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Ⅰ 偶然の化学変化(1)

 『夢日記(13)』

 夢には様々な種類がある。誰かに追いかけられる夢、非現実的な、まるでゲームの中にいるような夢。さらには未来を予知しているともいわれる夢まで。

 これらは睡眠中の脳が今まで見聞きした情報を整理していると言われる。

 では、次の夢は何を整理すると生まれるのだろう?

『何もない夢』。あたり一面真っ白で、何もしない。何もできない。でもここは自分の部屋。

 そんな夢を今日は見た。

                             2015、4,23


「起きた―?」

 一階から二階の僕の部屋まで響いてくるその声に、僕は起こされた。いつも通りの朝。

 最近のルーティーンとして、起きるとまず「夢日記」をつけるようにしている。

 別に夢の内容を研究するというようなどこかのすごい研究者がやるようなためのものじゃない。小説を書くための材料としてだ。

 

 僕の夢は最近できた。

「小説家になりたい」

「え? 何か言った?」

「いや、何でもないよ、母さん」

 そう無意識に否定する。目の前で仕事の支度をしている母は何事もなかったようにこちらから視線を外し、僕もそれに同調して朝食を食べる。

 そして、特に会話もないまま「いってきます」と「いってらっしゃい」のあいさつも終えて家を出た。

 満開の桜の下を歩く。花びらは木から飛び降り、僕の目の前に現れる。それは言うまでもなく一瞬で、意識はそちらへは基本、向かないだろう。

 でも僕は、それが地面に確実に落ちた最後の最後まで見ていた。

 小説家という職業との出会いもこれと同じだったなぁ……。そうしてまた僕は、過去を見ていた。


 —―そんなこんなで毎度のことながらいつの間にか足取りも重くなっていたようで、いつの間にか10分が経過。

「……遅刻ルート行き?」

 よし、今日も時間内の登校は諦めよう、という決意はむなしく、右肩に置かれた手によって抹消された。

「諦めんな? さすがに二連続は許さないよ?」

「今僕諦めようなんて言ってたっけ?」

「今言った。よって君は俺の手によって学校へ連行されます。拒否権はない、いいね?」

「いや、人間には尊厳が…ってちょっ待っ」

 最後まで言い切らないうちに彼の腕に強引に引っ張られて、そのまま全力疾走で体を持っていかれる。

「はい、あと3分でチャイム!走るぞ!」

 颯爽と走る彼は言う。

「体がっ、追いつかないって」

 走っているかも曖昧な僕は言う。

「じゃあ追いつけ!」

 そう笑って言うと、彼は引っ張っていた腕を離した。

「っ速──!」

 よろけた態勢を整えて、僕は通学路を駆け出す。


 いつも通りの朝。


「……はぁはぁ」

 3分後、本当に僕等は学校についていた。――代わりに午前中のやる気は失われたけれど。

「な? 間に合ったろ?」

 そう言いつつ彼は上履きを取り出す。それはそれはとっても澄ました笑顔で。

 ……この人、さっき走ってたのか? という一瞬で忘れる問題は置いといて、聞きそびれていたことを尋ねる。

「──昨日もそうだったけど……君の名前は?」

 そう、僕と彼は昨日初めて会ったので、名前も何もかも知らないのだ。


「……」

「……」


沈黙が訪れる。

「……あれ、」

 彼が何か言いかけた気がしたが、その前に「何でもないです!」という声を張り上げて沈黙をごまかし、何もなかったですよ?という顔で(できているかわからないけど)靴箱から階段へと向かうことにする。でないとコミュ障で爆発する、僕が。

 さっき喋れたのは深夜テンションならぬ朝テンションってやつさ、多分。

 ―—それに対して彼は会話継続を選択する。……あいむそーりー、あいむのっとヨウキャ。

「……ごめんごめん、俺の名前、言ってなかった? って聞こうとしたんだよ」

 彼の言葉の弾幕でオーバーキル。僕はショート。

「……なな、何でもないですよはい、うん、そうだきっとそうさ……」と、案の定混乱する僕をよそに、彼はめちゃくちゃ落ち着いていた。いや、僕が混乱しすぎて逆に落ち着いたのか。

「ストップストップ、俺怒ってないし、俺お前とたぶん同級生だし。あ、名前は千野朝陽っす」

 反射的に口を開く。

「僕は、あ、あま、天城あまぎなぎ……」

「じゃ、天城、これからよろしく! もう遅刻しないよな?」

「……」

「無言で返すってことは肯定?」

 ノー、とは彼の笑顔を前にして言えなかった。


 『類は友を呼ぶ』とはこのことで、歩いていると不毛な会話がさらに不毛になりそうな奴に絡まれた。

「あっまぎー、今日も陰キャしてるねー……ってえ?」

 僕等に並走し始めた茶髪の彼、如月きさらぎとはよく話す。僕をいじりたいのかそれとは関係ないのかは知らないが、いつもうきうきしながら話しかけてくるのだ。彼よりも少し身長の高い僕は見下ろす形になって、周りからは兄弟のように見えているそう。弟が兄に陰キャっていう兄弟かよ、と毎回思う。


 ……というように、いつも喋る彼なのだが今日は違うようで、隣の人物を見て大層驚いていた。

「天城って、え? 千野生徒会長? え?」

 困惑を隠せないその表情に僕も困惑させられていた。生徒会長って──?

