【最終章 みんな大切な人なのだから・3】
目にした光景に僕は息を呑んだ。目の前に広がっていたのは、見るも無残に崩れ落ちた家屋だった。まるで屋根を被せた瓦礫の山にしか見えないほどの凄惨な状態だ。
ただ、外壁を支える四本の通し柱のうち、シロアリにやられていた一本だけはかろうじて崩れずに残っていた。三浦くんが修繕を行った柱だ。その一本が踏ん張り全壊を食い止めている。
山下さんの旦那さんは僕らの姿を見つけると声をかけてきた。
「あつ、本社さんとあずささん、来でぐれたんですね! 咲が……この中にいるんです!」
山下さんは憔悴し、ただおろおろと崩れた家の隙間を覗き込むことしかできないでいる。
一歩遅れて工務店の皆も到着した。ありちゃんも事態を察したのか、工務店のスタッフを全力で追いかけてきた。
懐中電灯で崩れた家の隙間を照らしてみると、遠くに倒れ込んだ咲ちゃんの頭らしきものが見えた。声をかけるがぴくりとも動かない。
「ああっ、咲……」
山下さんはひたすら屋根を持ち上げようとするが、人間の力の及ぶところではない。
とにかく、生きているのかどうかを確かめなければ。
僕はありちゃんを抱き上げると、崩れた瓦礫の隙間を覗かせて奥を指さす。
「ありちゃん、この中に入っていけるかな。あそこにお気に入りの咲ちゃんがいるから、様子を見てきてほしいんだ」
「ニャー!」
ありちゃんは僕の腕の中から軽やかに飛びだすと、瓦礫の隙間を縫いながら倒れたおかっぱ頭に向かってゆく。よし、いいぞ。
たどり着くと前足でちょんちょんと頭をつつく。
すると、咲ちゃんは力なく頭を上げた。
「猫ちゃん……?」
かすかに女の子の声が聞こえた。どうやら気を失っていたらしい。ありちゃんは僕らに向かってニャーニャーと鳴き叫ぶ。助けてあげてと哀願しているようだ。
「まだ意識があります、咲ちゃんは生きてます!」
「ああ、よかった……」
「だけど、こんなかからどうやって助けんだすんだべか」
状況を鑑みれば一刻を争う事態だ。しかも夕間暮れの時分で、うかうかしていると闇夜が迎えにくる。
救出するのに重要な問題は、どうやって崩れた屋根を取り除くかだ。工務店に置いてある重機を使えば動かせるが、持ち上げた屋根が折れて崩れ落ちれば咲ちゃんを潰してしまうことになる。古い造りだけにその危険性は非常に高い。
「本社さん……どうにかできないですか」
あずささんは涙目で僕に縋る。あずささんが家族を失った時も、同じような状況だったのだろう。
だから、けっして悪夢の上塗りなんかさせられない。そして何より、咲ちゃんを無事、助け出さなければならない。
考えるんだ。この屋根を崩落させずに持ち上げる方法を。
思い出せ。この家の構造を。絶対、どこかに良い手段はあるはずだ。
手がかりを探すんだ。そして、使えるものはなんでも使うんだ。
元の家の設計を思い出し、壊れた現状の構造をイメージする。
それから瓦礫を覗き込むと、咲ちゃんの向こう側にわずかな隙間を通して空の色が見えていた。
そうだ!
その光景を見た僕の脳裏には、あるアイデアが浮かび上がった。
僕は集まった工務店の皆に向かって叫ぶ。
「皆さん、どうか聞いてください。これから、この屋根を丸ごと持ち上げようと思います」
「ええっ、そんなこと、どうやってやるんだべか」
「理屈を話している時間はないんですが、今日、祭りで三浦くんが催し物に使った弓矢のセット、光之くんの釣り道具、それから事務所に置いてあったワイヤーを持ってきてください。あと、支店長はショベルカーをここまで運転してきてください」
「なんで弓矢と、釣り道具なんだべか。でも、ここは本社さんに賭けてみっか」
「よっしゃ、みんな行ぐぞ!」
皆は僕の言葉を信じ、メロン工務店に向かって走っていった。
ありちゃんは瓦礫の中で咲ちゃんに寄り添っている。本人(本猫)は励ましているつもりなのだろう。
「本社さん、どうするつもりなんですか」
「この家、古い造りですから天井下に太い
「はい、ちゃんと覚えています」
僕はあずささんと瓦礫の隙間を照らして覗き込む。斜めに倒れている梁が見える。
「一番頑丈な梁、あれをそのまま持ち上げることができれば、中に入れます」
「でも、どうやって……」
「僕だけじゃ無理です、皆の力を合わせないと」
しばらくして、三浦くんが弓矢を手に戻る。僕は三浦くんとふたりで瓦礫の隙間を覗き込む。
そして、僕が指差したのは、幅二十センチあるかないかの狭い空間だ。その先には夕間暮れの空がある。
「三浦くん、矢を放ってあそこの隙間を通してほしいんだ」
「ああん、本社さん、何考えてんだ?」
「それも、光之くんの釣り糸をつけてだ。頼む!」
三浦くんはそれだけで僕の意図を察したようだ。
「なるほど、そいで屋根を持ち上げる寸法だな。矢を通すのは勝手が難しいけんど、何度かやれば上手くいぐかもしれねえ」
「出来そうか?」
「出来る出来ねえの問題じゃねえだろうよ、託されたがらには成功させるのが男ってもんだ」
光之くんが
その間、三浦くんは目を瞑り、深呼吸をして精神統一を図る。
それから瞼を開け、構えて矢を添え、慎重に弦を引く。辺りはびりびりとした緊張感で満たされる。そして矢は放たれた。
