45 ウィルライト城からの来訪者

「そなたも飲んでおけ」


 小さな丸薬は袋から取り出されたその一瞬で部屋中を満たすほど強烈な異臭を放ち、臭いを嗅ぐだけで口の中まで苦くなるほど。

 あまりの臭いに、きっと味もひどくてこどもには飲めないのではないかと心配したアーガンだったが、ノエルはファウスが差し出すコップの水で難なく飲み込んでしまう。

 だからひどいのは臭いだけかと思ったアーガンもまた、セルジュに言われるまま一粒口にするけれど、瞬時に、臭い以上にひどい味が口の中に広がり後悔することになった。

 だが九歳のノエルが嫌がることなく飲んだ薬を、十九歳のアーガンが 「飲みたくない」 とか 「いらない」 とか言うのはもちろん、一度口に入れた物を吐き出すことも出来ず飲み込むしかなかったが、実はノエルは味がわからない。

 だからセルジュに言われるまま、セイジェル・クラカラインと会うまで……つまり領都ウィルライトに着くまでの道中、毎夕食後に一粒ずつ飲むことを嫌がることはなかった。


 九歳のはずがせいぜい五、六歳にしか見えない上ひどく痩せているノエルは体力がない。

 生まれ育った赤の領地ロホの村で暮らしていた頃も、体力が続かず昼寝をしていることが多かったから、父親のクラウスもそのことには気づいていたはず。

 だから様子を見て丸薬を与えていたのだろう。

 だったらエビラを止めてきちんと食事を与えればよかったのに、そうしなかった理由はクラウスが亡くなってしまったためわからないままである。

 だが彼が白の領地ブランカに帰還するためにノエルを利用しようとしていたことは間違いないだろう。


 対してクラカライン家は……少なくともセイジェル・クラカラインはその帰還を望まず、求められた迎えに対して白の当代魔術師の中でも四強に数えられる自身の片腕、セルジュ・アスウェルを向かわせ、父親であるクラウスを排除してでもノエルを奪取せよと命じたのである。

