20 領地境の町 (2)

 アーガンにも一歳違いの姉がいるけれど、リンデルト姉弟は貴族である。

 赤の領地ロホではともかく、白の領地ブランカでのリンデルト家は下級貴族だが貴族は貴族。

 姉弟は身の回りのことを使用人に任せている。

 ましてアーガンは弟なので皆に世話をされていた。


 部下であるイエルはアーガンより少し歳上で、妹は五歳下だがすでに成人しているという。

 兄妹の両親はイエルが成人前に亡くなっている。

 二人は同じ村に住んでいた叔母夫婦に預けられることになったが、イエルはすぐに仕事を見つけて町に働きに出た。

 イエルが騎士団に入って間もなく、妹も成人の儀より前に町に出て住み込みの仕事を始めたという。


 だが両親がまだ健在だった幼い頃は、母親を手伝って妹の世話をしていたというイエル。

 使用人のいない平民ならごく普通のことだが……


「十歳どころか、八歳くらいでしたか?

 顔や手足を拭いてやるのも嫌がられるようになりましたよ」


 それこそ男兄弟なら、幾つになっても真っ裸になって一緒に川で水浴びすることも出来ますけど……と苦笑いをするイエルに、アーガンは 「八歳っ?」 と驚く。


「女の子は、男よりそういうのが早いんですよね」


 困ったことに……と肩をすくめてみせるイエルだが、アーガンが年齢に驚いたのはそういうことではない。

 ノエルが九歳ということを思い出したのである。


「ですから何度も無理だと申し上げているじゃありませんか。

 勘弁してくださいよ」


 だがイエルはただ 「無理」 と繰り返すだけでなく、宿屋のおかみに頼んではどうかという建設的な提案をしてくれたが、それは即座にアーガンが却下する。

 ノエルの黒い髪や瞳を見せるわけにはいかないからである。


 目立つ、あるいは印象に残るという意味ではセルジュの金の髪も珍しい。

 他の領地ならともかく、白の領地ブランカなら他にいないわけではないけれど、あそこまで綺麗な金色となるとさすがに珍しい。

 それを彼はここから先の道中も、砂除けのストールを頭から被り、マントのフードと合わせて隠していく。

 貴族や金持ちの多くは、外出の際、特にお忍びで町に降りる時はそうやって髪や顔を隠すのである。

 周囲に身分を知られないように、顔を覚えられないようにするためだが、今回はセルジュがそうすることでどこかの御曹司のお忍びといった体裁を整えている。

 アーガンたちはその護衛であり、ノエルは下働きという役割である。

 元々ノエルが男児の格好をしていたのは偶然だが、都合が良かった。


 けれど本当は女の子である。

 しかも滅多に見ることのない、それこそ二人といるかどうかわからない黒髪に黒い瞳の持ち主である。

 目をつぶっていれば瞳の色は隠せるけれど、さすがに体を拭く時にまで帽子を被っているのはおかしい。

 イエルには 「髪も拭いて差し上げないと」 と苦笑いまでされてしまった。


 そもそも本当は女の子なのに男児の格好をさせていることだって、世話を頼めばバレてしまう。

 そのことも含め、このような場所でノエルの印象を残してしまうことは避けたかった。


「……となれば、ご自分でしていただくしかありませんね」


 考え込むアーガンに、イエルは結論づけるように言う。


「手足と、せいぜいお背中ぐらいでしょうか?

