8 相談
「肝心のノワール・マイエルの行方だが……」
イエルと村に残り、一人で村人たちから話を聞いたアーガンは、合流場所である昨夜の宿で先に戻っていたセルジュと話す。
今夜彼らが泊まるこの部屋は、一人用の寝台が二つ並んで置かれている以外には、テーブルも椅子もなく、アーガンと入れ替わりにファウスが出ていき二人だけが残されている。
最初に、肝心のノワール・マイエルの行方が掴めなかったことは話し、他の収穫について話していたのだが、全くなにも掴めなかったわけではなく、それも最初に話してある。
改めて切り出されるセルジュの言葉に、アーガンは 「そのことなんだが……」 と応じる。
「お前、あの家でなにも思わなかったか?」
アーガンが想定外の言葉で話を継いだためか、立って話を聞いていたセルジュはやや怪訝な顔をする。
そのまま少しばかり考えるような沈黙があり、「……なにが言いたい?」 と返しながら、アーガンとは向き合わない形でもう一つに寝台に掛ける。
「どう考えてもおかしいだろう。
閣下が仰っていたノワール・マイエルの情報は、九歳の子どもだぞ。
それが朝起きたらいなくなっていたのに、あの家族の態度はなんだ?
もっと慌てるだろう?
探すだろう?」
それが普通ではないかと少し語気を強めて話すアーガンだが、セルジュは 「そんなことか」 と言わんばかり。
もちろん彼なりに考えや思うことがあってのことである。
「あの家族は手紙のことを知っていた可能性はないか?」
「手紙? ……だがあれは、魔術が使われていたと……」
魔術陣の中で言葉を魔術にしたためているため、術師以外に内容を聞くことは出来ない。
そのことはアーガンはもちろん、術の使い手であるセルジュも知っている。
だから家族が内容を知っていたとしたら、クラウス・ハウゼンが自分で話したことになる。
セルジュがいう問題は、その内容に家族が賛成していなかった場合である。
「つまり家族は、ノワール・マイエルを預けることに賛成していなかった?」
「可能性だが、ないとは言えないだろう」
つまり本当はいなくなったのではなく、彼らがあの家を訪れた時も奥に隠れていた、あるいは家族たちによって隠されていたのではないか。
だから忽然といなくなり、足取りが掴めないのではないか……とセルジュは推測する。
おそらく
その駆け引きの材料として娘を利用しようとしていたのなら、家族が賛成しない可能性は十分にあるし、クラウスが亡くなったのをいいことに、ノワールを隠して使者をやり過ごそうと考えたのかもしれない。
あるいはクラウスの死すら家族が……と考えかけてアーガンは頭を振る。
陰謀だらけの貴族社会ならともかく、平民のあいだで、それも一家の主人を殺すのは、との生活を考えれば出来ないはず。
少なくともアーガンはそう思いたかった。
そして今朝の家族の態度も演技だと思いたかった。
もちろんあくまでもアーガンの願望である。
もともと九歳の子どもを家族から引き離すことに躊躇いがあるアーガンには、クラウスの独断に家族が反対しているのならなおさら引き離すことを躊躇う。
だがここに家族とともに残っても、父親を亡くして、この先の生活が貧しくなることは目に見えている。
エビラがあのユマーズという男と再婚するならばともかく、村人に聞いた話ではそれも怪しいもの。
そもそもアーガンが村人から聞き集めた話を総合すると、セルジュの推測ははずれている可能性が高かった。
いなくなったノワールを見掛けなかったかと村人たちに聞き回ったのだが、意外な話が返ってきたのである。
「ノエル? ……ああ、エビラんとこの、あの……」
「確かあの、黒い髪の……」
皆一様に、そんなピントの合わないぼんやりとした返事をする。
これがどういう意味なのかとさらに聞いてみると、そもそものノワールが村人の前に姿を見せることがほとんどないのだという。
エビラに言われて毎朝水汲みをしているが、それも村人が起き出すよりずっと早い時間で、夜明け頃には済ませてしまうためその姿を見掛ける村人はまずいない。
川で洗濯をしている時も、他の女たちとは離れたところで隠れるようにこっそりと。
