【君と僕の嘘・1】

 こじんまりとした軍鶏しゃも鍋店が歓迎会の会場だった。座敷席の長いテーブルの真ん中に座らされ左右から挟まれる。僕の隣には同年代のふたり、職人(仮)のお兄さんと、既婚なのにソーシャルディスタンス零の唯さんが席を陣取った。


 向かい側には支店長があぐらをかき、ニヤニヤと僕を見ている。部下が増えて嬉しいと言いたげだ。


 左右に同年代のふたりが座ったのは気も話も合うようにと配慮した結果なのだろうが、その目論見は残念ながら外れている。


 ただ、歓迎会を催してもらえるのは感謝していた。奥久慈の軍鶏は東京でも有名で専門店はいくつかあるものの、いまだに食したことはなかったからだ。


「よっ、俺、三浦。よろしく!」


「はい、よろしくお願いします」


 職人(仮)の気さくな挨拶に敬語で返事をすると、手のひらで一発、背中を勢いよく叩かれた。


「なーに堅苦しい挨拶してんのけ? おめえももうオラたちの一員だ。ちなみにオラは本社さんと同い年だかんな」


 ひとりで盛り上がり大口を開けて笑っている。一人称、「オラ」。――有名なアニメの主人公だけかと思っていたが実用されていたとは驚きだ。本社に戻った時の話のネタがまずできた。


 けれども、「オラ」イコール「三浦」イコール「職人(仮)」と連結できたものの、昨日と同じニッカポッカの姿に疑問を抱き尋ねる。


「三浦くんの仕事っていうか、役割は……?」


「あ、見ての通り内装の職人だけんど」


 平然とそういったことに僕は驚かされた。職人が事務所で腰を据えているとは信じ難かった。


 それには建設業界における特殊な事情があるからだ。


 まず、職人にとって一番求められることは、依頼された仕事をどれだけ安い値段で引き受け、顧客の満足するクオリティに仕上げられるかどうかだ。


 僕自身、本社で下請けの施工業者に仕事を発注することは多々あった。その際はまず、電話など証拠が残らない形で連絡をし、具体的な内容を口頭で伝えた上で、どの程度の金額で受注できるか探りを入れるのだ。


 もちろん、複数の業者に声はかけさせてもらう。


 つまり、施工業者同士を競合させることによって受注額を引き下げさせるのだ。施工業者は発注にありつくのに必死であり、本社の人間はそれを重々承知している。


 しかも、仕上がりのクオリティは必ずしも値段とは比例しない。一度、顧客に悪いレッテルを貼られた施工業者には、仕事を頼むのを避けるのだから。


 つまり、職人はどんなに腕が良くても、仕事を安く請け負わなければ生活していくことができないのだ。職人にとってハウスメーカーや建設会社は神様であり絶対的な存在でもある。職人は不遇にも、事務所においそれと出入りできる立場ではないのだ。


「本社じゃ考えられねえだろ?」


 支店長は腕を組んだまま誇らしげに言うので、黙って首を縦に振る。けれども心の中では肯定したわけではない。認めれば今まで施工業者や職人をアゴで使っていたことになる自分自身が、ひどい罪人になってしまう気がしたからだ。


「事務所から直接、仕事の発注があるんですか?」


 僕がおそるおそる問うと、三浦くんは参ったな、という顔をして頭をかいた。


「だって、あの子が仕事持ってくっから、忙しくてたまんねえんだ」


 親指を立ててテーブルのはす向かいを指す。そこでは、あずささんが忙しなく鍋奉行をしていた。


「急にエアコンが壊れたとか、それにテレビがつかないとか、水漏れしたとか、とにかくすぐ来てくれって依頼も多いし、だから支店長が事務所で待ってろってうるさいんだ」


 内装業だけでなく電気や水道業者の役目も買っているということか。都会では役割分担している業務だが、地域の特性を考えれば辻褄が合う。タイトルにある、職人(仮)の(仮)は外し、万能職人とした方がよさそうだ。


