day2:透明


「タカユキ、タカユキ――!」

 庭から少年の声が堯之たかゆき呼ぶ。

 縁側まで出てみると、夏の陽射しの下――オーバーサイズのティーシャツに膝丈のジーンズ姿の少年が、こっちこっち……庭の石垣近く、蔵の白い壁を指して手招きしていた。日に透けるような茶髪を小学生程度の見目相応に襟足短く整えているが、印象的な目尻の少しつり上がったアーモンド形の目元――堯之に認識されることで随分と自由が効くようになったとかで、堯之とはるき以外の人間に目撃されそうな機会には、今どきの子供のように装っているところの――こがねである。と言うもの、多分に本人はその姿を楽しんでいるに違いなく、着ているティーシャツが大きいのは、彼が堯之の持ち物を着たがるせいだ。

「タカユキ、来いよ――蝉がいる。ミンミンゼミ」

 はしゃぐ様子は、まるきり夏休みの小学生男子のそれだが、はて――彼は、この家の神棚の露払いとして、ン百年ほど存在しているだろうわけで……言い方は悪くなるが『蝉ごとき』に喜ぶとは、少々意外だった。

「へぇ、ミンミンゼミ? 見たい、見たい!」

 しかし、ひょっこり…脇から堯之を追い抜いて、さっさと沓脱石に置いていた草履をつっかけて庭に降りるのは、いつもの白衣に袴姿の友人で――仕事着なのは、夏祭りの御旅所役の説明に来ているためだ。

 というか、彼にしても……それほど、蝉に喜ぶ手合いには思わなかったのだが。

「タカユキくんも早く――逃げちゃうよ」

 おいでよー……こがねの頭の上から覗き込みつつ、手招かれる。

 正直をいえば、堯之的に節足動物にあまり積極的な好意のあるものではないのだが……。

 しかしながら、どうにも……熱心な招待は、赴かねば止まぬのだろう。


 まぁ、見るだけなら……。


 サンダルをひっかけてふたりの脇から伺えば、壁にちんまりと――思ったよりも小さな蝉が留まっていた。

 小作りな頭部と短い胸部と腹部、黒い背に緑のまだら模様が浮かび、透明な羽はずんぐりとして思える身体に余るほど長い。

「透き通ってて、綺麗だよね」

 感動を隠さない、はるきの言葉通り――確かに、明るい太陽の下で眺めているには、芸術的ななにかを思わせないでもないが……。


「タカユキ……?」

「タカユキくん……?」


 さすがに、反応の違和感に気づいたのだろう――同時に振り向いたふたりは、同時に同じ方向に首を傾いだ。


 いや、訊きたいのは、こっちなんだけど……?


「あ!」

 ひとまず、なにをかを思いついたのは――はるきだった。

「そっか。タカユキくん、名古屋だったっけ? クマゼミの地域だ」

 肯定疑問を投げかけられても……さほど昆虫に詳しい自負がなければ、やはりまだ話が見えなくはあったのだが。

「このあたりだと、『蝉』って言ったらだいたいアブラゼミだから……透明な羽の蝉って、ちょっと憧れあってさ」


 俺が、渓流に浮かれるのと……似たようなものか。


 ぱたた……。

「あ――」


 なるほど……合点を覚えたところで、乾いた羽音とこがねの声がして――件の蝉が飛び立った。

 思わず目が追う――。


 きらり…透明な羽が陽光に煌めいた。



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