36 ユマーズ・ランベルト ―笛の行方

「そのことですが、公子がご存じないのももっともですが、そもそもそれ・・は存在していないのです」


 やたら勿体ぶるユマーズの話に、セルジュはわずかに眉根を寄せる。


「どういう意味だ?」

「これはエビラそれの母親に聞いた話ですが、クラウス様はそれ・・の出生を役場に届けていないのです」


 問いに返されるユマーズの答えに、わずかながらもさらに眉根を寄せるセルジュ。

 そのことに気づいているのかないのか、ユマーズは話を続ける。


「ですからそれ・・があの村から消えても村人は一人も減っていないし、死のうと誰も死んでいない。

 あの村はもちろん、赤の領地ロホどころかこの国のどこにもそれ・・は存在していないのです」

「そういうことか」


 つまりノエルは、クラウスの娘という以前に存在すらしていないことになっている。

 いないものだからどう扱ってもいい、そういうことらしい。

 ユマーズの話を理解するとともに寄せた眉を戻し、平静を取り戻したセルジュは冷ややかに呟く。


「だがそれ・・を殺していい理由にはならない」


 そもそもアーガンが傷を負ったのは、とっさにノエルを庇ったから。

 アーガンが庇わなければ、ノエルはユマーズの短剣にのど笛を切り裂かれていただろう。

 その狙いは正確で、傷の深さを思えば、ほぼ間違いなくノエルはあの一撃で絶命していた。

 それをアーガンが自分の右腕と引き替えに守ったのである。


 おそらくユマーズは最初の一撃でノエルを殺し、その死体から笛を回収するつもりだったのだろう。

 ノエルが鞄に笛を入れていることは知っていたはずだから、殺してしまえば抵抗されずに鞄ごと回収出来ると考えたのだろう。

 確実に笛を回収出来るのなら……いや、確実に笛を回収するため、ノエルを切り捨てることを選んだのである。


 元々ノエルを村から連れ出そうとしたのは、ユマーズが考えたハルバルトへの余興である。

 だから必ず生きて奪い返す必要もなければハルバルトの元に連れていく必要もない。

 そのハルバルトからユマーズに下された命は笛の回収。

 これだけは絶対に果たさなければならないのだが、どうやらそれだけではないらしい。


「はて?」

「手続きなどどうでもよい。

 それがクラウス殿の娘である事実は変わらない」


 最初はとぼけてみせたユマーズだが、とても上席執政官とは思えないセルジュの言葉を聞いて 「それは……」 と、再び表情を歪ませる。


「自分が殺しておきたいと思ったからです」


 そう答えたユマーズは改めてノエルを見る。


「お前、さっき・・・の俺が見えていたな」


 さっき・・・とは?

 誰ともなしにそう尋ねるのを待たず、ユマーズはノエルに問い続ける。


あの時・・・もお前にだけは見えていたよな。

 そのはどうなってるんだ?」

「あの時?」


 思わず口を開いてしまうイエルに、ユマーズはあの夜のことを話し出す。

 クラウスの葬儀が行なわれ、ユマーズがエビラの家に入り込んだ日の夜のことである。


 夕食の席でノエルを娼館に売り飛ばそうと言い出したユマーズに、マーテルのためにお金が欲しいエビラは即座に賛成。

 ではさっそく明日にでも……という話になった時、ユマーズが思い出したように笛のことをノエルに尋ねた。

 ノエルの姉ミゲーラには、クラウスの部屋か調剤の作業に使っていた納屋にあるのではないかと言われたが、そんなところはとっくに探したというユマーズは、ノエルに、翌朝までに探しておくよう厳しく言い付けたあの夜のことである。


 あのあとノエルやユマーズを含め、家族はいつもどおりに就寝したが、翌朝になって家族が目を覚ました時にノエルは姿を消していた。

 この時点ではアモラの家の納屋にいた、つまりまだ村にいたわけだが、その理由をアーガンたちはアモラ自身から聞いて知っている。


 畑に忘れ物をしたことを思い出したアモラが、真夜中に家を抜け出して取りにいったところ、ノエルを村から連れ出そうとしたユマーズを見掛けたのである。

 声を掛けたアモラに、ユマーズは 「ぶち切れたエビラから守るため、一時的に避難させようとした」 そんな趣旨の説明をしたというがおそらく嘘だろう。

 夕食の席でエビラにした 「娼館に売る」 というのも嘘だが、問題はその話のあとからアモラと会うまでのあいだの出来事である。


 ユマーズの話によれば、恐怖に怯えるノエルは眠れなかったのか、皆が寝静まった頃を見計らうように部屋を抜け出し、言われたとおり笛を探し始めたという。

 だが笛がありそうな場所はすでにユマーズも探し、見つけられず苛立っていたのだが、どうしてノエルに見つけ出すことが出来たのか?

