7 ノージ・マイエル

「なんだ、あんたら?」


 これから顔でも洗うところだったのか、首から手ぬぐいを下げたノージ・マイエルは、張り合うように腕組みをして、少し背を逸らせ気味に訪れたアーガンを見返す。

 片やアーガンは一度はフードを脱いだけれど、エビラ家を出たすぐあとに被り直していた。

 けれど今度は、顔や前髪が見える程度に浅くである。

 そして掛けられるノージの問いに、簡潔に答える。

 自分たちはクラウス・ハウゼンの知人に頼まれ、彼に会いに来たこと。

 家を尋ねた村人から彼の死を教えられたが、訪ねてみると娘の一人ノワール・マイエルがいなくなっていたこと。

 その行方に心当たりはないか、と……。


「ノエルがいなくなった?

 昨日、クラウスの葬儀の時はいたはずだが……」


 ノワールの本名を知っているノージは当たり前のようにノエルと呼ぶ。

 どうやらそのことはあえて隠しているわけではなく、弟のマーテルが知らなかったのは本当に偶然らしい。

 けれど心配する様子を見せず、どうせまたエビラを怒らせたのだろうと溜息を吐く。


 エビラは短気で癇癪持ちだし、ノエルはノエルで要領が悪く気も利かない。

 だからノエルがエビラを怒らせるのはいつものことで、いちいち気にする必要もないと話す。

 しかしいなくなったというのは穏やかではないはず。

 アーガンたちは叔父のノージが匿っているのではないかと考えたわけだが、その様子を見る限りどうやらここにもいないらしい。

 正直者のアーガンに鎌を掛けるつもりはなかったが、さりげなく学校のことなどを聞いてみる。

 今日は休みなのか、と。

 なにか不都合があれば 「余計なお世話」 などと返ってくるかと思ったけれど、そもそも学校には通っていないという。


「あんな奴に行かせる必要はないだろう」

「あんな奴?」


 オウム返しのように尋ねるアーガンに、ノージは鼻で笑うように答える。


「会えばすぐわかるさ。

 まぁいないんじゃ会えないが、あんな薄気味の悪い奴ぁ、赤の領地ロホどころか、他の領地にだっていやしねぇよ」


 そう吐き捨て、さらに続ける。


「男だったらまだ使い道もあったのに、あんな痩せっぽちのチビじゃなぁ。

 いっそクラウスの代わりにあいつが死にゃ良かったんだよ、ひょろひょろの死に損ないが」


 実の姪だというのに随分な扱いである。

 先程のエビラ家でのことといい、怪しくなる雲行きにアーガンは、眉間に寄りそうになる皺を堪えて平静を努める。


 悪態を続けるノージは、このあと妹エビラの家に行ってユマーズと話すらしい。

 もちろんノエルのことではない。

 義弟クラウスの畑を継いで妹エビラ一家を養うよう改めて言うつもりだという。

 昨日も話しているが、のらりくらりと躱されてしまったことが面白くなかったらしく、今日こそはいうことをきかせてやると口汚く意気込む。

 おそらく彼は、村人に対していつもこうなのだろう。


 これ以上は付き合っていても無駄だと適当なところで話を切り上げた三人が、ノージ・マイエルの家を離れてほどなく、アーガンのうしろから来る三人目の男がアーガンにこっそりと声を掛ける。


「隊長」


 今回の任務でアーガンが連れてきた三人の部下。

 その一人であるファウス・ラムートは早足にアーガンのすぐうしろまで近づくと、その耳元でひっそりと何事か囁く。

 それを聞いたアーガンも 「ああ」 と大きくゆっくりと頷き、その視線の先に、だがさりげなく村男の姿を捉える。


 姿は見るけれど顔は見ず、視線も合わせない。

 その様子を見る限り、どうやら村男は上手く隠れているつもりなのだろう。

 だがアーガンたちにはバレバレで、その服装などを覚えられる。

 そもそも大の大人が、さして太くもない木の陰に隠れられるという考えが甘いのだ。

 ほぼほぼその姿は見えている。


 アーガンがその男に気づいたのはエビラの家を出た直後。

 最初は偶然エビラの家のそばを通りかかったのか、家から出て来た見掛けないアーガンたちに驚いた様子でそそくさと行ってしまったのだが、第二村人と話している最中、地面に這いつくばるようにして草陰からアーガンたちの様子を伺っていた。

