【最終章 みんな大切な人なのだから・4】

 ★


 横たわる僕の周りには鮮やかなブルーの花が咲き乱れている。見慣れない風景に驚き起き上がると、澄んだ空の下には花園が広がり、微風が泳いでいた。


 ――美しい。けれども、ここはどこなんだ。


 呆然とする僕の隣には人の姿があった。栗色をしたストレートヘアで、僕がよく知る女性の背中姿だった。


 彼女自身もまた一輪の花のように、風景に溶け込んでいる。


「あずささん」


 呼びかけるが、あずささんは気づかず空を仰いでいる。風に乗せるように言葉を紡ぎ始める。


「本社さん……今、ひたち海浜公園ではネモフィラが見頃なんですよ。小さなお花で、空のように青くて、とってもかわいいんですよ。わたし、本社さんと一緒に見たかったです……」


 僕は辺りを見回し、これがネモフィラの花畑なのだと初めて気づいた。そして、そういうあずささんの純朴な横顔は、僕との未来をこいねがうようでもあった。


「あずささん、僕はここにいますよ。一緒に見ているじゃないですか」


「いつでも隣にいたかったです。できれば、ずっとずっと一緒に……」


 僕の声はあずささんの耳に届いていない。僕は叫ぶように声を振り絞る。


「僕はちゃんとあずささんの隣にいますよ、いつだって!」


 するとあずささんは振り向き、驚いたような表情をした。


「本社さん、今、喋りましたか……?」


「はい。あずささんの声も、ちゃんと聞こえています」


「ああっ、本社さん、本社さん、本社さん――っ!」


 僕の意識はあずささんの声にいざなわれるように、次第に明瞭になってゆく。風の中にアルコール臭や、汗のにおいが混じり混み次第に色濃くなる。


 口の中にはかすかに血の味を感じた。


 全身のいたるところで心臓の拍動に合わせた痛みが鈍く波打つ。


 どこか遠くの方から、規則正しい機械音が聞こえてくる。その音は次第に大きさを増してゆく。あずささんの僕を呼ぶ声が、次第に確かな現実となってくる。


 包む雰囲気の変貌に、僕は自分の置かれた状況をようやっと理解した。


 そうだ、僕はあのとき確か、地震で崩落した家の屋根に押し潰されて――


 重い瞼を開くと、最初に視界に映ったのはあずささんの泣き顔だった。背景には無機質なオフホワイトの天井で、僕は鋼鉄製の柵が備えられたベッドに横たわっていた。ああ、ここは病院なんだ。とりあえず生き延びていたようで安堵した。


