【あずささんの悪夢・2】
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帰り道、こじんまりとしたウッドデザインの店の前で僕は車を停めた。あずささんがその店だと僕に伝えたからだ。
見上げると横書きの木製看板には「陶磁器工房タクミ」と書かれていた。
あずささんはありちゃんを抱いたまま車を降りて入り口に向かい、迷いなく店の扉を開ける。中をのぞき込んで澄んだ声を発する。
「こんにちはー、拓海おじさーん」
店には白く塗られた格子窓があり中を覗くことができた。窓から屋内を見渡してみると、天井にはシーリングファンがゆったりと回っていて、暖かいオレンジ色の間接照明がぼんやりと光っていた。森の影に建てられているせいで昼間だというのに店内は薄暗い。
淡く照らされた部屋の中にはいくつもの棚が設置してあり、その棚の中には、さまざまな形の陶磁器が並べられている。客の姿はなかった。
奥に身を潜めていた店主らしき男が、あずささんの声に呼ばれてのっそりと姿を現した。
年齢は五十くらいだろうか、やや痩けた頬は無精髭を蓄えていて、目尻のシワは深く緩んだまぶたは半分閉じている。
白髪混じりの長い髪は頭の後ろで無造作に縛られていて、ゾウリムシのような絵柄がプリントされた手拭いをかぶっていた。
Tシャツにヴィンテージジーンズ姿で、シャツには筆記体で「生涯精進」と書かれている。普段着にまでこだわりが強そうで、いかにも陶芸家といった独特の雰囲気がある。
「お久しぶりです」
「おお、あずさか、元気でやっどるか」
「はい、心配しないでください、おじさんはお仕事、どうですか」
「最近は客足が遠ぐでながなが厳しいなぁ」
「紅葉の季節になればまた、たくさん人が来ますよ」
会話を邪魔しないようにそっと店に入ると、店主は僕に歓迎の挨拶をし、あずささんとの話を断ち切った。どうやら客だと思われたらしい。
あずささんがすかさず、「あ、わたしと一緒に来た人です」と言うと、店主は目を三倍に見開いて、僕の頭の先から足の先まで舐めるように見回した。
「あずさが男の人を連れてくるって、どうかしたのけぇ」
まるで前代未聞の珍事を経験したかのように店主は驚いていた。
おそらく、恋人か何かだと勘違いしたのだろう。よしんば恋人だとしても反応がやたら大袈裟で不自然に思えた。
「あっ、東京から出向してこられた、職場で一緒の方です。土地勘がないと思うので、大子の名所を案内していたんです」
あずささんがいたって冷静に答えると、店主はふぅ、と一息つき、まぶたが再び半分閉じた状態に戻った。
ただの同僚として認識したらしく、精神状態が基本仕様に戻ったようだった。
「そうが、んなら大子の町を楽しんでってくれな」
「はい。お店の中、見せてもらっていいですか」
「好きなだけ見てよかっぺよ」
「本社さん、ここでは陶芸の体験もできるんですよ」
「へー、ここにいる間に一度くらいはやってみてもいいかもしれませんね」
湯呑み、茶碗、花瓶それに深皿など、売られている陶磁器の多くはろくろを用いて成形したものだったが、中には手びねりの食器も、あるいはその両方を取り入れた形のものもあった。土産向きの、動物をかたどった焼き物のオブジェも置いてあった。
ろくろで成形したものは陶芸家がこしらえたものだけあって、均一の厚さで作られている。中にはきわめて薄いものもあった。それを実際に手に取ってみると陶磁器だとは思えないくらいに軽く、形のムラが見当たらない。
そして、機械で作り上げた食器とは何かが違っていた。注意深く回転させながら見てみると、それぞれの器が同じ形でありながら、異なる表情を見せているように感じられる。
何がそう思わせるのだろうか、陶芸について無知も同然な僕はそれ以上、違いを説明するための材料を自分の中に持っていなかった。
尋ねようと思い店主を目で追うと、店主は店の奥であずささんと小声で話をしていた。普段のあずささんの話し方とは違うイントネーションだったから、茨城弁で会話をしているのだと気づいた。
興味を持った僕は棚の陰に身を潜め、あずささんの茨城弁を堪能しようと聞き耳を立てた。
「あずさ、おめえ、最近はあれ、大丈夫なのけぇ」
「……ううん、けんど、周りの人が支えてくれっから今は……大丈夫です」
「そか、んだがあの佐竹さんと結婚するってのは本当なんだっぺか」
「はい、遠ぐないうちにそうするづもりです」
――あのあずささんが茨城弁で喋っている!
