42 クラカライン家 (1)
「そなたにはもう一つ、訊きたいことがある。
笛のことだ」
状況的にアーガンの傷を治したのはノエルしか考えられないのだが、本人に自覚はないらしい。
それでもアーガンが言うには、ノエルの体には、傷跡はもちろん痣もない。
おそらく無意識のうちに自分で治しているのだろう。
自分の体だけでなく、今回はアーガンの傷まで治してしまった。
しかも母親のエビラに怒られるのが怖いと怯えるから、エビラもどこまで知っていたかはわからないけれど、なにか気づいていたと思われる。
そうなると父親のクラウスもなにか知っていた可能性は十分すぎるほどあるが、こちらはすでに故人である。
おまけにセルジュも彼らの依頼主もクラウスという人物自体よく知らず、ここでセルジュが一人であれこれを考えても仕方がない。
そこで話を変えることにしたらしい。
今もノエルの鞄の中に入っている
「おとうさんのふえ……」
取り上げられると思ったのか、鞄を抱える腕に力を込めるノエルだがアーガンの膝の上である。
アーガンにそんなつもりはなかったけれど、結果として逃げられないようにしていたことに少なからず罪悪感を覚えるらしく、ノエルの頭の上で小さく呟く。
「すまん」
「アーガンさま……」
「アーガン、話が終わるまでそのまま放すなよ」
「……すまん」
助けを求めたわけではないと思う。
けれど淋しそうなノエルの声に、ただ謝ることしかアーガンには出来なかった。
セルジュもまた、そんなアーガンの人の好さを知っていて言っているのだろう。
あの場を収めるため、セルジュがユマーズに言ったことが嘘でなければ笛の正当な持ち主は領主だ。
とても下級貴族の公子に過ぎないアーガンには口出し出来ることではない。
だから彼の口からは謝罪の言葉しか出てこなかった。
もちろんユマーズの、
けれど、おそらく真実だろう。
セルジュが嘘を吐いていた場合、ユマーズを介してその嘘はハルバルトの耳に入り、ハルバルトはその嘘を領主に報告することで笛を取り戻そうとするはず。
けれどそう考えるより、領主のものであるからこそハルバルトは笛を欲しがったと考える方が筋が通っている。
ハルバルトにとって、領主の所有物であることに価値があるのだ。
だからこそ、わざわざユマーズに回収を命じたのである。
その笛について、セルジュは改めてノエルに尋ねる。
「まずは確認したい」
そう言って差し出されるセルジュの手を、ノエルは大きな黒い瞳で凝視する。
笛が入っている鞄を握りしめる腕に込めた力を抜く様子がないのは、渡したくないのか。
それとも戸惑っているだけなのか。
「なにも今すぐ取り上げようというのではない。
話をする前に、まずはわたし自身の目で確認したい。
そう言っているだけだ」
そう説得してもノエルは笛をなかなかセルジュに渡そうとしない。
それどころか鞄から取り出しもせず、アーガンやセルジュをひどく困惑させた。
ようやくのことで取り出した笛は古い革の袋に入っており、一見でその価値はもちろん、笛ともわからない。
だが固く結ばれた口紐を解いて取り出されたのは、白金色をした横笛で、つい最近まで手入れをされていたらしくその輝きに曇りはない。
両手に持ってしばし眺めていたセルジュは、「おそらく……」 と切り出す。
「
双笛、光の笛と風の笛。
それがどういったものかアーガンは知らないが、「よく似ている」 と言うからにはセルジュは光の笛を見たことがあるのだろう。
傷などの状態でも見ているのか?
しばらくのあいだ手にした笛を様々な角度から見ていたセルジュだったが、やがて元の袋に戻して口を固く紐で縛る。
そしてノエルに返す。
「これは、そなたの手から
なにか褒美がもらえるだろう」
そう言ったセルジュの顔がひどく悪く見えたアーガンは、なにか企んでいるのではないかと心配になる。
「おい、セルジュ」
「心配には及ばぬ。
入城してしまえばわたしのほうが序列は下だ。
下手な手出しはせぬ」
「入城以前は?」
「これまでどおりそなたが世話をすればいい。
嫌なら部下に任せろ。
あの
ノエルには関心を示さないセルジュだが、やはり例の一件でセスには警戒しているらしい。
珍しく念を押してくる。
「入城前に疵物にすればわたしでも庇いきれぬ。
いいな? あの虚けだけは近づけるな」
「……なぁセルジュ、今さらなことを訊くかもしれんが、閣下は……」
「アーガン、余計な詮索はするな」
うるさそうな口ぶりでアーガンの言葉を遮ったセルジュは、すぐさま視線を、返してもらった笛を鞄にしまっているノエルに向ける。
「そなたも、せいぜいその不可思議な魔力ちからでセイジェルの気を引くことだ。
そうすればクラカライン屋敷で長く暮らせるだろう。
平穏は望めぬだろうが」
「よせ、セルジュ。
子どもを相手に……」
「なにをぬるいことを。
そんな見掛けをしているが、
あと六年もしないうちに成人を迎えるのだぞ」
「それはわかっているが……」
「どう扱うかはセイジェルが決める。
そなたが関与すべきことではない」
「お前、なにか知って……?」
「わたしが喋るとでも?」
「いや、まぁ話さないだろうが……」