「本社さんっ、目が覚めたんですね!」


 あずささんは僕の起きぬけの顔に安心したようで、ひどく崩れた顔で涙をこぼしている。


「あずささん、美人が台無しですよ……」


 そういいながらも、あずささんは涙顔も綺麗な人だと思う。


「本社さんたら、あんなに無理しちゃってっ!」


 身を起こそうとすると、全身に激痛が走り、その痛みで自分の身に起きた災いの程度を自覚した。


「無理は駄目です。大怪我を負って意識不明だったんですからね」


「はい……あっ、咲ちゃんと大子の町の人は大丈夫だったんですか?」


「他の人の心配をしてる場合じゃありませんよ、本社さん。一番大変だったのは本社さんなんですからね」


 どうやら大きな地震だったが、死人は出なかったようで何よりだ。メロン工務店の修繕のおかげで持ちこたえた民家も多々あったのだろう。


「はは、少しは役に立ててよかったです」


「もうっ、わたし、心配で心配で眠れなかったんですからね」


「じゃあ、今日は爆睡決定ですね」


 左足の粉砕骨折、骨盤骨折、それに肋骨骨折。どうやらだいぶ骨が折れる災難だったようだ。ただ、後遺症が残るような損傷ではなかったのは幸いだ。


「いやぁ、地震って本当に怖いものですね」


「金曜ロードショーの後に流れる昔の名セリフをもじっても笑いませんからね」


「あ、知っていましたか。意外とレトロなんですね」


「父の受け売りです。今のわたしに冗談が通じると思っているんですか?」


 あずささんはいまだに涙声で、けれども希望の色を湛えた涙は見せられても辛くはない。僕は生きている、そのことに涙してもらえるのなら男として誇らしくもある。


「でも、あずささんの提案した修繕がなければ、咲ちゃんは助からなかったでしょうね」


「いえ、そんな。本社さんのおかげですよ」


「それを言ったら、みんながいたからですね」


 けれども詳しく聞いたところ、被害は軽くなく、復興までには相当な時間がかかりそうだということだ。


 特に、佐竹さんは様々な事業を営んでいるために、震災の対応に追われて首が回らなくなっているらしい。


「そうなんですか……」


「しかも大子は交通が不便なので、復興支援のために名乗りを上げる大手の業者がいないのも大きな問題なんです。以前の震災の経験からすれば、自助努力でなんとかするしかないとのことでした。工務店もさっそく大忙しで、避難所の支援に回っています」


 あずささんは困惑した表情をしている。けれどもその困り顔を見ると、全力で力を貸したくなってしまう。


 だから、考えるんだ、僕が大子のためにできることを。


 そのとき、僕の脳裏にはインスピレーションが沸き起こった。まるで散らばったパズルが綺麗に揃ったような、整然としたアイデアだ。すぐさまあずささんにお願いする。


「あずささん、是非手伝ってほしいことがあるんです!」


「……え、手伝いですか?」


 もしかしたら、すべてが上手くいくかもしれない。だけど、それにはあずささんの協力が必要不可欠だ。


「はい、あずささんがお父さんと昔、撮影した大子の名所の写真、スキャンして保存し、パソコンごと持ってきて欲しいんです。出来ますよね」


「はい、でもどうして……」


「あずささん、これからあずささんは、僕と一緒に賭けに出てもらうんです」


「賭け、ですか……?」


 きょとんとした顔をしているが、そのあずささんが大子復興の鍵になる人なのだ。


「そうです。大子の、大子による、大子ための大きな賭けです。しかも、今度は嘘なんかじゃなくて、正真正銘、本物の魅力で説き伏せてやろうと思ってるんです」


「説き伏せるって……誰をですか?」


 そこで僕はにやりと笑って答える。


「頭の固い連中ですよ」


 聞いたあずささんは訳が分からないようで、小首をきゅーっと傾げていた。


 ★


 二週間後、退院したばかりの僕は車椅子姿で本社の会議室に踏み込んだ。左足にはまだギプスが装着されている。


 コの字型に並べられた仰々しい長机には、グリーンホーム本社の経営陣が勢揃いしていた。


 重鎮が集う経営戦略会議で僕のような若造が発言できる機会を得られたのは、ひとえに部長の計らいによるものだ。正しい表現をするならば、計らってもらえるように頼み込んだわけだ。


 しかし、経営陣の僕を見る目は厳しくそら恐ろしい。油断をすれば容易く飲み込まれてしまいそうな空気がそこにはあった。


 それでも僕は怯むわけにはいかない。まずは深々と頭を下げ挨拶をする。


「本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」


「早く済ませてくれ、議題は山積みだ」


 ひとりが不満気に口を挟むと皆は同意して頷く。すでに門前払いの雰囲気満載だ。


 そこで僕は即座にスライドを表示させる。入院中に作成したもので、スライドのタイトルは『だいご通信』としておいた。


「本日お話しさせていただくのは、先日起きた茨城の震災に対する、グリーンホーム本社による支援事業の提案です」


「それはまったくもってメリットのない話だ」


 まるで検討する余地もないと決めつけたような物言いだ。


「はたしてそうでしょうか。実は、私は半年強、この地に赴任させていただき、大子の町の特色を知りました。そこは魅力がたくさん詰まっている土地で、四季折々の楽しみがあるにもかかわらず、それらの多くが東京の人々に認知されていないのです。そのことは、大変もったいないと思いました」