 そうまでしてセイジェル・クラカラインが望んだ希少種 【オブシディアン】 について、セルジュも詳しくは聞かされていない。

 だが不測の事態により、治癒という未知の能力を目の当たりにすることになった。


 傷を治す魔術など、魔術師であるアーガンもセルジュも聞いたことがない。

 だからそのために消費する魔力量も、消耗する体力もわからない。

 けれどノエルに体力がないことはわかっていたし、相当に消耗していることはわかった。

 元々体力のあるアーガンですら疲労の色が見えたほどだから、術者であるノエルはさらに消耗しているはず。

 丸薬一つ与えた程度ですぐに回復するとは思わなかったが、翌朝は誰よりも早く目を覚していた。

 おそらくこれは幼い頃からの習慣からだろう。

 特にすることもなく寝台にすわり、アーガンやセルジュが目を覚すのをおとなしく待っていたのである。


 出立の時も、相変わらず馬を恐がりはしたけれど、おとなしくアーガンに抱え上げられて馬の背に乗せられて出立。

 だがすぐに疲れてしまい、昼が近づく頃には馬上でうつらうつらと居眠りを始めてしまった。


 早足の馬上は決して眠りを誘うような心地よさはないのだが、どうにも眠くてたまらないらしい。

 すぐうしろにすわるアーガンが屈強な腕で抱えるように支えているため落馬することはないが、危険であることに違いはない。

 そこでごく短い時間ではあるが、朝食と昼食を兼ねた休憩を少しだけ長く時間を取り、ノエルを休ませることにした。


「アーガンさま、おひざ」


 街道を少し外れた場所で馬を下りて途中の町で調達した食事を摂ると、満足したノエルはすぐにアーガンの膝枕をねだる。

 改めて調達した毛布を背に掛けてもらうと、アーガンの膝を枕にすぐ眠ってしまった。

 けれど夜も夕食を摂り終えるとすぐ寝台に這い上がり、毛布に潜り込むとすぐに眠ってしまう。

 そこでアーガンが、ノエルの起床に合わせて早朝に出立することを提案する。


 夜明け頃というあまりに早いノエルの起床時間に、セスは文句をタラタラと垂れ流したけれど当然誰も聞く耳を持たない。

 まったく危険がないわけではないけれど、荒野に比べれば全然安全な街道を、夜が明けるか明けないかの頃に宿を発って馬を走らせる。

 そうして数日の内に一行は、目的地である領都ウィルライトにあと少しというところまで到達した。


 眠いながらも習慣で早朝に目を覚したノエルは、この朝はいつもと様子が違うことに気づく。

 すでにアーガンたちが起きているのはここ数日と同じだが、ファウスが一人、先に出立したのである。


「アーガンさま、ファウスさま」


 いつもと同じように出立の準備を始める中、いないファウスの姿を探して尋ねるノエルに、アーガンは 「先触れに出た」 と答える。


「さきぶれ」

「その、なんというかな?」

「一足先に、城に到着を報せに行ったんですよ」


 説明に悩むアーガンに代わりイエルが説明すると、ノエルはイエルを見上げて尋ねる。


「しろ」

「ええ、ウィルライト城です。

 白の領地ブランカの領都ウィルライト。

 その中央にある領主の城です」

「りょうしゅさまのしろ」


 いつものようにイエルの言葉を繰り返していたノエルだったが、少し前にアーガンやセルジュがしてくれた話とは違うことに気づき、首を傾げる。

 そして尋ねる。


「……やしき」


 最初はノエルがなにを言っているのかわからなかったイエルだが、少し考えてようやく理解する。


「ああ、クラカライン家のお屋敷ですね。

 ウィルライト城の中にありますよ。

 警護のために庭先を歩くことはありますが、とにかく大きなお屋敷です。

 我々には立ち入れない場所なので屋敷内のことはわかりませんが、ウィルライト城内の東側一帯がクラカライン家の私有地というか、敷地と言いますか」

「正確には違う」


 いつもならアーガンに呼びかけられて渋々ノエルに関わるセルジュが、珍しく自分から口を挟んでくる。

 近くで出立の準備をしながら、イエルとノエルのやりとりを聞いていて間違いが気になったらしい。

 それこそいつもなら聞き流してもいい程度のことではあったのだが、思った以上にノエルの記憶力がいいことが気になった……と言ったほうが正確かもしれない。

 そこで正しく教えておこうと思ったらしい。


「公子?」

「正確には、領都ウィルライトと呼ばれている町を中心としたアベリシア一帯がクラカライン家の直轄地で、ウィルライト城もクラカライン家の所有だ。

 その一画を、公的な使用に限って開放しているにすぎない」


 公邸と呼ばれる、この白の領地ブランカの政治の中心となる建物……一般にこの建物を中心に 「ウィルライト城」 あるいは 「城」 と呼んでおり、取り囲むように魔術師団の本部や騎士団の修錬場、あるいは宿舎などが建ち並んでいる。