「そそ、あの子が営業行ってるとしょっちゅう連絡来んのよね~」


 振り向くと反対側で唯さんが距離を詰めビール瓶を構えていた。会話が途切れるのを待っていたようで、両手でグラスを持つと勢いよくビールが注がれた。


「奥久慈はしゃもの名産地だかんね、しっかり味わってちょうだいな」


 立ちこめる泡を逃がさないようにと慌ててバランスをとる。泡は表面張力を借りて、かろうじて縁で堪えた。


 軍鶏鍋がぐつぐつと煮立ち、立ち込める香りが食欲を誘う。皆が席に着いたところで支店長が乾杯の音頭をとる。ビールを片手に立ち上がると皆、一斉に黙った。どこかからか腹の虫の声が聞こえ、くすくすと笑いがもれる。


「みなさん、お待たせしました。今日はひさ、くげ? ……『本社さん』の歓迎パーティで、会社の経費だから、遠慮しないで食ってくれや。それじゃあ、お腹空いてるみたいだから早速乾杯!」


「「「「「カンパーイ!」」」」」


 三浦くんは「ハイハイ、俺と乾杯したい人」といってひとりひとりとグラスの音を響かせ、唯さんに牽制される。


「今日はアンタの乾杯じゃなかっぺよ。本社さんのもんだ」


「まあ、んだけど……そだ、東京人はなかなかお目にかかれねえっから、ここいらで拝んどくべか?」


「んだな」


 三浦くんと唯さんは茨城弁で同意している。露骨に拝まれてもご利益はあるはずもないのに。ところが皆、ノリが良かったようで息を合わせ、二回手を叩いて僕を拝んだのだ。


 困惑しながらも、仏像のポーズを取り真顔で切り返す。


「おいどんは東京生まれの十万二十七歳でごわす」


 僕が冗談を口にしたのが意外だったのか、十二の瞳が僕を釘付けた。相当に寒かっただろうか。固まる僕に対して三浦くん、唯さん、光之くんが口を開いた。


「……言葉、東京じゃねえし」


「……それ、閣下だっぺよ」


「……ってか、何時代の仏像かわかんねえし」


 と各方面からの突っ込みが同時に入り、想定外の笑いの渦が巻き起こり僕は赤面した。失敗した、変に親近感を持たれてしまったかもしれない。


 湯けむりをあげる軍鶏鍋には、しゃもの他に白葱や焼豆腐、笹がきゴボウ、それに様々な山菜が添えられていた。ちょうど良い加減に煮えたところで皆、遠慮なしにありつく。僕が順番待ちをしていると、「はいどうぞ」と具の盛られたお椀が差し出された。


「あ、ありがとうございます」


「楽しんで味わってくださいね」


 手渡してくれたのはあずささんだった。僕はあずささんも具をよそるまで口にするのを待っていた。互いにちらっと視線を交わし落ち着いたところで同時にしゃも肉を口に運ぶ。


 しゃも肉が口の中で弾けて躍る。身は締まっていて歯ごたえがあり、味が濃く、噛むたびに素材の旨みがより際立ってくる。染みだす肉汁は臭みがなく上品で、奥久慈の清麗な環境で育っていたのだとうなずけた。


 確かに、文句なしに美味しい。鶏肉としては未体験の肉質で、癖のない香りと深い味わいが堪らない。驚くと同時に自然の味の奥深さに感心させられた。


 支店長は口の中に詰め込んだまま言う。


「しゃもは育てんのが結構大変なんだ。気性が荒くてな、お互いすぐに喧嘩しちまうし、なかなかおっきくなんねーんだ」


「へー、詳しいんですね」


「そりゃここには養鶏場がいっぱいあっからな。佐竹さんとこの土地借りて営んでる養鶏家も多いんだぞ」


 僕はその名前にすかさず反応し、あずささんに視線を向けてしまう。


 あずささんは聞いているのか聞いていないのか、黙々としゃもを口にしていた。座る姿勢が凛としていて箸の持ち方も綺麗だ。食べながらもまわりの人のグラスが満たされているか気にしていて、気配りのできる人だなと感じ入った。


 横柄な地主の息子は女性を見る目はあるようだ。そしてあずささんは近い将来、その佐竹という男に貰われていくのだろうか。心の中で拳を握りしめ胸の疼きに耐えるが収まらない。たまりかねてあずささんに話しかけた。


