【かけがえのない思い出・2】

 ★


「すみません、突然お邪魔してしまって」


「ああ、『本社さん』だったな、遠慮せず上がってくれな」


「ありがとうございます、店主さん」


「拓海でよかっぺよ。皆、そう呼んでっから」


「恐縮です、拓海さん」


 病魔を克服した僕が訪れたのは、「陶磁器工房タクミ」、あずささんのおじの店だ。店主の拓海さんは僕のことを覚えてくれていて、突然の訪問に驚いた顔をしていた。


「あずさは一緒じゃねえんだな?」


「はい、ひとりで伺いました。それに、あずささんには内緒にしておいてほしいんです」


「内緒に?」


 すると拓海さんは黙りこみ、しばらくの間を置いてから口を開いた。僕の意図をうかがうような表情だ。


「……じゃあ、用件はなんだっぺか」


「はい、陶芸を教えてほしいんです。体験教室をやっていると聞きましたので」


「そか、今はちょうどお客さんいねえがら、ゆっくり時間が取れるべさ」


 そういって、拓海さんは僕を奥の工房へと案内してくれた。


 工房はむき出しの土壌の上に、手作りの木造の机と椅子が並べられているだけの簡素なものだった。机の上には電動のろくろが並べられている。


 傍らには煉瓦れんが造りの四角い焼き窯が設置され、その隣には円形の白い電気釜が置いてあった。煉瓦づくりの窯は年季もののようだ。


 工房は湿った土の匂いと、冷えた鋭い空気で満たされている。冬の風に吹かれて、古くなったトタンが寂しげな音を立てている。


「九年前の震災で、三づあったうち二づの煉瓦の釜が壊れちまってなぁ。書き入れ時はやむなぐ電気釜で賄っているんだ」


「そうなんですか、残念ですね」


 僕は椅子に座り、ろくろを前にして深呼吸し、まずは気持ちを落ち着けた。


「どんなのが作りたいんだ」


「湯呑みです。ごく普通の大きさの、派手でないものがいいです。なるたけ、同じ形のものをふたつ作りたいんです」


「ふたづ、か」


「はい、ふたつです」


「……わがった。だが全ぐ同じものは手作りでは作れねえぞ」


 以前この工房を訪れた時、展示されているすべての陶磁器は違う表情を見せていると僕は感じた。そのときは訊くことができなかったけれど、今こそはと思い尋ねてみた。


「どうして同じものは出来なんですか」


「それはな、作り手はひとつ作品を仕上げると、それまでの自分では無ぐなっからだ」


「それまでの自分ではなくなる、ですか」


「ものづくりっていうのは、そういうもんだ」


 ああ、なんとなくわかる気がする。僕はこの大子の地に来て、現場の仕事を初めて手がけるようになり、それまでの自分とは何かが違っていることに気づいていた。


 現場仕事を経験すると、修理対象となる家材の手触りや匂いが、自分自身の中に染み込んでゆくのだ。そして、この大子の空気や、あずささんの健気な姿もまた、明日の僕を違った僕に変えていた。


 机上では得られないひとつひとつの経験が、向かい合う物事に対しての感覚を鋭くし、描く感情を豊かにしてくれているのだ。


 つまり、ひとつ作って生じた感性の変化が、次の作品に表れるから、ということなのだろう。


「みんな、何かを作りながら成長しているんですね」


「ああ、人間ってのはいづも同じではねえ自分で生ぎでるんだ。明日になればそれはもう明日ではねえようにな」


 同じ自分は二度と訪れない。もしそうだとしたらなおさら、今ここにいる僕を、ひとつの作品に込めてこの地に残しておく必要がある。


 僕がここにいた証を、あずささんの手元に。


 僕の目の前に赤褐色の陶土が置かれる。拓海さんも隣のろくろの前に座り、僕と同じ陶土を用意した。


「ちょうど作る予定だったし、口で説明すんのも苦手だから、見で学んでぐれねぇか」


 そう言って両手を桶に汲んだ水に浸し、陶土の塊を叩いて成形する。それからペダルを踏み、ろくろを回転させた。


 僕は拓海さんの手の動きを見逃さないように凝視する。


 両手で陶土を包み込むように持ち、すっと力を込めた。そして徐々に持ち上げると、陶土がまるで生きた動物のように、柔軟に、それでいて力強く、天井に向かって伸びてゆく。


 次に手のひらを返して抑え込むと、まるで主人に従順な子犬のように、粘土は素直に丸くなった。


「こうやって均一にするのが、土殺しってやつだ」


「ふうむ、分かりました」


「まずはここまでやっでみな」


「はい」


 ペダルを踏むと、ろくろがゆったりと回り始める。初めて乗る車を慣らすように、まずはペダルの遊び具合や加速の程度を把握する。


 粘土と向き合い、脳裏で造形をイメージし、拓海さんの手さばきの残像を追うように陶土を伸ばしていく。


 想像していたよりもだいぶ、力が必要だった。つい力を入れすぎて、陶土が派手に折れ曲がる。すぐさまペダルから足を外し、叩いて成形し、もう一度最初からやり直す。


 拓海さんは右手の指先を陶土の塊の中心に差し込み、左手を丸くして土の外側に添え、均一に力を加えながら土の壁を広げ高く引き延ばしてゆく。土の塊はまるで手のひらに吸いつくように優雅に形を変えてゆき、あっという間に湯呑みの輪郭に変貌した。


