19.四条金吾

金吾のだんなは、おやじが身延に入ったあと、南無妙法蓮華経の信心をめぐって主君や仲間の武士たちと険悪な仲になって、何年も苦しい思いをしていたよ。


だんなの正式な名前は、何と言ったかな。四条しじょう中務なかつかさ三郎さぶろう左衛門尉さえもんのじょう頼基よりもと、か。武家の人は名前が長いね。親や兄弟たちからすると呼び名は三郎、公の場では頼基よりもと、で、おやじは金吾どのと呼んでいた。左衛門尉さえもんのじょうの別名が金吾というんだそうだ。身分のある人は、なかなか素直に名前を呼ばせてくれないよ。


四条家は代々、北条家に仕えていたそうな。北条家の中でも、だんなの親父やじいさんは北条朝時ともときに仕えていた。承久の乱のときは、総大将の北条泰時やすときの兄として、北陸道を進む大軍団の大将をつとめた、あの朝時だ。


本当だったら、朝時も、その子の光時みつときも、血筋からいうと、執権にだってなってもおかしくないほどの上のほうの人たちだ。けれど、どうもうまく出世できなかったみたいで、光時なんかは、執権をつとめた北条時頼に歯向かおうとして、しくじって伊豆へ流罪にされたこともあった。しばらくして鎌倉に戻って来られたけどね。この伊豆に流されたときに、光時たちは伊豆の「江間えま」という土地にいたんで、この流罪のあとからはその地名をとって江間氏を名乗ることになった。


そういう、血筋のよい名家でありながらなんかパッとしない江間家に、四条家は代々、文句も言わずに忠節を尽くして来た。光時が伊豆に流されたときも、金吾のだんなの父上は、大人しく付き従って仕えたんだってよ。

二月騒動の時は、前にも言ったように、金吾のだんなはすぐに江間家の屋敷まで駆けつけた。主君にもしものことがあったら腹を切って死のうとしたんだ。この謀反さわぎには、江間光時の弟の、教時のりとき時章ときあきらが関わっていたから、兄である光時の一族もまとめて成敗されちまっておかしくない。そうやって追い詰められちまった主君のもとに駆けつけた武士は、八人だけだったそうだよ。その八人の忠義者ちゅうぎもののうちの一人が、金吾のだんなさ。結局、江間家は潰されずに済んだ。だんなが必死に南無妙法蓮華経の題目を唱えたおかげだよ。日蓮のおやじもおれも、佐渡から必死に祈っていたしね。


何というか、金吾のだんなは、竜の口の処刑場ではおやじと一緒に死のうとするし、そのすぐ翌年には、主君と共に死のうとするし、ひとつしかねえ腹にそうたびたび刃を突きつける人もいないよ。そのくらい、信心も忠義も、命がけで突き進む人ってことだ。


ただ、その猛烈さが裏目に出ちまうことも多かった。周りの武士たちの中で、念仏や禅の信仰を熱心にやっている奴らを見ると、片っぱしからケンカを売っていた。ケンカといっても殴り合いじゃないよ。日蓮のおやじから教わった通りに、念仏や禅の教えを論破するんだ。


もちろん、邪宗を破折するのはおやじの教えを素直に実践しているだけなんだから、いいことだ。けど、金吾のだんなの場合、どうも相手を見下しているというか、言い負かしてバカにして傲慢な態度をとることがあってね。それで相手の恨みを買うことがちょくちょくあった。江間家のとある大事な法要の時、主君がわざわざ招いた念仏の高僧を、法要の最中にいきなり破折し出したこともあったそうだよ。無礼者として主君に叱られて、法要の場からつまみ出されたってんだから。だんなのそういう乱暴な性分のことは、日蓮のおやじも厳しく指摘して、言い聞かせていたけども、そこだけはなかなか直らなくて。


【殿は一定いちじょう腹あしき相かおにあらわれたり。いかに大事と思えども、腹あしき者をば天は守らせ給わぬと知らせ給え。】

(金吾どのは、性格の悪さが顔にあらわれています。どれほど大事に思っても、性格の悪い人を天はお守りにならないと認識してください。)


おやじとおれたちが佐渡から帰って来た時には、金吾のだんなは嬉しいあまり、いつもの十倍勢いづいてしまって、江間家の武士たちにどんどん法論をふっかけただけじゃなく、とうとう主君の江間光時にまで、噛みついた。光時は極楽寺良観を敬って、熱心に念仏を唱えていたから、そんなことをしていたら地獄に堕ちますぞ、南無妙法蓮華経の題目を唱えるべきです、と、主君に面と向かって言いきったんだ。


