35 ユマーズ・ランベルト ー目的
「ハルバルト卿の命を受け、クラウス殿の監視をするためあの村に向かったはず。
その貴様が、今さらわたしたちになんの用だ?」
クラウスが亡くなった時点でユマーズの役目は終わったはず。
その彼がどうしてここに来たのか?
率直に本題を切り出すセルジュに、ユマーズはその間違いを指摘する。
「なにか勘違いをしていらっしゃるようだ。
自分が主人から受けた命は、クラウス様の監視ではございません」
答えたユマーズは、手にした短剣で再びアーガンに斬り掛かろうとする。
剣を手にするイエルが相手なら間合いの差を速さなどで埋める必要があるけれど、今のアーガンは丸腰どころか手負いである。
おまけにノエルという足手まといまで抱えているから楽勝だと思ったのだろう。
余裕を見せるユマーズの踏み込みに、先程イエルに斬り掛かられた時のような鋭敏さはない。
それでも今のアーガンには避けられないと思ったのだろう。
実際に立っているのがやっとのアーガンには、避けることはおろかその場から動くことも出来ない。
けれどユマーズの刃がアーガンに届くこともなかった。
あるいはユマーズが持つ本来の鋭敏さで踏み込んでいれば、目的を達成することが出来ていたかもしれない。
けれどユマーズはそれをしなかった。
だから
「あっ!」
速さこそ抑えられていたけれど、短剣を振りかぶって大きく踏み込もうとしたユマーズの鼻先を、足下から立ち上った火柱が掠める。
その熱さに思わず声をあげたユマーズは顔を歪め、踏みとどまる。
もちろん焔を召喚したのはアーガンでありこれは魔術ではない。
だから彼は詠唱することなく焔は突然現われた。
しかしかなりの深手を負っているために維持できなかったのか、あるいは故意か。
ユマーズの足止めだけが目的だったためか、上がった焔は一瞬で消える。
余裕を見せるユマーズは改めて踏み込むかと思われたが、その意識がアーガンに向いていると考えたイエルが横手から斬り掛かる。
けれどそれはイエルの油断で、ユマーズの意識はずっとイエルに向けられていた。
ユマーズの眼中に、セスはいない。
懐に忍ばせていた石を投げつけると、とっさに払ってそのまま斬り掛かるかと思えば、まともに食らって怯むような雑魚である。
そして目の前にいるアーガンは丸腰。
魔術師であることはユマーズも知っているが、この距離で踏み込まれれば詠唱をする時間はないはず。
そう考えたのだろう。
だがイエルは別である。
隙あらば踏み込んでくる。
それがわかっていたからアーガンを狙いながらもユマーズの意識はイエルに向けられており、突然上がる火柱に驚いて足を止めた刹那、その目は横手から斬り込んでくるイエルの姿を捉えていた。
二人の目が合った直後、イエルの剣とユマーズの短剣が刃を打ち合わせる。
耳障りな剣戟が響いた直後、イエルは力で押し切ろうとするが、やはりユマーズは力勝負を避け、器用に手首を返して横に張り出した特徴的な形の
(ちっ! ……どうなってやがるっ?)
舌打ちをして悔しがるイエルだが、すでにユマーズは体勢を整えるどころか後退。
アーガンに対しても、イエルに対しても、改めて踏み込まなければならない距離を置いている。
互いにダメージはなく改めて踏み込んでもいいのだが、おそらく何度イエルが斬りつけてもユマーズは今の技で躱すだろう。
それでは埒が明かないため、イエルはやむなく動きを止める。
「……賢明な判断だ」
そんなイエルを見てユマーズは片頬を歪めるように笑う。
かつてユマーズが騎士団で所属していたのは諜報を目的とした小隊である。
敵を討ち取ることを目的として戦場で戦うのではなく、得た情報を自陣に持ち帰ることが第一使命。
その情報が勝利に貢献することで彼らの功績となる。
だから敵と遭遇しても下手に戦わず、帰投を第一の目的とする。
ユマーズが短剣を使うのも、この奇妙な技もそのために身につけたのだろう。
なんとも厄介な相手である。
「そっちのガキより剣筋もいい」
比較対象がセスとあって褒められても全然嬉しくないイエルは 「どうも」 と素っ気ない。
双方、構えた剣は下ろさず、その目は油断なく相手の動きを見ている。
