43 返信 ーシルラスの獣狩り

 消えたアーガンの傷のこと、眠ったまま目を覚さなかったノエルのこと、笛のこと、ハルバルトのこと、そして獣のこと。

 それらを報告するため、昨日の魔術はずいぶんと時間が掛かった。


 ことの魔術


 アーガンはこの魔術を 「ずいぶんと便利だな」 と言っていたが、確かに便利かもしれない。

 送り手と受け手が媒体となる魔宝石を所持している必要があるが、魔術そのものはたいした魔力を必要とせず、魔術師ではないファウスでも出来るという。

 媒介として使用する魔宝石もごく小さなもので十分だが、こちらは小さくても高価なのが少ない難点の一つで、魔術師であっても、平民が入手するのには骨が折れるだろう。

 もう一つの難点は、全てを言葉にしなければならないことである。


 術が始まると魔術陣の中にいる術者の声は外に聞こえない。

 だから室内にいたアーガンや戸口で立ち番をしていたファウスには、術が始まるとセルジュの声は一切聞こえなくなりなにを言っているかわからなくなるが、それはこの旅が始まった時からずっとそうだったから、文官と武官の領分違いということでアーガンたちも詮索はしない。

 報告する内容についてはセルジュ任せである。


 だが内容が多かったためひどく時間が掛かった。

 全てを言葉にしなければならないというこの術の、数少ない難点の一つのためひどく時間が掛かったのだがそこはセルジュである。

 白の当代魔術師の四強に数えられる強大な魔力の持ち主は、下位魔術とはいえ、長時間の集中を途切らせることもなければ、終わったあとも疲れを見せることもなかった。


 さすがである


 そんな昨夜に比べれば短かったものの、いつもの返信に比べればやはりずいぶんと長かった。

 送った内容が多ければ当然のことかもしれない。

 扉の外ではイエルが立ち番をしているが、室内にはセルジュの他には寝台で毛布にくるまって眠っているノエルと、その寝台に腰を掛け、することもなく暇を持て余していたアーガンの三人しかいない。


 ファウスの話では、術が始まると陣の外に術者の声が聞こえないように、陣の中にいる術者にも外の音は聞こえないという。

 だから話していても物音を立ててもセルジュの邪魔にはならないのだが、眠っているノエルを起こしては可哀相だと思い、おとなしくセルジュの術が終わるのを待っていたアーガンは陣の消失を見て大きく伸びをする。


「終わったか」

「……さすが叔父上だな」


 疲れたわけではなさそうだが、溜息混じりに吐き出されるセルジュの言葉に、アーガンは両腕を上げたままの状態で動きを止める。

 そのままの状態で少し思案すると、ゆっくり腕を下ろしながら尋ねる。


「ひょっとして、親父殿か?」


 セルジュには、アーガンの父リンデルト卿フラスグアの他にも何人か叔父と呼ぶ人物がいるが、なんとなく自分の父のことではないかと思ったのである。

 もちろん根拠はない。

 まだなんの説明も受けていないから当然だが、なんとなく自分の父フラスグアのことではないかと思ったのである。


「騎士団の派遣に裁可が下りた」

「さすが閣下だな、ご判断が早い」

「ああいうことは迅速さが求められる。

 その判断を誤ることはない」


 そう言ったセルジュは、背にしていた寝台にゆっくりと腰を掛けて話を続ける。


「その指揮官に叔父上が選ばれた」

「選ばれたというか、親父殿が手を挙げられたのだろう。

 今季の討伐隊から外されたことをずいぶん不満に思っていたようだからな」


 アーガンの父フラスグアは現在騎士団の特別顧問という立場だが、怪我などで現役を退いたわけではない。

 むしろ現役で、領地境りょうちざかいを主戦場とする魔物の討伐にも定期的に参加している。

 少し前に派遣された今季の討伐隊から外されたのは、領都守備を任命されたからである。

 

