【最終章 みんな大切な人なのだから・1】
メロン工務店の催し物は、繁華街のそばにある空き地の一区画を借りて行われた。持ち主にはあずささんが交渉してくれたようで、二回返事をもらえていたのだ。
僕が現地に着いたときには、皆、すでに準備に取り掛かっていた。
「本社さん、おはようございます~」
あずささんは僕の姿を見つけると顔をぱっと明るくして、大げさに手を振り足早に駆け寄ってくる。そして、ごく自然に僕の左隣に並んでくる。一緒に出掛けているうちに自然と身についた呼吸だ。
「僕はちょっと『おそようございます』、だったかな」
「いえ、最後は気楽にエンジョイしてください」
「はは、でもちょっと気まずいですね……」
僕はジーンズとシャツのカジュアルな服装だが、あずささんは
袴を着た三浦くんは
「三浦くんって、弓が得意だったのか」
「んだ、もどもど弓道やっでたし、この弓は手作りしたんだべよ」
三浦くんは素引きをしながら自信ありげに言う。
「五射百円、一発でも当でたら景品ありってことで」
ちなみに景品はお菓子の詰め合わせだ。
一方、光之くんは渓流のルアー釣り道具を持ち出して、ルアーを投げて的を狙うゲームを準備している。地面にいくつかタライが並べられており、底には点数が書かれている。
「光之くんは渓流釣り好きなんだ」
「はい、これがらシーズンなんで、景品は釣り道具にしたんです」
テーブルに並べられた鈍い銀色に輝くルアーは、どうやら鉄板を削って叩いた自作品のスプーンのようだ。塗装は荒いが、流線形の曲線美は市販品さながらで、器用さを活かし上手く作られている作品だった。釣り好きなら子供だけでなく大人でも欲しがるだろう。
支店長と唯さんは杵と臼を持ち出し餅つきの準備を始めている。どうやら、つきたての餅を販売するらしい。隣にある発泡スチロールの箱には、炊いたもち米が布に包まれ眠っていた。
そして午前十時、いよいよメロン工務店の催し物が始まる。
さっそく、近所の子供たちがいっせいに広場にたむろしてきた。子供たちにとっては興味深いゲームに皆、引き寄せられていく。
「ほら、おめぇらみんな、弓矢放っでお菓子持ってけ。ちゃんと当でろよ。ちなみに立つ場所は、小学生は近ぐでええがらな」
そういって等間隔で地面に引かれた線の、的に一番近い場所を指す。
子供たちは我先にと弓を取り合うが、三浦くんはそれを制して整列させた。
「おめぇら、ルールぐらいは守れよな。じゃあ始めるぞ。やり方がわがんねえやつはオラが教えてやる」
どうやら、参加者全員に一度は的を射させるつもりらしい。三浦くんは兄貴性分のようで子供の面倒見がよさそうだ。
隣に目をやると、光之くんのルアーキャストゲームもなかなかの盛況ぶりで、子供だけでなく大人まで列に並んでいた。投げる人は皆、目が真剣で、キャスティングの腕前を披露したいのとルアーを欲しがっているのと、動機はどちらでもありそうだった。
付き添いの大人たちは、いよいよ始まった餅つきの様子を眺めている。一番餅を狙っているのだろう。
支店長が杵を高々と振り上げ、「そらよっ!」と掛け声を発し杵を振り下ろす。すると、唯さんは「はいさっ!」と返し、臼の中の餅をひっくり返す。次第に速度が増してゆき、みるみるうちに米粒が滑らかな餅の姿に変貌してゆく。
ふたりの息の合った連携に皆、目を見張っている。しかも唯さんが女性だから、なおさら視線が熱を帯びている。
「唯さんって、逞しい女性ですね」
僕が感心すると、あずささんは嬉しそうに返す。
「それに、すごく優しい人ですよ」
僕は即座に同意してうなずく。その事実を拓海さんから聞いていたし、自分自身も実感しているからだ。
「ええ、本当にそうですね。でも唯さんだけじゃなくてみんな、こんなよそ者の僕にさえとても優しかったです」
「誰も本社さんのこと、よそ者なんて思っていなかったですよ。むしろ、ずっと昔から一緒にいた人みたいでした」
そういわれて僕は胸の奥がきゅっと苦しくなる。当初、距離を置こうなんて思った自分がひねくれ者のように思える。僕はこの大子の空気のように、もっと素直であるべきだったのだ。
いつの間にか、臼の中ではまっさらな餅が出来上がっていた。
朱里さんは「待っでましたよ~」といい、受け取った餅を小さく切り分けプラスチックの容器に詰めこんでゆく。
きな粉と海苔、それに醤油も用意されていて、お客さんはその場で味付けして食べることも出来る。
しかし、最初にその餅を口に入れたのは、こともあろうに朱里さん本人だった。
「うまいですよ支店長、最高です!」
膨らませた頬の笑顔でつきたての餅を絶賛する。
「おめえが最初に食うな!」
「ですからぁ、お客様に出す前の毒味ですって」
「妊婦が毒見すんな、将来、子供に叱られんぞ」
「だあってぇ、やっとつわりが終わったんだもん……」
