第6話東条空は臆病者(5)

「先輩、大丈夫ですか?」


 俺が呆気に取られていたせいか、桃坂は心配するように、どこか大人が子供をあやす様な面持ちで窺ってきた。


「あぁ、大丈夫だ。ありがとな、お前のおかげでバスケ部への未練はなくなったわ」


 そう告げながら、俺は昔のことを思い浮かべていた。それは、かつて俺が望み、叶うと思い、そして、諦めてしまったことだ。


 つい、昔のことを忘れそうになる。言わなくても心で通じる、言われなくてもわかり合える。そんなことは絶対にありえない幻想だとわかっているのに。そこに存在せず、触れることすらできないから幻なのだ。なのに、俺はその幻に触れている気でいたのだ。


 きっと、漫画やラノベの主人公ならそんな関係性が存在したかもしれない、だけど現実はこうも残酷で、淡い希望さえも抱かせてはくれない。


 俺は過去のトラウマからどこか人を信用することに恐怖を抱き、中学から解放された今でも、みんなが話しているのを聞き、タイミングよく相槌をいれ、みんなが笑えば一緒に笑い、どこか空虚で形だけの友達という関係を築いているのだ。


 そんな上辺だけの付き合いを、俺がこの世で一番憎み恐れている関係を、俺自身が過去のトラウマを克服できずに踏み出すことができないのだ。嘘やその場凌ぎの曖昧な態度で周囲を欺き、みんなの顔色を窺い、あまつさえ自分にすらも嘘をついている。


 ……一番の大噓付きは俺だった。


 俺は改めて自分の考えの甘さを実感し、もう二度と失敗しないために深く決意を固め、自分の心を奥深くに沈める。


 誰も俺を必要とせず、俺もまた誰も必要としない。環境が変わっても何も変わることがない。そんな、当たり前のことが今になってようやくわかった気がした。


「私は……、納得できません」


 俺が昔のことに区切りをつけたところで、桃坂は唐突に口を開いた。


「私は、もっと先輩とバスケがしたかった、もっと色んなことを教わりたかった、もっと先輩のことが知りたかった」


 桃坂はずっと我慢していたのか、手をグッと握りながら自分の想いを俺に告げてくれた。


「ありがとな。それに部活をクビになってもバスケはできるし、なんなら一緒に練習だって付き合ってやれるぞ!」


「それじゃダメなんです。それじゃ嫌なんです。あの体育館であの時間に先輩と一緒に練習してる時が一番楽しいんです。私にとっては特別だったんです」


 桃坂の告白に俺は正直、驚きを隠せずにいた。


「お前……、そんなに俺との練習を楽しみにしてくれたのか」


 ……知らなかった、気付けなかった。確かに俺自身最初は面倒だなと思っていたし、桃坂に教えるのがメインとなり、自分の練習が出来ずにいた。だけど、桃坂は俺が教えたことを全力でやり、教えたことが出来たときの達成感は桃坂にも負けないくらい嬉しかった。


 いつしか俺にとってもあの時間は特別なものになっていたのかもしれない。


「私は先輩と練習するのが毎日楽しみで、ワクワクしてましたよ? 今日は何を教えてくれるのかなーとか、今日も沢山褒めて欲しいなーとか思ってました。……でも、それもできなくなっちゃいましたね」


 俺に気を遣って無理に笑って見せているが、彼女の目元には雫が溜まり、夕日に反射してキラキラと輝いていた。


 こんな、知り合って間もないというのに、こんな俺に対してここまで思ってくれた人が過去に居ただろうか。


 だが、この状況で俺は彼女に何をすべきか、何をしてあげられれば彼女の想いに答えてあげられるのか、過去の経験則では何の役にも立たない。だから、今俺ができる彼女にしてあげられることを、精一杯伝わるかはわからないけど、俺は誠意を込めて口を開く。


「桃坂、これからは部活の先輩後輩ではなくなるが、それでも俺を先輩として慕ってくれるか?」


 今の俺にはこんなことくらいしか言えない。本当に情けないと自分自身で呆れてしまう。


 桃坂の想いを信じたい。だけど、それを信じ切れてない自分が心の中に居て、こう囁くのだ。


「本当にそれがお前だけに対してなのか、他の誰でも同じ状況ならこうしていたのではないかと」


 確かに、全ての事が偶然に起こり、俺と桃坂の関係が成り立っているのならそれは運命などではなく、ただの偶然だ。偶然で起きた事に意味を与えてはいけない。それは、自己満足にすぎないから、自分の都合良く物事を解釈してしまうから。だから、これで桃坂に断られたら、彼女との関係も終わりにしよう。そう思っていると、桃坂は声を大にして確かな言葉を口にする。