 もちろん開放されていると言っても誰でも入れるわけではなく、貴族や騎士、魔術師はともかく、他には城勤めの領民くらいしか入ることを許されていない。


 だが今のノエルにそこまでのことが理解出来るとは思えず、イエルは苦笑を浮かべるに止めたが、アーガンは 「セルジュ、お前……」 と呆れ顔で呟く。


「なんだ?」

「その、だな……話してやるのはいいが、相手に合わせてやれ。

 お前はそういう配慮が足りない」

「今はわからずともよい。

 いずれ自分の目で見ることになるのだから」

「それはそうだが……」


 深く溜息を吐いたアーガンは、傾げたままの首を戻せないでいるノエルを眼下に見る。

 そしてその細い首をへし折らないように、そっと戻してやってから話し掛ける。


「とにかく、行ってみればわかるということだ」

「……わかった、いく」

「屋敷に着いたらゆっくり休ませてもらえるだろうから、もう少しだけ頑張ってくれ」


 そう言ってノエルを自分の馬に乗せたアーガンは、続いて自分も馬の背にまたがると、一行はセスを先頭にウィルライト城を目指して馬を走らせる。


 街道は朝早くから多くの荷馬が行き交い賑わっており、日が昇るとともにさらに人も荷馬も増えて賑わいを増してゆく。

 一行はその中に紛れて馬を走らせる。


 白の領地ブランカで一番広いアベリシア。

 この時すでにそのアベリシアに入っていたのだが、さらに城に近づくために馬を走らせた一行は、いつものように昼頃に休憩を取る。

 昼食休憩兼ノエルの昼寝のためである。

 この日、一行が休憩を取ったのは、街道を少し離れた小高い丘の上にある木陰。

 そこで馬から下ろしてもらったノエルは、途中からずっと気になっていたことをアーガンに尋ねる。


「アーガンさま、あれ」


 馬をセスに任せたアーガンは、小高い丘から見渡せる平原。

 その所々に建つ風車を指さして尋ねるノエルに、用途を説明する。


「あれは風車といって、白の領地ブランカは年中風が吹いている。

 大風の時は危ないから羽根を畳むらしいが、風の力を利用して粉を挽いたり、はたを織ったりしている。

 あと地下水の汲み上げもしている。

 制限があるから汲み上げ量は少ないが」


 実はシルラスにも風車はあり、立ち寄ったあの村にも一基だけ建っていた。

 だが建ち並ぶ家々の軒や屋根に遮られ、ノエルの背丈では見えなかったらしい。

 この丘に来るまでの道中、見掛けた何基もの風車をノエルはとても珍しそうに見ていた。


赤の領地ロホにはなかったな」

「はじめてみた。

 ふうしゃ、おぼえた」

「慌てなくていい。

 これからもっといろんなことを知ってゆけばいい」


 そう言ったアーガンは 「それより」 と言葉を継ぎ、遥か遠くに見える町を指さす。


「見えるか?

 あれが領都ウィルライトだ」

「しろ」

「んー……城というか、ここから見えるのは城壁だな。

 あの中には領都と呼ばれる広い町があって、その中というか、東側に城がある。

 ここからではちょっと見辛いというか、ほとんど見えんか」


 領都ウィルライトは、町の東側に広大な湖を背負う形で広がる城塞都市で、ウィルライト城は小高い丘陵地に建つが、一行が休憩をとった丘からでは少し距離がありすぎてその外壁が辛うじて見えるだけ。