 そのあとはずっと、本人はコソコソとつけているつもりだったのだろうが、畑の中を縫うような道に身を隠すような場所はほとんどない。

 これではアーガンやファウスはもちろん、おそらくセルジュも気づいているに違いない。

 だが万が一にも荒事になればアーガンたちの仕事となるため、自分には関係ないと気にしていないのである。


 少し考えたアーガンは、ファウスとセルジュを村はずれで荷物と馬の番をしている二人の部下、セス・ジョーンとイエル・エデエと合流させることにした。

 そしてさりげなく 「暑い暑い」 とうるさいセルジュを先に宿に帰し、セスとファウスをそのお伴兼護衛につけ、悪いと思いつつイエルにはそのまま馬番をさせることにし、自身は一人で聞き込みを継続することにした。


 都合上、ファウスをセルジュと離すことは得策ではなく、若いセスを一人にするわけにもいかない。

 こんななにもない辺境の村。

 さしたる危険はないと思われるが、見習から上がりたてのセスはこれが初任務であり、ここまでの道中に幾度か幼さも見え、セスのほうから村人とトラブルを起こしかねないと思ったのである。


 アーガンを 「隊長」 と呼んでそれなりになるイエルは、人の好い彼の 「悪いが……」 という前置きでその苦慮を察し 「のんびりしてますよ」 と、やはり気のいい返事を返す。

 それどころか自分が聞き込みを代わると言うが、それはアーガンが断った。

 それこそ万が一にも村人とトラブルにでもなった場合、イエルでは駄目なのだ。

 役人でも出てこようものなら身分を明かさなければならなくなり、別のトラブルが待っていること請け合いである。


 その点アーガンには、万が一の事態が起こっても頼りになる伝手がある。

 赤の領地ロホにおいてとても心強い伝手が。

 そのため適任の自覚があり、四人と別れるとすぐに単身で村を歩き回る。

 もちろんノワール・マイエルの捜索である。

 見つかった場合、母親エビラの元に返すのが本来の正解だが、セルジュの指示は 「連れて来い」。

 立場上、セルジュに逆らえないアーガンの正解は 「連れて行く」 だ。

 しかし事前に知らされた情報によれば、ノワール・マイエルはまだ九歳のこどもである。

 家族の元から連れ去ってもいいのか、正直、アーガンの中に迷いはあった。


 そもそもの任務は、使者として立てられたセルジュの護衛をしてクラウス・ハウゼンと会うこと。

 その話し合いも、アーガンはあくまでセルジュの護衛として立ち会うだけで、全てはセルジュとクラウス、二人の話し合いで決められるはずだった。

 だがクラウスは死亡。

 全権はセルジュに一任され、その指示が 「連れて来い」 となればアーガンに逆らう余地はない。

 話ぐらいは聞いてくれるだろうが、おそらくその指示が変わることはないだろう。


(閣下はノワール・マイエルに、並々ならぬご興味を示されていた)


 それこそクラウス・ハウゼンの話以上に。

 もし彼女まで死亡していたとして、その髪の一房でも持ち帰るぐらいのことは必要かもしれない。

 そう考えればますますセルジュが指示を変更する可能性は低く、アーガンは迷う。

 絶対の信頼で使者として立てられたセルジュ。

 そしてセルジュを裏切れないアーガン。


(わかっているのだが……)


