Ⅱ 期待値のシーソー

「君、大丈夫?」

「大丈夫です……痛って」

 蹴られた箇所、特に下腹部がまだじんじんする。強がった後に痛いってダサすぎるな……

「大丈夫じゃないじゃん。ほら、手貸して」

 そう微笑みながら彼女は救いの手を差し伸べてくれた。男ならここは踏ん張って大丈夫とか言うべき……なのだが、僕は痛みに耐えられず、彼女の手をとる選択をとった。


「ありがとう……ございます」

「お礼を言っても何も出ないよ? ……っていうか、さっきの、何なの?」

 顔をしかめながら彼女は中川が出て行った方向を指さした。

「何でもないです、だからあなたも見て見ぬふりで立ち去って──」

「ごめんごめん、それは無理」

 どうぞ、と言いかけた拒絶の言葉はいともあっさりと彼女の怒った微笑みによって遮られた。

「……いや、でもやっぱり」彼女に迷惑が……

「あのさ、」

 またしても会話を遮られ多少なりとも辟易していると、僕にとって衝撃の事実が明かされた。

「私、副生徒会長なんだ~、あはは」

「……」

「え、どうかした?」

 え、どうもしてないですよ。ただ、驚きすぎで硬直しきってるだけですよ……

 


「ねぇねぇ」

「……」

「あのさ」

「……」

「……聞いてる?」

「……」

 ……あれ、ここは? 僕は誰? 目の前の人は──「副生徒会長っ!」

「はい? あ、やっと話せるようになった?」

 髪をくるくるさせながら呟く彼女が可愛く……じゃなくて、副生徒会長であることにまたしても意識を奪われそうになる。と、心中でどうでもいいことを考えている僕をよそに、彼女は夕日を眺めながら言った。

「さて、じゃあ話を戻しまーす」

「はい」

「質問その一、君はどうして中川あいつにいじめられてたんですか」

「……話せば長くなりますよ?」

「いいからいいから、教えて、君のこと」

 質問と称しときながらそのお願いの仕方は反則じゃ……

 流されるがまま、僕は今日会ったばかりの副生徒会長ひとに自分の過去を話し始めていた。


 ◇ ◆ ◇

 

──中学校──天城凪はクラスの「一軍」的存在であった。

 その恵まれた他者とのコミュニケーション能力は彼に味方を付けた。生徒会長? 応援団の団長? 望めば何にだってなれたし、できた。そうした環境下から、彼は学校での他者との関係性を重視したので、言葉は広く、薄く、コミュニケーションを取ることだけに特化して使った。しかし、彼は中三になってそれをやめた。

 彼に同調しなかった一人の「モブ」的存在、○○が彼自身の価値観を根本から覆したからだ。

 彼はその人の名前を憶えていない。というのも、名前すら聞いていなかった——


 聞く間もないうちに○○は転校した。

 彼は嘆いた。彼は○○に多くを教えてもらったのに、彼が原因となり転校を促したことを。もっと○○に教えてもらうはずだったものを。


 

 彼が○○に話しかけるきっかけも、彼が原因だった。

「お前、なんで僕と同じじゃないの?」

 ある日、クラス内での話し合いがあった。彼はクラス内の一人を除いて(傍点)すべてから賛同を受け、選ばれた。そのとき、唯一○○が賛同していなかった。彼が話しかけたのは、単なる好奇心だろうが、多少なりとも苛立ちを含んでいた。

「逆に、なんで同じじゃいけないの?」

 ○○は言った。彼についてきた数人がその言葉に反感を持つが、それを手で制して、軽快な足取りで去っていった。そして、こう思う。

 「「お前のことを知りたい!」」

 それは苛立ちをも通り越して、大きな欲望へと変わった。


 それから彼は無理やりにでも○○と接した。○○は彼についてくるガキがいなければ、彼と快く話した。今思えば、そうすればついてくるしか考えのない中学生ガキからの反感を買うのは必然だった。


「あいつなんなん?」

「マジそれな」

「あーあ、凪も大変だよね、あんな奴に絡まれて。そうだ、やっちゃわない?」

 火種は既に火へと燃え盛っていた。

「いいね」

「いいね」

「……いいね」


 過度な正義感、同調圧力? そんなの、自分を正当化したいだけの理由だろ?




「──それが発覚したのは、いつだったか覚えてないです。いじめてた人を許すわけないんですけど、復讐という形で残したくない。僕、臆病ですよね。だから僕は、今後彼らとの関わりを断ち切るつもりだったんです。でも……」

中川あいつは気を弱くした君を狙って、今に至る、と」

 春だとは言え日が落ちるのは思ったよりも早く、夜がやってくるのも時間の問題だというのは僕も彼女も意識し始めていた。

「……ま、大体わかった。あと聞きそびれてたんだけど」

「?」

 まだ取り調べだろうか。でも今ので気持ちに整理がついた気がする。人に話すって意外といいんだな、と久しぶりに感慨の海に浸っていると、こういうときに限って毎回のように叩き起こされる。畜生め。

「君の名前は? あ、私は倉橋。倉橋帆夏です」

「僕は……天城凪です。高一、です」


 彼女の目が、見開いた、気がした。

「……」


 数秒の沈黙が入り、彼女は急にとんでもないことを言った。

「あのさ」

「はい」

「……君、文藝部入らない?」

「……は?」

 季節は春。入部するにはうってつけの季節……?

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