44 シルラスの獣狩り ー約束

「獣の件は確かに請け合った。

 どうかわたしたちを信じて、心を強く持って村を守って欲しい」


 アーガンたちが発ったあと、セルジュが言い残した言葉を信じた村人たちは村で一番馬の早い者を近隣の村々に走らせた。

 そしてセルジュの言葉を伝えたのである。

 だから彼らは騎士が来ることを知っていたし、本当にやって来た騎士たちを歓迎したのである。


 先遣隊からその話を聞いたリンデルト卿フラスグアは、馬を駆りくだんの村に向かった。

 そして村長から話を聞いたのだが、村に立ち寄った若者たちの特徴に考え込む。


「つまりなんだ?

 今回の件を領主ランデスヘルに奏上したのはあいつらだったということか」


 時と場合にもよるが、だいたいの場合において領主がその情報をどこから、あるいは誰から仕入れたかなど詮索しないもの。

 だからアーガンとセルジュが情報源とは知らなかったフラスグアが、あの日、息子たちが焼き立てのパンを振る舞ってもらったテーブルに村長と向かい合ってすわり、その話を聞くことになったのは奇遇である。

 これまた奇しくもその時彼がすわっていた椅子は、あの日アーガンがすわっていた椅子でもあった。


 そもそもフラスグアは文官である甥のセルジュは当たり前だが、同じ騎士団に所属する騎士とはいえ、常に息子の所在を把握しているわけではない。

 特に今回は内密の話とあって、所在はもちろん、今回の派遣の話があり、いざ部隊を編制しようとしてアーガンの不在を知ったくらいである。

 思わぬところで知った息子の所在にはもう一つ、興味深い話があった。


「歳の頃は五歳だか六歳だか。

 そのくらい小さな子どもを連れておられました。

 赤い髪の騎士様にとても懐いておられたようですが」


 そんな話を村長から聞いたのである。


「はて、子ども?

 なんの用向きで出掛けたかは知らぬが、子どもを連れていたとは……」

「ああ、そうそう!

 確か、頼まれて領都にいる親戚でしたか?

 そこまで連れて行くと言っておられましたな」


 見た感じ、フラスグアと歳の変わらない村長は話しながらそんなことも思い出す。


「真実そうであるならともかく……孫なら大歓迎だが、セルジュの子であれば血の雨が降りかねん」


 日頃、恋人の一人もいない息子を心配しているフラスグア。

 領都の片隅にある花街に、親しくする女の一人や二人はいるという騎士団内の噂は聞いたことがあるもののあくまで噂であり、父であるフラスグアもただの噂だと思っている。

 自身が大恋愛の末、他領に帰属してまで妻システアと結ばれたフラスグアとしては、息子にも自由に相手を選んで欲しいと思い、アーガンにはなにも言わず来る縁談を保留にしていた。


 白の領地ブランカ内におけるリンデルト家は下級貴族だが、アーガンは姉とともに大貴族アスウェル卿家の血を引いており、その嗣子であるセルジュとも親しい付き合いがある。

 赤の魔術師ということを差し引いても将来的に有望な騎士であり、アスウェル卿家と赤の領地ロホのリンデルト卿本家の援助もあって経済的にも困らない生活が送れている。

 もちろん両家の援助がなくなっても、今さらリンデルト家が傾くことはもちろん、困窮することもない。


 つまりアーガンは白の領地ブランカの貴族社会においてそれなりに優良物件で、同じ下級だけでなく中級貴族からも、一件や二件ではない縁談の申し込みがある。

 無下に断るわけにもいかず、父のフラスグアは家長の判断としてそのほとんどを保留にしているのだが、あまりにもアーガンが自身の結婚に興味を持たないのでそろそろ親としてなんとかしなければと思っていた矢先のことである。

 妻を飛ばして孫を迎えるというのは想定外だが、フラスグアとしては反対するつもりはなかった。


 だが二歳違いの従兄弟セルジュも同行していたというから、万が一にも彼の子どもであった場合は困るのである。

 なにしろ彼には婚約者がいる。

 しかもその婚約者は今も領都におり、フラスグアもよく知っている。

 万が一にも連れていた子どもがセルジュの子であった場合、間違いなく婚約者が産んだ子ではないため、頭が痛くなるだけではすまされない事態が想定された。


 真偽のほどは獣退治を終えて領都に戻ってから確かめるしかないが、とりあえずこの村を訪ねたフラスグアに、副官の代わりにお目付役を買って出て同行してきたベテラン騎士に口止めをしておく。