それ以外に彼女が外に出てくるのは、クラウスが畑の手入れをしている時で、父親の傍らで身を小さくして草むしりなどをしているくらいだという。
他の時間、彼女がどこでなにをしているのかと聞いてみれば、誰も知らなかった。
「家にいるんだろ?」
何人かはそんなことを言っていたが、実際に家にいるところを見たわけではないらしい。
そんな風にノワール・マイエルはひっそりと隠れ住んでいたらしく、いなくなったと聞いても村人たちはピンとこなかった。
だが気になることを幾つか話していた。
「九歳? いや、もっと小さかっただろう」
「マーテルが八つだから、黒髪のは五つか六つじゃなかったか?」
マーテル・マイエルが八歳にしては少々大柄だったから、これはわからないでもない。
だがエビラの話はひどかった。
稀にノワールを見掛けても、村の大人たちはほとんどなにもしない。
エビラは 「あんな薄気味悪い奴」 と言っていたけれど、それも村人たちが言うには、いつも特徴的な黒髪を帽子で隠しているから実際に髪色を見ることもほとんどなく、あまり気にならなかったようだ。
もちろん嫌がらせをする者はおり、そのせいでノワールはいつも隠れるようにコソコソとしていたという。
特に子どもは残酷で、マーテルに煽られた時などは石を投げつけたり、突き飛ばしたりすることもある。
けれどエビラは、元々気が短く癇癪持ち。
気に入らないことがあって機嫌が悪かったり、ノワールが自分の思うように動かなかったりするとすぐに殴るらしい。
食事を抜くこともしばしば。
そして村人たちを相手に、自分のしたことをまるで武勲のように語って聞かせていた。
さらにはマーテルを神殿の学校に入れるため、エビラが金を必要としていることも村人たちは教えてくれた。
だからエビラ一家の、今朝の様子は絶対に演技ではない……と話を締めるアーガンに、セルジュは 「ふん」 とまるで気のない返事をする。
「それがどうした?」
「セルジュ……」
「お前の言いたいことはわかる。
髪が黒いというだけで、そこまでの扱いを受ける理不尽に憤るのも」
セルジュとファウス、それにイエルとセスの髪色は
だが彼の燃えるような赤毛や朱色の瞳は
家族からひどい扱いを受けることはないけれど、子どもの頃はそれなりに苦労した彼にとって、やはり髪色が違うというだけで差別されるノワールの境遇は他人事ではなかった。
セルジュもそんなアーガンを子どもの頃から見てきたから彼の境遇は知っているし、ノワールに同情する気持ちも理解出来る。
だがそれでも言う。
いや、だからこそあえて言う。
「だがノワール・マイエルはお前ではないし、お前はノワール・マイエルではない」
「もちろんわかっている」
力のない苦笑いを浮かべるアーガンに、セルジュは淡々と、だが余計なことを言わせまいと続ける。
「ではさっさと探し出せ」
「それもわかっている。
一応目星は付いている」
やはり力のない苦笑いを浮かべるアーガンだが、考えがあって時間を待っているという。
その手順を聞いたセルジュは、戻るべき場所に戻れば高位の文官が本職。
今回も依頼主の代理として使者を務めて遠路を来たものの、話し合いという平和的手段のため。
まさかこんな事態になるとは思わず、アーガンに聞いた話は自分の手には負えないと判断する。
「お前に任せる。
だが……わかっているな?」
「もちろん、見つけたら連れ帰る」
「穏便に済めば一番だが、状況次第では多少手荒なことをしてもかまわない。
なんとしても見つけ出して連れてくるんだ。
それが命令だ」
「了解している」
これで話は一旦終了。
アーガンが待っている時間が来るまで、出立に備えて荷物を見直したり、馬小屋で休ませている馬の世話をしたりとそれぞれが過ごす。
携帯食の買い出しなどそれなりにすることも多い。
手分けをするため部下たちと打ち合わせようとアーガンが腰を上げる脇で、溜息混じりにセルジュが呟く。
「子どもは全員マイエル姓か。
平民ならば庶子で済むが、貴族が他領に帰属せず婚姻など……」
とりあえず打ち合わせだけのつもりで寝台の上に置いたマントや大剣もそのままに立ち上がったアーガンは 「面倒だな」 と、やはり力のない苦笑いを浮かべてセルジュの呟きに相槌を打つ。