これは騒ぎになった。家臣が主君の信心を批判するなんて、とんでもねえことだ。他の家臣たちは、四条金吾が主君を侮辱したと受け止めた。主君への反逆だと言う奴もいた。


もちろん、主君が間違ったことをやっている時には、その間違いを正すのが、家臣の務めだろう。たとえ主君の怒りを買っても、言うべきことは言うのが本当の武士だろうよ。


だから日蓮のおやじも、金吾のだんなが主君に南無妙法蓮華経の信心を勧めたことを、褒めた。ただ、もうそれ以上はやっちゃいけない、とも言ったんだ。


【主君にこの法門を耳にふれさせまいらせけるこそ、ありがたくそうらえ。今はおんもちいなくもあれ、殿の御とがまぬがたまいぬ。これより後には口をつつみておわすべし。また天も一定いちじょう殿をば守らせ給うらん。これよりも申すなり。かまえてかまえて御用心候べし。いよいよにくむ人々ねらい候らん。】


(主君に南無妙法蓮華経の信心の話をしたのは、まれにみる尊いことです。すぐには理解されないでしょうが、金吾どのは、言うべきことを言わなかった罪を免れたことになります。これ以後は、口を慎むようにしてください。天も必ず金吾どのを守るでしょう。くれぐれも用心してください。今回の件で金吾どのに悪意を抱くようになった人々が、その命を狙うでしょう)


佐渡から帰って来た年のことだったから、日蓮のおやじが五十三歳のころのことだな。


江間光時も、その後継ぎの親時も、南無妙法蓮華経を信じることはなかった。金吾のだんなも、おやじの言うことを聞いて、それ以上強く主君に向かって信心を勧めたりはしなかった。ただ江間家の武士たちは、だんなを不忠者と見なして、裏でコソコソ話し合っては、大勢でつるんでだんなを問い詰めたり、嫌味な態度をとったり、だんなのお役目に協力するのを渋って困らせたりした。だんなはよく辛抱していたけど、たまーにプチンと切れて、手は出さないが、あのコワイ顔でそいつらをにらみつけたり、大声で怒鳴りつけたりすることはあったらしい。そうなると、そいつらは恨みを抱いて、しつこくだんなを攻撃して、中にはチンピラを雇って夜道のどさくさにだんなを斬り殺そうとする者まで、本当にいたんだ。


おやじは、江間家の家臣たちから反感を買っていた金吾のだんなの、身の安全のことをずっと心配していた。だんなに対して、何度も手紙を送ったり、使いに伝言を頼んだりして、くれぐれも大人しく、穏やかにして、強い態度に出ることのないよう、言い聞かせ続けた。不意をつかれて襲われるのも心配だし、だんなが耐えられなくなって逆に誰かを斬りつけでもしたら、おしまいだもの。


つらい毎日を送っていた金吾のだんなは、ある時には、主君と江間家の家来たちに嫌気がさして、江間家を飛び出して他の誰かに仕えようかとまで思いつめたこともあった。あと、いっそ頭を丸めて入道になって隠居して、江間家とは関わらないようにしようか、とも漏らしていた。それを伝え聞いた日蓮のおやじは、その心得ちがいを指摘した。邪宗を信じる主君とはいえ、金吾のだんなにとっては恩のある人だから、おろそかに考えてはいけないってことを、丁寧に諭していたよ。


【日蓮がさどの国にてもかつえしなず、またこれまで山中にして法華経をよみまいらせ候は、たれかたすけん。ひとえにとのの御たすけなり。また殿の御たすけはなにゆえぞとたずぬれば、入道殿の御故ぞかし。あらわにはしろしめさねども、定めて御いのりともなるらん。こうあるならば、かえりてまた、とのの御いのりとなるべし。父母の孝養も、また彼の人の御恩ぞかし。かかる人の御内をいかなる事有ればとてすてさせ給うべきや。かれより度々すてられんずらんは、いかがすべき、またいかなる命になる事なりとも、すてまいらせ給うべからず。】


(日蓮が佐渡の国でも飢え死にすることなく、今も身延の山の中で法華経を読んで暮らしていけるのは、誰の助けによるものでしょうか。ひとえに、金吾どのの助けによるものです。また、金吾どのが助けてくれるのはなぜかと考えれば、主君である江間光時入道どののおかげではないですか。光時どのにそのつもりはなくとも、必ずや祈りとなって天に届いているでしょう。そうであるなら、それは金吾どのの祈りともなります。父母に孝養ができるのもまた、主君の御恩ではないですか。そういう恩ある主君のもとを、どんな理由があるにせよ、捨てて出て行くべきでしょうか。主君のほうから、見捨てるようなひどい仕打ちを受けることは、仕方のないことですが、たとえ命に関わるようなことがあったとしても、あなたの方から主君を捨ててはなりません。)


