19 領地境 ~川べり (2)

「クソ外道め」


 なにもわからない子どもを食い物にしようとするアプラ・ハウゼンへの嫌悪感を露わにするアーガンは、怒りのぶつけどころを求めるように、手元に生えていた草を無造作に握ると力任せにむしり取る。

 そんなアーガンをセルジュは冷ややかに見ていたが、ノエルは、肩から提げた鞄を抱えるように身を小さくして怯えながら見ている。


「……アーガンさま……ごめん、さい……」


 むしった草を無造作に放り投げようとしたアーガンは、土手上を走る荷馬車や馬の蹄の音にかき消され、ほとんど聞こえなかったノエルの声の片鱗に気づいて動きを止める。


「あ……いや、お前が謝ることじゃない。

 悪いのはアプラ・ハウゼンだ。

 お前はなにも……」

「明日、我々はそのハウゼン家に向かう」


 アーガンがアプラ・ハウゼンのことを思い出したために脱線した話を、冷ややかに成り行きを見ていたセルジュが戻そうとする。

 少し強引に言葉を挟んだが、ふと思い出して尋ねる。


「用件にそなたは関係ないが……そなた、クラウス殿からハウゼン家のことをなんと聞いている?」


 あの村には、ノエルに限らず、クラウスがハウゼン家の息子であることを直接本人から聞いた者はいないと思われる。

 妻のエビラも。

 おそらく言い出しっぺはノージ・マイエルだろう。

 その姓から推測したのだ。

 ノエルは他の村人たち同様、噂話を聞きかじっただけ。

 だから本当のことは知らないし、それ以上のことはわからない。

 首を横に振って答えるノエルに、セルジュは自分から尋ねたくせに 「そうか」 と素っ気ない返事から話し始める。


「クラウス殿はハウゼン家のお生まれではない。

 事情があってハウゼン家に養子に出されたと聞いている」

「ようし……じじょう……」


 ポツリ、ポツリと呟くノエルに、セルジュは 「そうだ」 と答え、話を続ける。


赤の領地ロホではわからないが、これは白の領地ブランカではそれなりに知られていることだ。

 ただ事情についてはわたしたちが生まれる以前にあったことで、確かなことは何もわからない。

 調べた記録も中途半端なもので……」


 その労力をここで思い出したのか。

 一度溜息で言葉を切ったセルジュだが、気を取り直すように話を続ける。


「だが結果としてクラウス殿は生家を出され、ハウゼン家に養子として入られることになった。

 だからハウゼン卿夫妻はクラウス殿の本当の両親ではない。

 そなたが会ったというアプラ・ハウゼンはハウゼン卿夫妻の実子だが、クラウス殿の本当の弟ではない。

 つまりハウゼン卿夫妻はそなたの祖父母ではないし、アプラ・ハウゼンはそなたの叔父ではない」


 ここでまた言葉を切ったセルジュは、ノエルが小さく頷くのを見て言葉を継ぐ。


「明日、我々はハウゼン家に向かうが、そなたは目的地まで下働きとして振る舞うこと。

 相手が誰であろうと、決してクラウス殿の娘であることを明かしてはならない」

「……おとうさん、いったらだめ」

「そうだ。

 どこで誰が聞いているともしれぬ」


 少なくともアプラ・ハウゼンはノエルの顔を知っている可能性があり、見つかると面倒になることは容易に想像がつく。

 それこそ捕らえられて娼館にでも売り飛ばされるならまだましだろう。

 もっと酷いことをされるかもしれない。

 なにしろ貴族の噂話に詳しくないアーガンでさえ知っているようなろくでなしなのだから。


 だがセルジュやアーガンが危惧しているのはもっと恐ろしいことである。

 もちろん原因はノエルの父クラウスが生家を出された騒動にあるのだが、クラウス自身は亡くなっているとはいえ、彼を生家から追い出した人物たちにノエルが見つかればどうなるか?

