原木

村上ꓘ(ムラカミトーレプーキ)

原木

「原木」

 

水無月の中頃。本堂に延びた階段は苔の緑が深い。寂れた石段との対比は美しい。段数は百もないだろうが、それでも日頃運動不足の体には堪えるなと嘯く様子で男が一段目に恭しく足を掛けた。健朗な歩調で一段一段歩みを進めていく。最上段まで登り切る。そこには若楓が織りなすように優しい木陰を落としていた。葉擦れの音は耳に涼しく、男の額に滲んだ汗も容易く引いていくだろう。梅雨の時節であるものの、晴れ間ともなれば日差しは夏の兆しを擁している。男は、呼吸と襟の乱れを整えると、胸ポケットから地図を取り出し、僅かに首を傾げる。簡略表記された図とメモを頼りに本堂脇を奥に進むと、目的地と思われう社務所が見えてきた。男は門戸の前まで迷いなく、進んでいったが、ひたと立ち止まる。到着を告げようと思ったものの、社務所の門戸にインターホンがない。数分周囲を見渡し、数度思索を繰り返した結果、最終的に見切りをつけたのだろう。二、三度門扉をノックし、男は名乗を上げた。


「ごめんください。体験坐禅を予約しておりました相葉と申します」

 寺の静寂に、男・相葉の声が響いた。しばし内側の反応を直立姿勢で待ってみたが反応はない。気まずい沈黙である。不躾ながら善後の策として門扉を軽く開き、もう一度声をかけてみようか?そんな風に相葉が逡巡していると、扉の奥から板間を踏むような音が聴こえてくる。間を空ける事なく内側から扉が横開き、嗄れた声が続いた。

「お待たせしました。えぇと、本日ご予約の」

 顔を覗かせたのは、住職と思われる黒い着物に袈裟を纏った僧である。相葉より二回りは違うだろう。柔和だが、貫禄を感じさせる空気があった。

「あ、はい相葉、相葉彰と申します。坐禅体験の予約をしています。今日はよろしくお願いします」

 相葉は、寺の主人に会釈し、改めて名乗る。寺社仏閣に足を運ぶことが年中行事にない為、どの程度の形式張りが相応しいのか分からない。妙な説明口調になってしまったのではと、思わず汗が吹き出す。

「これはご丁寧に。ささ、どうぞ上がってください。嬉しい晴れ間ですが、今日は暑いですから」

 と、板間に上がるように促す住職。相葉も履き物を脱ぎ、下足箱に備え付けられていた茶色のビニールスリッパに履き替え、上がらせて貰う。

相葉の所作に何か不手際があったのだろうか、住職は穏やかな顔でこちらを伺っているのを感じた。非難されるような感じはしないのだが、どこか含意のある視線である。人に視線を向けられることにあまり慣れていないため、相葉は気まずい緊張感を覚えてしまう。互いの沈黙が、不安を煽ってくる。相葉は堪えきれず、口火を切った。

「あの、僕みたいな年代の者が坐禅とか、珍しいんでしょうか?」

「いえ、そんなことありませんよ。最近は若い女性の間でもデトックスとかで、日頃の喧騒から離れる手段としてご修行に来られる方もおります。確かにお一人というのは珍しいでしょうか。いえ、私も不躾でした。今のようにジロジロと顔を伺っては良くないですね。嫌な思いをされたでしょう。職業柄というか、悪癖というか」

 相葉の言から、住職は多く心得たようだ。宗教職の方はこういった察しの良さが身についてくるものだろうか。

「土間で立ち話もなんですから。お一人ですし幾らも時間調整できるでしょう。よければお茶でも飲みながら年寄りの話を聞いてください」

 住職はそう言いながら、こちらです、と先導して、廊下を奥に進んでいく。通された客間は、畳敷きで十二畳ほどだろうか。住職に上座の座布団を勧められ、座して待つように言われた。恐縮して、居心地が悪いものの置かれた物を勝手に動かすのも行儀が宜しくないかと思い、促されるままの場所に腰を下ろす。十分も経たないうちに盆に急須と茶碗を乗せて、住職が客間に戻ってくる。改めて姿勢を正し、住職に正対する相葉、住職手ずからの給茶に思わず身を強張らせてしまう。そんな相葉の気配を悟ったのか住職が声をかける。

