第3話

狐火事件(一)


 黄金と白銀の眼差しは、以前に見た人形のような小ささではなく――十代前半の少年のバランスとしてはまだ、充分に人形めいたサイズではあるようだが、ずいぶんとはっきり自己を主張の出来るだけの大きさに変わっていた。


 って、のんきに観察していていい場合じゃなくないか……?


 たっぷり三十秒は見つめあってしまってから――堯之たかゆきは、慌ててまぶたを閉じる。

 しかし……というか、当然のことではあろう……もちろん、既に遅かった。


 ぺち!

「誤魔化せねぇよ」

 額に、小さな手の叩き付けられる気配。決して、痛いほどではなかったものの、少々乱暴な挙動と声は、毛先に癖のある黄金色の髪の少年のものだろう。

「おれ達が、動きやすい身体になってきてるのは――タカユキが、おれ達を認識したからだ」

 だから、今さら気付いていない振りは無駄だと……淡々と説く声は、絹糸を束ねたような白銀の髪の彼だろう。


 越してくるまでの自分であれば――多少、夢見がちに憧れるものもなかったとは言わないが、常識が邪魔をしていたはずだった。正直、夏に彼らを目撃し、毎夜供える酒が翌朝には消えている現状を受け入れ――昨日の昼間、夢かうつつか判断しかねる体験をしていてさえ、それはそれこれはこれだろう…と思って許されたい気が残らなくもないところではあるのだけれど。


 いいんじゃないですか――。


 耳によみがえるのは、友人の声。

 夏に彼らを目撃したときも、はるきがあまりに当然のように振る舞うので、疑問も忌避感も生じる暇がなく、堯之としてもただ目に見え耳で聞こえ意識したものを受け止めるばかりしかなかった。

 さらには、自分などよりむしろ長く家にいるものであれば、いっそこちらが礼を尽くすべきではなかろうかとも思ったりするのは、生真面目がすぎると笑われようか?

 再びまぶたをあけてみれば、先ほどと変わらず金銀それぞれふたつの瞳が、愉快そうに堯之の出方をうかがっていて。

 もそもそ……ひとまず、ふたりを正面に身を起こして正座する。

「えと……」

 しかし、この状況……なんと切り出したものか?

 ん?……猫のように丸く目尻の上がり気味の琥珀色の瞳が、きらきらと期待を込めて輝いている。

 じっ……切れ長の灰色の瞳は、ややもすると無表情になりそうな問いかけを孕んで堯之に定められている。

 ひとまず名乗るものか?……初対面と仮定して、定番の展開を思い描いたところで、しかし――先ほど、既にしろがねという名だと知っている白銀の髪の少女のような顔立ちの彼が、堯之を呼ばわったことに思い至る。


 じ……っ。


 一対二、ふたつとよっつの瞳で見つめあうことしばし……。

 ふふっ…笑みを漏らしたのは、同時だった。



 はるきの物言いから、およその見当はついていたけれど――ふたりは、この家の神棚で露払いを務めている存在だと自分たちを称した。言われて神棚を見上げてみれば、奥の扉を守るように二基並んで置かれた幣束のいつもであれば蛍光灯の明かりを弾く金紙銀紙が、今は色ばかりはそのままながら――ぼんやりとくすみ透明感を失っている。

 ふたりが、こうして堯之の目に見える姿で抜け出しているからであるらしい。

「何代かにひとりくらい、俺たちのことが見える人間がいて――お互いに認識しあうと、俺たちもこうして動きやすくなる」

 ただ、なにができるわけでもないのだけれど……と、彼らは笑う。

 自分たちは、奥にいらっしゃる方々の使い走りみたいなものだ、と。

 それでも、こうして人ならざるものでありながら、人のような姿をとって人の眼前に現れることのできるのは、充分に異能ではなかろうかと思うところだが……。

「夏に、祭りをしてくれて――ありがとう。おれ達みたいな存在は、結局、人間がいないことには姿を持つことができないから」

 存在は存在として、認め求める者がいなければ――姿を見失う……堯之は、取り立てて強く神棚に祀られている神々を意識していたつもりはなかったのだが、祭りを通して存在を知り、さらには彼らを目撃したことを否定しなかったことで、彼らを認めることにつながっていたものらしい。

「タカユキが、俺たちみたいな存在に寛容な性質でよかった」

 ただ受け止めてもらえることが何より大事なのだと、ふたりは安堵と歓喜の笑みを浮かべた。





「謙遜しなくても……運転、全然普通じゃないですか」

 助手席から伝えられる、控えめな苦笑の気配。

「一応は、こっちに来る前に、講習受けては来ましたし……スクーターなら、乗ってましたから、その分までなら……」

 秋祭りを過ぎて――昼間はまだしも朝夕はすっかり冷え込むようになった。

 夏に越してきて以来、通勤や買い物にスクーターを利用していた堯之ではあったが、さすがに時間帯によっては身体に受ける風の辛くなり始めたこの程――ようやく到着の遅れていた車が届いた。