竜の口の法難をきっかけに弟子たちが牢に入れられたり、住んでる土地を追われたりしたときも、金吾のだんなは無事だった。それはやっぱり、北条家の一族である江間光時が、その力でもってだんなを守ってくれたからだ。おやじが佐渡にいた時、だんなが自分の領地を出てはるばる佐渡まで旅することができたのも、光時が寛大にそれを許してくれたからだ。普通だったら、武士が領地から遠く離れて、しかも罪人に会うために佐渡まで行くなんて、許されるはずがねえ。そういうこところをよく考えて、主君の恩というものを大事にするよう、おやじはさとした。


【この文御覧ありて後は、けっして、百日が間、おぼろけならではどうれいならびに他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず。主のめさん時は、ひるならばいそぎまいらせ給うべし。夜ならば、三度までは頓病の由申させ給いて、三度にすぎば、下人また他人をかたらいて、つじをみせなんどして御出仕あるべし。こうつつませ給わんほどに、むこ人もよせなんどし候わば、人の心またさきにひきかえ候べし。かたきを打つ心とどまるべし。申させ給うことは御あやまちありとも、左右なく御内を出でさせ給うべからず。ましてなからんには、なにとも人申せ、くるしからず。おもいのままに入道にもなりておわせば、さきざきならばくるしからず、また身にも心にもあわぬことあまた出来せば、なかなか悪縁度々来るべし。このごろは、女は尼になりて人をはかり、男は入道になりて大悪をつくるなり。ゆめゆめ、あるべからぬことなり。】


(この手紙をご覧になった後は、決して、百日の間、特別な事情がない限り同僚や他人と自宅以外の場所で夜の酒盛りを行ってはなりません。主君から呼ばれた時は、昼間ならば急いで出仕してください。夜であれば、三度までは急な病を理由に断り、三度以上呼ばれたら、下人や他人を同行させ、道の辻に敵がいないか確かめさせるなど用心して出仕すべきです。このように身を慎んでおられるうちに、蒙古の襲来などがあれば、人の心も以前とは変わるでしょう。金吾どのをかたきとして討つ心も無くなるでしょう。金吾どのが言われたことに間違いがあったとしても、すぐに江間家を飛び出すべきではありません。まして間違いが無いのであれば、人が何を言おうとも、気にすることはありません。思いのままに頭を丸めて入道になるなどする場合、未来にそうするのであればまだしも、身にも心にも合わない辛いことが数多く起きたとき、軽くない悪縁がたびたび生じるものです。今の時代は、女性は尼になって人をだまし、男は入道になって大きな悪事をはたらくのです。決して、入道になどなってはなりません。)


そうそう、領地替えの話もあった。これが本当にやっかいでね。主君からの命令で、だんなの領地の一部が召し上げられて、代わりに、別の領地を与えられることになったんだ。しかしその領地は鎌倉から遠いし、それまでの領地よりは実入りの少ない土地だった。つまりはだんなの収入が減らされることになったんだ。だんなは怒って、江間家相手に訴訟を起こす計画まで立てた。これも、日蓮のおやじは、どうにかなだめて、あきらめさせた。


【このこと御訴訟なくて、またうらむることなく、御内をばいでず、我かまくらにうちいて、さきざきよりも出仕とおきようにて、ときどきさしいでておわするならば、叶うことも候いなん。あながちにわるびれてみえさせ給うべからず。】


(訴訟はせず、主君を怨まず、江間家から飛び出すようなことをせず、しっかりと鎌倉に居て、以前よりも出資を控えめにし、時々出仕するようにすれば、いい結果になることもあるでしょう。あからさまに敵意を見せるようなことがあってはなりません。)


だんなは江間家の中で苦しい思いをしていた。とはいえ主君の江間光時は、決して金吾のだんなを心底嫌ってるわけじゃなかった。親の代から、光時の立場が危うい時も離れずに仕えて来た忠義は伝わってる。周りの家来たちが騒がしいのは、耐え忍んでいればいつかおさまる。日蓮のおやじはそう見込んでいた。


ところが、その主君まで、金吾のだんなを責め立てて来るようになる事件が起きた。おやじが五十六歳の時だ。金吾のだんなが、最初に主君の念仏の信仰を破折してから、三年後のことだ。


