6 魔術師

「その歳で焔を召喚出来るのはなかなかだが、それは魔術ではない。

 魔術師とは魔術を使えてこその称号だ。

 その程度の児戯で魔術師を名乗るとは、片腹痛い」


 魔術師と呼ばれるに相応しい魔力量を持って生まれる者は多くなく、従って魔術師は多くない。

 ましてこんな田舎の小さな村である。

 魔力を持つ者すら少ないだろうが、マーテルについては例外だった。

 少なくともアーガンたちは、マーテルの父親がクラウス・ハウゼンであることを知っており、彼がかなり能力の高い魔術師であったことも知っている。

 だから彼の、三人いる子どもたちがその能力を継いでいても少しもおかしくはないと考えていた。


 さらには、これはあとで知ることだが、この村にはエビラの兄ノージ・マイエルも一家で住んでおり、その息子、つまりマーテルにとって従兄弟に当たるハノンとラスンの兄弟も魔力を持っているというから、マーテルは魔力、あるいはその素質を両親から受け継いでいる可能性があった。

 しかも従兄弟は二十歳近くと成人済み。

 八歳のマーテルが同じことをやってのけたのだから、自分のほうが優れた魔術師だと勘違いするのも無理はないだろう。


 しかしそれは大きな勘違いであり、上には上がいるもの。

 そしてアーガンはマーテルを 「魔術師ではない」 と断言する。

 もちろんこの先、魔術師になるかもしれない。

 だが今は魔術を扱えず、魔術を扱えない者は魔術師ではない。


 アーガンとマーテル、それぞれが召喚した焔はそれぞれの掌に灯る。

 大男のアーガンは掌も大きく、召喚した焔も大きい。

 そして火勢も強い。

 比べてマーテルの掌に灯る焔は小さく弱々しい。

 だがその火勢が、風もないのに少しずつ増してゆく。

 すぐそのことに気づいたマーテルは、自分が制御を失っていることに慌てるが、今までそうしてきたらしく、大きく吸い込んだ息で勢いよく吹き消そうとする。

 けれど焔は消えない。


「……先に言っておくが、焔と木は相性が悪い。

 全てを失いたくなければそれ以上は慎むことだ」


 そんなアーガンの言葉を思い出してさらに慌てるマーテルだが、魔力を持たず、歯がゆい思いで二人を見ていたミゲーラが、不意に 「が……」 と声を上げる。

 意味がわからず母親のエビラは 「どうしたんだい?」 と尋ねるが、驚いた様子のミゲーラは 「マーテルのが……」 と、指さしながら繰り返すだけ。

 代わりにユマーズが、やはり驚いた様子で教える。


「……同調してる。

 マーテルの焔が……乗っ取られたんだ」


 おそらくユマーズは魔術師ではない。

 魔力も持たないだろう。

 その声に 「たぶん」 というニュアンスが含まれているのは、おそらく確信がないからだろう。

 だが流れ者の彼はどこかで見たことがあったのかもしれない、赤の魔術師が焔を操るところを。

 それこそ赤の領地ロホで、一番魔術師が集まる領都フェイエラルにも行ったことがあるのかもしれない。


 アーガンとマーテル、それぞれの魔力を燃料に灯るそれぞれの焔は、その揺らめきが、ミゲーラが声を上げた頃にはすっかり同調し、まるでうり二つの焔となっていた。

 慌てふためき何度も息で吹き消そうと試みていたマーテルは、ユマーズの指摘を聞いても意味がわからず目を白黒させるばかり。


「この程度は初歩中の初歩だがな」


 エビラ一家の様子を黙って見ていたアーガンはポツリと呟く。

 魔力や経験、知識の差は歴然だろう。

 そしてもちろんアーガンがやっている程度のことも魔術ではない。

 アーガンが大きな手で自分の焔を握り潰すと、同じタイミングで、マーテルが召喚した焔まで同じ形にひしゃげた……と思ったら同時に消失する。


「焔が……俺の……」


 焔の消失と共に自信まで消失したマーテルは、茫然自失の体で立ち尽くす。

 ハッとしたエビラが慌てて駆け付けると、マーテルを抱きしめ、アーガンを見て金切り声を上げる。


「あたしの大事な息子になにしようってんだい!」

「なにもしない。

 言ったはずだ、俺たちはノワール・マイエルに用があると」


 淡々と応じるアーガンだが、すっかり感情的になったエビラでは話にならない。


「あんな奴、知らないよ!」

「会って話がしたい」

「だから知らないって言ってるだろ!」


 これでは埒が明かないと思ったアーガンは、何気なく視線をミゲーラに向ける。


「し、知らないわよ、ノエルのことなんて!

