3 来訪者 (1)

 夕食が始まる少し前、エビラの兄ノージがやって来た。

 そこでユマーズはノージに、明日の朝から畑を手伝って欲しいといわれたのである。

 亡くなった義弟クラウスの代わりに、ノージの畑を、である。

 さらには妹エビラに、食い扶持が一人減った分、収穫の一部を分けろとまで言ったらしい。


「随分と傲慢な兄上だなぁ」


 エビラの愚痴めいた話に、安物の酒を一気に煽ったユマーズは声を上げて笑う。

 だがエビラは、空いたそのコップに酒を注ぎながらも愚痴を続ける。


「傲慢じゃ済まないよ。

 あたしらに飢えろって言うのかい、兄さんは」

「ははは……確か兄上殿のところには、息子が二人いたんじゃなかったけ?」


 見掛けたことがあるような……と、呑気に続けるユマーズに、エビラは八つ当たりよろしく、ぴしゃりと返す。


「ハノンとラスンなら、町の神殿学校に通っていて寮住まいだよ。

 月の終わりには帰ってくるけど、あいつら、お高くとまって畑なんて手伝いやしない」


 エビラの息子マーテルも、毎日昼過ぎに隣村の学校から帰ってくるのだが、畑を手伝うことはない。

 一緒に帰ってくる同年代の子どもたちは手伝いに駆り出されるため、歳下の子どもたちを集め、ガキ大将よろしく遊び回っている。

 ユマーズはそんなマーテルをチラリと見るが、エビラの機嫌を損ねないように調子よく話を合わせておく。


「だからあいつら、滅多に見掛けないのか。

 神殿の学校に行けるほど魔力があるようには見えねぇけどな」


 小さな村にはないが、たいていの町には神殿がある。

 そして大きな町にはいくつかの神殿を束ねる大きな神殿があり、大きな神殿には学校が併設されている。

 エビラの甥ハノン・マイエルとラスン・マイエルの兄弟が入学したこの神殿の学校は、普通の勉強をする場所ではなく、誰でも入れる学校でもない。

 そして入学出来れば貴族も平民も寮に入り、魔力の基本操作から魔術の基礎知識についてを学ぶことになる。

 神殿に仕える神官、あるいは魔術師になるにはこの神殿の学校で学ぶことが必要であるため、入学の条件は魔力があること。

 つまり神殿の学校に入れた二人には魔力が認められており、鼻高々にお高くとまっているのである。


 しかもそのおかげでノージは足りない人手をユマーズに要求してくるから、ユマーズもたまったものではない。

 おそらくエビラは、ユマーズに兄ノージと話を付けて欲しくてこんな話を始めたのだろう。

 だがノージの手伝い要求を、自称 「軽妙な話術」 でのらりくらりとかわしたつもりでいるユマーズは、自分からノージと話そうとは思わない。

 そんなことをすればノージの要求をかわせなくなるからである。


「あいつらの魔力なんざたいしたことないよ」

「でも神殿の学校に入れたんだろ?

 だったら……」

「金だよ、金」


 そう言ってエビラが説明したのは、甥のハノンとラスン兄弟の不正入学の絡繰りである。

 この村にはないが、隣の村に近隣の子どもたちの通う学校がある。

 今マーテルが通っているその学校には、かつては長女のミゲーラはもちろん、従兄弟のハノンとラスンの兄弟も通っていた。

 そこでの二人の学力はそこそこだったらしいが、どこで聞いてきたのか、父親のノージは校長に金を渡し、卒業前に行なわれた適性審査を通してもらえるよう神官に取り計らってもらい、兄弟は可もなく不可もない学力で卒業後、神殿の学校に入学したのである。


 平民だけでなく貴族も通う神殿の学校は全員が寮に入り、その生活も厳しく管理されるという。

 ここでもノージは息子たちが学校を追い出されないよう、寄付という名目で神官にお金を贈っているらしい。

 そのために畑を広げ続け、義弟のクラウスはもちろん、顔役という立場を利用して村人たちにも自分の手伝わせている。


「はぁ~そりゃいくら金があっても足りねぇだろうな」

「笑い事じゃないよ!