話の内容は結婚に関するシビアなことらしい。けれども、標準語しか聞いたことがなかったので、あずささんの口から発せられた茨城弁はむしろ新鮮で可愛らしく思えた。
そのとき、僕は思わず、品物が飾られている棚の角に膝をぶつけてしまった。気持ちが前のめりになって身を乗り出したせいだ。
がたん、という音にふたりは振り返る。
陶磁器が倒れることはなかったが、僕はすかさず両手を合わせて頭を下げる。
僕が話を聞いていたと気づいたようで、あずささんはその場で黙り込んでしまった。方言で喋っているのを聞かれたくなかったのか、頬がいくぶん紅潮している。
そこですかさず店主が気を遣い、あずささんの頭越しに僕に呼び掛ける。
「そいじゃ、せっかくだから昼飯でも食ってくか、てえしたもんはねぇが東京じゃなかなか食えねえもんがあっぞ」
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
初対面でご馳走になるなんて気が引ける。遠慮しようと思ったが、店主は仰々しく手招きをするものだから、僕は断ることができずにいた。
そこであずささんが割って入った。
「本社さん、実はわたしが事前に連絡しておいたんです。だから、是非召し上がっていってください」
そうだったのか、あずささんのプランニングの一環であれば断るのはむしろ不義理だ。
まあ、連れが男性だと言うことは伝えられていなかったようだが。
「では、お言葉に甘えて失礼します」
結局、家にあがらせてもらうことにした。
木造の家の床には正方形の
鍋の下では炭火が滾っていて、昔話で登場しそうな囲炉裏だ。
住宅業界で五年、仕事をしているものの本物の囲炉裏を見るのは初めてだ。吊り下がった鍵をまじまじと眺めてみる。
「この鍵は長さが調節できるんですね」
「はい、
掛けられた鍋は木製の蓋で覆われているが、出汁の香りが蓋の隙間からほんのりと漏れ出していて食欲をそそられる。どうやら中身は汁物のようだ。
熱を発する炭火を取り囲むように、串を通された山魚が四尾、立てられていた。すでに火が通っているようで、店主は囲炉裏の脇に座るやいなや山魚を炭火から少し離れた場所に立て直した。薄茶色の体表に淡い白の斑点がある。たぶん、岩魚だろう。新鮮な魚は焦げ目の香ばしさもひとしおだ。
「先月で禁漁になっちまったけんど、たくさん活かしておいてあっがら、当面楽しめっぺよ」
「さっきまで活きていたんですね」
「んだ、川魚は新鮮さが命だかんな」
店主が鍋の蓋を開けると、山の香りが湯気とともに部屋に広がった。山菜を贅沢に用いたお吸い物だ。
あずささんは申し合わせたように、置いてあったおひつからご飯をよそってくれた。店主がお吸い物と焼きあがった岩魚を取り分ける。
「どうぞ、たんと召し上がれ」
「それではお言葉に甘えていただきます」
僕は再び手を合わせ頭を下げる。今度は先ほどとは違い感謝の意味での合掌だ。
茶碗によそられていたのは栗のおこわだ。栗の一粒一粒は小さいが香りが強い。普段食べている栗とはどうやら違うもののようだ。
「山で自生してる芝栗ってやつだ。市場には出回んねえがら」
「へえ、初めて知りました」
また、刻んだ葉が入っていたからそれについても尋ねてみると、今度はあずささんが「これ、またたびなんです」という。意味なくありちゃんに目を向ける。
「ありちゃんの分の魚もちゃんとあるからね」
あずささんはそう言って岩魚を一尾取り発泡スチロールのトレイに置いた。身を開いて息を吹きかけ冷ます様子を、ありちゃんはサバンナの草陰で身を潜めるライオンのように屈み凝視している。
そんなに本気モードにならなくとも、すでに焼かれた魚は逃げっこない。
それから店主はすりおろしたとろろの小鉢を出してくれた。箸でつつくと粘りが強く、ほんのりと甘い香りを発している。
「これは
「美容にいいからって、おじさんがわたしののために取ってきてくれるんです」
店主とあずささんは顔を見合わせる。あずささんが微笑むとおじさんは照れたような笑みを浮かべる。
おじさん、と呼んでいるが、間の取り方がごく自然で、親戚というよりはむしろ家族に近い。
「大子では自然薯堀りもできますよ、秋が深まった頃が最盛期なんです。もしよろしかったら本社さんもなさいます?」
芋堀りか。さほど興味があるわけではないので生返事をすると、店主は口をへの字にして尋ねる。
「本社さんっていうのけ、変わった名前だなぁ」
「いえ、ここに来てからついたあだ名なんです」
「本当は
「くげ……?」
「はい、覚えづらいことこの上ない名前なので、本社さんでいいんです。気に入ってますから」
本当は気に入っているわけではない。けれども、店主と僕は親密な仲になるわけではないし、あずささんとずっと一緒にいるわけでもない。だから別段、名前を覚えられなくて構わない。
「そいじゃ本社さん、俺はいつもここにいっがら、機会があったらまた来てくれな」
店主はそう言い、ちらりとあずささんの表情をうかがって口を閉ざした。その後にも何かを言いたげな雰囲気があったことに僕は気づいた。まるであずささんがいないところで僕と話をしたいようにも思えた。
あずささんは気づいていないようで、黙々と栗おこわを咀嚼している。
「はい、落ち着いて時間があったら陶芸を教えてもらいに来るかもしれないです」