 手段を選ばない彼らによって、問題の騒動の時も巻き込まれた人物が命を落としかけている。

 そんな連中に今のノエルが見つかれば一溜まりもないだろう。


 騒動が起こったのはセルジュが生まれるより前のこと。

 もう二十年以上前である。

 だが彼が知っている部分だけで推測しても、関わっている人物に多大な問題があり、ノエルの立場は非常に危うい。

 だからこそ今回の使者は秘密裏に立てられ、今も密やかに帰城を急いでいる。

 それなのに……と考えたところでセルジュは思考を止める。


 明日ハウゼン家に寄るのは、クラウスを警戒するある人物に探りを入れることと嫌がらせ。

 指示として出された以上、セルジュには逆らえないのだから考えても仕方がない。

 どんなに面白くなくても従わざるを得ないのである。

 だから不快に思いつつも考えることをやめ、今はノエルを無事連れ帰ることに思考をシフトする。


 明日の朝、一行はハウゼン家に立ち寄るが、屋敷に入るのは貴族であるセルジュとアーガン。

 それに護衛として付き添うファウスの三人だけ。

 用が済めばすぐに出立するため馬は屋敷に預けないから、ノエルはイエル、セスと一緒に外で馬番をして待つこと。

 そのあいだイエルの側を離れず、屋敷の人間には近づいてはいけない。

 もちろん帽子は絶対に脱いではいけないし、誰かに話し掛けられても答えてはいけない。

 もしアプラ・ハウゼンを見掛けたら、すぐイエルに教えるように……など、いくつかの注意をノエルに言い聞かせる。


 それからセスに怪しまれないように……いや、セスが馬番に飽きる前にと言ったほうが正確かもしれない。

 目的の町を目指して出立することにした。


 イエルやファウスに連れられていった馬たちは、最初は川に入って足を冷やしたり水を飲んだりしていたが、やがて自分で川から上がり、草を食んだりとのんびり過ごしだす。

 セスはその側ですわり昼食をぺろりと平らげると、あとは昼寝でもするように草の上に寝転がって過ごしていた。

 一行の中では一番下っ端なのだから馬番くらいは当然のことだが、セス自身はノエルのほうが一番下っ端だと思っているから面白くないらしい。

 だからといってのんびり昼寝などしていていいわけがないのだが、セルジュの意向でわざとセスを引き離していたため、背後にセルジュたちの話を聞きながら、セスの様子を見ていたイエルは小さく息を吐く。

 そして心の中でぼやく。


(まったく、あいつは……。

 それにしてもとんでもない話になってきたな。

 あの小さな媛君が、実は公子よりも上のお立場とは)