 公共交通機関の本数的にも守備範囲的にも恵まれていなければ、自家用車の所有は必須条件の土地柄である。みことが大学進学で町を出る頃までは徒歩圏内で買い物も病院もごくごく日常的な部分でなら不便はなかったそうだが、この三十年程の間に商店も病院もすっかりなくなってしまったという。特に、病院においては、合併後の町役場の近くにある総合病院以外、町の医院や診療所といった個人病院は医師の老齢による引退と共に消えて久しいようで――高齢者には、町内の各種施設を利用するためのタクシーチケットの配布があるというが、そうでなければ自家用車が利用できなければとても立ち行かない。

 この地への引っ越しは、そもそもみことの療養を目的としているのだ。彼女が調子を崩した時に、病院への送り迎えができないようでは困るだろうと、取得以来ほんの片手にも満たない運転経験で直近の更新でゴールド免許にしてしまった運転免許証を携えて、ペーパードライバー対象の実技講習を受講してきた堯之だったが――交通量の少ない時間の見通しの良い道とはいえ、スクーターとは違う車体を操りながら気楽におしゃべりの出来るほどの余裕はまだなく、横目に隣を窺うのにも緊張がともなう。

 にもかかわらず、助手席にはるきがいるのは――単に、ひとを乗せることになれた方がいい…と彼が世話を焼いてきたのもあるが、もうひとつ、他の誰にも聞かれないタイミングで、はるきに件の金と銀のふたり組について話をしたかったからでもあった。結局、運転中はそこまで余計な思考を巡らせられていないので――町役場や病院まで往復したら、お礼も兼ねて家で食事をしてもらって……その時に話をするのがいいのかもしれないと予定変更を余儀なくされたところではあったが。

 そのあたりは気持ちを切り替えて、片道十五分を二十分ほどかけて――今日は土曜日で、基本的な業務は休みである役場の駐車場に辿り着く。

 秋の陽は、傾き始めると暗くなるのが早い――帰路は、ヘッドライトを早めから灯しておいた方がいいだろう。

 軽くひと休み――駐車場入り口脇の自動販売機で缶コーヒーを買って戻ると、ひょこひょこ…後頭部で短いしっぽに束ねた髪を揺らしながら、はるきがぐるりコンパクトではあるが天井の高い新車のまわりをまわっていた。

「意外な感じもしたけど、タカユキくんらしいチョイスかな…って」

 まだ熱い缶を注意深く差し出しながら首をかしげやれば、似合う車っていいですね……そんなにこだわって吟味したわけでもなかったのだが、自分でもセダンは似合わないと思って選んだだけに、なにやら気恥ずかしい思いがした。



 たぶん、気が付いたのは同時だった。

「ん?」

「え?」

 疑問符を伴う声をあげたのも――。

 まだ、夜と呼ぶには早い明るさが残ってはいるが、やはり暗い。所々、山肌と林に挟まれた車道はどうにか二車線――民家の気配のない道には当然、光源は車のライトくらいしかない。道端に一瞬、ふわりとこぼれて消えた青白い光が、目を引かないわけはなかった。

「タカユキくん……」

「はい」

 しばしの戸惑いの後、結局、車を路肩によせていたのは、はるきはおそらく振り向く窓越し――堯之もバックミラーに、ちろちろ揺れるオレンジ色の光を認めるせい。


 火事……?


 この辺りに住居はなかったはずだし、車のようなものもの今は見なかったと思う――対向車は、もっとずいぶん手前ですれ違ったきりだった。

 けれども、ゆらゆらと不規則に明るさを変えるそれは――思い返せば意外と日常生活で見る機会が減っている気がする、炎の揺らぎに思えてならなかった。幸い、急速に成長しているようではないが、例えば――ポイ捨てされた煙草が、じわじわと枯葉を燃やした挙句、ついに炎を上げたとも考えられる。原因はともかく、事実、炎であるなら――見過ごしていいものでは、決してない。

「はるきさん、電話の用意しておいてください」

 車を降りて、通過した道を駆け戻る。

 すっかり木陰になっていたが、車道からほんの四~五歩も踏み込んだ場所に、打ち捨てられ一部が崩れ始めた物置小屋があったらしい。炎は、その足元を舐めているものか――建物の残った壁を照らしていた。

「はるきさん――!」

 振り返って呼ぶ――後から追ってきていたはるきが足を止めるのは、手元のスマートフォンを操作するためだと了解して、できれば消火を……今一度、炎に視線を戻した堯之は、再び焦って駆けだしていた。

 オレンジ色の明かりに照らされて、華奢な人影を認めたからだ。秋も深まるこの時期に、白いシャツ姿であるのは、一瞬、炎を遮った――黒い影が、上着だったのかもしれない。

「あっ……!」

 短い悲鳴――手にしたそれに火が移ったのだろう、明るく燃え上がる塊を放り出して、人影は背後によろめいた。

「危ない――!」

 駆け寄り、腕に抱き込んだのは――倒れるところを支えたのではなく、さらに炎に向かおうとする身体を留めるため。

「落ち着いて! 水か……土を」

 古びているとはいえ防火性を保った塗り壁が生きている面であったおかげか、火はまだ焚火と呼べる規模の勢いだ。消し止めることができるかもしれないし、火の広がるのを防ぐことはできるかもしれない。

 炎に手を伸ばしてもがく――声からすると、おそらく『彼』の肩を抑えて、炎のおかげでいくらか伺える周囲を見回した。


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