「なんで天城が、あの、かの有名な成績優秀で陸上部キャプテンでしかも生徒会長にダントツの票数で成りあがった千野先輩と話してるんだー!?」

 その瞬間僕が完全に硬直しきったのは自明だ。


 ——キーンコーンカーンコーン——


 ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴り、僕らは驚きを抑えたまま教室へ向かうこととなった。

「——えー、今日は特に何もないが、明日は部活説明会がある。興味がある奴は言ってみたら……って聞いてるかー、おい、そこ」

「……」

「そこだよ、俯いてるの!」

 担任の大声で目が覚める。

「は、はい!すいません!」と反射で答えた。うっかりしていた、考えていたら眠りかけていた。

 それにしても、「千野」……如月の発言がとてつもなく気になるが、今は忘れておこう。また聞いても得がない大声を聞く羽目になる。

 一限は確か学年合同で体育だったっけ?

 体操服に着替えて僕は一人でグラウンドへ向かった。



『はい、じゃあランニング三周してから始めるぞー!』

 拡声器の無機質な音が校庭に響き渡ると同時に百人弱の生徒が一斉に走り出す。

 朝から学年で、しかも初回の授業からランニング……明らかに各々不満そうな表情を浮かべつつも、少しでも抵抗を、と考えゆっくりと走っていた。途端、再び拡声器の音が響く。

『おい、もっと力入れて走れー、元気ないぞー!』

 その音を半ば無視していると、横から声が聞こえてきた。

「おーい、朝から生徒会長と話してたあっまぎー、あれどういう流れ?」

 ふわっと揺れる茶髪。如月である。

「こっちが聞きたい。生徒会長って? あと、先輩って」

 ちょうどよかったと思い尋ねると、朝のデジャブと言ってもいいぐらい同じ顔で驚いて止まった。

「……え? 千野先輩知らんの?」

「誰? 教えてよ」

「こりゃダメだ」

 そう言って如月は宙を仰ぐ。

「いくら陰キャだからってそれは……ね?」

 そして半ばあきれ顔でちらっとこちらを見る。思いっきりディスられた気がするが、今は先輩の件でいっぱいいっぱいなので無視した。

「知らないものは知らないんだから教えてよ」

「……ま、千野先輩と話す機会ができたからいいか」

 独り言のようなものをつぶやいた気がしたがそれも聞かなかった振りをする。流石にここまで話をしているとそろそろ教師の怒号が……

『如月! お前放課後職員室な』

 案の定投げられた言葉のブーメランはあろうことか、生徒全員に聞こえる声で、如月単体に思いっきりぶっ刺さった。僕は? 陰キャだから存在感ないのさ、はは。

 かくして如月は泣く泣く喋らなくなるかと思ったら、そんなことはなく「じゃあ一限後呼んでくるから待っといてね」と笑顔で喋っていた。もちろん怒号も添えて。



「すまん、すっかり名前でわかると思ってた。しかも同級生じゃなかったのかよ……」

 予定通り一限後の休み時間、人目につかない廊下に僕たち三人は再び集まっていた。

「そうだよー、天城が千野先輩の名前を知らないレベルの陰キャだったとは……」

「すいません、ほんとに知りませんでした……」

 三人そろって深いため息をつく。


 話を聞くに、千野先輩はいわゆる「学校の顔」的存在としてこの学校を引っ張っているらしい。如月がイケメンと言うのも納得で、制服の着こなし方、性格、控えめだけど抑えすぎてもいない髪、すべてがキラキラしていた。道理で先輩と歩いてたらすれ違った人がものすごい勢いで振り向くわけだ……

 そう言ったら如月にめちゃめちゃ説教された。どんな内容か話すと日が暮れるからここでは割愛しておこう。長すぎるから。


「……ま、そーゆーことで、千野先輩の時間を束縛すると学校の存続に関わるからもういっちゃってください!僕から天城にしっかり説教しておくので!」

 如月に促されるまま僕も頭を一応下げると、彼は苦笑いしつつ「如月も天城も遅刻すんなよー!」といって去っていった。


 ん?

 如月は遅刻しないんだけど……

 勝手に巻き添えにされて申し訳ないなと思って振り向くと「千野先輩に名前を呼んでもらえた……!!」と、全く僕の想像とは違うところで、全く共感できない喜びを感じていた。どうやら問題なさそうだ。

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