そして肩をすくめて続ける。
「悪いがそっちはお前の領分だ、俺にはわからん」
「わかっている。
まずはクラウス様の葬儀の件と合わせて報告する。
さすがにわたしの一存ではどうにも出来ぬ」
昨夜、セルジュは目的地に到着したことを、魔術を使って報告。
少し前、アーガンが宿に戻ってきた時、廊下で立ち番をしていたセスが 「部屋でファウスとなにかしてるっぽい」 と話していたが、おそらく届いた返信を
言葉を飛ばす通信用の白の魔術。
術の発動中に語られる術師の言葉は魔術陣の外には聞こえないけれど、魔術としては下位にあり、白の魔術師のあいだではポピュラーな術だという。
そのためか、術の発動時に展開される魔術陣は干渉を受けやすいらしい。
特に剣や槍、弓などの物理的な干渉には。
おまけに魔術師は術の発動中はほぼ無防備になる。
もちろん術師の魔力や高位の魔術にはそういった干渉を排するものもあるが、白の魔術師ではないアーガンに確かなことはわからない。
だがおそらく基本的なところは赤も白も同じはず。
そこでセスは外部から部屋への侵入者を阻むため。
ファウスは魔術的な干渉を阻むため、セルジュのそばにつけてある。
それなのにセスが 「部屋でファウスとなにかしてるっぽい」 などと、まるで自分の役割をわかっていないようなことを言っていたからアーガンは呆れたのである。
セルジュは、成果も合わせて報告したいからその返信はアーガンが戻ってからすると、夕方になって再びイエルと出立するアーガンを見送る。
日も随分と傾き、どれほどもせず日没を迎えるだろう頃のことである。
まだまだ一階にある食堂が賑わうには早い時間に、改めてマントを羽織り、大剣を背負って。
日頃は文官として事務仕事に忙殺されているセルジュは、あまり運動神経も良くなく、乗馬も上手くない。
それでも社交として遠乗りや狩りなどの誘いを受けることもあり、乗馬は貴族のたしなみ。
悪路の疾走は難しくても、社交シーズンに馬に乗っていれば駆け足程度なら問題はないだろうと思っていたら、仕事の忙しさを理由に誘いを断わり、ここ数年、あまり馬には乗っていなかったらしい。
おかげでアーガンは出立前に予定した行程変更を余儀なくされ、二度も地図を見ながら頭を抱える羽目になった。
だが今はイエルと二騎での出立である。
容赦なく馬を疾走させると、夕闇が迫る村に到着する。
もうかなり陽は西の山陰に入っており、間もなく村は夜の闇にとっぷり沈むだろう。
朝同様、村の外れで馬を下りた二人は馬を引いて、曲がりくねる畑のあいだの道を歩く。
そして目的の家まで来ると玄関先で待たせるイエルに馬を預け、アーガンは一人で扉をノックする。
まだ遅い時間ではない。
村の誰かが訪れたと思ったのか、存外に早く扉は開かれる。
だが朝同様にフードを深く被ったままの大男を見るとすぐに 「あ……」 と声を漏らし、次の瞬間には驚いた表情を浮かべて慌てて扉を閉めようとするけれど、そこはアーガンも見越していた。
当然腕力勝負で負けるつもりもない。
日々鍛え上げた豪腕で、あっさりと扉を押さえ付けて家へと侵入する。
「夜分に失礼する」
「あんた、今朝の……」
おもむろに脱いだフードの下から現われるアーガンの顔に、戸口に出た村男は腰を抜かさんばかりに驚きの声を上げた。
【イエル・エデエの呟き】
「やんごとなき御方のお話ってやつぁ聞いちまったら最後、絶対に断れない。
それどころかご指名を受けた段階で決定だ。
下の人間に断れるわけがない、そういうもんだ。
俺たちぐらい下っ端ならともかく、下手に事情をなんて聞かされるから余計に悩みもする。
いっそ事情なんて知らないほうが駒として従順に動ける。
それこそ機械みたいにさ。
でも俺は、非情になりきれず、そうやって悩むあなたも好きですけどね、リンデルト隊長。
いつかこの感情で命を落とすことがあっても、やっぱりあなたのそういう人間ぽいところが好きなんですよ」
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