから少しも解けていなかったのかもしれない。


 このあと何日食事を抜かれるか。

 どれだけ叩かれるか。

 ノエルは考えるのも恐ろしいほどの恐怖に怯え、ここにはいない母親に許しを請う。

 けれどエビラはここにはいないのだからどんなに願っても決して許されることはない。

 それがわからないノエルはうわごとのように許しを請い続けるのだが、アーガンと違い、馬上の青年はその姿を目の当たりにしてもなにも思うことはないらしい。

 見たいものを見て、満足そうに感想を述べる。


「見事な黒髪だな」

「閣下……」


 確認は終わった。

 そう思ったアーガンはノエルの小さな頭に帽子を被せると、大きな手で不器用に髪を押し込みながらノエルを宥める。


「大丈夫です。

 決して乱暴なことはなさいません。

 この方は……」

「アーガン」


 再びアーガンの言葉を遮る青年。

 跪いたままのアーガンがノエルと同じ目の高さから青年を見上げると、二人を見下ろしていた青年はなにを思ったのか、馬の背から下り立つ。

 普段は別の者の役目だが、この日は彼らを案内してきたファウスに手綱を預けると、青年は大股に歩を進めてアーガンたちに近づいてくる。


 アーガンに匹敵するほど背が高いが、彼ほどの筋肉はない。

 ほどよく均整の取れた筋肉で、スラリとした印象を受ける二十歳前後の青年である。

 整った顔立ちに紫水晶アメジストを思わせる瞳をしており、ノエルの前に立つと、長い腕を伸ばして無造作にノエルの顎に手を当てて上を向かせる。


も黒いな。

 黒曜石オブシディアンとはよくいったものだ」

「閣下」


 本人は満足そうだが、あまりに不躾すぎる行動をアーガンが諫めようと声を掛ける。


「そう怒るな。

 従妹いとこ殿に、ご挨拶をする前に本人の確認をしたまでだ」


 青年に言わせれば、アーガンがちゃんと説明をしないから悪いということらしい。

 言いたいことを堪えるアーガンをよそに、青年は不意にノエルの前で片膝を付いて視線の高さを合わせる。

 その瞬間、アーガンをはじめとする周囲の騎士たちが驚きに表情を強ばらせる。

 おそらくは誰も青年がそんな行動をとるとは思っていなかったに違いない。


 けれどセルジュだけは驚きはしなかった。

 それどころか 「なにをしている?」 とでも問わんばかりに冷ややかな目を向けている。

 青年もそんなセルジュの視線を気に留めることなく、自分を見て、今にも逃げ出さんばかりに怯えているノエルに話し掛ける。


「わたしはクラカライン家の当主、セイジェル・クラカライン。

 白の領地ブランカの領主をしている」


 遥か上空から降り注ぐ陽の光に輝く金の髪をした青年は、紫水晶アメジストのような瞳でまっすぐにノエルを見てそう告げる。


「セイジェル・クラカラインさま?」



【イエル・エデエの呟き】


「ご令嬢方への返事を書く作業を、業務としてみなしてもらえないだろうか?

 休みが断わりの返事を書くだけで終わってしまうなんて……ん?

 これはニーナ?

 ニーナから手紙が来るなんて……なにかあったのかっ?」

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