抑圧された食への欲望は反動が恐ろしい。
僕とあずささんは、何か手伝おうかと思っていたのだが、どうも用無しなようだ。
と思いきや、支店長は僕らを見、不思議そうな顔でこう尋ねる。
「おふたりさん、いつまでこんなとこでくすぶってんだ?」
「あっ、でも皆、催し物やっていますし、僕らも手伝いますよ」
すると支店長は露骨に呆れた表情を浮かべて見せた。
「何言ってんだか。本社さんがせっかくぶんぬき祭りに参加できたんだから、あずさは案内してやらんと駄目だっぺよ。手伝いなんかしてたら、皆の頑張りが無駄になるべさ」
僕らは顔を見合わせた。どうやらふたりだけつきっきりの仕事を任されなかったのは皆の意向だったようだ。僕とあずささんのことを思ってのことなのだろう。
「でっ、でも……ふたりきりになるなって佐竹さんが……」
「おいおい、町中うろうろしていてたら知り合いだらけだがら、ふたりっきりになるなんてことは無理だっぺよ!」
支店長は茨城独特の強い語尾で主張するが、確かにそれは一理ある。だったら僕はその言葉に甘えさせてもらおう。
「ありがとうございます、恩に着ります。じゃあ、あずささん、案内をお願いします」
「本社さん、打ち上げのお祭りですから、是非楽しんでいってくださいね」
そう言って僕の服の裾をつまんで引き、人混みへといざなってゆく。
皆、すでに気づいているのだろう。僕があずささんに好意を寄せていることを。そのことには露骨に触れないのに、そっと気を利かせてくれている。だから、僕はどうお礼を言えばいいのかわからずにいる。
けれどもたぶん、彼らは口上のお礼など、けっして求めてはいないのだろう。皆を包む空気が優しくて、心地よければそれでいい、僕にはそんなふうに感じられた。
東京に戻ったら、お礼として東京ばな奈やひよ子をこれでもかというくらい送りつけてやろうと企む。皆から貰えた僥倖の時間を、いやおうなしの甘味で突き返す心づもりだ。
あずささんは、通り過ぎる人たちに挨拶をしっぱなしだ。それも名字を呼んでいたから、住民を皆知っているというのも頷けた。知り合いという方が適切なくらい、誰とでも親しげだ。
時折、僕も顔を知るお客さんがいて、「今日は本社さんと一緒だべか、本社さんもまたよろしぐ頼むよ」といわれたが、あずささんは「本社さん、実はもう東京に帰ってしまうんです」と残念そうに返事をしていた。
すると、町の人々も露骨にがっかりし、「ああ、そうなんだべか、じゃあそのうちまた来でくれよな」と、惜しみつつ未来への期待を醸しだす。そんなことにはならないと僕は思ったが口にはできなかった。
ただ、そう言ってくれる大子の町の人は、本当に皆、優しかったのだ。かつてあずささんが絶望に瀕した時に、励まし救ってもらえたというのも理解できた。
「本当に皆、情が深いですよね」
「えへへ、大子の人は人情がありますから。わたし、そんな町に生まれて誇らしいと思うんですよ」
あずささんはそう言って風にそよぐように笑う。
いよいよ駅前の大通りは人が混みだし、賑やかになってきた。電車が着き大勢の観光客が降りたのだろう、またたく間に歩道を埋め尽くす人混みとなった。
現在はインターネットで様々な地域の情報が手に入れられる時代だから、ぶんぬき祭も多くの人の知るところになったのだろう。
「四年前よりも、ずっとたくさん、人が集まっていますね。活気が出てきてわくわくします」
「あずささんもテンション上がるんですね」
「ええ、いつでもお祭りだといいな、って思うくらいですよ」
つくづくあずささんは大子の人だと思う。地域に根づいて、この町の人たちのために生きている。
そこで、囃子の音色が僕の耳に届いてきた。流暢で雅な笛と、リズミカルで力強い太鼓の音が混ざり合って祭り独特の雰囲気を醸し出している。音色は次第に駅前の繁華街に近づいてくる。
「いよいよ来たみたいですよ」
すると、路地からところ狭しと巨大な屋台が姿を現した。きらびやかな装飾が施され、数えきれない数の提灯が吊るされている。高さが僕の身長の三倍はあり、手木(持ち手の部分)には体格の良い
屋台は多くの人に囲まれ、あたりからは太鼓の音に合わせて手拍子が湧き起こっている。
屋台が大通りに出ると、手木を押す男たちは息を揃えて「せーのっ!」と掛け声を響かせる。そして、皆がいっせいに地を蹴り、手木を引き上げる。
すると、極太の手木はきしみながら大きく天を仰ぎ、掴まる男たちの体が地面から浮き上がる。
僕はなぜ、大子のぶんぬき祭で繰り出される屋台が四輪ではなく二輪なのか、目の当たりにして理解した。
固定されていないため浮き沈みする重厚な手木を上下させることにより、荒波のようなダイナミックな動きを演出することができるのだ。そして反動を利用して、屋台を引く男たちは空を飛べるのだ。
