day27:渡し守


「長旅のつもりゃあなかったんじゃが、帰ってみりゃあ、泉に蓋がされとってんよなぁ……」


 それは、夢とわかる夢だった――。

 老人と思うほどではないが、隠居の気配も感じれば壮年と呼ぶにはやや遅いだろうか……堯之たかゆきには、他人の年齢を的確に推し量る素養がないので、大抵いつも迷う。小柄で痩せた白い着物に白いたっつけ袴、草鞋履きの足元はなるほど、旅に出ていただというだけあって、いくらか薄汚れてはいる――しかしながら、白いが豊かな蓬髪、口元を白くひげで覆われた彼の背中はすっくと伸びあがり、足取りも力強くはあったので……実は若い可能性も充分にあると思いもした。

 彼には、泉に棲む恋人がいるのだが――しばしのつもりで旅に出ていた間に、人間の都合により泉が塞がれてしまっていたのだと言う。

 なぜ、自分にそんな話をするのだろう?……疑問に思う間にも説明されるところ、件の泉は木ノ瀬きのせ家の脇の坂を下りきった先、辻堂のそばに湧いているらしく――。

「困りよったら、ちょうどええとけぇ波長の合いそうなお主がおってじゃけぇ――」

 つまりは、単に手近であったというだけであれば、正直なところ――『堯之だから』と言われるより気が楽だ。


「ちょっとでええけん、頼まれてつかーせぇ」


 彼は、肩を縮込め、切々と手を合わせた。



 泉は、向かいの山の麓――辻堂の道を挟んだ対角側に湧きだしていた。

 朝になって訊いてみたところ、母が子供の頃には――湧き水を湛える小さな囲いが作られ、柄杓が添えられていたりと、誰でも飲むことができていたらしく、お堂でお大師様のお祭りをする際には、泉の水でお接待の赤飯を炊いていたこともあったらしい。

 こういう時には相談する約束をしていたはるきを伴って、改めて辻堂に添えられた謂れを読み返せば――平安末期の旅の法師がこの地に立ち寄った際、旅の疲れを癒してくれた清水に感動して歌を残したそうで……歌に詠まれた『清水』というのが、その湧き水であるようだ。なるほど、多少文字が擦り切れてはいるが――確かに、道路脇に小さな案内が建っている。

「でも、これ――俺たちが勝手に触っちゃまずですよね?」

 案内の指す階段を下りてみると、四角い水槽のように整備されていたと思しき泉は、さらに半分に割った竹を並べた蓋でもって覆われていた。

 自分達の仕業でなければもちろん、公的私的に関わらず、勝手に外してよいものではないだろう。

「そんな乱暴な方法は必要ないですよ――波長が合ってるようですから」

 促されて、泉を覆う天井に触れるか否か――手をかざす。

「願ってあげれば、あとは――彼が自分でなんとかしますよ」

 人間の作った障壁なので、さほどのチカラを持たないものには――波長の合う人間の意思に橋渡しを手伝ってもらわないと、ちょっと難しいのだそうで。


 ともかくも、彼と恋人が無事に再開できることを――願う。


 ちょろり…視界の隅を白い影がかすめたと思えば、振り向くより早くほとんど白い灰色のヤモリが手元に這い寄っていて。

「え……?」

 瞬時に、『彼』だと判断した自分より、いくらか予想していたらしい自分に驚いた。

 とぷ…堯之のかざす手に触れる、ヤモリの前足の独特の感触。


『ありがとう』


 夢で聞いた声が聞こえた気がしたとき――掌の影から、ぬらりと背の濡れた一匹のイモリが現れた。

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