やや早口に頭上で交わされる二人の会話を聞いていたノエルは、セルジュが意地悪く鼻で笑い、アーガンが閉口して会話が途切れたタイミングで口を開く。
「アーガンさま、セイジェルさま」
「あ? ……あ、ああ、その……だな……」
すでにイエルやファウスの前では何度もその名を口にしてきた二人だが、一切の事情を知らないノエルに話してもいいものか、わからず言い淀むアーガンの視線が助けを求めるようにセルジュを見る。
「……今から話すことは、ここから先、セイジェル・クラカラインに会うまで誰にも話してはならない」
求められた助けに一瞬眉をひそめたセルジュだったが、すぐさま考えを変え、口を開く。
アーガンに下手な説明をされては困ると思ったらしい。
「せいじぇるくらからいんさま」
「わたしたちをそなたの迎えに遣った人間だ。
それ以上のことは本人から聞くといい。
まずは城に入り、会うことだ。
今は名前だけ覚えておきなさい」
ここまでを話したセルジュは、少し遅れてノエルがゆっくりと頷くのを見て続ける。
「クラカライン屋敷はウィルライト城内にある。
心配せずともそこまではわたしたちが連れてゆく。
そこでそなたをセイジェルに引き渡してわたしたちの役目は終わりだ。
あとはセイジェルに聞くといい。
屋敷内でのことには、わたしもアーガンも口出し出来ないからな」
ノエルなりに小さな頭で必死に考えているのか。
あるいは覚えるために、聞いた話を脳内で反芻しているのか。
いずれにしても反応が遅い。
今度も少し間を置いてゆっくりと頷く。
そして自分から口を開く。
「セルジュさま、ランデスヘル」
「領主のことだ」
「りょうしゅさま。
ハルバルトさま」
「
ノエルの小さな頭の中では、その二つが繰り返されているのだろう。
少し舌足らずでゆっくりとしたノエルの言葉にセルジュも少し慣れたらしく、迷わず簡潔に答える。
「はるばるとさま、きぞくさま。
おとうさんのふえ」
「さっきも話しただろう。
クラカライン家が所蔵する
光の笛はセイジェルが吹いているところを見たことがあるが、風の笛についてはわからない。
クラウス殿が城を出る時に持ち出されたとしたら……いや、ヴィルールが持たせた可能性もある」
「う゛ぃるーるさま」
「クラウス殿の父君だ。
違うとしてもご存命ならばなにか知っていたはずだが、生憎とすでに故人だ。
今回笛の回収は聞いていないから、おそらくセイジェルもなにも知らないのだろう。
いずれにしてもクラウス殿が城を出る時に持って行かれたのだとしたら、わたしたちが生まれる何年も前の話だからな」
セイジェル・クラカラインが光の笛を吹いたことがあるのなら、対ついとなる風の笛がクラカライン屋敷内にないことは知っていたかもしれない。
だがセルジュ同様、生まれる前に持ち出されていたためその行方についてはまったく知らなかったのだろう。
もしクラウスが持っていることを知っていたのなら、間違いなくノエルとともに持って帰るようセルジュに命じていたはずである。
それなのに笛のことには触れもしなかった……ということは、そういうことなのだろう。
一方のノエルは、笛の話で父親のことを思い出したというわけではない。
悲しくなったり淋しくなったわけでもない。
いつも怯えてうつむいていたノエルは、父親の顔もあまり覚えていない。
クラウスは寡黙だったからその声もよく思い出せない。
けれど急に、クラウスが吹いていたあの笛の
「せるじゅさま、ふける」
ずっと何かを望むことを諦めてきたノエルには珍しく、突然の衝動に突き動かされ、一度は鞄にしまった笛を急いで取り出そうとするが、すぐさまセルジュが手振りで止めると、叩かれると思ったのか、ノエルはビクリと全身を強ばらせる。
「……ごめんなさい」
「大丈夫だ、怒っているわけじゃない」
頭上からアーガンがノエルを宥めると、セルジュが続く。
「言ったはずだ、その笛の正当な所有者は
わたしは許可なく吹くことは出来ない」
「その笛はそういうものなのだ」
「……おこらない」
「セルジュも俺も怒ってない。
だがその笛を勝手に吹いたら怒られる。
覚えておきなさい」
「わかった」
再び鞄を強く抱きしめたノエルは、結局しょぼくれたまま毛布に潜り込み、夕食の時間まで眠って過ごすことにした。
そのあいだにセルジュは、昨日送った報告の返信を聞くことにしたのだが……。
【エルデリア・ラクロアの呟き】
「まったく、騎士団の無能どもが!
脳筋なのだから、上手く丸め込んで城に閉じ込めておけとあれほど……まぁよい。
実践も兼ねて若手を引き連れて行かれるということだから、魔術師団も倣わせていただきましょう。
騎士たちにばかり功を立てさせる必要はない。
もちろんリンデルト卿の警護は入念に。
魔術師は貴重なのです、決して万が一などということのないように。
この
師団長からも決して目を離さぬように。
下らぬ見栄ばかり張って、情勢の見えぬ凡俗の好きにはさせぬ。
だが……リンデルト卿が万が一にも片腕でも失って騎士を廃業されるのなら、ご子息のアーガン公子共々魔術師団でお迎えすれば……ふむ、それもよいな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます