5 魔術

「こちらはクラウス・ハウゼン殿の家と聞いて伺った」


 同じ言葉を繰り返すアーガンに、家の裏にある、瓶に溜めた雨水で顔を洗ったばかりのユマーズは、首にかけた手ぬぐいで濡れた顔を拭いながら、少し戸惑いがちに 「あ、ああ……」 と答える。

 突然の訪問者にまだ顔は強ばっていたけれど、朝食の支度の手を止めるエビラや、大男の前で立ちすくんでいるミゲーラの様子を見ながらも無理矢理に平静を装うと、アーガンたちの反応を伺いながら自称 「軽妙な話術」 で場を取り繕い始める。


「だがクラウスは何日か前に亡くなって、昨日、やっと葬儀を終えたところだ。

 あんたら、クラウスの知り合いかい?

 近くの村の……あ、ひょっとしてハウゼン家の使いか?」


 おそらく最初はクラウスが生業にしていた、薬屋の常連客などを予想したのだろう。

 だがすぐに違う……と気がつくと同時に、ハウゼン家のことを思い出したらしい。

 この問い掛けにアーガンたちはなにも答えなかったけれど、エビラとミゲーラが早とちりする。

 口々に 「そうなのかいっ?」 とか 「よかったぁ~」 と喜びを表わす。

 ハウゼン家に迎え入れられ、一家はこれから楽な生活が出来るとでも思ったのだろう。

 だが返されるアーガンの言葉はまったく違うものであった。


「クラウス殿が亡くなられたことは村の者から伺いました。

 残念なことです、お悔やみを申し上げます。

 ところでノワール・マイエル殿はご在宅だろうか?」


 まずは常識的にお悔やみを言ってから用件に入るアーガンに、ミゲーラは困ったように母親のエビラを見る。

 エビラはノワールの名を聞いた瞬間に鼻白み、不満を漏らすように返す。


「なんだってあんなのに……どんな用があるっていうんだい?」


 後半は、不満どころか怒りを孕んでいるようにさえ感じられた。

 そこに、さらに奥の部屋から寝起きとおぼしきマーテルが現われる。

 着替えてこそいたけれど髪には寝癖が残り、顔も洗っていない。

 こどもらしく眠そうに目を擦っていたと思ったら、大きなあくびを一つ。

 そのまま寝ぼけた様子で尋ねてくる。


「おはよ……母さん、ノワールって誰?」


 するとエビラよりマーテルに近いところに立っていた姉のミゲーラが、少し慌てたように答える。


「ノエルのことよ」

「ノエル? なんであいつがノワールなのさ?」

「ノワールは古い言葉で黒って意味なんだって。

 だからノエルが嫌がって。

 それで父さんがノエルって呼び名をつけたの」

「なんだよ、それ? 自分で名付けたくせに?

 しかも黒なんてあいつにピッタリじゃん。

 やっぱ変な人だよな、父さんって……そういや、もういないんだっけ」


 そう言ってマーテルはあくびをもう一つ。

 ノエルより一歳年下のマーテルは、八歳にしては大柄で背も高い。

 母のエビラや姉のミゲーラも背が高いから、そういう家系なのかも知れない。

 そうなるとマーテルと一歳違いのノワール・マイエルも、マーテルと同じくらい大柄で背が高いということだろうか。

 それにノワール・マイエルが家族からノエルと呼ばれている理由を聞きながら、アーガンたちは父親、あるいは夫を亡くしたばかりの一家の様子に違和感を覚える。


「あれ? そういやあいつは?

 それにこいつら、誰?」


 村人の話によれば、葬儀が執り行われたのは昨日のことだが、実際にクラウスが亡くなったのは数日前。

 立ち直るには少し早いのではないかと思うが、感覚は人それぞれ。

 アーガンは無理に会話に入り込もうとはせず、立ち尽くしたまま状況を見守る。

 マーテルの問い掛けに答えたのは、彼のそばに立つ姉のミゲーラである。


「ノエルならいないわ」

「いない?

 いないってどういうことだよ?」

「朝起きたらいなかったの」

「水汲みに行って倒れたとか?」


 茶化すように笑いながら、まだ誰もすわっていない食卓に着くマーテル。

 そこがいつものマーテルの席である。


「水汲みにも行かずにいなくなったのよ」


 それこそ朝起きたら忽然と消えていたのである。

 おかげで代わりに水汲みに行かされたと口を尖らせるミゲーラに、マーテルは 「なんだ」 と笑う。


「あいつ、やっと出ていったんだ。

 清々する」

「冗談じゃないわよ!

 どうしてあたしが水汲みなんてしなきゃいけないのよ」

「だってあいつがいないなら姉さんがするしかないじゃん」

「あんたがすればいいでしょ!

 力仕事は男がするもんよ!」

「俺は長男だぞ?

 どうして俺が水汲みなんて」


 鼻で笑うマーテルの挑発に、ミゲーラが 「なんですってっ?」 とヒステリックに声を上げて始まる姉弟喧嘩を、母のエビラが 「ちょっと静かにしてな!」 と怒鳴りつける。

 姉のミゲーラはばつが悪そうに口を閉じてややうつむくが、弟のマーテルはおどけるようにべっと舌を出す。

 そして改めて三人の男たちを見る。


「で、こいつらなんだっけ?」

「ノエルに用があるって……」


 思い出したようにアーガンたちを指さすマーテルに、ばつが悪そうに、それでも教えてやるミゲーラ。

 マーテルはつまらなそうに 「ふぅん」 と鼻を鳴らすと、また大きなあくびを一つ。

 それから面倒臭そうに男たちを一瞥すると、すぐ興味を失ったように母親に声を掛ける。


「母さん、お腹空いた。

 ご飯まだ?」

「ちょっと待ってな、すぐ出来るから」


 猫なで声で応えたエビラだったが、改めてアーガンたちを見ると声を荒らげる。


「ほらほら、あんたたちも。

 ノエルはもういないんだよ。

 帰った帰った」


 そう言って手で追い払うような仕草をしてみせる。

 だがアーガンたちも 「はい、わかりました」 と、おとなしく帰るわけにはいかない。

 半月近くをかけ、わざわざ遠路を来たのには目的があってのこと。

 その一つであるクラウス・ハウゼンは亡くなってしまったが、もう一つの目的は達成する必要がある。


「ノワール・マイエル殿がいないというのはどういうことだ?」


 アーガンはなるべく穏やかに尋ねたつもりだったが、エビラは 「いないったらいないんだよ!」 と少し早口に、乱暴に返す。

 だがアーガンもこの程度では引き下がらない。


「どこにいる? いつ帰ってくる?」

「そんなこたぁ知らないよ

 頭の悪そうな男だね。

 とっとと出て行きな、邪魔だよ!」


 あえて愚鈍を装って質問を重ねる大男のアーガンに、エビラは 「しつこいね!」 と怒鳴り返す。

 すると調子に乗ったようにマーテルまでが 「そうだ、そうだ」 と囃し立てる。

 さすがにアーガンも、これはどうしたものか? ……と思案しかけた時、椅子に掛けていたマーテルも、同じタイミングでなにかよからぬことを思いついたらしい。

 音を立てて立ち上がると、大男に挑むように、それでいて悪いことを考えている目や表情でアーガンを睨み返す。


「出ていかないなら……」


 言い掛けたマーテルは、八歳のこどもにしては随分とがっしりとした腕を伸ばし、アーガンたちになにかを求めるように掌を広げる。

 そして念じるように目を伏せてほどなく、その掌に、マーテルのこぶしほどの焔が灯る。

 刹那カッと眼を見開いたマーテルは召喚に成功した焔を高々と掲げ、誇らしげに声を上げる。


「消炭にしてやる!」


 それは最初、目の錯覚かと思えるほどわずかな違和感だったが、やがて空間が歪み始める。

 次第に歪みが揺らぎ始め、その隙間に小さな焔がチラチラと見え始めた……と思ったらある瞬間に大きくなり、マーテルの掌に焔を形づくる。

 そんなマーテルと、テーブルを挟んだ反対側にすわって見ていたユマーズは、焔が姿を現わした瞬間、冷やかすようにヒュッと口笛を吹き、姉のミゲーラと母のエビラは 「あ……」 と驚きの声を漏らす。

 アーガンもまた、被ったフードの下で 「ほう」 と小さく感嘆の声を漏らす。


 同じ村に住む叔父ノージ・マイエルの息子たち、ハノンとラスンの兄弟。

 彼らはいま大きな町にある神殿の学校に通っているが、月末の休みには必ず村に帰ってきて学校で得た知識を自慢げに語る。

 そんな二人から焔の召喚方法を聞き出したマーテルは、密かに一人で練習をし始めた。

 そうして独力で習得したこの術を、みんなの前で披露する機会をずっと待っていたのだろう。

 自分の掌で揺らめく焔を、さらにアーガンたちに突きつけるように、だが慎重に一歩、足を進める。


「俺は赤の魔術師だ。

 今すぐ出ていかないとどうなるか、わかるよな?」

「命が惜しけりゃさっさと出て行きな!」


 大男たちを、自力で召喚した焔で斥けようとする息子の頼もしさにエビラも勢いづき、改めて声を荒らげる。

 それがさらにマーテルを調子づかせる。


「早くしろ!」


 焔と熱の加護を受ける赤の領地ロホだが、魔術師は決して多くない。

 中心たる領都フェイエラルや大きな神殿がある町ならばともかく、こんな辺境では特に。

 それこそ滅多に見掛けることもないのだろう。

 そのためかマーテルたちは大きな勘違いをしているのだが、それを指摘する者もいないらしい。

 すっかり魔術師を気取りその能力を見せつけるマーテルは、ユマーズはともかく、自分の能力を認めて頼ってくる母親や、姉の羨望と嫉妬の視線にすっかり気分を良くし、さらに腕を伸ばしてアーガンたちに退去を迫る。


 だがアーガンたちは、わずかに感嘆の声を漏らしながらもその能力を恐れることはなかった。

 もちろんつい先程会って話を聞いた第一村人から、マーテルに魔力があるという話は聞いていない。

 その従兄弟のハノンとラスン兄弟の話も聞いていない。

 だが年齢は聞いていたから、八歳のこどもが焔を召喚出来たこと。

 またその召喚の速さには感嘆の声が漏れたが、父親がクラウス・ハウゼンであることはわかっている。

 それに、同じ茶でも髪色には個人差があるとは言っても、一緒にいるエビラやミゲーラより彼の髪色はかなり赤い。

 この二点から、マーテルが奥から出て来た時点で魔力を持っている可能性は予測出来ていた。

 だからそれ以上の驚きはなかったし、脅威にはならなかった。


「……先に言っておくが、焔と木は相性が悪い。

 全てを失いたくなければそれ以上は慎むことだ」


 万が一にも制御を失って焔を暴走させれば、この古屋くらいすぐに焼け落ちてしまうだろう。

 目的達成のためにエビラ一家を刺激しないよう静かに話すアーガンだが、そんなことは魔術師でなくてもわかっている。

 こどものマーテルでも知っていることだ。

 すぐさま馬鹿にされたと思ったマーテルは 「黙れ!」 と声を荒らげるが、アーガンはその表情をフードで隠したまま怯む様子を見せない。


「火の熱さは火傷をせんとわからんか?

 ならば見せてやろう」


 そういったアーガンは不本意ながらもフードを脱ぎ、その下から精悍な顔を一家にさらす。

 燃えるような赤い髪をした彼は無愛想に口をへの字に結んだまま、マーテルと同じように腕を伸ばす。

 その握った拳を、天井に向けて広げたそこにはすでに焔が灯っていた。

 マーテルのように気を凝らすこともせず、一瞬にして、マーテルよりも大きな焔を召喚して見せたのである。


 ここは赤の領地ロホだが、大地には緑が茂り作物が実る。

 人が生きるために水は必要であり、風も吹く。

 そのためだろう。

 さらに数は少ないけれど、赤だけでなく青や白、緑の魔術師も生まれてくる。

 だが焔と熱の加護を受ける赤の領地ロホなのだ。

 他の三つの領地に比べ、圧倒的な数で赤の魔術師が生まれる。

 そんな赤の領地ロホに根付くマイエル家も赤の魔力を持つ家系なのだろう。

 歳上の従兄弟たちよりも自分のほうが魔力も高く、密かにこの村では一番の魔術師だと思っていたマーテルは、一瞬で自分より大きな焔を召喚してみせるアーガンに驚きを隠せない。


「その歳で焔を召喚出来るのはなかなかだが、それは魔術ではない。

 魔術師とは魔術を使えてこその称号だ」


 淡々と話すアーガンに、驚きを残しながらも気を取り直したマーテルは 「なんだとっ?!」 と声を荒らげるが、やはりアーガンは眉一つ微動だにせず淡々と続ける。


「その程度の児戯で魔術師を名乗るとは、片腹痛い」



【セルジュ・アスウェルの呟き】

「神殿に入れれば神官になれる?

 魔力があれば魔術師だと?

 赤の領地ロホではそんなれ言ごとが流布されているのか?

 誰が、なんのためにそんなことを?

 まさか、な……」

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