 やがてその話も終わり、一行は今日宿泊する予定の町を目指して出立する。

 陽が傾くにつれ、領地境りょうちざかいを越えてくる隊列は数を減らす。

 同じく領地境を目指す隊列も数を減らす。

 おそらく一行が領地境を越えた時間帯が一番混雑していたのだろう。

 そうして少し空いた街道を目的の町に向かって馬を走らせた一行は、予定どおり、まだ陽の高いうちに宿をとる。


 着いた町はこのあたりで一番大きく、このあたりで一番大きな神殿を持つ。

 それもそのはず。

 シルラスと呼ばれる一帯を束ねる大きな役場がある町で、治める貴族の知事屋敷も近くにある。

 そのためシルラスでは一番人が集まる町だが、賑わいの中にどこか不穏な気配も漂う町である。

 ただ町中を歩くノエルが酷く緊張していたのは、そんなそこはかとなく漂う不穏な空気に怯えたからではなく、まだ大勢の人に慣れないからである。


「セルジュに言われたとおり、帽子さえ脱がなければ大丈夫だ。

 誰もお前には目を止めん」


 そう言ってアーガンが宥めてもノエルの耳には全く届かず。

 肩から提げた鞄を抱えるように身を小さくし、しきりに周囲を気にして目をキョトキョトさせていた。


 駅に馬を預けた一行は全員で宿に向かって部屋を取ると、セスとイエルを残して四人だけで再び町中へ。

 向かったのは古着屋。

 ノエルの襟巻きをあがなうためである。

 ノエルは気にしないと言っていたけれど、アーガンのほうが気になって仕方がない。

 それにこのままノエルがアーガンの手ぬぐいを襟巻き代わりに使えば、手ぬぐいが埃まみれになってしまうしノエルも喉を痛めてしまう。

 いいことはないからと早急に調達すべく、四人で町に戻る。


 街道を少し逸れたところにある町だが、大柄な用心棒風の男や人足にんそくも多く、六人で出歩いても目立つことはなかっただろう。

 けれどセスがいつノエルに突っかかるともしれず、ハウゼン家の目がどこにあるともしれない。

 悪目立ちを避けるためセスを宿に残し、その監視にイエルを置いてきた。

 ファウスではなくイエルだったのは、セスはファウスともあまり仲が良くないからである。


 それにここは大きな神殿のある町で、他の町に比べて神官や魔術師が多い。

 出立前の情報ではハウゼン家に魔術師はいないが、金さえ払えば動く魔術師は少なからずおり、魔術師が多い町ならばいつでも雇える。

 そのため有事に備え、セルジュの側にファウスをつけておきたいということもあったのである。

 もちろんアーガンが。

 セルジュ自身は、そこらの魔術師に負けるとは思っておらず気にしていなかったが、その分、余計にアーガンが心配したのである。


「隊長も気苦労が多いですね」


 宿を出る時、イエルはそんなことを言って苦笑いでアーガンたちを見送り、用事を済ませた四人が何事もなく宿に戻ってくるのを見て、少し安堵したような表情で 「お帰りなさい」 と迎える。


 宿に取ったのは、昨日と同じく隣り合った二部屋。

 ノエル、セルジュ、アーガンの部屋と、部下三人の部屋である。

 やはり昨夜の宿と同じく決して広くない部屋は一人用の寝台が二つ並んで置かれているだけの簡素なもので、狭いとわかっていて一緒に入ってきたファウスは、セルジュがマントを脱ぐのを手伝いながらセルジュとアーガン、どちらにともなく告げる。