 とても町の様子はわからない。

 だが目的地がそこにあることはノエルにもわかった。


「とおい」

「そうだな、町に着くのは夕方頃になる。

 今日は町の宿で泊まって、城には明日の朝入る。

 ファウスは一足先にそのことを城に報せに行った」


 一足先に帰城したファウスはそのまま騎士団に帰投するため、もうノエルと会うことはない。

 そのことをアーガンがノエルに話さないのは、アーガンとも、入城とともに別れることになるからである。

 セルジュには散々 「情を移すな」 と言われたのに……と後悔するも、それ以上にノエルには可哀相なことをしてしまったと後悔する。

 せめて別れるギリギリまで悲しませたくないと思い、黙っていることにしたのである。

 もちろんそれが正解とは思わないけれど、アーガンには他の選択肢が思い浮かばなかったのである。


 今夜は領都ウィルライトの町で宿をとって最後の夜を過ごす。

 明日にはクラカライン家の屋敷に入るため、少しでも身だしなみを整えてやろうと考えているアーガンの袖を引くように、ノエルが呼びかける。


「アーガンさま、あれ」

「あれ? どれだ?」


 わざわざノエルの隣に屈んで視線を合わせるアーガンに、ノエルは不思議なことを言い出す。


「ひかってる」

「光? なにか……露店のなにかが反射してるのか?」


 そう思って目を懲らしてみるが、アーガンの目にはなにも見えない。

 よくよく考えてみればこの距離で見えるはずがないのである。

 だがノエルにはなにか光る物が見えるらしい。


「わからない。

 でもひかってる」

「どのあたりだ?」

「ずっと、ずっとむこう。

 まぶしい」

「眩しいほどの光?」


 しばらく目を懲らしてノエルの指さすほうを見ていたアーガンだったが、探していた光るなにかではなく別のものを見つけてハッとする。

 直後、片腕でノエルを抱え、もう一方の手を背負った大剣の柄に伸ばす。

 ウィルライトのほうから騎馬の一行が、砂煙を上げながらこちらに向かってきていたのである。

 ほぼ同時に気がついたイエルが声を上げる。


「隊長!」

「セルジュに付け!」

「はい!

 セス!」


 事態に気づいていなかったセスは、イエルに声を掛けられて慌てて剣を抜こうとする。

 おそらくこの時全員がユマーズのことを思い出していたに違いない。

 荒野で一行と別れたユマーズから報告を受けたハルバルトが、どうあっても笛を奪うため手の者を差し向けたのではないか……と、一行に緊張が走る。

 もちろん敵が目の前にだけいるとは限らず、周囲も警戒しつつ見ていると、立ち上る砂煙から五騎以上の一団と推測される。

 対してアーガンたちは騎士三人に魔術師一人の計四人。

 数の優位こそとられているけれど、セルジュがその気になれば五騎程度なら一瞬で馬ごと仕留めることが出来る。


 だが油断は禁物である。

 相手にも魔術師がいる可能性がある。

 接触する瞬間を前に警戒を強めるアーガンだが、一行の先頭を走る人影に既視感を覚える。

 するとイエルも気づいたらしい。


「隊長、あれはファウスでは?」

「俺にもそう見える」

「え? なんでファウスが?」

「どういうことだ?」


 今朝早く、アーガンたちより一足先に宿を発ち、領都ウィルライトに向かったファウス。

 そのファウスが戻ってきたのである。

 しかも騎馬を数騎引き連れて。

 少なくともハルバルトの配下ではないと思われるが、目的、あるいは理由がわからず、ノエルをのぞいた全員が戸惑いを隠せない。

 もちろん絶対にハルバルトの配下ではないとも言えず、警戒態勢のまま騎馬一団との接触に備えていると、ファウスのすぐうしろを来る騎乗に、陽の光を受けて輝く黄金のたてがみを見てセルジュが呟く。


「あやつは……いったい何を考えているのだ」

「あの方は……おいセルジュ、どういうことだ?」


 同じく黄金に輝くたてがみに気づいたアーガンが、表情を強ばらせながら尋ねる。


「それはわたしが訊きたい」


 セルジュとアーガン、二人の話を聞いてイエルが首を傾げる。


「隊長?」

「城からだ。

 周囲の哨戒を頼む」

「城……わかりました。

 セス!」


 一足先に城に向かい、そのまま騎士団に帰投するはずだったファウスが引き連れてきた人物。

 その人物とセスを直接引き合わせたくなかったというのも偽りないアーガンの本音だが、それ以上にこれからここで交わされるだろう会話を彼に聞かせたくないというのが一番の本音だろう。

 アーガン自身、敵意のないことを示すべく柄に掛けた手を下ろすが、騎馬の一行が自分たちに向かってきていることに気づいたノエルを抱える腕だけはそのまま。

 なんなら柄から下ろしたもう一方の手も使ってノエルを抱える。

 これはノエルの安全を確保するためにも必要な措置であった。



【ある貴族令嬢の呟き】


「イエル様に女から手紙ですってっ?!

 しかもイエル様ったら、その手紙を嬉しそうに開封なさったって……どこの女よっ?

 わたくしのイエル様に!!」

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