 切り糸を使ってすっぱりと土台から切り離すと、ろくろから土台を除けて湯呑みの原型を逆さに置いた。


 中心を取り、丸くなった針金のついた削り用のヘラで余分な陶土を削り、底の部分となる高台を仕上げてゆく。


 さすが陶芸家だ、完全に土を手懐けている感があった。


「見ているど簡単に思うだろ」


「はい……」


「じゃあ、続けてやっでみな」


 言われて土の塊に手を添えるが、僕の陶土は思うようにはいうことを聞いてくれない。なんとかそれらしい同心円状の構造を作ることはできたが、まるで理想とする曲線美を描けていなかった。不揃いな力の入れ方が原因だろう。


「もう一度やってみてもいいですか」


「いぐらでもやっでくれ、土が必要なら言っでくれればよかっぺよ」


 僕は拓海さんの言葉に甘え、時が過ぎるのも忘れ、夢中でろくろを回し続けた。


 思えば学生時代、一番好きな教科は図工だった。木を削って家を作ったり、彫刻を彫ったり、あるいはモーターと乾電池でおもちゃの自動車を作ったこともある。


 物作りが趣味だったといっても過言ではない。


 だから建設業界、それも大手のグリーンホームに就職できたことは、僕の夢が叶ったともいえた。クリエイティブな職種であることを誇りに思っているし、いつかは大きな仕事を自分が指揮できたらと願っている。


 そのためには、一時左遷されたとしても、必ず本社に戻り、会社に貢献し続けなければならないのだ。


 冬の夜は足が早い。いつの間にか辺りは薄暗くなっていた。拓海さんはストーブを焚いてくれていたが、それでも冬土の底冷えが、僕の足から体温を奪っていた。


 ようやっと完成したふたつの湯呑みは、拓海さんのシャープな輪郭の湯呑みと比べると、やや厚ぼったく、若干不格好に見える。黄金比のような美しい要素はどこにも見当たらなかった。


 それでも、家に置いてあっても恥ずかしくない程度の出来栄えになっていたから安堵した。


「初めでなのにこんだけのものが作れるなんて、だいぶ筋が良かっぺよ」


「いえ、ご指導の賜物です」


「土に向き合うときの真剣な目は、なかなかえがったぞ」


「恐縮です、機会があればまたやってみたいです」


 それから、拓海さんは僕を暖かい囲炉裏に案内してくれた。以前、あずささんと食事をごちそうになった場所だ。拓海さんは熱々のほうじ茶とおはぎを振舞ってくれた。


 冷ましながら飲み、体を温め一息ついたところで、拓海さんはおもむろに切りだす。


「乾燥して焼ぐのはこっちでやっとぐが、釉薬ゆうやくはどうすっぺか」


 釉薬とは、うわぐすりのことで、陶磁器の表面にかける塗料のことだ。


 釉薬は様々な鉱物の成分や酸化した金属を混ぜ液状にしたもので、これを塗って焼くことにより、無機質な陶磁器に色艶を与えることができるらしい。いわゆる化粧のようなものか。


「ぜひ、やらせてほしいです。来週うかがえばよろしいでしょうか」


 そこで僕はふと、思い出して尋ねる。


「この前の地震の時、商品は大丈夫でしたか。結構、揺れましたけど」


「ああ、気づかなかったかもしれねえが、棚は少しだけ仰向けに置がれていて、倒れても陶磁器が床に落ぢねえようになってんだ。いぐつか倒れたけんど、幸いひとつも壊れることはなかったべよ」


 そう聞いて安心した。僕が胸を撫で下ろすと、今度は拓海さんが僕に尋ねてきた。


「今日来た用件は、それと、なんだべか」


 驚いて心臓が跳ねた。拓海さんは僕が工房を訪れたもうひとつの理由について気づいていたのだ。


 湯呑みをふたつ作りたいと言った時点できっとそうだったのだろう。僕は正直に口を割る。


「……実は、あずささんのこと、教えてほしいんです。震災の後、どんなことを思っていて、どうやって立ち直ったのか」


 すると拓海さんは、僕があずささんの過去の状況を知っていると察したようで、顔色をうかがいながら話し始める。


「本社さん、あんたは東京に帰ってしまうんだよな」


「はい、僕は本社の人間ですから」


「そうか……じゃあ、おめえさんの人生にとって、あずさはなんなんだ?」


 人生にとって、という抽象的な質問に僕は困惑する。


 正直なことを言えば、叶えられない恋の相手だ。だけど、それは今の僕の感情によるものだ。


 拓海さんはきっと、僕が大子から去ってから、あずささんが僕の中にどんな形で残るのかを問うているのだ。僕があずささんをどれだけ大切に思っているのかを、試しているのだ。