「あまり気を張らずに、どうぞ足も崩してください。私としても相葉さんに伺いたいことがあってのことです」

「はぁ」

 気のない返事で受けてしまったことを寸刻のちに自己嫌悪してしまう。伺いたいこと、何があるのだろうか?先ほどの住職が相葉に向けた視線の意図がその疑問に関わっているのだろうか?勿体ぶって言われてしまうと何を聞かれるのか余計に気になるのが人の常だ。住職はこちらの気持ちを知ってか知らずか、煎茶を注ぎ終わると、どうぞとこちらに差し出す。僅かでも気を紛らわせれば、と白い湯気を立てる茶に勢い口をつける。思いがけず熱く、舌先を火傷したような痺れがあった。幸い、緊張を解すのには一役買ったようで、相葉の方から会話を切り出して見ようかと、気持ちの余裕が生じてくる。

「あの、住職。一体私に何が聞きたいのでしょう。私などに土台身のある話ができるとは思えません。何か了見があってのことでしょう。私は小心ものなのです、何か失礼があったのではないかと気を揉んでおります」

 相葉は本心のまま、住職に水を向ける。

「私も要らぬ気を遣わせているようだ。本当に申し訳ない。ただ気になったのです。先程は若い方も坐禅に来るとお伝えはしました。勿論年配の方もいらっしゃいます。ただ年代を問わず仏の道に触れようという方は、多かれ少なかれ物見遊山の気配、若しくは強く仏道による救済を求める気色が、表情に浮かんでいるものでございます。ですが貴方には、そのどちらも無かった。ただ清々しさがありました。それが私には不思議だったのです。わざわざお一人で予約をしてきた方が、何故このような面持ちであるのだろう、思わず顔色を伺うように覗いてしまった。お恥ずかしい限りだが、この歳になっても好奇心というのは落ち着かないようです」

 先刻の視線の理由を述べるに重ねて、住職はその非礼を詫びた。その興味は果たして非礼と呼んで良いものかと相葉には疑問だったが、視線の真意を得たことで、相葉は安心を手にしていた。

「そういうわけでしたか。ご住職の見立て、間違いないのです。実のところ、今回坐禅体験を予約したのはある悩みがきっかけでした。ですが、その悩みに先程答えを得てしまいまして」

 頬を人差し指で掻き、苦笑しながら相葉も、自身の心境を詳らかにしていく。

「本当は坐禅もキャンセルしようかと思いました。ですが手続きをするにも当日のことですし、それを伝える窓口も分からない。良い姿勢ではないですが、何かの後学にはなるだろうと思い、ここに赴いた次第です。ただ悩みの解決というのが私にとっても不思議で、白昼夢を見たような心地でもあるのです。丁度この御寺の参道で休んでいた時でした。所も所ですから、もしや仏様の導きなのではないかなと感じ入る心もございます。もし良ければ、上手くお伝えできないかも知れませんが、私の体験を聞いて頂けますか」

 相葉の提案をを受け入れ、住職は穏やかに首肯した。


***


 我ながら、みっともなさを感じるが、どこか俯きがちな猫背が常習になっている。陰気を纏いながら寺の参道を歩いていくと二王門に至る。その傍には大きな萱の木が聳えたち、巨大な幹のうねりは、煙のように天に登り、自然と視線を上空に誘ってくる。見上げるうちに背筋が自然と伸びていくのに気づく。ここを訪れる者を何年にも渡って見守ってきたのだろう。視線が変われば釣られて思考も変わっていくのだろうか?らしくもないが、古刹の歴史と幽玄の時間が視覚的に飛び込んで来るような感覚が湧く。ただその敬意よりも足が早いのか、大樹の威光は尚更自身の矮小さを思い知り、卑下を抑えすにはいられなかった。齢三十のこの身は、さらにその生涯の一厘に満たない期間の人間関係で気持ちを揺らしている。泰然自若にほど遠い、弱く、小さな、瑣末の権化が私だ。解決の糸口があ流のか、事態の受容がいつできるのか、目下の悩みがそれである。