 朝起きたら部屋にいなかったから……」

「行き先に心当たりは?」


 母エビラに比べれば話は出来るようだ。

 けれど 「知らない」 というのは同じ。

 せめて……と思って少しずつ、誘導するように状況を聞き出してみたところによると、妹のノワール・マイエルと同じ部屋で寝ているミゲーラだが、本当に同じ部屋で寝ているだけ。

 特に夏は暑いからと妹を寝台から追い出し、床で休ませているらしい。

 だから毎朝先に起きる妹が部屋を出ていくことにも気づかない。

 もちろん今朝も。

 その行方にも心当たりはないという。


「あいつ、村から出たことないし。

 どうせそのへんに隠れてるんじゃない?」


 それこそ今朝は水汲みもしなかったから、エビラに怒られるのを怖がって隠れているのではないかと話す。


「行く宛てなんてないんだ、村ん中を探しゃあすぐ見つかるよ。

 もし見つけたら、言い値で売ってやってもいいよ」


 そうすればわざわざユマーズが売りに行く必要もなくなる。

 マーテルを抱きしめたままのエビラは、無慈悲な機転に欲を丸出しにし、ギラつく目でアーガンを見返す。

 初対面のアーガンにエビラの考えはわからないけれど、自分の娘を売ろうとするなどろくな親でないことはわかる。


 あるいは一家の大黒柱を失い、こどもを売らなければならないほど困窮しているのかと思って屋内に視線を巡らせるが、そうでもないようだ。

 そもそも小さな農村である。

 簡素な造りの家に質素な暮らし向きは伺えるが、エビラはもちろん、ミゲーラもマーテルも食うに困るほどの様子は見えない。

 それどころかエビラやミゲーラはややふっくらとしており、マーテルも歳のわりに背も高く体格も良いと来た。


 つまり特段困窮しているわけでもなければ飢えてもいない。

 それでも娘をアーガンたちに売りつけようとする理由は、おそらくアーガンたちの知らない昨夜の会話だろう。

 マーテルのためにお金が必要なのだ。

 だからアーガンたちの目的には興味がない。

 邪魔な二人目の娘を金に換え、その金でマーテルを神殿の学校に入れたいのである。


 だが突然売りつけられたアーガンは納得がいかない。


「売る? 自分の娘を?」

「娘? やめとくれよ、あんな気味の悪い奴があたしの娘のわけがない」


 するとマーテルまでが、その腕の中から身を乗り出すように 「そうだ、あんな奴!」 と、ここにいないもう一人の姉を嘲る。


「あたしのこどもはマーテルとミゲーラだけだよ。

 それでもあそこまで育ててやったんだから感謝してもらわないとね。

 だからさ、欲しけりゃくれてやるが、これまであいつにかかった金を返してもらわないとね」


 正当な報酬だと言ってニヤニヤ笑うエビラを見て、アーガンは潮時を悟る。

 これ以上ここにいても無駄だろう……と。

 わずかに振り返ってすぐうしろにいる、一人だけ仕立てのいいマントで全身を覆った男に無言の伺いを立てると、深くフードを被った頭がわずかに頷くのが見えた。

 直後その男が踵を返すと、さらにうしろに控える三人目の男が扉を開く。

 三人が揃ってエビラ家をあとにすると、うしろから 「塩持っといで、ミゲーラ!」 というエビラの声が聞こえてきたけれど、気にすることなく三人は来た道を戻る。


「しかし……どうする?」


 こどもの遊びに付き合って、隠れんぼの鬼よろしく、村のどこかに隠れていると思われるノワール・マイエルを探すのか? ……と尋ねるアーガンに、仕立てのいいマントの青年セルジュは足を止め、フードの下から村を見渡す。

 それこそノワールを探しているのかと思ったが、不意に手の甲で顎のあたりの汗を拭う。

 そして呟く。


「……暑い」

「宿に戻るまで我慢するんだな。

 ……いや、先に戻るか?

 セスと、ファウスかイエルをつける」

「お前はどうする?」

「とりあえず、ノージ・マイエルとやらに会ってくる」


 エビラの兄ノージ・マイエル。

 昨夜エビラ家でなにがあったかわからないが、ひょっとしたらノワールは叔父の家に助けを求め、隠れているかもしれない……と考えるアーガンに、セルジュは少しのあいだ黙り込む。