 あいつらも、父親が金を渡して入れたって知ってるくせに、いつもいつも偉そうにしやがって。

 魔力だったらマーテルのほうが上なのにさ」

「甥っ子だろう?」

「知ったことかい!」


 冗談めかしながらも宥めるユマーズだがエビラの不満は収まらない。

 しかもエビラも同じ方法でマーテルを神殿の学校に入れようと考えていると聞き、ユマーズは声を上げてひとしきり笑うと、再びコップに残っていた安酒を一息にあおる。

 そしてテーブルを挟んで向かいにすわるノエルを見てニヤリと笑う。


「その薄気味悪いガキを売っちまおう」


 意味がわからず 「なに言ってるんだい?」 と怪訝な顔をするエビラに、ユマーズは 「まぁ聞けよ」 と話し出す。

 けれど待ちきれないエビラが先に口を開く。


「こんな気味の悪いガキなんざ、どこも買っちゃくれないよ」

「もちろん普通に売るんじゃねぇよ、折角の娘だっていうのに」

「どういうことだい?」

「娼館に売るんだよ」


 初めて聞く言葉を理解出来ないノエルだが、目の前で話す二人が自分のことを話しているのはわかる。

 その髪を見たくないと、特にエビラが怒るから家の中でも帽子を被って隠しているノエルだが、「気味の悪いガキ」 が自分を指す言葉だということを知っている。

 しかも隣にすわる姉のミゲーラが、ユマーズの話を聞いた瞬間にノエルを見てとても嫌な顔をして笑ったのである。

 だから二人が良くないことを話していることもわかった。


 でもそれがどういう意味なのか、説明を求めることはしない。

 どうせ訊いたところで誰も教えてくれないのだから。

 二人の大人はもちろん、姉のミゲーラも。


「それは普通に売るより高く売れるのかい?」


 ユマーズの言葉に興味を引かれた様子のエビラは、子どもたちの前であることも気にせず前のめりに尋ねる。


「おうよ。

 まだこどもだが、貴族にはそういう趣味・・・・・・の奴が多い。

 しかも生娘だからな、間違いなく高く売れる」

「こんな気味の悪いなりをしてるのにかい?」


 信じ切れないエビラは疑うように、少ししつこいくらいに尋ねるが、ユマーズは 「だからいいんだよ」 と勢いをつけるように返す。

 だがすぐに口調を改め、今度は言い聞かせるように少しゆっくりめに続ける。


「お貴族様にはな、物好きが多いのさ。

 奴ら、それこそ滅多にない掘り出し物に馬鹿みたいな金を出しやがる。

 頭がいかれてんじゃねぇかって思うくらい馬鹿みたいな金をさ。

 お貴族様ってのは俺たち平民にゃあ到底力出来ない、とんでもねぇ物好きなんだよ」

「あんた、よく知ってるね」


 ユマーズの話に感心するエビラはすっかり乗り気になったらしい。


「こう見えて、俺だって伊達に苦労しちゃいねぇよ。

 今年も南はとんでもねぇ大不作だって話だ。

 冬には食い扶持のために娘を売る親が増えるから、その前に売っちまわねぇと買い叩かれるかもしれん」


 価値が下がると得意げに話すユマーズに、エビラは嬉しそうにいとも容易く同意する。


「わかった、あんたに任せるよ。

 マーテルを神殿学校に行かせるには、校長の話じゃ、神官様には早めに金を渡さなきゃならないらしいんだ。

 なんでも入れる人数が毎年決まっているとかでさ。

 だから早く金を用意してくれって何度もあの人を急かしたのに、結局ちっとも役に立ちゃしなかったよ」


 何気なく亡夫への不満を口にするエビラに、ユマーズもクラウスのことを思い出したらしい。

 思案するようにクラウスのことを尋ねる。


「ハウゼンっていやぁ白の領地ブランカのお貴族様じゃなかったか?」

「名前だけだよ。

 あたしだっててっきりお貴族様だと思ったから結婚してやったのに、実際は勘当されて逃げてきたなんて。

 最期だって、誰一人、見舞いどころか葬儀にだって来やしなかったさ」


 思い出すのも忌々しいと早口にまくし立てるエビラに、ユマーズは数時間前の葬儀の様子を思い出しながら 「そういや見なかったな」 とつぶやく。

 焔の加護を受ける赤の領地ロホと違い、北西に位置する白の領地ブランカは風の加護を受けるため、同じ茶色でも、その民の髪は少し明るめの色が多い。

 そんな白の領地ブランカの民を、クラウスの葬儀の時に見掛けなかったことを思い出していたのだろう。


「報せは遣ったのかい?」

「当たり前じゃないか。

 少しでもなにか恵んでもらえりゃラッキーだからね。

 それがなしのつぶてだよ。

 こっちは大金を使って報せを遣ったっていうのにさ、とんだ無駄金だったよ。

 食い扶持も減らせて金になるってんならさっさと売っちまおうじゃないか、こんな薄気味悪いガキ」


 そう言ってノエルを見るエビラの顔には、いつもの意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 いつものように憂さを晴らそうとして、ユマーズの 「傷はつけるなよ」 という言葉でハッとしたように上げた手を止める。


「売り物にならなくなるだろうが。

 娼婦は傷跡一つで値が下がるんだぜ」

「そりゃ知らなかったよ」

「お前は気が短くて困る。

 そうさな、怪我をさせる前に、明日にでも話をつけに行って来ようか」

「話をつけるって?」

「もちろん娼館にさ。

 いきなり連れて行って売れるわけないだろう?