「その田舎町のどこが面白いと? 那須や軽井沢と比べられるのかね」


「では、その魅力につきましては、現地の提携会社のスタッフにお越しくださいましたので、その方に紹介をしてもらいたいと思います」


 そして扉の外で待機させていたあずささんを会議室に招き入れる。緊張していないか懸念したが、僕の心配をよそにあずささんは颯爽と登壇し、物腰柔らかな自己紹介を済ませた。


 お客さん相手に培われた、何ひとつ嫌味を感じさせない立ち振る舞いには、今更ながら感心させられる。


 あずささんに向けて目で合図をすると、あずささんは小さく頷いて話し始めた。


「それでは茨城県大子町の魅力について紹介させていただきます。わたしはこの地で生まれ育ち――」


 あずささんは流暢な標準語で、四季折々の大子の魅力についてプレゼンテーションを進めてゆく。奥久慈しゃもや渓流の魚、さまざまな観光名所、多々ある温泉、それに人情ある人々や催される祭についても。


 さらにタイトルの『だいご通信』の元となった、住民へのお便りとその写真も紹介した。愚直な手書きの手紙は、機械で書かれた文字ばかり目にするようになった重役たちに懐かしさをもたらすだろうと僕は考えたのだ。


 当初は懐疑的だった重役の面々も、次第にあずささんの美しい歌声のようなプレゼンテーションに聞き入り、会議室の雰囲気はコンサートホールさながらに感じられた。


「――そんな、わたしが愛している大子の町が震災に襲われ、多くの町民が先の見えない避難生活を強いられています。もしも皆様のお力をお借りすることができましたら、有難いことこの上ありません」


 話し終わったあずささんは、肺の中の空気を吐き出してから深く腰を追った。どこからともなく手を叩く音が起き、皆に伝播してゆく。


 お情け程度とはいえ、拍手が起きたことは奇跡にも近い。重役たちは、あずささんの澄んだ声に心酔しているのは間違いなかった。綺麗な標準語であったことも奏功しているだろう。


 けれども会社の経営戦略は好感度とはまた別の問題だ。すぐさま辛辣な意見が飛び交う。


「確かに、大子は交通の便が悪い。だから、実際に復興支援を行うとなると現地に滞在しての作業になるだろうが、そうなると人件費がかかりすぎる。第一、宿泊施設が確保出来ないだろう」


「仮設住宅建設の受注は将来性がない。経営が逼迫している負け犬企業に任せればよい話だ。どこに我が社のメリットがあるのだ」


「大体、その女性のプレゼンテーションは秀逸だったが、本当に大子の提携会社の人間なのか?」


 これらは皆、予想できた質問だ。けれども僕だって丸腰でこの場にやってきた訳ではない。対策も十分に立ててある。


「復興庁に確認しました。復興対策事業費は余剰がありますが、まだどこの企業も名乗りをあげていないようです。それを申請し本社の負担を軽減します。


 また、おっしゃる通り、仮設住宅のように一時の避難措置のために人的資源と金銭を投入するのは将来性がないと思います。ですから、グリーンホーム本社が出資し、復興対策事業費と合わせ、コンドミニアムを建築します。それなら短期間で実用できます。


 そして、グリーンホーム本社の提携会社に声をかけ、手が空いている職人を集めて滞在させ、短期間で施設の拡充、復旧可能な家屋の復旧、それに損傷を受けた観光施設や企業の修繕をおこないます。


 整備が済みましたら、以後は宿泊施設の拡張と並行してプロモーション活動をおこない観光客を誘致すれば、最少の経費で持続的な利益が得られます。地域にとっても、我々にとっても高い経済効果があると思います」


 僕の提案に皆、目を見張る。我ながら無駄のない戦略だと感心しているが、これだけで納得してもらえるとは思えない。重役のひとりが口を開く。


「それは口で言うのは簡単だが、短期間で実行するのは難しいに決まっている。なぜなら、常に土地の入手がボトルネックになるからだ。住民の抵抗にはうんざりさせられてばかりだ」