「あずささんは、ずっとここに住んでいるんですか?」


「あっ、はい。生まれた時からずっと。短大は水戸ですけど地元から通ってました」


「なのに標準語なんですね」


 あずささんの話し方は透明感があり声は心地よく耳を抜けていく。東京のスラングに染まってしまったら喋れなくなる、教科書的な標準語だ。


「本当はコテコテの茨城弁なんです……」


 隠し事を白状したかのような照れた顔をした。コテコテとは全然、想像がつかない。


「自然ですけど、訛らないように意識して喋っているんですか」


「はい、仕事の時は標準語で喋るように練習しているんです。ですから、本社さんの言葉は勉強になります」


 そう言われてしまうと、本当は茨城弁を聞いてみたいのだと言い出せなくなる。


 その後は雑炊をこしらえて皆で平らげ、満足したところでお開きになった。


 お酒が飲めない光之くんと飲まなかったあずささんが皆を順番に車で送り届ける。あずささんは支店長と唯さん、そして僕を乗せてくれた。


 唯さんは会の終わりが近づくとそわそわしはじめ、車に乗るやいなや声をあげた。


「あずさちゃん、あたし一番先いい? 遅いと旦那に怒られちゃう。子供たちも気になるしね」


「もちろんですよ、唯さん。早く帰ってあげてください」


「そしたら次は俺だな。いつも悪いねぇ」


「じゃあ本社さん送ったらわたしは事務所に戻りますね」


 あずささんが事務所に寄るのには理由があった。あの黒猫だ。朝、連れてきたものの、外に放りだすわけにもいかず、とりあえず事務所に置いてきたのだ。


 唯さんと支店長がそれぞれ順番に車を降り、手を振って見送った。


「さて、アパートどこでしたっけ」


「あ、僕も事務所に戻ります」


「えっ……?」


 そのとき、あずささんの表情に緊張が走ったのを僕は見逃さなかった。夜中、ふたりきりになるのを警戒したのだろうか。


「飲み会って知らなかったから車置いてきちゃったんです。ビールちょっとしか飲んでないので、事務所で酔いを冷ましてから帰ります。猫が寂しがっていないか心配ですし」


 すると頬の緊張が和らぎ柔和な笑顔に変わった。猫の話題は安心を買うのにてきめんだ。


「はい、じゃあふたりで会いに行きましょうか」


 どうやらあの黒猫は僕が計画を実行するための大きなチャンスをくれたようだ。


 僕が考えていることは電話でも伝えられることだけれど、大事なことだからあずささんにじかに伝えたかったのだ。


 ★


「猫ちゃんごめんね、お待たせ~」


 あずささんが手探りでスイッチを探して見つけると、真っ暗な部屋が昼間の姿を現した。


 暗闇で瞳孔を大きくした黒猫がソファーの上からこちらを見て「ニャアー」と結構な声で鳴いた。遅かったぞと文句を言っているみたいだ。


 ソファーから飛び降り、尻尾を立ててあずささんに駆け寄ってくる。あずささんはしゃがみ込んで両手を広げた。


 事務所の中を確認すると、爪で引っ掻いたような様子はないし、部屋の角に置いた砂のトレイに用を足していた。意外と節操のある子猫だなと感心した。


「そういえば夜ご飯って誰もあげてなかったですよね」


「僕はあげてないし、多分誰も」


「あら、それじゃあ怒りますよね」


 するとあずささんは冷蔵庫から魚肉ソーセージと牛乳を取り出し、紙皿を二枚、並べてそれぞれ準備した。黒猫はまず牛乳を舐め始め、脇目も振らず夢中で飲み続ける。


「喉乾いてたっぽいですね」


「それに誰もいなくなっちゃって不安だったんじゃないかしら」


 あずささんはしゃがんだまま猫の遅い夕食を眺めている。


「猫ちゃん、やっぱり元の場所に返さないといけないですよね」


「誰かの飼い猫かもしれないですもんね。そうだ、明日あの辺りを営業回りしながら聞いてみたらどうですか?」


 すると、あずさささんの表情にぱっと光が灯る。


「いい考えですね、本社さん! あの辺りは明後日の予定だったんですけれど、一日前後するくらいは問題ないですもんね」


「僕が現物を持っていきます。その場で返せるかもしれませんからね」


 雰囲気が和やかになったところでいよいよ作戦を決行することにした。


「実はあずささん、お尋ねしたいことがあるんですけど」


「はい……?」


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