 そこが一番の問題だったのである。


「おそらく笛の隠し場所には隠形おんぎょうの魔術が掛けられていたのです」


 だから自分には見つけることが出来なかったのだとユマーズは話す。

 先程、アーガンの返り血を浴びることで、ユマーズが自身に掛けていた隠形の術が解けたように、なにかしらあって術が解けなければノエルの目にも見えないはずだが、こっそりと物陰から見ていたユマーズの前で、ノエルはまっすぐに隠形の術が掛けられていた笛の隠し場所に向かったという。


 笛はミゲーラが言っていたとおりクラウスが調剤作業に使っていた納屋の中、幾つもある棚の一つに隠されていたのだが、隠形の魔術が掛けられていて、薬瓶の後ろにあった空間がユマーズの目にはまったく見えなかったのである。

 ところが最初からそこにあることを知っていたのか、納屋に忍び込んだノエルはまっすぐその棚に向かい、そっと薬瓶をどけて笛を取り出したという。


 例えそこに目的の物があることを知っていたとしても、薬瓶をどけただけで術が解けるわけではない。

 もしノエルが、クラウスが笛を隠す現場を見ていたとしても、術が解けるまでは笛が見えないため薬瓶をどけたそこにはなにもない。

 普通ならまたクラウスが移動させたと思うところだが、ノエルはまっすぐに手を伸ばして笛を掴んだという。

 それを物陰から見ていたユマーズは、ノエルの目は隠形の魔術を見破っているのではないか? ……という疑問を抱いたのである。


 そして先程、隠形の魔術を自身に掛けて身を隠し、ノエルに近づいたユマーズ。

 気がついたのはギリギリだったが、ノエルの目には確かにユマーズの姿が見えていた。

 その証拠に二人の目が合った。

 まだ他の誰も、そこにユマーズひとがいることに気づいていなかったのに、様子がおかしいことに気づいたアーガンに声を掛けられたノエルは、ユマーズが目の前にいることを伝えようとしたけれど、恐怖のあまり上手く声を出すことが出来なかった。

 本能的に察したアーガンが、とっさに右腕で庇ってくれたおかげで一命を取り留めたのである。


 神殿に所属する神官たちならばその能力に興味を示すところだが、ユマーズは、魔力はあっても魔術師ではなく、神官でもなければ探究心もない。

 それどころかこの先の諜報活動の支障となるかもしれない不安要素は早めに摘んでおきたいと考え、手にした短剣でノエルののど笛を狙ったのである。


「聞いたこともない魔術ですが、こういう規格外イレギュラー諜報活動自分の仕事には邪魔なので」


 この先、再びノエルとユマーズが会うかどうかわからないけれど、不安要素、あるいは不確定要素は取り除いておきたい。

 それがユマーズのやり方らしい。

 だがセルジュは言う。


「貴様の都合などわたしには関係ない」

「……仰るとおりです」

それ・・を殺していい理由にもならない」


 内心では不本意だったのか?

 わずかな間を置いて答えるユマーズに、淡々と続けるセルジュ。

 それが先程と同じ言葉であったためか、ユマーズが答えるまでに先ほどより長い沈黙がある。


「…………その理由を今、お話ししたのですが?」

「わたしも言ったはずだ、貴様の都合などわたしには関係ないと」


 そしてそれにユマーズは 「仰るとおりです」 と答えた。

 つまり 「今、お話しした」 ユマーズがノエルを殺したい理由は、全てセルジュには 「関係ない」。

 だからノエルを殺していい理由はない、そういうことらしい。

 少しばかり考えてからユマーズは返す。


「……では笛を譲って頂けますか?

 公子の御用向きには関係のないものです。

 自分に譲って頂いても問題はないでしょう。

 笛さえ譲っていただければ、自分もこれ以上それ・・には手出しいたしません」

「出来ぬ」

「なぜです?

 それ・・を連れ帰るのが、今回の公子の御用向きであったはず。

 笛は譲って頂いても支障はないはずです」

「だから言ったはずだ、貴様の都合などわたしには関係ないと」

「公子、それはいくらなんでも。

 そういうことであれば、自分もこのままおとなしく引き下がるわけには参りません」


 わざとセルジュに見せつけるように、短剣を構え直して駆け引きを持ち掛けるユマーズだが、もちろんその目はイエルの動きを伺っている。

 もとよりノエルを殺すつもりだったユマーズは、返り血を浴びるくらいのことは想定内だったが自身が傷を負うのはまずい。

 それこそ小さな切り傷程度なら問題ないが、剣で斬り合えば出来る傷は決して小さくはない。

 大きな傷からの出血は、この荒野ではその臭いで獣を呼び集めてしまう危険があった。


 アーガンを筆頭に、騎士たちだけならば街道まで一晩中だろうと一日中だろうと、獣に追い回されながらも馬を走らせられるけれど、貴族セルジュにも同じことが出来るだろうか?