先程アーガンから聞いた情報に、ユマーズが魔術師かどうかはなかった。
おそらくアーガンも知らないのだろう。
だが魔石で魔力の底上げをしたとはいえ、姿を隠す
おそらくファウスと同じく、魔術師ではないが、下位魔術なら使える程度には魔力があるのだろう。
詠唱を始めようものなら即座に阻止する必要があるのだが、今の状態ではそれも難しい。
せめてユマーズの気を散らして詠唱を中断させる。
それがイエルの役目である。
ところがまんまとユマーズの挑発に乗ったセスが、文句を言いながら斬り掛かってイエルの仕事を増やそうとする。
しかもまっすぐすぎる剣筋は簡単にユマーズに読まれてしまい、イエルに使った奇妙な手業すら使わず簡単に打ち負かされてしまう。
容赦なくとどめを刺されそうになるところにイエルが割って入り、一際激しい剣戟とともにセスは突き飛ばされる。
「下がれ、セス!」
「……この程度とは、騎士団も質が下がったな」
「こいつ……っ!」
「セス!」
馬鹿にされたまま黙っていられないセスはそれでも食下がろうとするけれど、割って入ったイエルに声を荒らげられ、やむなく取り落とした剣を拾い、ユマーズとの距離をさらに広げる。
この時、せめてアーガンのカバーに入ればいいものの、まったく違う方向に後退し、さらにユマーズだけでなくイエルまで呆れさせる。
「……我々の勘違いとはなんだ?」
まだ話も終わっていないというのに唐突に斬り掛かってきたユマーズ。
なにを思ってそんなことをしたのかはわからないが、そのために話が中断してしまったことは間違いない。
それにイエルやセスからユマーズの意識を逸らせる意味もあったのだろう。
このタイミングでセルジュが中断した話を仕切り直す。
「ですから、自分の役目はクラウス様の監視ではないということです」
先程と同じ言葉を繰り返すユマーズだが、すぐに 「いえ」 と訂正する。
「最初は監視……というほど物々しいものではなく、ただ様子を見て来るよう命じられただけでした」
(途中で目的が変わった?
ユマーズの返事に思案するセルジュだが、表情には出さず話の続きを待つ。
「正直よくわからない方ですね、ハルバルト卿も、クラウス様も」
そんな言葉がユマーズの口から出てくるとは思わなかったセルジュだが、やはり黙って続きを待つ。
「自分のような者がこんなことを考える必要はないのですが、クラウス様のことを話されるハルバルト卿の様子を拝見しているとそんな疑問を持ったわけですが……ああ、そうそう、ハルバルト卿から自分が受けた命でしたね。
最初はクラウス様が
元々そういう命令でございましたから」
なにを思ってハルバルト卿バルザックが、自分が陥れ辺境に追い遣ったクラウスの様子を気に掛けるのか?
そもそもこの二人は親族なのだが、当時を知る者たちはハルバルト卿を憚って多くを語りたがらず、二人の関係については、当時はまだ生まれてもいなかったセルジュたちには知りようがない。
だがここまでの話を聞く限り、少なくともユマーズはクラウスを暗殺するために送り込まれたのではないらしい。
ユマーズ自身もそう言っている。
そうなるとクラウスの死の謎は残るのだが、もちろんユマーズが嘘を吐いていなければ……の話である。
やはりユマーズが嘘を吐いていなければ、この続きにハルバルトが下した新たな命令が語られるはず。
「
特に暑さの厳しい日がありました」
青の季節、緑の季節、赤の季節、白の季節はそれぞれ三ヶ月ずつあり、今は白の季節の一番目の月。
その終わりだから、およそふた月ほど前の話らしい。
唐突に話が変わったため、なにを話すのかと疑問を抱いたセルジュはわずかに眉根を寄せて続きを待つ。
「その頃の自分は村はずれの廃屋に住み着いていたのですが、どこからか笛の
続いてとても涼しい風が吹き始めました」
ここまでを聞いて閃くものがあったセルジュは、無意識のうちに 「風……?」 と呟く。
するとユマーズは、我が意を得たりとばかりに少しばかり語気を強める。
「そう、風です。
それもとても涼しい風でした」
この時にはノエルとセスをのぞいた大人たち全員がその意味に気づいていた。
けれどユマーズは少し勿体ぶるように話を続ける。
「公子もご覧になったでしょう?