 心の迷いに溜息を吐きつつしばらくのあいだ村人に話を聞いて回ったが、ノワール・マイエルの行方はようとして知れず。

 奇妙なくらい忽然と消えていた。

 そして村人もまた、九歳の子どもが姿を消したというのに、奇妙なくらい反応を示さなかった。


 それどころか冗談交じりに 「ついに売り払ったか」 とか 「っちまったんじゃねぇか?」 などと不吉なことを口にする始末。

 そんな彼らの話の中でノワール・マイエル九歳の子どもがどんな生活を送っていたか、その片鱗を知ったアーガンは神妙な面持ちで馬番をするイエルの元に戻る。


「隊長、お疲れですか?」


 預かっていた馬の手綱を手渡しつつ気遣うイエルに、アーガンは 「いや……」 と歯切れ悪く答える。

 察したイエルが続ける。


「難しいことは頭脳派頭の良い方々にお任せするのがいいと思いますよ。

 所詮俺たちは脳みそまで筋肉で出来てますからね、悩まれたところでろくな考えになりません。

 それに今回の任務、部下俺たちはともかく、話を聞かれた段階で隊長には拒否権がなかったわけですし。

 逆に、立場に甘んじて公子に従われるのがよろしいかと」


 脳筋を自称するわりに機転を利かせるイエルの言葉に、アーガンは 「そうだな」 と力のない笑みを浮かべて返す。

 そうして鞍を並べ、そろそろと畑仕事が始まる村をあとにする。


 二人が馬を飛ばして戻ったのは昨日泊まった宿。

 クラウス・ハウゼンが住んでいた村から少し離れたところにあるこの町は、このあたりで一番大きく、学校が併設された神殿がある。

 おそらくノージ・マイエルの息子、ハノンとラスン兄弟がいるはず。

 だがミゲーラ・マイエルの話ではノワールは村を出たことがないということだったから、おそらく二人の従兄弟を訪ねてここまで来ることはないだろう。


 白の領地ブランカから赤の領地ロホの領都フェイエラルに続く街道は別にあるが、この町もそれなりに大きな街道沿いにある。

 しかも町の賑わいを支える神殿は領地境りょうちざかいを越えるための道標みちしるべになっているため、今の季節、収穫の買い付けに来る商人や荷を運ぶ隊商が多く立ち寄る。


 朝、アーガンたちが宿を発った時はまだ静かだった町中は、行き交う馬や馬車、人で大いに賑わっていた。

 町に入って馬を下りた二人は、馬を引いてその賑わいの中を進む。


 この町には大きな宿が二つと小さな宿が幾つかあり、その中で昨日と同じ宿に戻ったアーガンは馬屋に向かうイエルに自分の馬を預けると、明かりを落として閑散とした食堂の脇にある階段を上り、上階の部屋へと早足に向かう。


 借りている部屋の前では、今回連れてきた部下の中では一番若いセスが暇そうに、壁にもたれ掛かるように立っており、廊下を歩いてくるアーガンを見てすぐに声を掛けてくる。


「隊長、お帰り!」

「セルジュは?」

「部屋でファウスとなにかしてるっぽい」

「なにかって、お前……」


 二人の声を聞きつけたのか、アーガンの言葉半ば、セスのすぐ横にある扉が開いてファウスが顔を覗かせる。

 そしてアーガンと視線が合うとすぐさま顔を引っ込め、室内に向かってやや潜めた声で 「隊長が戻られました」 と話し、それから扉を大きく開いてアーガンを室内に招き入れる。


 あまり綺麗ではない安宿の一室は広くもなく、シングルの寝台が二つ並んで置かれている以外は椅子も机もない。

 本当に寝るためだけの場所である。

 そこにマントを脱いだファウスと薄い金髪の青年、セルジュ・アスウェルが立っていた。

 脇に控えるファウスも、やや赤味があるが枯れ葉色の髪をしている。

 人の出入りが多い町中ならばともかく、あの辺鄙な村では二人のこの髪色はとにかく目立つ。

 だから村人の記憶に特徴として残さないため、フードを深く被って隠さざるを得なかったのである。


「戻ったか」


 アーガンの姿を見て小さく息を吐いたセルジュは、鎖を握るように手に持っていた高価な魔宝石まほうせきのペンダントを自分の首にかけると、改めてアーガンを見て話し掛ける。