 そう気づくことができたのは、営業で人間を相手にしていたことと、お客さんに真正面から向き合うあずささんの姿勢を見ていたからに他ならない。僕ははっきりとした口調で答える。


「僕の、かけがえのない思い出になる人です」


 すると拓海さんは目を見開いてから、納得したように深く頷く。


「じゃあ、聞いてほしい。そのために、ここに来たのだろうがらな」


 そう、前置きしてから話し始めた。


「あずさは俺の姉の娘だが、あずさのお母さんは、それはそれは今のあずさに似だ、素朴な美人だった。笑顔の絶えねえ、幸せな家庭のように俺には見えた。


 だが、震災で家が倒壊してあずさだげが取り残された。高校に入学したばっかしの頃だ。


 唯一の身内の俺があずさ引ぎ取ったが、そのときのあずさは、ふさぎ込み感情を失っていた。ろぐに食事もどらず、一言も言葉を発しながった。


 まるで固まった蝋人形のように、壁の一点をじっと見づめだまま、ぴくりども動がねえ日が続いでいた」


 ……やっぱりそうだったのか。家族を失い、正気でいられるはずがない。


「それを見でいだ俺は、残されだ人の方が、死ぬよりもよっぽど不幸だど思わされた。そんだがら、あずさ殺し、自分も死ぬべと思ったごどが何度もあった」


「拓海さん……」


 拓海さんはそのときの辛い感情を抑え込むように歯を食いしばり顔を歪めて続ける。


「けんど、震災がら一年後の春、これでは駄目だ、姉さんに申し訳ねえど思った俺は、無理やりあずさを『ぶんぬき祭』へ連れでいったんだ」


「あっ、四年に一度、ゴールデンウィーク中に催される祭りですね」


 拓海さんは僕の推測を首肯してから、しみじみと思いだすように言う。


「優しかったなぁ……大子のみんな、あずさのことを気にかけてくれて励ましてくれたんだ。ニュースで顔が出てたがらな」


「だから大子の人たちは、あずささんのことを知っているんですね」


「ああ、そいでな、そんときにメロン工務店で屋外ゲームの催し物があっで、入社したばかりの唯さんと知り合ったんだ」


「唯さんと?」


「今も職場におるだろ。そいでな、唯さんはあずさにこう言ってくれだんだ。


 『どんなに辛くても、みんな、幸せになる権利があっから、絶対に死なないって約束してな』と。


 一緒に死のうと考えだ俺自身が、唯さんに説得させられた気分だったべよ」


「そうだったんですね……」


 あずささんと唯さんの関係はその頃からのものだったのか。


 だとすると、いつも唯さんがすったもんだを期待しているのは、単なる好奇心ではなくて、本心はあずささんに幸せになってもらいたいという意味だったのか。


 部外者の僕が言うのもなんだが、事情を知って感謝の念が湧き起こる。


「ああ、それに、メロン工務店の支店長や職人にぶんぬき祭を案内してもらっで、祭の太鼓の音や、町の活気が、下を向いたまんまだったあずさの顔を初めて起こさせだんだ」


「その日が分岐点だったんですね」


「ああ、それがなげれば、俺もあずさもきっと生ぎていなかった」


 僕はそう聞いて、あずささんがゴールデンウィーク明けまで仕事を続けたいと言っている理由が納得できた。


 メロン工務店のスタッフとしてぶんぬき祭に参加して、自分を助けてくれた工務店のみんなと大子の町に恩返しをしたいのだろう。


「それがら勉強をして、短大に通い、卒業後に工務店に就職しだんだ。それからも、あずさはずっと、大子の皆に見守られてるんだ」


「だから、あんなにお客さんに優しいんですね」


「噂では聞いどる。しっがり働いているようで安心しとったんだ。だけどな……」


 そして、大きくため息をついた。


「……だがらこそ、誰よりも幸せになってもらいてえんだ。それが親心ってやつかどうかは、わがらねえけどよ。この前は正直、あずさが男を連れてぐるなんて初めての事だっだがら、もしやと思っだんだが……」


「……すみません」


 僕は思わず謝っていた。僕だって幸せになってもらいたいという思いを抱いているのに、何もしてあげられない。


 無力すぎる自分が情けない。


 僕があずささんにしてあげられることは、何があるのだろうか?


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