Ⅲ 文藝部

「なんでこうなった……?」

僕、天城凪は自室でそう、つぶやいていた。

 時は数時間前、夕暮れ時にさかのぼる——



「……は? え、文藝部って……?」

 名前を言っただけで急に部活勧誘されるというありえない話の展開に、思わず敬語が崩れた。

「あー、文藝部って何してるの、ってこと? 文章書くとこだよー、小説とか、詩とか」

 僕の崩れた敬語は気にすることなく、倉橋先輩はどんどん話を進めていく。その流れを一旦止めるべく、「ごめんなさい、なんで急に部活勧誘を……?」と尋ねた。

 彼女は、あっと思い出したように驚いて、少し考える素振りを見せる。

 数秒後、「だって君、高一って言ったでしょう? 入る部活がないならぜひ文藝部に! ってことで、連絡先教えて!」と、よくありそうな理由と共に、ついでのような感じで連絡先の交換をお願いされた。

 ……嘘だろ、まさかの逆ナン!? この、既に上回っている僕の想像をさらに上回る状況についていけずに、僕はよくわからないままほとんど無意識的に連絡先を教える。いや、教えてしまった——

 高校生活のターニングポイントをこんな、いとも簡単に、決めてしまった……でも、結局のところこのターニングポイントを見逃して、どこの部にも入らない未来は見え見えだった。そしてそのまま高校生活が終わり、就活でも人生失敗して、ギャンブルにはまって……おっと、妄想が過ぎた。

 ここまで行き過ぎた妄想はさすがにないと思うが、最初の未来予報はおそらく百パーセント当たるだろう。まあどちらにせよ、とにかく、こういう可能性に過ぎないものは気にしないでおこう。 今は今だ。過去には戻れない。

 それから彼女との会話もほどほどにして別れ、沈む夕日を背に家へ帰る。

 直後、忘れものをお届けに来ましたー、と言いたげなように急に襲ってきた疲労感に苛まれ、なされるがまま自室に入り、今に至る——


 いやほんとに、どうしてこうなった……?

 とりあえずベッドにダイビングしてから改めてそんなことを考える……なんて気力はなく、僕は脱力感と、ふつふつと湧く「今日が終わる」という焦燥感に挟まれてまた今日も、だらけていた。


 そんな最中、ふと、思い出したように、壁に立てかけられていたプリントを見る。

『部活説明会——明日放課後』

 半ば殴り書きで書かれたメモだ。我ながらいつ書いたのかと疑問を抱く。そもそも今日書いたのだろうか? ……ああ、そうだ、朝礼のときだ。思い出すと同時に脳裏に教師の怒号が聞こえた気がするが気にしないでおこう。


 それにしても、部活説明会か。

『後でまた色々連絡するから!』という先輩の言葉が耳にまだ残っている。

 文藝部……文章を書く部活だとか言っていたような気がする。心でも見透かされたのだろうか? 小説家になりたいという僕の夢を。


 ──小説、か。

 小説家になりたいと掲げるだけ掲げて僕はまだ何もしていない。それなのに過ぎ去っていく日常は、僕の心を見ず知らずのうちに蝕んでいく。

 感覚的に、人生の半分は、十九歳で終わる。

 おそらく事実であろうその情報を以前見て、危機感も持ったはずなのに、それでも……

 僕はまだ、何も、していない。

 夢日記という名の自己満足だけで終わらせて、本来やるべき執筆に全く手がついていない。夢日記は、いうなれば、小説家になる「夢」を体現して「夢」のままで終わる代物に化している。

 夢は現実にしなければ意味がない。

 こんなことを考えるだけ考えて、実行に結局移さず、そうして迫る焦燥感にもそろそろ慣れ始めていた。


 文藝部……


 そこでこの偶然の出会いである。文藝部に入れば、この現状を打破できるかもしれない。

 僕は密かに文藝部に大きな期待を抱いていた。

 こうして、曖昧に、かつ掴めないのにひたすらに広がっていく妄想。

 それをぶち壊すようにしてピロリン♪、という音が無音の部屋に響き渡った。

 音の主はメール——送り主は『ほのか』と書かれている。僕の脳内にこんな名前で送ってくる人はいないはず。ラインの返信で忙しいとかいう幸福な理由もないので、僕はアプリを開く。メールの内容はこうだった。

『こんばんは、夕方にたまたま会った先輩です〜。文藝部の勧誘に関してメールを送りました。とりあえず、明日の放課後さ、体育館あたりに駐輪場あるじゃん? とりあえずそこに来て~(*'▽') よろしく!( `ー´)ノ』

 

 倉橋先輩からのメールだったことに軽く驚きつつ、先輩との関わりにあまり慣れていないせいか、敬語と顔文字が混合されているのがいやに目につく。これがいわゆる後輩の宿命ってやつなのか……諦めよう。

 まあ、それはそれとして、早速文藝部の集まりがあるらしい。明日の部活活動会とかいうやつと関連性があるのだろうか。この感じだと倉橋先輩が教えてくれるようなので、それならありがたい。

 副生徒会長に突然会って、突然文藝部の案内をされるという不可思議極まりないこの状況を僕は少し、心地よく感じ始めていた。

 

 ——「何もなく終わりそうだった僕の高校生活がたまたま、ほんとに偶然出会った一人の先輩によって百八十度変わってしまった」

 この、一日では受け止めきれない事実が僕の中に、じわじわと広がり、そして新たな「日常」に組み込まれる。その心地よさはそう、名前を知らない彼女と会った時のような——


——小説家という夢も彼女から学んだことの一つだ。

 彼女は言った。

「小説家になりたいんだ」

「小説? なんで?」

 このときの彼女の笑顔はよく覚えている。

「小説家はみんな、言葉を操ってる。なんかそれって、かっこよくない?」

 ああ、小説家か……

 そのときの僕の「言葉」の価値観は最底辺と言ってもよかった。

 やり取りができればいい。というか、言葉がなくても勝手にクラスの生徒は僕に賛同してくれるから、重要度とかを考えるまでもなかった。唯一の例外は彼女だけだ。

 だから、小説家という夢は僕から消えるはずだったのに。僕もそう思ったのに。

 彼女の転校が、僕を、変えた。

 去り際の、彼女の発言が。悲しげな、あの潤った目が。

「小説家になることはやめないよ。だから、凪も」

 あたり一面が蒼い懺悔の海に沈んでいた僕の確かな覚悟はそこで決まったのだろう。そして僕は、こう言ったのだ。

「俺が君を超えてみせる」

 今思えば、あの発言で彼女は僕を責めていたのかもしれない。彼女に実際に聞くことはおそらく叶わないけれど。

 あの時は、彼女に再び会えると本気で信じていた。


 ……そうしてまた僕は、過去を語る。


 過去に堕ちれば堕ちるほど、彼女の声も、なお一層強まっていく。

「今に目を向けずにあなたはいったい何をしたいの? 小説家になるってきっかけも、行動できる環境も全部そろってたはずでしょ。なのに何故、ひょんな挫折に心を折られた気になって、もうやる意味がないと勝手な思い込みをして。

 私が見ていた君はそんなんじゃないでしょう?」

 彼女が言う。嫌だ、やめろ。プレッシャーで僕を押しつぶさないでくれ。

「君が中川君たちを勝手に敬遠したから、彼らも君を敬遠した。彼らは変わっていく君を恐れているんだよ。それと共に変わる日常に。

 君が、臆病になったから」

 彼女の深層心理に絡んでいるのは僕の心境だったとしても、僕はまだ、受け入れられない。向き合い方は、誰も教えてくれなかった。


——翌日——

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