 問題のない部位と手の届かないところを拭いて差し上げて、あとはご自分でしていただきましょう。

 それと髪も拭いて差し上げたほうがいいですね。

 本当は洗いたいでしょうけど」


 ろくに手入れをしていないノエルの髪は伸び放題で、下ろすと腰のあたりまである。

 それを洗うならかなりの湯量が必要になるし、おそらく手ぬぐいではちゃんと水気を取ることが出来ないだろう。

 だからといって濡れたままにもしておけないし、高級品のタオルを道中で手に入れることは易くない。

 おまけにかさばるものなので荷物になる。

 だから今は洗ってやることは出来ない。


「どうせ俺は明日、セスと外で出待ちですからね。

 公子と隊長とファウスだけ身綺麗にしておけばいいですから、俺の分も湯を使ってもらっていいですよ」


 気の好いイエルの助言に従うことにしたアーガンは、改めてノエルに 「いいか? よく聞けよ」 と念を押すように、だが怯えさせないようにゆっくりと話す。


「肌着になれ。

 肌着は脱ぐな」


 ぼんやりとしたまま小さく頷いたノエルがおとなしくシャツとズボンを脱ぐのを待ってその腕から拭いてやるアーガンだが、改めて露わになるその細さに怒りがこみ上げてくる。

 それをイエルに 「隊長、お気持ちはわかりますが……」 と宥められ、荒れた皮の張り付いた細い骨を折らないように、気をつけながらアーガンなりに丁寧に拭いてやる。


 いつも水で体を拭いていたというノエルだが、拭くのも自分でしていたのだろう。

 子どもの力ではしっかり拭えないし、手の届かないところもある。

 そのため何度か手ぬぐいを洗うと、すぐに湯が真っ黒になってしまった。

 特に背中や見落としやすい首の後ろなど。

 湯の汚れに気がついたイエルが、すぐ熱い湯気を上げる桶を新たに持ってくる。


 途中で、同じように新たな湯を汲みに来たセスと会ったらしい。

 隣の部屋ではファウスがセルジュの体を拭く手伝いをし、セスが湯を運ぶ役目。

 アーガンもイエルも妥当な役割だと思ったが、やはりセスには不満らしく、イエルと一緒に廊下を歩きながらタラタラと文句を漏らしていたという。


「あいつは……」


 お貴族様の身の回りの世話なんて騎士自分の仕事ではないとセスは不満だが、貴族セルジュがそんなことを気に留めるはずもない。

 隣の部屋で、さも当然とばかりに二人に世話をさせている真っ最中である。

 イエルも 「何事も経験と言いたいところですが……」 と言葉を濁す。

 確かに騎士の訓練に貴族の世話というものはないのだが……。


「お前には面倒を掛けてすまんな」


 イエルのように報告こそしてこないが、はじめからファウスとセスは上手くいっていない。

 わかっているからセスとあまり組ませないようにしているけれど、きっとイエルと同じくらいファウスにも思うところはあるはず。

 その苦労に、あとでファウスにも一言いわなければと考えるアーガンに、イエルは 「俺はかまいませんが」 と苦笑いを浮かべる。


「それより隊長こそ、浮かない顔をしてどうされたんですか?」

「うん、まぁその、ちょっとな」


 まるで細い枯れ枝を掴むように、丁寧にノエルの首回りを拭いてやるアーガンは、イエルの問い掛けに歯切れ悪く応える。

 それから手ぬぐいを洗い、固く絞ったものをノエルに手渡す。


「悪いが、は自分で拭いてくれ」


 ノエルが本当に五、六歳の子どもであればイエルに任せたところだが、実は九歳の女の子である。

 見た目はともかく、実際は微妙な年齢に差し掛かっており、扱いに困ったアーガンはイエルの助言と経験に従って一時的……いや、部分的に世話を放棄することにしたのである。


 ノエルはその困惑の理由に全く気づいていなかったけれど、言われたとおりに自分で胸や腹を拭き始める。

 そのあいだ廊下に出ていたアーガンは、つい先程は保留した答えについてイエルと話す。


「その、よくはわからないのだが、違和感がある」

「媛君にですか?」

「まぁそうだな」

「確かに、お体のことはともかく、お歳の割に言葉もあまりしっかりしておられませんが……」

「あ、いや、そうじゃない。

 もちろんそのこともあるが、それとは別にだな、こう……なにがというのがはっきりしないんだが、体を拭いてやっていて、なにかおかしいと……」