 この年齢になると、望むが、望まないかに関わらず、部下というものができてしまうものだ。生来対人関係に苦手意識を持っている自覚はあったが、上下関係となると一層機微を図ることに難渋する。上司と行っても五つも歳が離れていないものが、人間としてどの程度醸成していると言えるだろうか。所詮役割の違いに過ぎないと思えてならないし、得意不得意もある。とはいえこの様に不得手を許容してくれるほど世の中は甘くもなく、職責は否応なしに降り掛かる。そう言った慣れるに慣れきれない境遇に疲労しているのも事実だ。

 予約した坐禅体験にしたって、別に解決の糸口を心底求めたと言うことはない。端的に気晴らしの一種だ。とはいえ行動に移す段になれば億劫なのも人の常ではないだろうか。自宅から電車を二本乗り継いで、徒歩で十五分。日頃の心労に、疲労も加わり、本懐を遂げる前に気持ちは既に重い。加えて、乗り継ぎの懸念もあったので定刻よりも一時間ほど早く着いてしまった。こういう所も気疲れしやすさを招く悪癖だろうか。自己嫌悪は尽きる所がない。

 少し体を休める為にも、腰を据えられるような場所がないかと視線を配り、参道を進んでいく。丁度よく、道の交差するところで開けた場所がある。木陰も十分あり、古木が横倒しになった趣のあるベンチがあった。持参した飲料水を肩掛け鞄から取り出し、緩くなった水を喉に流し込んだ。ぼんやりと空を眺めれば、背の高い大萱が大きな影を相葉に落とす。その隙間に溢れる光を拾おうと若い楓が小さな手を広げる。秋になれば紅葉の名所になるのだろう、ふとそんな事を感じた。先の季節の事を考えるのは久しぶりだ。少し頬が綻んだ。遠くに読経と木魚の規則的な響きが聞こえる、予定時刻まであと半刻、それまでこの参道の風光に浸っているのも良いかも知れない。

 そんな事を考えていると、腰掛けていたベンチに老婦人が腰を下ろす気配があった。独りごつように、やれやれといった語調で婦人が声を溢す。

「暫くぶりに出かけたけど、駄目ね」

 それに応えたのは婦人に帯同していた、息子と思しき壮年の男だ。

「普段どれくらい出かけてるの。買い物ぐらいは行けてるんでしょ」

 他にも人がいたのか。生来の人見知りから身を固くしてしまう。普段ならこういった状況では場を離れてしまうことが多いのだが、憩いの場を去るには惜しいという気持ちが勝った。少しばかり距離を調整し、身を小さくしながらその場に留まることに決める。私の内心など他所に二人は会話を続けていく。

「そうねぇ、散歩ぐらいはしないとって思って出かけるようにしてるけど。家の近くで済ませちゃうから、良くないなのかしらねぇ」

 婦人は自分の足を詰るように摩りながら言葉を零す。

「でも今日は涼しくていいわ。雨さえなければ今の時期が一番好きよ」

 聞き耳を立てている訳ではないが、婦人と息子のやり取りは、草木の揺れる風の中で不思議にはっきり聞き取れる。そこに参道の脇の細い道から、もう一人、中年の女性が顔を覗かせ、こちらに駆け寄ってきた。軽く上気した様子で、二人の駆け寄り会話に加わる。

「おかあさん、紫陽花あっちにもなかったです。あったと思ったんですけど、もう切ってしまったのかしら」

「あら、探してくれてたの?ありがとうねぇ明子さん。残念ね、見頃かと思ったんだけど」

 婦人の義娘だろうか、そんな印象だった。女性の言の裏付けではないが、私が通ってきた経路にも紫陽花が咲いていた記憶はな買った。とはいえ私自身植物に明るくはないので花がついていなければ見落としがあるかも知れない。。