あそこはとても小さくみすぼらしい村です。
あんな辺鄙な田舎に、どうしてこれほどの名手がいるのかと不思議に思うほど見事な笛の
自分のような無骨な武人崩れでさえ聴き入ってしまうほど、それはそれは見事な音色でございました」
あれほどの音色はもう二度と聴けないだろうとまでクラウスを褒めそやすユマーズの話に、アーガンは痛みを堪えながらもあることを思い出す。
「あのねっ、おとうさんも、
ときどき、
昼間、穂が実る金色の畑を渡る風を見てノエルが言った言葉である。
クラウスは魔術……いや、魔力を操作することで風を起こし、殊更暑い
その熱気を払っていたのだろう。
ノエルはその時に父親クラウスが 「笛を吹いていた」 と言いたかったらしい。
半日を経て、アーガンはようやくその意味を理解するが、事はそれだけでは済まないらしい。
ユマーズの話はまだ終っておらず、アーガンのすぐ近くで、ファウスに守られるように立つセルジュだけがその先に言わんとしたことに気づいた様子。
意識して抑えていた表情が抑えきれなくなったらしく、美しい顔が歪む。
「……白い横笛か……」
「やはりご存じですか」
そう答えたユマーズは、すぐに言葉を継ぐ。
「自分は詳しいことは存じませんし、知りたいとも思いません。
駒とは所詮そのようなものですから」
自分の立場は弁えている。
そう言うユマーズは少し早口に続ける。
「誓って申しますが、他意はございません。
ただハルバルト卿が命じられたとおり、自分はクラウス様の様子として伝えたまでです」
「笛のことを報告したのだな?」
念を押すように尋ねるセルジュに、ユマーズはゆっくりと頷く。
「これは是非にもお伝えせねばならぬと思ったのです。
それほどにクラウス様の笛の
「……ハルバルト卿はなんと言ったのだ?」
「いつもは返信などないのですが、あの時ばかりは珍しく返信がありました。
自分もすぐに新たな命が下るのだと思いました」
おそらく紙を使った書信ではなく、魔術を使ったのだろう。
紙を使えばユマーズが住み着いていた廃屋に届ける人の出入りがあり、村人たちの目にもついたはず。
だがユマーズは流れ者を装って隠密行動をしていたから、どこかと連絡を取っていることを村人に知られるのはよろしくない。
しかも
ファウスの話でも魔術を使って言葉を送ることは難しくなく、魔術師でなくてもそこそこの魔力があれば出来るという。
ただ媒体として使う魔宝石が高価で、まず平民には手が出せない。
だがそれもユマーズの背後に貴族ハルバルトがいるのなら問題ないだろう。
そうしてユマーズはハルバルトにクラウスの様子を報告し、ハルバルトはユマーズに新たな指示を出した。
その内容とは……
「笛を回収せよ、そうハルバルト卿は命ぜられました」
そう話すユマーズは冷ややかな視線をノエルに向ける。
ノエルがその細い腕が折れてしまうのではないかと思えるほど、力を込めて抱きしめる鞄に。
「……
疑問は幾つかある。
一つに、ハルバルトがユマーズに笛の回収を命じたのはもっと前のはず。
ハルバルトが笛を手に入れようとした目的は不明だが、ユマーズが、クラウスが笛を吹いている姿を見てすぐハルバルトに報告したのなら、クラウスの生前にその命令も下されていたはずなのに、どうしてユマーズはいつまでも村にいたのか?
笛の回収にクラウスが邪魔だったとしても、葬儀を済ませたその日のうちに回収出来たはず。
しかも実際に回収しておきながらなぜノエルに持たせているのか?
そもそもあの日、ノエルがアモラの家の納屋に隠されていたのは、ユマーズがノエルを村から連れ出そうとしたのを止めるためである。
だがハルバルトがユマーズに命じたのは笛の回収だけで、ノエルは関係ないはず。
はじめから自身で笛を持ち、一人で密かに村を出ればよかったのである。
おそらくハルバルトもそう命じたはずだし、ユマーズの本分も隠密行動だ。
なのになぜノエルを連れて行こうとしたのか。
その疑問を口にするセルジュもまた、少しうしろからアーガン越しにノエルを見る。
「なぁに、ほんの余興でございます。
いかにハルバルト卿といえど、こんな黒髪は見たことがないでしょう。
折角なのでお見せしようと思いまして」
まるで配下の忠義として、主人に珍しい品物を献上するように少し自慢げに話すユマーズだが、ここで不意に表情を歪める。
「そのあとは
もちろんそこいらに捨ててもいいし、殺してもいい」
「貴様、クラウス殿の娘と知っていながら……」
表情こそ変えなかったセルジュだが、さすがに胸くそ悪さを覚えるのだろう。
苦々しげに呟くが、ユマーズは歪んだ表情を浮かべながら続ける。
「献上した物をどう扱おうとご主人様の自由ですから。
ただ、あとでクラウス様の娘と知ってハルバルト卿がどう思われるか……少なからず興味はありますが」
アーガンの話では、ハルバルトとユマーズの関係は主と従。
それ以上のことはわからない。
だがそう語るユマーズの様子を見る限り、あまり関係は良好と言えないのかもしれない。
少なくともユマーズは、その表情同様に、歪んだ感情をハルバルトに抱いているように思われる。
「貴様自身はどうなのだ?」
「と仰いますと?」
「ではもう一度言う。
繰り返されるセルジュの言葉を聞いてもなんのことかわからないといった様子のユマーズだったが、すぐに 「ああ」 と納得したような声をあげる。
「そのことですか。
公子がご存じないのももっともですが……」
やたら勿体ぶるユマーズは、セルジュたちの予想していないある事実を告げた。
【ある側仕えの呟き】
「わたしたちがお世話をするというのはまだ子どもですって。
とはいってもどうせお貴族様の子どもだろうし。
あーあ、どんな小生意気なのが来るのかしら?
いえ、いっそこのまま到着しなければいいのに。
でもそうなると仕事がなくて解雇されてしまうわね。
それは困るけれど……そうだわ、いいことを思いついた」
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