 そもそも騎士ならば守るべき貴族セルジュを危険にさらすより、死体となったノエルを捨てていくことを選ぶはず。

 そして笛のことを知らなかった彼らが、わざわざノエルの鞄だけを回収するなんて手間を掛けるはずもなく、返り血を浴びた上着を脱ぎ捨てればユマーズは笛を回収してこの荒野を脱出できる。

 はじめからユマーズがノエルを殺すつもりでいたのは、そう踏んでのことである。


 だが目論見は失敗し、実際に傷を負ったのはアーガンでノエルは無傷。

 大きくはない焚き火、その灯りが届かない闇の中をそろそろと獣たちが近づいてきていることを思えば、一刻も早くここを離れるべきだが、穏便な方法は諦めざるを得ないものの笛の回収まで諦めるわけにはいかないユマーズは、危険と知りつつも踏みとどまりセルジュに駆け引きを持ち掛ける。


「何度も同じことを言わせるな。

 貴様の都合などわたしのあずかり知らぬこと」

「力ずくで奪えと仰るか」

「双方にとってよい結果にはならぬと思うが?」

「それでも笛を譲って頂かねばならぬのです」

「その必要はない」

「それを決めるのは公子ではありません」


 やや語気を強めて反論するユマーズだが、セルジュは気にする様子を見せず。

 淡々と話を続ける。


「決める、決めないの話ではない。

 貴様は笛の正体を知っているのか?」

「笛の正体?」


 わざわざハルバルトが回収を命じたのである。

 それなりに価値がある品、あるいは魔術具なのかもしれない。

 その程度のことはユマーズも見当を付けていたが、ハルバルトからそれ以上は聞いていない。

 セルジュもまたユマーズの反応を見て笛の正体を知らないと看破し、だが表情には出さず淡々と続ける。


「貴様が知る必要はないが、これだけは言っておく。

 貴様が回収を命じられた笛の、正当な所有者は領主ランデスヘルだ」

領主ランデスヘル……」

「ハルバルト卿がなにを思って……いや、ハルバルト卿はおそらく領主ランデスヘルにお返しするため、貴様に笛の回収を命じたのだろう」


 もしハルバルトがユマーズに回収を命じていなければ、ユマーズはノエルに笛を探すように言うこともなく、仮の持ち主であったクラウスを失った笛は隠形の魔術に隠されたまま忘れ去られ、いずれ紛失していたかもしれない。

 クラウスが亡くなったのが偶然だったとしても、そう考えるとハルバルトの命令は幸いだった。


 だがバルザック・ハルバルトは笛の正体を知っている……となれば当然その価値も知っているはずである。

 セルジュが言うように、本来の持ち主である領主に返すつもりだったかどうかはわからない。

 ひょっとしたらユマーズがなにも知らないのをいいことに、そのまま自分の物にしてしまうつもりだったのかもしれない。


 おそらくはセルジュもその可能性が十分にあることを承知で、あえて 「領主ランデスヘルにお返しするつもりだった」 と言ったのだろう。

 つまり 「そういうことにしておけ」 というわけである。

 そしてさらに続ける。


「ならばこのままわたしが持ち帰っても問題はない。

 わざわざハルバルト卿の手をずとも領主ランデスヘルにお返しできるのだから」

「それは……」


 領主とセルジュの関係はユマーズも知っているが、思いもよらない話に困惑を隠せず。

 是とも非とも言えず言葉に詰まるが、セルジュは畳みかけるように話を続ける。


「貴様は笛がわたしの手に渡ったことをハルバルト卿に報告すればよい。

 それで全てが伝わるだろう」


 それこそ村を訪れたセルジュが笛を回収していったことにして、ここでセルジュと話した内容はもちろん、会ってもいないことにする。

 余計なことは一切話す必要はないというセルジュに、一瞬の迷いはあったものの、ユマーズは決断する。

 そしてセルジュに向けて恭しく頭を下げる。


「全ては白の領地ブランカ領主ランデスヘルのために……」



【ユマーズ・ランベルトの呟き】


「なかなか面白いことを仰るものだ。

 確かに、本来の笛の所有者が領主ランデスヘルであるならば、アスウェル卿家の公子が持ち帰られても問題はない。

 形はどうあれ、公子の手にあるのを見届けたのだから、そう報告すれば十分だ。

 欲は張っちゃいけねぇ。


 公子の懐に入る可能性もあるが、それはハルバルト卿も同じ。

 俺の報告を聞いて卿がどんな顔をするか、見れば何を考えていたかわかるかもな。

 まぁおそらく、碌なことは企んでいなかっただろうがな、そんなことは俺の知ったことじゃない。


 俺は俺の忠義に従う。

 むしろ報告を聞いてあの男がどんな顔をするか……そっちのほうが楽しみじゃねぇか」

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