そういうと店主は僕の来訪を期待したのか、瞼を持ち上げて納得したように頷いた。
山の幸の味と香りを堪能した僕は丁重にお礼を言い、東京に戻る前にはこの店で陶芸品を買っていこうと思った。
ありちゃんも満足したようで、頭と骨だけになった岩魚の隣ですやすやと眠っていた。囲炉裏のほんのりとした暖かさが猫にとっても心地よいらしい。
「それでは、お邪魔しました」
気持ちよさそうにしているありちゃんを抱きかかえ、あずささんと陶磁器店を後にした。
帰り道、のんびりと愛車を転がしながら、僕は抱いた疑問を尋ねてみようと思い、あずささんに語りかける。
「今日はありがとうございました。名所の滝を見れましたし、山の幸の料理も美味しかったです」
「いえいえ、こちらこそ楽しかったです」
助手席で僕を見て行儀良く頭を垂れるあずささん。僕は視線を正面に向けながらも頷いて答える。
「それじゃあ戻りますか。ところで、あの店主さん――拓海おじさんはあずささんの身内なんですよね」
「はい、母の弟になります」
「さっき、結婚の話をしていたみたいですけれど、あずささんのお父さんとお母さんは結婚のこと、どう思っているんですか」
結婚とは本人達だけの決めごとではない。血族を巻き込むことだから、良好な関係構築のためには親の意向も大切な要素だ。どちらの両親も同じ町の住人であればなおさらだろう。
結婚を機にリフォームや改築を考えるお客様は比較的多い。新たな生活のために心機一転する、あるいは親と同居のために改築するなどが目的だが、そういったお客様はしばしば家庭の事情を誰かに聞いてもらいたがっている。それが良い事情でも悪い事情でも同様で、だから打ち合わせの際にとうとうと家庭の状況を聞かされることも多い。
そこで親の意向が引き合いに出されることは多々あるのだ。
結婚するパートナーに問題がなくても、自分もしくは相手の親の意向にそぐわない場合は大抵、関係がこじれるものだ。だから転ばぬ先の杖として聞いた質問でもあった。
けれども、あずささんからは返事がなかった。
不思議に思ってあずささんを横目で見ると、先程までとはうって変わって憂いた表情をしていることに僕は気づいた。
瞳が潤んでいて、あずささんを包む空気は湿り気を帯びている。
僕はその反応から、してはいけない質問を口にしたのだと気づいた。
あずささんはうつむき、栗色の髪が肩からさらりと滑り落ちる。
表情が隠され、気持ちを読み取るための手がかりが失わる。
ただ、ぎゅっと握りしめた拳は小刻みに震えていた。
それからあずささんは蚊の鳴くような声で一言だけ発した。
「……両親はもういません、死んだんです」
僕はその返事に咄嗟に反応した。
「ごめんなさい、知らなかったものでつい……」
知らなかったなど言うまでもないが、取り繕うための言い訳じみた言動に自分でも嫌気がさした。
それから工務店に戻るまで、僕は一言も言葉を発しなかった。
駐車場に車を停めると、あずささんは僕に向かって一礼し、沈んだ声でこういう。
「すみません、本社さんに関係ないことで気を煩わせてしまって」
全然気にしてないとは言えないし、かといって詮索もできない。当たり障りのないことしか口にできなくなる。
「いえ、今日は本当にありがとうございました。おじさんにもよろしくお伝えください」
表情を隠すために深く頭を下げる。あずささんはそれ以上何も言わず車を降り、自分の車へと向かう。僕はその背中を見送った。
そして、あずささんが車に乗り込もうとした時だった。
唐突に地の底から突き上げるような衝撃を覚えた。地面がビリビリと揺れだす。
地震が起きたらしい。
それからわずかの間を置いて強い横揺れが訪れた。車がゆらゆらと踊り、工務店の窓ガラスがガタガタとわめいていた。
息を飲んで様子をうかがうと揺れは次第に落ち着いてきた。体感としての震度は三強か四弱ぐらいだろう。
地震が起きた時、最初に感じる細かな縦揺れは初期微動、それから訪れる振幅の大きな横揺れは主要動と呼ばれる。このふたつの揺れには速度の違いがあるので、震源地から遠いほどその時間差が大きい。
今回、初期微動は三秒程だったから震源地は比較的近いはずだ。それでいてこの程度の震度であれば、震源地直上でも震度は五に達しないだろう。マグニチュードは六以下、些細な規模だから地震による被害はないだろう。
地震が起きると被害状況を推測してしまうのは仕事上の癖だ。
そして僕の推定によると、明日、舞い込む仕事が増えることはなさそうだ。
そのことをあずささんに伝えようと思い目を向けると――あずささんは自分の車のドアハンドルに手をかけたまましゃがみ込んでいた。
地震に驚いたのだろうか。車を降りて僕は声をかける。
「結構揺れましたね、でも、被害は大丈夫だと思いま――」
そのときのあずささんの様子を見て僕は狼狽した。
あずささんの顔色は蒼白で、目を見開き、肩で荒い息をしていたのだ。苦しそうに胸を押さえている。
「あずささん、大丈夫ですかっ!」
「……誰かっ……助け……て……」
何か起きたかわからず必死で話しかけるが返事はない。
あずささんは肩を震わせ、砂利が敷かれた地面に倒れ込んだ。
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