第19話:クマさんの刺繍

 ヒヨコ走りで迫ってくるナーガス。

 両腕を上げて俺に襲い掛かろうとしている。

 表情はまさに鬼の形相。怒りに我を忘れているようだ。

 言葉にならない叫び声をあげている。

 ナーガス……それ負けフラグが立ちまくってるよ。

 俺は短く息を吸うと、擬音を唱える。


ズコー!


 ヒヨコ走りをしていたナーガスがふわりと浮いたかと思うと、くるりと体を上下反転させる。

 そして、ぴーんと直立した体勢で頭から地面に勢いよく落下。

 頭と両肩で体を支えた状態で倒立する。両脚は足首にかかったズボンが枷になって、だらしないガニマタ開きだ。


『どすこい妖怪相撲!おにぎり丸くん』。

 妖怪世界の横綱を目指すおにぎり丸くんが、現代日本で武者修行をするギャグ漫画。妖怪と人間のカルチャーギャップで、頓珍漢な行動をしてしまうおにぎり丸くん。キメ台詞は「もろ出しぃ~」。

 正直、俺はあまり面白いとは思わない。それはギャグが低年齢向けのいわゆる定番ギャグだから。小学生時代に読んでいたら、きっと下らな過ぎてゲラゲラ笑っていただろう。

 俺が使用した擬音は、SNSをSMと勘違いするシーン。女王様スタイルになったおにぎり丸くんを見て、みんながずっこけるコマに描かれた擬音だ。

 ……ギャグ漫画のギャグを端的に表現すると寒い。でも、それは俺のせいじゃない。

 おにぎり丸くんのせいだ。

 信じられないかもしれないが、この漫画は朝の子供向け番組でショートアニメ化されている。  

 俺も信じられないので、これ以上は聞かないでほしい。


 そんなことよりもナーガスだ。

 きれいな三転倒立のまま、微動だにしない。

 恐る恐る近づいて奴の顔を覗き込むと、強く頭を打ったようで白目をむいている。

 どうやら気絶しているよだ。


「あれをご覧になって!」


 観衆の女性がナーガスを指さして叫ぶ。

 指さしたところはたぶんナーガスの背後だろう。

 顔を覗き込んでいた俺は、ナーガスの背中側を恐る恐る見る。

 すると、そこには奴のピンク色のブリーフが見えた。

 しかも、お尻の部分に可愛いクマさんの刺繍がでかでかと縫われている。


「可愛い!」

「カッコいいのに、可愛い物好きなんて……反則よ!」

「この光景を目に焼き付けないと!」


 女性陣が騒ぎ出す。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言うから、「推しが尊けりゃパンツまで尊い」ってことなんだろう。なんかこの村の女性陣が怖い。

 そんなことより、勝敗はついたはずだ。

 俺は村長に視線を送る。

 村長は軽く頷くと立ち上がり、4カウントをとっていく。その間、ナーガスは倒立したまま動かない。


「この決闘は、異世界の魔術師、ポチの勝利とする!」


 村長が大声で宣言する。

 ここで俺は訓練中に考えていた決め台詞を吐いた。


「お前の敗因をラストページに刻め!」


 観衆は無反応だった。

 漫画の主人公っぽいことを言ってみたかっただけなんだけど、ダメですかね?

 だんだん恥ずかしくなってきたところで、背後に衝撃を受ける。

 ナーガスが復活したのかと思って振り返ると、レミさんが俺に抱き着いていた。

 勝敗がついたので、彼女が張った結界が解除されたようだ。


「よくやった! ポチ君! さすが私とソラが召喚した異世界人だ」


 彼女の両腕が首に巻き付いて苦しいが、それよりも背中に当たる胸の弾力が心地いい。

 現実世界でこんな感触を味わったことはない。

 ここは紳士的に彼女に「胸が当たっていますよ」と指摘するべきかもしれないが、俺は別に紳士じゃないから言わないでおく。それにこんな決闘をすることになった原因はレミさんなのだから、これくらいのご褒美はあってもいいはずだ。


「お姉ちゃん! はしたないですよ。ポチさんも困ってますよ」


 遅れて駆け付けたソラちゃんが、レミさんの袖を引いてたしなめる。

 いや、ソラちゃん。もう少しこのままでいいんですけど。

 背中に集中していた意識を外に向けると、会場から大きな歓声が聞こえてきた。

 大半は女性がナーガスのパンツを称賛するものだったが、男性陣からはナーガスを情けない姿で倒した俺への称賛だった。


 ナーガス……お前、女性に好かれ過ぎたから、男性陣から相当嫌われてるぞ。

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