「絶対にあったと思うんです。よく手入れされてたのが記憶に残ってて。ほら、昔お兄さんの家の裏、木みたいに背高になった紫陽花あったじゃないですか。あれとは違ってて」

「紫陽花、あったかしら?」

「母さん、あったよ。ほら菊江姉さんが市で買ってきて鉢から地面に植え替えたやつが」

「ありましたよぉ。紫陽花って花芽を切ってしまうと花をつけないらしくって木みたいに鬱蒼としてたアレ」

 そういえば紫陽花の手入れ、そんな話を耳にした気がする。昨日夜中に見ていた教育番組の園芸コーナーだろうか?それとも時間の浪費に一役買っている雑誌読み放題のサブスクリプションの一冊だっただろうか?不躾だという気後れはあるが、どうしてか、この家族の談話に耳を蕎麦だてることが止められない。いつの間にか葉擦れの音も聞こえない、ただ耳に入ってくるのは彼女らの言葉だけだ。


「不思議、植物も自分の伸びる方向をちゃんと自分で知っているのね」

 老婦人は一言。どうしてそこに思考が着地したのか、それは脈絡がなかったようにも思えた。ただそのとても静かな独白にはある種の説得力を感じた。そうか、そうなのかも知れない。私は深く息を飲み込む。久方振りに、風に匂いや味を感じた。


***


「私は気づかないうちに自分が部下を育てなければいけない、部下を守っていかなければいけないと、勝手に息巻いていた事を婦人達の会話に気付かされました。実際はそんなことはなかったのです。私一人が気負っても仕方がない事ですし、それに意味はなかった。そんなことしなくても皆自分の伸びる先を知っている、そう教えられたと思いました」

 どれくらいの時間話し続けていたのだろう。気づけば汗は引き、室内ともなれば肌寒さを感じた。それを紛らわそうと、出された茶碗に手を伸ばしたが、すでに熱は失われている。期待を裏切られたものの、出した手を引っ込めるのに忍びなく、徐に緩くなった中身を飲み干した。

「そう言うことでございましたか。それは良い体験をなさいました」

 住職の声を聞くのがとても久しいことに思えた。それを切欠に、相葉は遅まきながら気まずさを覚えた。一人よがりに話していたこともそうだが、いくら宗教職とはいえ、こんな取り止めのない話を聞かされて、面白いはずがなかっただろう。途端に顔に熱が上るのを感じた。

「い、いえ。本当に今になって思って見れば、私の思い過ごしというか、思い込みというか。聞いて頂いてなんなのですが、本当に下らない話です。忘れてください」

「下らないなんて、そんなことはないでしょう」

 住職は穏やかさを称えたままであるが、否定の句に強い意志があった。思わず取り繕いで卑下してしまったことを相葉は恥じた。そこからは言葉を継げず一分程沈黙があった。何かを掴んだような感覚を得たとしても自分はまだまだ稚拙な生き方をするのだな。相葉の気落ちを察したかのように住職が口を開く。

「心身の弱った時に、人は自然、感覚過敏のような状態になることがあると聞きます。また聴覚というものは面白いもので自分に必要な情報や求めている情報を選択的に聞き取る能力があるそうだ」

 訥々と、言葉を紡いでいく住職の話は、相葉にも覚えがあった。

「カクテルパーティー効果、というものですか?ガヤガヤとした雑音の多い場所でも、自分の興味ごとや関連する話題は不思議とはっきり聞こえるとかいう」

「そうです。音声の選択的聴取とも言われるようですが。私はこう思います。貴方は深層意識に救いを求めていたんだと。だからこそ、ご自身の悩みや苦悩を解きほぐす答えをあなたの耳や脳が、周囲から必要な情報として選択し、貴方の元に引き寄せたのだとすれば、興味深いお話だ」