 その 「なにか」 がわからなくて困っているというアーガンに、イエルも 「なんでしょうね?」 と一緒になって考える。

 だがすぐにふと思いつき、からかうようなことを言い出す。


「実は男の子だったとか?」


 するとアーガンは奇妙に顔を歪め、同じくらい奇妙な声で 「あ?」 と返す。


「……お前……まさか、下を脱がして確かめるつもりじゃあ……」

「そんな命知らずな真似はしませんよ。

 いつも言ってますけど、俺は妹が結婚するまで死ねませんから」


 この世にたった二人の兄妹。

 自分の代わりに妹を守ってくれる男が現われるまでは、どうあっても死ねない。

 それがイエルの口癖である。


「家族を大事に思うのも良いが、少しはお前自身の将来も考えろ」


 そんなイエルのことを案じるアーガンだが、これにはイエルはなにも答えず。

 ただ柔らかに笑むだけ。

 丁度そこに、扉のわずかな隙間からノエルの声が聞こえてくる。

 どうやら拭き終わったらしい。


 二人が部屋に戻るとノエルはまだ肌着姿のままだったから、体を冷やす前にと服を着せてやるアーガンの脇を抜け、一人で部屋を出ていったイエルは、すぐにまた桶の湯を代えて戻ってくる。

 そして今度はイエルが、ノエルの長い髪を丁寧に拭き始める。


 もちろんそのあいだアーガンもただ見ているだけではない。

 上着を脱いで手早く自分の体を拭き始める。

 イエルに、ノエルの耳の裏などアーガンが見落としていたところまで丁寧に拭きながら 「結構見落とされてますよ、隊長」 などと、まさに小舅発言をされてやや顔を引き攣らせたアーガンだったが 「……よく拭いてやってくれ」 というに留める。


 そんな二人のやりとりをぼんやりと聞いていたノエルは、数日ぶりに……いや、物心ついてから初めてこんな風に世話をしてもらってすっきりしたのか、心地よさから急激な眠気に襲われる。

 けれど自分からは 「ねむい」 と言えず、うつらうつらしながらも堪えている。


「少し休まれますか?」


 アーガンの指示を仰いでから声を掛けるイエルに、ノエルは眠そうに目を擦りながら応える。


「おふとん、ねられる」

「ええ、温かくして休みましょう。

 夕食の時間になったら起こしますから」

「ごはん、たべられる」

「大丈夫、たべられますよ」


 するとノエルはなにも答えず這うように寝台に這い上がり、そのまま毛布に潜り込む。

 静かな寝息が聞こえてくるまでどれほどもかからなかった。


 再びアーガンが自分の体を拭き始め、その背中などをイエルが手伝って拭いているところにノックもなく扉が開かれ、セルジュが入ってくる。

 ドアノブに彼の手が触れた瞬間、その音に気づいたアーガンとイエルの目は扉を見、イエルは腰に携えた剣の柄に手を掛けるが、入ってきたセルジュの姿を見てひっそりと下ろした。


 その時にアーガンは半裸状態だったけれど、そこは男同士。

 まして従兄弟同士の二人は幼い頃からの付き合いである。

 さらには男ばかりの騎士団にいるアーガンは、同性に肌を見られるのは日常茶飯事。

 今さら恥ずかしいとも思わない。


 セルジュもまた、今さらアーガンの裸を見たくらいで思うことはなく、並んだ寝台の片方に、毛布の中でなにかが息づいているのを見てもう一方の寝台に腰掛ける。

 そして鍛え上げた筋肉を力強く拭き上げるアーガンに尋ねる。


「眠っているのか?」

「酷く緊張していたから疲れたのだろう。

 飯まで寝かせておく」

「わかった」


 イエルは明日、ハウゼン屋敷に入ることはないからあと数日くらい体を拭かなくても平気だなどと言っていたけれど、このあと部下の三人も、廊下の立ち番などを交代しつつ隣の部屋で自分の体を拭いていく。

 丁度全員が用を終え、桶や残り湯の片付けを終えたところで食堂から良い匂いが漂ってきた。



【アプラ・ハウゼンの呟き】

「アスウェル卿家の公子がなんだっ?

 わざわざ領都ウィルライトからどんな用で来たか知らねぇが、このシルラスで勝手は許さねぇ。

 親父殿とどんな話をしたか知らねぇが、このシルラスの知事は親父殿で嫡子は俺だ。

 シルラスでは俺が法だ!!」

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