「せーのっ!」
勢いが増してくると、手木を掴む男たちは、より高々と舞い上がり、僕の身長を軽々と超えてゆく。
「本社さん、これがぶんぬき祭の屋台なんです!」
「すごい……」
見とれていると、別の方角から一台、また一台と異なる屋台が姿を現した。屋台同士が向き合うと、まるで生きているかのように囃子の音色が勢いを増してくる。
各町内から、七台の屋台が動員され、それぞれが競い合うように太鼓の応酬を繰り広げる。
「町のみんなが対抗意識を燃やして、でも一体になって、祭りを盛り上げていくんです!」
太鼓の音に打ち消されまいと、あずささんも必死になって叫ぶように僕に伝える。
「ああ、本当に、命に溢れています」
大子の空気がひとつに集約されてゆく。風は音を掬い、太鼓の叫びは聴く者の心を打ち震わせる。屋台を引く男たちは皆、気迫に満ちていて、魂を燃やすように空に舞い、天に向かって人間の存在を誇示する。
「人間って、生命を
「ええ、わたし、この音色に手を引いてもらえたんです。生きる希望をもらえたんです!」
ああ、僕は身をもって実感した。あずささんは生きる希望を失っていた時に、こんな魂の叫びに導かれて、やっと息を吹き返すことができたんだ。
工務店の仕事だってきっとそうだ。生きてゆく為の空間を、少しでも心地よいものにしようと全力を尽くしている。僕は現場の仕事の意味を、大子の地を訪れて初めて知った気がする。
僕は思わず、囃子の音色が散る空に向かって叫んでいた。
「あずささん、大子で生きてください! そして、絶対に幸せを掴んでください!」
僕はもう、自分を庇護したり隠したりなんてしない。
ただ、大切な人のために思いのすべてを、この大子の空に溶け込ませてゆくのだ。残してゆくのだ。
すると、あずささんも僕に呼応して叫ぶ。
「本社さん、わたし、絶対に幸せになります! この大子の地で、失ったものを少しずつでも取り戻してみせます!」
すると、目前の屋台を引く男の中に、知るお客さんの姿があった。この町を訪れた当初、あずささんと営業回りをした時、すれ違ったコンバインに乗っていたおじさん、稲田さんだ。その後も何度か営業で自宅にお邪魔したからもはや顔見知りだ。
「おー、本社さん、もう帰っちまうんだってなぁ、じゃあ、せっかぐだからこっちゃ来いや」
僕がこの地を去るという噂をすでに耳にしていたらしい。唐突に手招きされ、僕は率直に驚いた。稲田さんは身を端に寄せて手木の中央にひとり分の空間をこしらえる。
それは、屋台引きに参加したらどうか、ということを意味していた。
「本社さん、せっかくだから行ってきてください!」
「いいんですか?」
「いいんですよ、これもきっと大切な思い出になりますから」
僕の逡巡は一瞬だった。場違いかもしれないが、町の人の心意気を無駄にしてはいけない。あずささんも背中を押してくれているのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えていってきます!」
僕は法被姿の男たちの中に駆け込んで混じり、手木をしっかりと握って身構える。
すると左右の男たちは僕と目を合わせ、同時に息を吸い込んだ。僕もすかさず呼吸を合わせる。
そして、力の許す限り、天に向かって叫び、地面を蹴り飛ばした。
「せーのっ!」
さあ、空高く舞い上がれ、この大子の人たちと一緒に。
人間らしく、いきいきと!
そうだ、ようやっと腑に落ちた。
あずささんは懸命に営業をしながら、大子の皆に小さな優しさを落としていたのだ。手書きのだいご通信や、絶やさない笑顔や、格安のリフォーム、みんな大切なものだったのだ。それが結晶となって、翼となって、僕は今、大子の空で踊っている。
僕はきっと、自分自身が人間であることを知るために、この場所にやって来たのだ。心があってこその人間だと知りもしなかった僕は、あずささんとは比べられないほど、未熟な人間だったのだ。
そして、あずささんもまた、未来へ歩みだす道を見つけるために、僕と出会ったに違いない。
僕たちは、ちいさな世界の中で、悩み戸惑い苦しんで、その末に巡りあって、心の奥底で確かに触れ合っていた。
たくさんの人と心を通わせるのは、一期一会の大切な人を探しだすための、大切な過程なのだ。そしてあずささんが、僕の中の人間らしい部分を見つけ出してくれたのだ。
希求する魂のかたわれを探す旅、それを恋と呼ぶのなら、僕はとっくに、最高の恋を味わうことができていた。
僕は、この大子の町と、自然と、そしてあずささん、そのすべてに、心からの恋をしていたのだ。
かけがえのない、一生の思い出となる恋を。
煌めきのような、宝物のような恋を。
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