茶色の小瓶
あれは小学1年生の頃だったろうか。
お金持ちの家にはピアノがあると思い込んでいた当時の私に、何ゆえ両親はエレクトーンを購入し私に習わせようとしたのか。未だに理解することはできないが、当時、私はヤマハ音楽教室でエレクトーンを習ったことがある。
はじめのうちは実母に連れられて通っていた気もするが、私に愛情のない実母は面倒くさくなったのだろう。しばらくすると、学校の帰りにひとりで行って来いと言い出した。
習いたいと頼んだ覚えもなければ「なんでエレクトーンなんだよ」と思いながら、小1の私は教室の前を通り過ぎ、いわゆるバックレを試みた。それが意外にうまくいったもんだから、それっきり私はヤマハの音楽教室を辞めた。そう思うと、あれが私のサボタージュ癖の始まりなのかもしれない。
ああ、あのまま続けていたら音大でも出て有名なエレクトーン奏者になっていたかもしれない?…まさかそれはないか。
しかし、親が子供の素質に期待を込めて習い事をさせることによって才能を開花させ、芸術家やアスリートになっているのは間違いないのではないか。
アドルフ・ヒトラーのような実母のもとに生まれ、些細な反抗を繰り返しながら育ってきた私には、そもそも何の才能もなかったのだろう。あの時こうだったら…などと考えることは、考えるだけ時間の無駄というものである。
こんな愚痴だらけのことならズラズラと書いていられるのに【文責:たもと】のような公的文書になると、考え過ぎてちっとも指が動かなくなる。早く解放されたいとも思うが、同居のヒトラーがいることで私には定年というパラダイスは望めない。
どうする家康が終わればまた一週間のはじまりです。
【エピソードタイトル解説】
某アルコール飲料のCMソングになっている『茶色の小瓶』は、一度だけの、最初にして最後の発表会で演奏した曲である。
両手で段違いのキーボードをたたき、短い足で足元の鍵盤を操るなんて、そんな技量を私は持ち合わせていなかったに違いない。
沖縄出身の某女優が、口のまわりに泡をくっつけて美味しそうに飲んでいるあの手の飲み物。みんながみんなあんな風に飲めるわけじゃないのですよ。なんなら、採血時の拭き取りに用いられるアルコール消毒にさえ拒否反応が出てしまう私。はじめから小瓶との縁はなかったようです。
弱音や不満や憤りをぶつける場がないって、ホント辛いっす。迷路に迷い込んだ老いぼれのどぶねずみ…
ええ。きっと私はどぶねずみ以下の価値すらないことは重々承知しておりますとも。
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