必ず誰かが担わなければならない役割であり、特別珍しいことでもない。

 もちろん騎士団の決定だが、裏で魔術師団副師団長エルデリア・ラクロアが糸を引いていたことを知る者は少ない。

 その数少ない一人、セルジュは言う。


「今頃はエルデリア様が火を噴いておられるだろうな」

「エルデリア様? ラクロワ卿夫人の?」


 大勢の知らない者の一人、アーガンは意味がわからず不思議そうに尋ねる。


「伯母上は、叔父上が城を離れられることをよく思っておられぬからな」

「貴族院はともかく、俺には魔術師団のことはよくわからん。

 あちらにも派閥のようなものがあるとは聞いたことがあるが、その手のことにはどうにもうとくてな」

「知りたければそのうちレクチャーしてやろう。

 知っておいて損はないぞ」


 知ってしまえば最後、気がついた時には派閥抗争の最中にいるのである。

 だからあえて今まで知ろうとも思わなかったアーガンだが、わざわざレクチャーしてやろうなどと親切ごかすということは、セルジュはアーガンを巻き込もうとしているらしい。

 エルデリア・ラクロワの考えを思えば、すでにアーガンも巻き込まれているようなもの。

 セルジュが 「知っていて損はない」 というのも、アーガンが渦中に置かれても上手く身を処すために必要だからかもしれない。

 だが、それは今ではない。

 だから 「そのうち」 なのである。


 領主の裁可がおり、シルラスの荒野を徘徊し村々を襲いだした獣を討伐するため、騎士団の派遣が正式に決まったのは今朝のこと。

 おそらくセルジュが送った報告を昨日のうちに聞いたのだろう。

 即決し、今朝一番に騎士団に派遣要請が出された。


 フラスグアがその話をどうやって聞きつけたかはわからないが、数いる指揮官を押しのけて立候補。

 おそらく特別顧問という立場を利用して押し切ったのだろう。

 即座に部隊編制が始まると同時に、シルラスの状況を確認するための先遣隊が出発した。

 はじめはこれにフラスグアが同行しようとしたのを、副官が厳しく制止したという。


「相変わらずだな、親父殿は」


 我が父ながら……と苦笑いを浮かべるアーガンに、セルジュは話を続ける。

 先遣隊はベテラン揃いの少数精鋭で、必要最小限の装備で馬を駆り、すでにシルラスに向かっている。

 中に一人、魔力を持つ騎士を編入して通信係に任命。

 本来ならば魔術師団に所属する魔術師が担う役目だが、出立を急ぐからと、代わりに幾つかの魔石と媒介に使う魔宝石を融通してもらい、領都ウィルライトから南下。

 当初の予定ではアーガンたちが辿る予定だった進路を、逆行してシルラスの荒野に入るらしい。

 アーガンたちはセルジュとノエルの安全を期すためあの村の村長の忠告に従ったが、彼らは騎士だけの編制である。

 まして一刻も早くシルラスに入ることが目的であり、獣がいることは大前提。

 遭遇を避けるのではなく、むしろ探しに行くのだから問題はなかった。


 フラスグアは、何人もいる腕の立つ部下たちの中から早馬を駆る騎士を選んだだろうから、おそらくアーガンたちが領都に着くより早く彼らのほうがシルラスに到着するだろう。

 本隊の出立に間に合わないかもしれないなどと呟くアーガンに、セルジュが、これも指示として返信にあったのだろう。

 アーガンたちは帰城後そのまま待機。

 城や領都の守備に着くよう告げる。


「約束したのだが……」


 やはり人の好いアーガンは村長との約束を思い出して申し訳なさそうな顔をするけれど、父のフラスグアはともかく、アーガンは小隊の一隊長にすぎず、騎士である以上騎士団から出された命令に逆らうことは出来ない。