「すぐ湯の用意をいたします」


 するとセルジュが言う。


「この部屋はアーガンに譲って、わたしはお前たちの部屋を借りることにする」


 気を遣った振りをしてさっさと逃げるセルジュに、アーガンがなにか言うより早くファウスが 「わかりました」 と答えてしまう。

 そしてセルジュが脱いだマントを壁に据え付けられたフックに掛けると、心得たように先に部屋を出てセルジュの足を廊下へと促す。

 そうして二人が出ていくと、アーガンとノエルが部屋に残される。


「あいつ……少しは世話をしてやれというのに」


 訓練の賜物か、アーガンは重い大剣を軽々と扱う。

 出立前、その大剣をまるでマントを羽織るように易々と担いだアーガンは、今度はまるで服を脱ぐように易々と下ろす。

 続いてマントも脱ぐと、寝台の一つに放り投げる。


 それから部屋を出ていったセルジュに文句を言いつつ、自分のマントを脱ぐのに手間取っているノエルに手を貸してやる。

 金具に少し錆が浮いていて滑りが悪く、上手く外せず手間取っていたのである。

 代わりに外してやったアーガンはそのままマントを脱がし、ついでに鞄を肩から下ろそうとしたが思いもよらぬノエルの抵抗に遭う。

 慌てて抱きかかえられたのである。


「大丈夫だ、取り上げはせん。

 これから体を拭いてやる。

 そのあいだここに置いておく」


 鞄を提げたままでは体を拭けないというアーガンはあっさりとノエルから鞄を取り上げると、追いすがろうとするノエルをもう一方の腕で脇に抱え込む。

 そしてノエルの見える位置に鞄を置く。

 そこにタイミング良くイエルが、湯気の上がる桶を持って部屋に入ってきた。

 大剣を軽々と扱うアーガン同様、揺らせば滴が床に飛ぶほど一杯に湯を入れた桶を軽々と持つイエルは 「お待たせしました」 と笑顔で告げる。


「おみず……ちがう」


 いつも家族が一日使う飲み水を、村の共同井戸から汲んできていたノエルは手伝うと言ったけれど、湯を沸かしている食堂から部屋に運ぶには階段を上らなければならない。

 運んでいる途中で冷めることを考慮して沸かした熱湯を被っては大事だといわれ、桶から上がる湯気を改めて見てポツリと呟く。


「同じ白の季節だが、赤の領地ロホと違って白の領地ブランカの水はもう冷たいからな。

 とりあえず上着を脱いで肌着になれ」


 水だけでなく気温もかなり低い。

 隣り合っているとはいえ、領地境を越えた向こう側はまるで違う季節だと話すアーガンは、自分の荷物から手ぬぐいを取り出して桶の湯に浸す。

 だが言われるまま上着と一緒に肌着まで脱ごうとするノエルに、アーガンは捲り上げたシャツと肌着の下に浮き上がった骨の一本を見てギョッとする。


「ちょっと待て!」


 慌てるアーガンの声の大きさに驚いたノエルはすぐに動きを止めて体を強ばらせるが、それ以上に動揺しているアーガンは 「いや、いい」 と意味のわからない呟きをして深呼吸。

 無理矢理に自身を落ち着かせてから、今度はちゃんと意味のわかることを話す。


「俺は肌着になれといったはずだ。

 どうして一緒に脱いでる?」

「ふくから……」


 いつものように体を拭くのだから肌着も脱ぐものだと思っていたノエルは首を傾げるが、アーガンは顔面を張り付かせたまま、なんとか冷静を保とうと握った手ぬぐいを一際強く絞る。


(こ……れはどうしたらいい?)


 セルジュほどではないけれど、アーガンもリンデルト卿家の公子である。

 下級とはいえ貴族様の令息で、兄弟は他に一歳違いの姉が一人いるだけだから、彼はリンデルト卿家の嫡子。

 おかげで子どもの頃は、使用人に世話をされることはあっても他者の世話などしたことはない。

 騎士団に入ってからも、成人前後で入城してくる見習い騎士の面倒をみるのがせいぜいである。


 おまけにノエルは、男児の格好をさせているとはいえ本当は女の子である。

 どこまで男の自分が世話をしていいかを考えて途方に暮れそうになる。


「隊長、どうしました?」


 顔面を強ばらせたまま固まっているアーガンにイエルが声を掛ける。

 その苦悩がまるでわかっていないイエルに、アーガンはすがりつくように助けを求めて飛びつく。


「お前、妹がいたなっ?」

「またその話ですか?

 ですから無理ですってば」


 先回りして断られてしまった。



【イエル・エデエの呟き】


「なまじっか貴族社会や神殿に関わったばかりに、ファウスも色々考えて大変だな。

 まぁ俺もお貴族様とはどうしても関わるが、神殿だけは胡散臭さが半端なくてなぁ……。

 ファウスを見ていると、魔力が無くて良かったとさえ思えるくらいだ。


 追放された御方のご息女を領都ウィルライトにお連れする理由?

 それは駒が考えることじゃない。

 もちろん名門中の名門、アスウェル卿家の公子よりご身分が高い媛君というのは気になるが、俺たちが考えてもどうしようもないことだろう。


 それよりセスだよ、セス。

 あいつ、隊長や公子がいないところでなにを言ってるか、知ってるか?

 下手すりゃ獅子身中の虫だぞ、あれこそが。

 余計なことをしなけりゃいいが……」

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