「見つからなかったようだな」

「残念ながら」


 だが収穫はあったと続けるアーガンに、セルジュは 「話を聞こう」 と返す。

 背の大剣を下ろしたアーガンが、続けて胸元の留め金を外してマントを脱いでいる脇でファウスが退室。

 セルジュと二人になったアーガンは、寝台の一つに脱いだばかりのマントを放り投げてどっかりと腰を下ろす。

 それからお喋りな第三、第四……と続く村人たちから聞き出したことを話し始める。


「やはりクラウス様の死因ははっきりしないようだ」


 ほとんどの村人は 「病死」 と口にしていたが、その根拠は一人として示さなかった。

 ただ倒れてからほんの数日で死に至っているという不審な点はある。


「それ以前になにかしらやまいを得ていた可能性も無きにしもあらずだが……」


 クラウス・ハウゼンは村人と関わることを極力避け、そのため人嫌いと思われていた。

 だから 「倒れる前と変わった様子はなかったか?」 と尋ねても、返事は一様に 「わからない」 だった。

 妻のエビラはあの調子だし、義兄のノージは話をクラウスのことに向けようとしても自分の話したいことばかり。

 ほとんどなにも聞き出せなかった。

 ただ村人から聞いた話で気になることが一つあった。


「あのユマーズという男だ」

「エビラとの関係を気づかれたユマーズあの男がクラウス様に毒でも盛ったのか?」


 死の直前のクラウスが闘病中だったかどうかはわからないが、お喋りなエビラの口から、クラウスに持病があったという話は村人の誰も聞いたことがない。

 それがいきなり倒れたと思ったらものの数日亡くなったというが、そもそもクラウスは赤の領地ロホの出身ではない。

 それこそ赤の領地ロホで生まれ育った村人たちですら厳しく感じられたほど今年の赤の季節は暑かったから、元が流れ者のクラウスには耐えられなかったのだろうと口を揃えていた。

 しかも誰が最初にそれを言い出したかはわからないが、村中がそれで納得しているようだった。


 しかしセルジュは唐突に 「毒」 を持ち出してくる。

 そのことにアーガンは怪訝な顔をするが、セルジュには根拠があった。

 それはクラウス・ハウゼンが、流れ流れて赤の領地ロホのこんな辺鄙な村に流れ着くに至る、一番最初の切っ掛けとなるある騒動。

 その記録に記されているのだ、彼には毒に関する知識があった、と……。


「もしあの騒動の犯人が本当に・・・クラウス様だったとしても、おそらく使用した当時の毒をあの屋敷から持ち出すことは不可能。

 だが案外毒となる植物は身近に生息している。

 基本的な知識があれば新たに精製することも可能だろう」


 その標的がエビラだったのか、それともユマーズだったのか。

 いずれにせよ先に毒殺を考えたのがクラウスだった場合、ノワール・マイエルが生まれて十年近く経った今になって行動を起こした理由も、わからないでもないとセルジュは推測する。

 つまり理由は妻の浮気。

 クラウスは妻、あるいはユマーズ相手の男を毒殺し、領地境を越えて白の領地ブランカに逃げ込もうとしたのではないか……と。


「それはつまり、なんだ?

 いわゆる痴情のもつれというやつか?

 だが亡くなられたのはクラウス様だ。

 その、クラウス様に毒物を用意出来た可能性はわかったが……」

エビラあの女が気づいたのかもしれん」


 そしてユマーズと謀り、逆にクラウスを毒殺した……ともセルジュは推測する。


「クラウス様のお考えは今さらわからんし、亡くなられた今、正直どうでもいい。

 だがユマーズは元々流れ者だ。

 ひと一人殺して追われるより、面倒になる前に村を出ていったほうが気楽でいいだろう」


 流れ者とはそういうものではないかとアーガンは考えるが、二人ともそういった生活をしたこともなければ流れ者と親しくしたこともない。

 だから結局わからないのだが、アーガンには他に引っ掛かることがあった。


「そのユマーズのことなのだが、どこかで聞いたことがあるような気がする」


 名前に聞き覚えはあるのだが、今朝、直接見たユマーズの顔に覚えはなかった。

 だがどうにも引っかかりを覚えるというアーガンだが、セルジュは先を促す。


「あの男のことはいい」


 それこそ急ぐわけでもない。

 あとでゆっくりと思い出せと、本題を切り出す。


「肝心のノワール・マイエルの行方だが……」



【ユマーズの呟き】

「クソ! 予定が狂っちまった。

 あそこでアモラに会わなきゃ昨夜のうちにおさらば出来たってのに、あの野郎……あんな時間にあんなところでなにしてやがったんだ。

 おまけに変な連中まで……。


 クラウスの客だと?


 どう見たってありゃあ、騎士と魔術師じゃねぇか。

 騎士団と魔術師団が動いてるだと?

 赤の領地ロホか? それとも白の領地ブランカか?

 クソ! 俺としたことが下手打ったぜ。


 …………落ち着け、落ち着くんだ。


 赤でも白でもどっちでもいいんだ、どっちでもな。

 やんごとなき御方が動いてる、そういうことだ。

 色は問題じゃねぇ。

 ケツに火が付くか、首を刎ねられる首が飛ぶかの違いだ。

 ここは状況を見て動くんだ。

 これ以上下手を打てば命がねぇ、落ち着くんだ。

 今夜は様子を見て、それからだ。

 見定めろ、生き延びるためにな」

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