 幸いにしてそのベテラン騎士は、アーガンのことはもちろんリンデルト卿家の家族構成などもよく知っていたから


「きっと閣下の取り越し苦労ですよ」


 などと苦笑いを浮かべつつも、フラスグアの平穏な日常のために黙っていてくれることを約束してくれた。


 そのあとも村長は、セルジュがもうすぐ生まれる赤ん坊やその両親を祝福してくれたことや、出立前には村人や村までも祝福してくれたことを話し、改めて感謝を口にする。

 そして、おそらくは一番訊きたかったことだろう。

 二人は来ないのか……とフラスグアに尋ねた。

 あの時アーガンは、自分もまた来ると言っていたから再会を楽しみにしていたのだろう。

 けれどその様子にはどこかあきらめのようなものもあったから、おそらくわかっていたに違いない。


「すまない。

 息子はまだ領都には戻っておらず、連れてくることは出来なかった」


 だがシルラスの状況は一刻を争うと判断し、魔術を使って一足先に騎士の派遣を領主に要請。

 それに対し領主が迅速に判断し、騎士の派遣が決まり自分たちがやって来たのだとフラスグアは話す。


「息子たちも、まさかこんなにも早く騎士団が動くとは思っていなかったのだろう。

 だが貴殿たちとの約束を、こうやって我らが来ることで果たした。

 どうかそれで息子たちを許してやって欲しい」


 もちろん村長にフラスグアを責めるつもりはなかった。

 ただもう一度会えたら改めて礼を言いたかっただけだという。

 そしてまた焼き立てのパンと温かいミルクでもてなしたかったと……。

 代わりに父のフラスグアを……と村長は腰を浮かしかけたが、フラスグアはこれを固辞する。


 理由はどうであっても村からは水以外は決して受け取ることは出来ない。

 今は収穫期でどの村も食糧に余裕があるが、これから来る寒い青の季節には何が起こるかわからない。

 その備えには決して手をつけてはいけないという領主の厳命もある。

 それを指揮官であるフラスグアが破ることは部下たちに示しが付かないと、改めて理由を明かして固辞した。


「では、代わりに一つお願いがございます」

「わたしに出来ることであればなんでも協力しよう」

「あの方々に、改めてお礼をお伝えください」

「お安い御用だ。

 必ずや伝えよう」

「ありがとうございます」


 フラスグアが宿営地の村に戻る時には


「わたしは魔術師でも神官様でもないので意味はありませんが、どうか騎士様たちに光と風のご加護がありますように」

「ありがとう。

 必ずや務めを果たし、貴殿たちの平穏を取り戻すと約束しよう」


 祈りを捧げる村長に見送られ、自身が率いる小隊が駐留する村に戻るフラスグア。

 このあと多少のトラブルは幾つもあったけれど、任務自体はたいした怪我人も出さず半月ほどで完遂。

 帰城後、若手の騎士を中心とした規律違反者に対して厳しい処分が行なわれた。


 その中に、一足先に帰城していたセスが含まれていたことで、一部の騎士の間で様々な憶測を呼ぶことなる。

 同輩の中には、セスがシルラスの獣狩りに参加していないことを知っている者もあったから当然かもしれない。

 それどころか領主から騎士団に要請があったとき城にいなかったこともあり、さらなる憶測を呼んだのだろう。


 だがこれにはなにか知っているはずのリンデルト小隊の面々は沈黙。

 もちろんアーガンが口止めしたのだが、そんなことをしなくても、ファウスもイエルもなにも喋らなかっただろう。

 なにしろ他の同行者にあの名門貴族アスウェル家の公子がいて、その口から、よりによってセイジェル・クラカラインの名前が出て来たのだから。

 そしてクラウス・ハウゼンの娘ノエル。

 クラウスの本来の名前がクラウス・クラカラインであると気づけば、ノエルの正体も見当がつくというもの。

 うっかり口を滑らせようものなら物理的に首が飛ぶのは目に見えていた。


 こういう判断が出来なければ、城ではもちろん騎士団でも生きていけない。

 そういう意味では、セスは騎士に昇格するには早すぎたのだ。

 そのことは小隊全員の共通する認識だったから、セスがなにかやらかしたことはすぐにわかったし、ファウスとイエルの様子を見れば、理由を詮索してはいけないこともすぐにわかった。