「当たり前じゃないですか! 先輩に関わるなと言われても私は関わり続けます」


 より一層真剣な表情で俺を見据え、伝えてくれた。


 ヒグラシの鳴き声が響き渡る中、俺には桃坂の放った言葉が耳に残り離れない。


「どうしてだ? なんでそんなに関わろうとするんだ? 仮に、関わるなって言われたら普通拒絶されたと思って関わるのをやめるだろ?」


 拒否された時点でその関係は終わるものだと俺は思っていた、なのに桃坂は関わり続けると言った。その考え方を俺は知らない、いや、だからこそ桃坂の考えていることを俺は知りたいのだ。


「確かにそうかもですけど、だけど、それって自分勝手じゃないですか?」


「自分勝手?」


「はい。だって、関わるなと言った人はいいかもですけど、なら、言われた人の気持ちは考えないんですか?」


 言われた方の気持ちか……。やはり桃坂の言葉は俺も考えたことのないことだった。関わりを持つことを拒絶された時点で関わりを断つ。それが自然の考えだと思っていたから。


「そもそも、その当人に何か原因があるからそうなってるんじゃないのか?」


「なら何がいけなかったのか話し合えばいいじゃないですか」


「いや、話し合ってその人の要望を受け入れ、その関係を続けてもそれはその人の本当に望んだものなのか? そんな関係に何の意味がある?」


 自分のことを棚に上げてよくこんな言葉をペラペラ語れるなと自分に呆れてくる。


 だが、相手から拒絶され、その関係を修復する条件として、その人の望む対応をしてその関係を継続することに果たして意味はあるのだろうか。


「確かに先輩の言う通りですね。でも、私はそれを正解だと思いません」


 いまいち桃坂が言っている言葉の道理が分からない。桃坂はその意味を補足するように言葉を続ける。


「それで関係を断ってしまうのは所詮その程度の関係ということですよ。その人に合わせてまでその人との関係を継続させるって別に私は悪いことだとは思いません。要するに考え方を変えるんです」


 桃坂は話をしてくれてはいるが、それでも俺には理解が及ばず終始、腑抜けた顔をしていたに違いない。


「その人と関係を保つために合わせるのではなく、その人と関係を保ちたいから合わせるんです。お互いの欲求をぶつけ合ったらそれこそ支離滅裂ですよ」


 やっと桃坂が伝えたいことがわかってきた気がする。


 確かに関わりを保ちたいから、要は自分がその人の近くで関わりたいからその人に合わせる、それは少しだけ理解できたが、まだ反論したい気持ちは残っている。だが一つ理解できたのは、お互いの欲をぶつけ合っていたらそれこそ、晩ご飯でハンバーグが食べたいのに魚が出てきて喧嘩をするなど少し大袈裟だが大体そんなところだろう。


「自分が関わり続けたいと思う人の為なら仕方がないなーとか、色々折り合いをつけて妥協できるはずです」


「妥協して関わり続けてそれは幸せなのか?」


 果たしてその妥協の先に俺が求めている答えがあるのだろうか。


「好きな人の為なら私は妥協してもいいですよ? それに、好きな人の為なら多分妥協していることに気付かないと思いますよ? だって、その人と居られるだけで幸せなんですから」


 好きな人の為か……。本当に人のことを好きになった経験がないため、正直実感は湧いてこないが納得はさせられた。


「一ついいか?」


「はい?」


「お前は何で俺と関わりを持つことを望んでくれているんだ?」


 先程から、桃坂の言葉を聞き一つの疑問が俺の中で蟠っていた。こんな一ヶ月余りの付き合いしかないのに、どうしてここまで俺との関わりを望んでくれているのだろうか。


「先輩は私にとって特別な存在なんです」


 特別。その響きを、その言葉を俺は欲していた。

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ぼっちな俺がひょんなことから校内一の美少女と謎の美少女とラブコメが始まったんだが…… 橋真 和高 @kazumadaiku

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