 すると、今度はあずささんが手を挙げて答える。


「実はわたしの知り合いで家が倒壊し、避難している方がいらっしゃるのですが、その方は広い空き地を所有しております。三千坪では足りませんか?」


「さっ、三千坪だとっ!?」


 それは山下さん、つまり咲ちゃんの家のことだ。家の辺り一帯は雑草だらけだったが、その空き地は山下さんの所有する土地だったのだ。買い手があるはずもない荒れた土地なのだが、この提案はまとまれば双方ウィン・ウィンに違いない。


「もしも話がまとまった場合、その土地を買い取らせていただけるかどうかについてはすでに打診してあります。実のところ、二回返事で了承していただいています」


 なんと、と驚きの声が上がる。


 皆が驚くのも当然だが、信頼のおけるあずささんがお願いすれば、話が円滑に進むのも納得できる。


 事前の交渉は、僕の想像力とあずささんの信用度があってこその戦略だった。


 提案された将来像に圧倒される経営陣に対し、あずささんは最後の秘策を繰りだす。


「大子の町が復興でぎだら、皆様にはぜひ慰安旅行としてお越しいだだぎでえど思います。養鶏場がら直送の奥久慈軍鶏さ味わい、温泉で日頃の疲れ癒してください。紅葉の頃がおすすめですよ。そのときは丁重におもでなしさせでいだだぎます」


 こてこての茨城弁へのスイッチに皆、一瞬にして顔の筋肉が緩む。


 あずささんが標準語でプレゼンテーションをしたのは、正確に大子の魅力を伝えたかったからだが、このギャップを生みだすための布石でもあったのだ。


 東京の男にとって、あずささんの方言は心臓を鷲掴みにされるほど可愛らしく聞こえるだろう。


 なにせ、この作戦を考えた僕ですら聞いて心酔してしまっている。


 けれども、あずささんの魅力で容易く口説かれる経営陣であるはずはなかった。さらに目的達成に必要な条件が突きつけられる。


「もしそうすれば、施設の管理ができる人間が必要だろう。人事には常に頭を捻るんだ。東京で勤務している本社の人間の誰が、大子に長く勤務することを了承するというのだ」


 だが、僕はその言葉を待っていたのだ。それは、僕が本社の人間でありながら大子で生き、そして大きな仕事を任せてもらうための唯一の方法だ。


「はいっ、ここにいます!」


 僕は大きく手を挙げた。あずささんは驚き目を見張っている。


 これはまだ、あずささんにすら明かしていなかった僕の決断だ。経営陣がわずかでも実現の可能性を考慮し、人事にまで踏み込んだ議論になった場合に、はじめて口に出すつもりだった。


「もしもこの企画が通りましたら、僕がグリーンホーム直営の施設運営に携わりたいと思います。未熟者ではありますが懸命に勉強し、本社のために尽くしたいと思います」


「ほっ……本社さん……」


 僕はあずささんを見て、瞼でそういう意味なのだと伝える。あずささんの心の風がふわりと舞い上がるのを僕は感じた。


「もしもこのプロジェクトが成功すれば、グリーンホームの経営戦略は今後、震災発生時における復興シナリオのモデルになるかもしれません。どうかご英断をお願いします」


「お願いいたじます」


 僕らはふたり、深々と頭を下げる。


 会議室は、時が止まったかのような静寂で満たされた。


 僕は自分が思いつく最大限のことをしたつもりだ。あとは経営陣の判断に任せたい。


 しばらくの間があってから、最奥に鎮座する取締役が口を開いた。思いの他、やわらかい口調だった。


「ありがとう、それでは検討させてもらう。なにせ、社の未来にも大きく関わりそうだからな」


 その言葉は、僕の想いは通じているのだと伝えていた。まるで宵闇に映る星空のように、僕の中で眩しく輝きだす。


 僕があずささんに恋をしたあの日の、こぼれ落ちる砂銀の夜空のように。

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