 だからどんなに親しい顔見知りに尋ねられても、セスの処分理由について彼らは沈黙を守らざるを得なかったのである。

 もっとも当のセスは、その状況に陥ってなお自身の処分理由を理解していなかったかもしれないが……。


 セイジェルとアーガンに、ノエルを迎えに行くよう依頼したセイジェル・クラカライン。

 その返信の内容をセルジュから聞いたアーガンは


「親父殿が行かれたのなら、もう心配はないだろう。

 母上が好きすぎる脳筋だが、剣の腕だけは確かだからな」

「同じ脳筋のそなたが言うな」

「親父殿にはまだまだ遠く及ばぬ」


 そんなことをセルジュと話しながら夕食の時間を迎える。

 この日もセルジュとアーガンは部屋で食事を摂ったが、今日はそこにノエルも加わる。

 放っておけば明日の朝まで眠っていそうだったから、可愛そうに思いながらも体を揺すって起こすとぐっすり眠っていたはずのノエルは飛び起きる。


「おかあさん、ごめんなさい!」


 どうやら寝ぼけていたらしい。

 寝過ごしたのを母親に咎められたと思ったらしく、肩から提げたままの鞄を抱えて身を小さくして震えている。


「起こしてすまん」

「おねがい、たたかないで」

「大丈夫だ、叩かない。

 それより腹は減っていないか?

 飯にしよう」


 アーガンが大きな手で小さな頭を撫でてやると、ノエルもようやく目を覚したらしい。

 最初はぼんやりとした顔でアーガンを見上げていたが、やがてポツリと呟く。


「アーガンさま……ごはん」

「ああ、食おう」


 この日はファウスが夕食を運んできた。

 セスが廊下で立ち番をし、イエルが一階の食堂で食事中だという。

 ノエルの食の細さは変わらないが、この日は食後のノエルにセルジュがあるものを手渡す。

 それは薬草をすり潰してひとつまみほどの大きさに丸めたもので、色もそうだが、酷い臭いがする。


「これを飲みなさい」


 小さな両手でそれを受け取ったノエルは、しげしげとそれを見てポツリと呟く。


「しってる。

 あのね、おとうさんもくれた」

「クラウス殿が?」

「のみなさいって、ときどきくれた」

「……そうか」


 今度はセルジュが思案げにポツリと呟く。

 横からノエルの手元を覗きこんだアーガンは、鼻を突く異臭に思わず顔をしかめる。


「酷い臭いだな。

 丸薬か」

「滋養だ」


 昨日、神殿に香炉を返しに行く時、ファウスに用事を頼まれて欲しいと言い出したセルジュ。

 結局朝になって町を見たいと言い出して一緒に出掛けたが、この丸薬を探して欲しいと頼んだのである。


 元々顔色が悪く、栄養状態が悪いのは一目瞭然だったノエル。

 さらにはアーガンの傷を治すために魔力と体力を消耗してしまい、一昼夜目を覚さないほど深い眠りに陥ってしまった。

 その回復の一助にと考え、薬を調達してきたのである。


 あまりの臭いにきっと味もひどくてこどもには飲めないのではないかとアーガンは心配したけれど、ノエルは味がわからない。

 だからファウスが差し出してくれたコップの水で難なく飲み込んでしまう。

 ちなみにその味を、アーガンはこの直後に身をもって体験することになる。


「そなたも飲んでおけ」


 そうセルジュに言われたのである。

 すぐにノエルが気を利かせ、まだ水が残っているコップを差し出してくる。

 ノエルがあまりにもなんでもないことのように飲んでいたから、ひどいのは臭いだけかと思ったアーガン。


 だがその考えは甘かった。

 九歳の子どもが飲んだ薬を、十九歳になるアーガンが 「飲みたくない」 とか 「いらない」 とは言えなくておとなしく飲んだが、口に入れた瞬間に、臭い以上にひどい味が広がる。

 反射的に吐き戻しそうになるほどひどい味だったのだが 


「アーガンさま、おみず」


 どうぞ……とコップを差し出してくるノエルを前に、意地で飲み下すしかなかった。

 だがどんなに水を飲んでも口の中に残る味は消えず、薬草独特の臭いと味に顔を歪める。


「ひどい味だな」


 これをアーガンはこの時一粒を飲んだきりだったが、ノエルは道中、毎夕食後に飲むようセルジュに言われるが、味のわからないノエルは嫌がることはなかった。



【エルデリア・ラクロワの呟き】


「かつてのいくさとは違い、今は他の領地にも白の魔術師はいるのです。

 白の領地ブランカも、もはや白の魔術師だけでは守り切れませぬ。

 色を問わず、皆が白の領地ブランカの民として団結せねばならぬのです。


 白、赤、青、緑の魔術師の協力を得ねば……。


 そのために領主ランデスヘルも心を砕いておられるというのに、師団長はどこまで愚かなのか。

 四聖しせいの和合は人の意志によって成されたもの。

 人が意志を持って守らねばこの平和も維持出来ぬのです。


 中央宮を緑の領地ベルデに乗っ取られたも同然の今、いつ如何な事態が起こるともしれぬのだ。

 我ら貴族は領主ランデスヘルを支え、ともにこの国と白の領地ブランカの未来を見据えねばならぬというのに……」

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