「……わたしも行こう」

「クラウス殿は亡くなられているわけだし、お前は必要ないだろう」


 それこそ暑い暑いとうるさいからさっさと戻れと言わんばかりのアーガンだが、セルジュは第二村人に聞いたノージ・マイエルの家にも着いてきた。

 途中、一つだけアーガンに忠告してくる。


「クラウス様の書信のことを誰も知らない恐れがある」


 その点には注意が必要……と。

 特に自分たちをここに寄越した人物については、絶対に明かしてはならないという。


「それぐらいは俺でもわかる。

 まだ首と胴が離ればなれになるのは嫌だからな。

 だがクラウス様も、随分思い切ったことをなさったものだ。

 神殿経由で届けられたことはともかく、あれでは誰が受け取るかわからぬぞ」

「とても優れた白の魔術師であられたそうだ。

 上層部はともかく、下層の神官どもは、多くが貴族の喧噪には興味がない。

 優れた魔術師、高位の魔術にのみ関心を示す魔術馬鹿の集合体だ。

 表向きは追放されたことになっているが、研究熱心な一部の神官どもの尊崇はまだあったのだろう」

「実際のところ、受取手が閣下で合っているのかもわからんだろう」

「そこは言っても始まらぬ。

 すでに封は切られ、開呪も行なわれた。

 問題はクラウス殿の書信を、ノワール・マイエルも知らぬ可能性があるということだ」

「説明はお前に任せる」


 逆の可能性……つまりエビラ一家がクラウスの書信のことを知っている可能性もあるのだが、そのことをセルジュが口にする前に三人はノージ・マイエルの家に着く。


 エビラ家を辞去してすぐに出会った第二村人から聞いた話では、この村にはエビラの兄ノージ・マイエル一家の他に、兄妹の末妹オルター・ヘーセルの一家も住んでいる。

 この時、ノージの息子ハノンとラスンの兄弟が、町の神殿学校に通っていることも聞かされた。

 訪れたアーガンたち三人を出迎えたノージ・マイエルは、四十歳前後の大男で、数年前、山から下りてきて畑を荒らしていた獣を一人で倒したという。

 以来村の顔役の一人になり、文字通り随分と大きな顔をしているという。


「元はな、ノージは町に働きに来ていた季節労働者っていやぁ聞こえもいいが、流れ者みたいなもんだったんだよ。

 それがセゼラと結婚して村に住み着いて、妹たちエビラとヘーセルを呼び寄せたのさ」


 つまりノージの妻セゼラ・マイエルがこの村の出身で、その縁でノージや二人の妹がこの村にやって来たというのである。

 色々と話してくれた第二村人によると、三兄妹の出身はもっと南方ということ以外わからないらしい。


 元々傲慢な性格だったというノージは、顔役になってからはさらに傲慢になり、村人を顎で使うこともしばしばあるというが、その腕力や声を荒らげて怒り狂う様に恐れをなして誰も逆らえないという。

 だから妹エビラの良くない噂も大きな声では話せないという第二村人は、潜めた声で話してくれた。


 ユマーズのことだ。

 どこからともなくいつのまにか流れてきたユマーズが住み着いた村はずれの廃屋は、雨露こそ凌げるものの食事は如何しているのか?

 そのことに気づいた村人が様子を見ていると、何人かの村の女たちが交代で運んでいたという。

 それも浮ついた様子で。


 年齢三十代半ばほどに見えるユマーズは、確かに目鼻立ちの整ったなかなかの優男である。

 その顔と、自称 「軽妙な話術」 に気を良くした女たちは、村の男たちの目を盗むようにこっそりと廃屋に食事を運び込んでいた。

 しかもユマーズが食事を済ませるまでのあいだ談笑でも楽しんでいるのか、若い娘の中には、頬を赤らめて廃屋から出てくることもあったという。

 もちろん気がついた村の男たちはすぐに妻や娘を叱ってやめさせたが、クラウスには気が強く癇癪持ちのエビラを止めることは出来なかったらしい。


 しかもさして親しくもなかったどころか、挨拶すら交わしたことがないように思われたクラウスの葬儀に、当たり前の顔をして参列していたユマーズ。

 それだけでも村人は違和感を覚えたのに、柩を埋葬したあと、よりによってエビラと腕を組んでエビラの家に帰っていったので、二人はクラウスの生前からそういう関係だったのだろう。

 少なくとも見ていた村人たちはそう思ったらしい。


 廃屋に行くことを、夫や父親に止められた村の女たちの中には、クラウスの生前から気づいている者もいたようだが、面倒になることを恐れ、エビラを止めることはもちろん、クラウスやノージに忠告することもなかった。

 ノージ自身どこまで知っていたかわからないが、何食わぬ顔で来ない神官の代わりを村長にさせ、無理矢理に葬儀を執り行ったのである。


 そんなノージは、月末の休みには二人の息子も帰ってくるが、普段は妻のセゼラと二人で暮らしている。

 アーガンより少し背の低いくらいの大男で、訪れたアーガンを訝しげな目で見る。


「なんだ、あんたら?」



【ユマーズの呟き】

「魔術師って奴は単体じゃ動かねぇ。

 魔術発動には時間と集中力を要するからな。

 そのあいだ赤毛の男は無防備になるが、うしろにいた男、腰に手を当ててやがった。

 持っていたのは剣か……いや、短すぎるな。

 短剣か多節棍あたりか。

 いずれにしたって、こっちが仕掛けりゃあの後ろの男が壁になりやがる。

 しっかり二人一組ツーマンセルで動いているところを見ると、赤毛の男は神殿温室育ちの魔術師というより騎士団、あるいは魔術師団あたりだな。

 しかも赤の領地ロホの領主がクラウス・ハウゼンになんの用だ?

 クソッ! どうなってやがる?」

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