 この時、村長たちとの約束を違えることを彼自身はひどく悔やんだけれど、村人たちが彼を恨むことはなかった。

 なぜならフラスグアがあの村を訪れたからである。


 先遣隊から報告を受ける前に、シルラスの東側に広がる荒野の広さからおおよその部隊を組んだ指揮官のフラスグアは、本隊を率いて領都を出立。

 先遣隊の報告次第で追加の部隊を編制し、後続の補給部隊に同行させるために小うるさい副官をその任にあてて置いてけぼりを食らわせることにも成功。

 気の合うベテラン騎士たちとまだまだ経験が浅くぎこちない若手騎士、それに魔術師たちを率いてシルラスに入った。


 この獣狩りのために急編制された臨時小隊は、シルラスの荒野に入ると出立前に打ち合わせていたとおりに別れ、いくつかの村にそれぞれの小隊で向かう。

 今回の相手は人でもなければ魔物でもない、獣である。

 状況がわからないまま荒野での野営は危険と判断したことに加え、夜になると襲って来る獣から村を守るためである。


 また今回は迅速な行動が必要とされるために担当エリアを決め、一つ処に集合せずそのエリアに一番近い村にそれぞれ駐留することにした。

 通常の遠征部隊に比べて小規模ではあるものの、一つの村を拠点にするとその村の負担が大きくなりすぎることが懸念されたからである。


 食料は当然騎士団、及び魔術師団で持参している。

 出立を急いだため十分な量とは到底言えないが、補給部隊の手配もしてある。

 乾季であるため雨の懸念はなく、せいぜい気温が下がる夜と風を凌ぐ程度の簡易な幕屋があれば寝ることも出来る。


 だが水だけはどうしても足りず、村の井戸や貯水池の水を借りざるを得ない。

 そう考えると、どうしても一つの村にまとまって駐留するわけにはいかないのである。


「ある程度は領都ウィルライトから運びますが、雨が期待出来ないので……」


 出立前、置いてけぼりを食らわせたフラスグアの副官もそんなことを呟いていた。

 ただでさえ知事ハウゼン卿アロンの、無能な施政のおかげでシルラスは領民の不満が募っている。

 村に協力を強いることは領主の意にも反するため、村が井戸や貯水池の水を分けることを拒否した場合、運んできた水をその小隊に回すことになり、他の小隊は駐留する村の水に依存することになる。

 それらのことを考え、一つの村に負担を強いるわけにはいかないとフラスグアは判断したのである。


 だがそんな心配は杞憂だった。

 フラスグア自身、小隊を率いてある村に到着したのだが、今は白の季節も一番目の月が終わる頃。

 白の領地ブランカのほとんどの村で収穫期真っ只中である。

 日中は収穫に忙しく畑に出払っていた村人たちを驚かせないように、馬の足を控えて近づいてくるフラスグアたちの姿を見て彼らは歓声を上げたのである。


「騎士団だ!」

「騎士様だ!」

「本当に来てくださった!」

「誰か、村長を呼んでこい」

「領主様に感謝を……」

「おい、村長に報せろ」


 収穫の手を休め、口々にそんなことを言い合いながらフラスグアたちを迎えたのである。

 中には人数の少なさに不安を抱いた村人もあったようだが、効率や村の負担を考えて分散して駐留することを話すと安堵してくれた。

 しかも村に招き入れた各小隊を、村長を筆頭に歓待してくれようとしたのだが、フラスグアはそれを固辞した。

 もちろんフラスグアだけでなく各小隊長もである。

 それぞれの村に駐留する騎士や兵たちの世話を村人がすることはもちろん、水以外の差し入れは一切無用であること。

 もし差し入れなどを受け取れば、騎士も兵も厳しく罰せられることを挨拶の時、村人の代表として村長に話しておく。

 騎士や兵たちにも出立前に同じことが通達されており、実際、差し入れを受け取るなどした兵や騎士は帰投後に厳しい罰を受けることとなる。


 むろんベテランの騎士たちはフラスグアの厳しさを知っていたが、今回は初任務となる若い騎士も連れてきている。

 セスもそうだが、こっそり飲めばバレないとでも思ったのかもしれない。

 中にはひっそりと幕屋を抜け出し、仲良くなった村人の招待を受けて酒を酌み交わした若い騎士もあり、帰投後にこっぴどい説教を受けた上に厳しい罰を科されることとなった。


「馬鹿な奴らだ」

「リンデルト卿を舐めてるのか」


 若い騎士の中にはフラスグアが、赤の魔術師であることや赤の領地ロホの出身だと知って侮っていたのかもしれない。

 そしてフラスグアに絶大な信頼を寄せるベテラン騎士たちは、フラスグアがそんなことで手を緩めることは決してないことを知っていたのだろう。

 若い騎士たちの迂闊さにそんなことを言っていた。


 一方のフラスグアは、村の出入り口近くで宿営に忙しい騎士や兵たちを横目に一つの疑問を考えていた。

 村人たちが、まるで自分たちの来訪を知っていたような歓待ぶりが気になったのである。

 それは他の小隊長たちも同じで、宿営を部下たちに任せ、あえてフラスグアに報告に来る者もあったほどである。

 しかしその疑問は、下調べのため先行していた先遣隊の報告で解決することとなる。



【ダレル・ランドグルーベの呟き】


「リンデルト卿の出征? ふん、シルラスなどすぐそこではないか。

 行きたければ行かせておけばよい。

 所詮は脳筋、どうせたいしたことなど考えておらぬだろうよ。


 エルデリア様もエルデリア様だ、いちいちその程度のことで目くじらをお立てになるとは。

 魔術師でもないのに魔術師団に籍を置かれる厚顔さといい、すでに嫁がれた身でありながらどこまでもクラカライン家のご威光を笠に着て好き放題なさる。

 まったく疎ましい。


 リンデルト卿が貴重な焔使いだと?

 とんだれ言を。

 白の領地ブランカは我ら白の魔術師が守る、今も昔もそれは変わらぬ。


 ああ、もちろん気が変わって魔術師団へ転籍するならばすればよい。

 有事にはその忠誠の証しを立てて、せいぜい華々しく散ってもらおうではないか」

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