ひゅっ、カツン。
しかし、矢は梁に当たり、あえなくその場に落下した。狙っていた隙間からは程遠い。
「くっ、もう少し下だったか」
糸が繋がっているから、空気抵抗のせいで方向の調節が難しいのだろう。
光之くんはリールを巻き、矢を引き寄せて回収し、三浦くんは再び矢をつがえる。
三浦くんは糸にかかる抵抗かき消すために、より力強く弦を引く。
そして再び、矢を放った。
すると、今度は音がしなかった。すかさず崩れた家の向こう側へ回り込むと、通り抜けた矢が草むらに落ちていた。糸はしっかりとつながっている。
――よしっ、第一関門通過だ。
「光之くん、釣り糸の先にワイヤーを結んで!」
「あいよっ!」
光之くんはこの緊迫した状況の中でも、指先を震わせることなく糸とワイヤーをつなぎ合わせる。
そして家の反対側に戻り、釣り竿を手に取り慎重にリールを巻く。
すると、引かれたワイヤーは瓦礫の中に吸い込まれてゆく。僕は懐中電灯で瓦礫の中を照らし、光之くんは釣り竿を操り瓦礫に取られないようにワイヤーを引き寄せた。
そして僕は、梁の下を通したワイヤーを手にすることができた。
――よしっ、第二関門も突破した。
反対側のワイヤーに
「次は支店長の出番です」
三浦くんが両手を振って合図をすると、ガラガラと鈍いローラーの音を響かせショベルカーが接近する。
支店長は顔を運転席から出し、微調整をしてバケットを崩れた屋根の直上に位置させる。
三浦くんは手を伸ばし、ワイヤーをショベルカーのバケットに引っ掛けた。
「それじゃあいぐぞ!」
そしてショベルカーのアームが上昇すると、屋根がみしみしと
咲ちゃんの両親は祈るようにその様子を看守する。
徐々に屋根の下の空間が広がりを見せてゆく。薄明りが差し込み、咲ちゃんの姿を照らしだす。
両脚が瓦礫に挟まれ動けないでいるようだ。縋るようにありちゃんを手を伸ばしていて、その手の動きからすれば意識は保たれているようだ。
しかし、持ち上げた天井は不安定に揺れ、瓦礫の破片がぱらぱらと落ちてくる。もしも余震が来たらかなり危険だ。急いで指示を出す。
「そこで止めてください!」
僕はためらわず、空いた瓦礫の空洞に自ら踏み込んでゆく。
「咲ちゃん、助けに来た!」
すぐ目の前までは近づけたが、崩れた
「だめだ、あとちょっとなのに!」
僕が振り返りそう叫ぶと、立ち上がったのはあずささんだった。
瓦礫の中に分け入ってきて僕にこういう。
「わたしだったら入れます。本社さん、代わってください!」
「気をつけてください。梁がもたないかもしれません」
「わかっています、でも、わたしが絶対、助けますっ!」
僕はその気迫に圧倒されてすかさず身を引いた。
あずささんはかつて家族を助けられなかった後悔を今、乗り越えようとしているのだ。
今度こそ、あずささん自身が咲ちゃんを助けなければならない。
あずささんは行く手を阻む瓦礫の隙間に上半身を滑り込ませる。そして、咲ちゃんの手をしっかりと握った。
「咲ちゃん、助けに来たからねっ!」
「あっ、あずさお姉ちゃん……」
「あずささん、咲ちゃんの手を離さないでいてください。一気に引き抜きます」
僕はあずささんの腰に手を回してしっかりと抱きかかえ、力を込めて瓦礫の間からあずささんを引き抜く。
一瞬、あずささんが僕と初めて会ったとき、僕を用水路の中から救い出してくれた時のことが脳裏を過る。
ずりずりとあずささんの体が引き抜かれ、同時に咲ちゃんの足も瓦礫の山から抜けだす。あずささんの全身が抜けたところで、ふたりで咲ちゃんの手を掴み、一気に救出した。
「あずささん、先に出てください!」
「はいっ!」
僕はあずささんを先に脱出させ、咲ちゃんを抱きかかえて身を屈め、出口へと向かう。ありちゃんも外へ飛び出した。
そしてあと数歩で外の世界に戻れる、そのときだった。
地面が再び激しく揺れ始める。
家全体が悲鳴のようにうなり、瓦礫が崩れ落ちてくる。
「まずいっ、余震かっ」
突然、鈍い衝撃を背中に受けた。ひどい激痛が走り、身体の動きが封じられた。
「ぐっ……!」
かろうじて倒れずに堪えたが、僕の背中には崩れた柱がのしかかっていた。けれども、咲ちゃんだけはどうにかしなければ。
「あずささん、咲ちゃんを受け取ってください!」
「はいっ、でもっ!」
「僕は構いません、とにかく咲ちゃんをっ!」
あずささんは身を滑り込ませ、動けないでいる僕から咲ちゃんを受け取った。その瞬間に手と手が触れ、僕はその温度をしっかりと記憶した。
あずささんは、崩れるように瓦礫の山から飛び出した。僕は激痛の中で胸を撫でおろす。
木々の折れる音が僕の聴覚を支配し、埃の匂いが鼻につく。天井が崩落してゆくことを僕は認識していた。
そして、瓦礫の中、ぽっかりと空いた遠い出口には、かけがえのない人の姿があった。
――悲しそうな顔なんて、もうしなくていいんですよ。
僕は生涯最高の強がりで親指をぐいっと立ててみせる。崩れてくる天井を支えている全身は、もはや限界だった。
そして怒涛の崩落の音とともに、全身が圧迫され、僕の意識は漆黒の暗闇に支配された。
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