 まずは店と交渉しないとな」

「あたしはそういうのよくわからないからさ、全部あんたに任せるよ」


 そのため近くの大きな町まで出掛けるというユマーズは、明日から数日家を空けるという。

 だが元々が流れ者である。

 そのまま帰ってこなくなるのではないかと不安がるエビラだが、あまり頭のいい女ではない。

 口の上手いユマーズに上手く丸め込まれるように納得したところで、ユマーズは改めてノエルを見る。


「売り飛ばす前に、お前に訊いておきたいことがあったな」


 そう言ったと思ったらテーブルに両手を着いて立ち上がり、身を乗り出すようにノエルの眼前に迫ってくる。

 鼻先が触れるほどにまで顔を近づけ、その酒臭い息をノエルに吹きかける。

 そして無造作に小さな顎掴む。


「正直に答えろ。

 お前の親父が笛を持っていただろう?」


 エビラの亡夫クラウスは白金色をした横笛を持っており、三人の子はもちろん、妻のエビラにも触らせずとても大事にしていた。

 それがどういった物かも話したことはなく、どこにしまっているかも教えず。

 その存在をすっかり忘れていたらしいエビラは、ユマーズの話を隣で聞きながら 「そういえばあれ、どこにしまってあるんだろうね?」 と首を傾げる。

 ユマーズがノエルに訊こうとしたのはその笛の行方である。


 クラウスの遺品となったその笛を、おそらく町に行くついでに売り払おうというのだろう。

 なぜノエルが知っているのではないかと思ったのかはわからないけれど、どこにしまってあるのかを尋ねるユマーズに、訊かれたノエルは恐怖で顔が引き攣り、自然と唇が固く結ばれて言葉が出なくなる。

 それでもユマーズはしばらくのあいだ 「おい」 とか 「聞いてるのか」 などとノエルを脅していたが、やがて埒が明かないと思ったらしく、舌打ちをしたかと思ったら隣にすわるミゲーラ、マーテルにも同じことを尋ねる。


 ノエルと違って怯える様子を見せない二人は食事を続けながら、マーテルは 「知らない」 と短く答え、ミゲーラは 「父さんの部屋か、納屋あの臭い部屋にでもあるんじゃない?」 と澄まし顔で答える。

 クラウスが調剤などの作業に使っていた納屋は独特な臭いがするため、ミゲーラたちは 「臭い部屋」 と呼んでいるのである。

 だがユマーズは苛立ったように声を荒らげる。


「そんなところはとっくに探したんだよ!

 なかったから訊いてんだ!」


 そして掴んだままのノエルの顎を乱暴に放り投げる。

 勢いよく床に転がった衝撃でしばらく身動き出来ずにいたノエルに、ユマーズは変わらず声を荒らげる。


「おい! 明日までに探しておけ!

 見つかるまで飯抜きだからな!」


 そう言い放って荒々しく椅子にすわり直したユマーズだが、一転、まるで何事もなかったように食事を再開する。

 エビラはもちろん、姉弟たちもノエルの様子を気にすることはない。

 同じように食事を再開したと思ったら、エビラはユマーズに、少し甘えるように話し掛ける。


「うっかりしていたよ、あんな金目の物があったことを忘れるなんて」

「このあたりじゃ無理だが、こいつを売っ払う店を探すついでに処分してくらぁ」

「あんたに任せるよ」


 だが笛は見つからないまま翌朝にはノエルも姿を消し、ユマーズの企みは二つとも失敗に終わったように思われた。

 そんな朝にエビラの家を訪れる者たちがあった。

 突然扉を叩く音に、朝食の支度をしていたエビラはミゲーラに出るよう言う。

 こんな朝早くから誰だろうと扉を開けたミゲーラの目に、最初に飛び込んできたのはマントである。

 恐る恐る視線を上げてみると、目深に被ったフードの下から燃えるように真っ赤な目がミゲーラを見ている。


「こちらはクラウス・ハウゼン殿の家と聞いたのだが」


 今年で十七になるミゲーラ・マイエルは母エビラに似てふっくらとした体型をしており、村の娘たちの中でも少し背が高い。

 だがそんなミゲーラより遥かに背の高い男が扉のすぐ前に立ち、そう尋ねてきたのである。



【ユマーズの呟き】

「ここいらが潮時だな。

 欲を張っちゃいけねぇ。

 引き時を見誤っちゃ、命が幾つあっても足りゃしねぇからな」

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