 成程、言われてみるとそうかも知れない。救いを求めた結果、無意識のうちに解決の糸口を探っていたというのは尤もらしく思えた。

ただ何か、住職は言葉をまだその内に残しているようだった。今までの落ち着いた言動や、住職の悠揚さとは裏腹で、どこか言いづらい秘め事を抱えた子供のように感じだった。

「あの、何か他にお伝えになりたいことが?」

 押し黙った住職に相葉は思わず、声をかけた。その声に意識を戻した様に住職は視線を起こす。

「そう、ですね。相葉さん、貴方が仏縁を感じたと言われましたがそれについて思う所があるのです」

「思う所?」

「場所の縁も勿論あるでしょうが、どうして仏がいると言う発想に至ったのか、そこに些か気がかりがございます」

 そういうと、意を決したというような面持ちで、住職は重い口を開き始める。

「高名な仏師の言葉ですが」

「仏師、というと仏像を彫る?」

「ええ、その仏師です。その方が言うには、木を彫って仏像を作っているのではなく、木の中から仏様をそのまま取り出しているのだとか」

「それは中々スケール感の大きな話ですね」

「相葉さん、貴方は救いや驚きが、仏様の導きであるかのように感じたと仰られた。先の仏像の例えではないですが神仏への信仰というものも、元々人の意識の中に既に存在していると考えることはできないでしょうか?」

「どう言うことでしょう?」

 住職の話には明確に飛躍があった。相葉は話の筋を見失い始める。それに気づいている様子であったが、堰を切ったように住職は言葉を続ける。

「素人の横好きではありますが、脳科学に関する本を職業柄披くことがあります。その分野では人の神経活動や情報認識には標準の状態、デフォルトモードネットワークと言うものがあると聞いたことがあります。人はその標準の状態に外部情報から刺激を受け、脳はその刺激から様々な予測推論を考案し、反復思考する。その結果、現実を認識する。言うなれば予測推論が鑿となり、情報を削り出し、反復によってさらに精緻に現実の像を形取る。人の意識や認識は仏師にとっての原木と言うわけです」

 いよいよ話が混み入ってきた。耳馴染みのない言葉もあり、理解は容易くない。ただ話をするほどに住職の顔に青白い翳りと、迫力が増していくため、相葉は言葉を挟む余地がない。

「そして、この世界には予測推論を逸脱した、常軌を逸した推論。言うなれば超常的推論が時に発生します。人はそこに超常の存在・神仏や化生を見出していると思えます。それはどういう予測推論によって情報決定があったと考えるべきなのでしょう。何故人の脳はその様な決定を解として備えているのでしょう?本来逸脱した情報処理であれば棄却、淘汰されるのが筋ではないでしょうか?

「上位存在の実在という仮定推論、即ち神の隠れ状態を肯定する由は何なのか。これを信仰の言葉で括ることもできるでしょう。しかしそれでは信仰の対象なく信仰心が生じている。因果が逆転している。神の存在を肯定することが現実を認識するに足りてしまう事実、神なる者の存在が予測誤差が小で、事後確率が大と判断出来ること。それが個ではなく、人間という種の内に普遍的に生じ、再現性がある事実

「アニミズム的な信仰の発生には誤解があるとすればどうでしょうか?事実は人の存在以前に神なる者が確固としてあり、人の知性を介することによってそれら上位存在がこの世界に現出することができる。人は神の揺籃であって、神を生み出づる一塊の装置なのではないでしょうか?」

 住職の異説の枝葉が明確に掴めたわけではないが、相葉にもようやく話の肝が飲み込めてくる。その得体の知れなさから、不信心ではあるだろうが寄生蜂と宿主の芋虫のイメージを重ねてしまう。卵が先か、鶏が先か。そう言ったパラドクスの一種かも知れない。神が人を生んだのか、人の信仰が神を生んだのか。知性が先か、神性が先か。

 相葉は、鼻の奥に気圧を感じ、耳鳴りの予兆を察した。その刹那のことである。ちか、と鋭い光の瞬き。続いて大きな雷音が響く。其は当に青天の霹靂。地面を伝った衝撃が大きな揺れを起こす。落ちた場所は決して遠くない。

 一閃は住職の独白を断つには十分だった。無論、ただの自然現象と一笑に臥すこともできただろう。だが二人にとっては超えてはならない敷居を跨いだ不信心と好奇心への警告、そう思い至るには十分な力の行使だった。思わず顔を見合わせる。

「莫妄想、ということですか」と住職。

「それは一体?」と相葉。

「妄想などせず、今やるべき事を成しなさい、という禅の教えです」


<了>

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