竜象房りゅうぞうぼうっていう坊主がいてね。元は比叡山で学んでいた秀才だったんだが、何やら事件を起こして、比叡山から追い出されたらしい。なんでも、人間の肉を食ったというウワサだが、何しろよほどなことをやらかしたんだろう。で、行くあてに困って、鎌倉の極楽寺良観を頼って来た。良観はこいつを受け入れて、面倒を見てやることにした。


良観が竜象房に指図して、慈善活動の手伝いをさせたり、寺で信徒たちに説法をやらせてみたりすると、案外いい働きをする。やがて竜象房は、良観一派の坊さんたちの中でも信徒たちに人気のある名僧の一人になった。


鎌倉の、長谷寺から大仏のほうに行く途中の道に桑ヶ谷くわがやつってところがあって、良観が立てた寺や病人のための療養所があるんだが、竜象房はそこに住んで、鎌倉の人々に仏法を説いた。これが、わかりやすくて面白い説法だったみてえで、評判を呼んで、たくさんの人が聞きに来るようになった。


この評判を聞いて、日蓮のおやじの弟子の三位房さんみぼうってやつが、竜象房に法論を挑んでやろうと考えた。この三位房ってのも、比叡山で修行したことのある奴でね。知識が豊富で、弟子たちのなかでは日興と並び称されるくらい、法論に強かった。日興はおれと一緒に身延でおやじの近くにいたから、このころ鎌倉にいた弟子たちの中ではこの三位房が一番威勢がよかったかもな。


ただ、頭はよかったんだが余計なことをしたがる奴で、この法論に金吾のおやじを連れて行ったんだ。金吾のおやじも仏法を学ぶことには熱心だったから、三位房に声をかけられて、勉強にもなると思って喜び勇んでついていった。これがよくなかった。


法論自体は、なんてことはなくて、簡単に三位房が勝った。竜象房は、何も知らねえ人々にはペラペラとありがたそうな話をできるんだけど、専門的な突っ込みが入ると何も言えなくなる、その程度の奴だったのさ。佐渡の塚原問答のときにおやじの前に出て来た連中と同じだね。


問題はそのあとだ。何日か後、主君から命令書が届いた。この時の主君ってのは、江間光時のあとを継いだ息子の江間四郎親時ちかときの方だ。命令書にはこんなことが書いてあった。


「四条金吾、お前は竜象房の説法の場に武器を持った者たちを連れて行き、穏やかならぬ振る舞いをした。私は竜象房と極楽寺良観様を阿弥陀如来とも釈迦如来とも思って敬っている。お前も臣下であるからには、何事も主君に従うことが正しい道であるはずだ。今後は、日蓮の教えを信じないと約束し、起請文きしょうもんを書いて提出せよ」


この命令書は、金吾のだんなが手に取って開く前に、まず江間親時の奉行人が、主君からの命令としてだんなにうやうやしく読んで聞かせた。そうする決まりになってるからね。この主君の言葉を聞いた時の、だんなの怒りと悲しさを想像すると、さすがに気の毒だよ。それからだんながどれほどわめき散らして暴れたかを考えると、だんなの女房や屋敷の家人たちも気の毒なことだ。全部、大ウソのデタラメだもの。法論に負けた竜象房が、親分である極楽寺良観に泣きついて、親分は子分を守らないといけないから、江間親時にウソを吹き込んで仕返しを企んだんだろう。生真面目きまじめで道理から外れたことが大キライな金吾のだんなが、これほどのデタラメを突きつけられて、正気でいられるわけはない。


いや、これがちょっと前のだんなだったら、本当にまた腹でも切りかねないところだった。けど、これまで三年も嫌がらせを受け続けてきて、隠居だ訴訟だと騒ぎながら、日蓮のおやじの教えを守って耐え忍んできたんだもの。それは短気なお人とはいえきもが出来上がっているよ。


金吾のだんなは、わめき散らした後に、よく深呼吸をして心を落ち着け、しばらく題目を唱えて、唱え終わると筆をとって逆の起請文を書いた。つまり、


「主君に捨てられ、領地を失うことになろうとも、南無妙法蓮華経の信心を絶対に捨てない」


てことを誓う起請文を書いたのさ。そして使いの者に、主君からの命令書と、この起請文を持たせて、身延にいるおやじに届けた。おやじは、池上兄弟の時と同じように、だんなのこころざしの厚さに感動していたよ。


【たとい日蓮一人は杖木・瓦礫・悪口・王難をもしのぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは、いかでか叶うべき。「中々信ぜざらんはよかりなん。すえとおらず、しばしならば、人にわらわれなん」と不便におもい候いしに、度々の難、二箇度の御勘気に心ざしをあらわし給うだにも不思議なるに、かくおどさるるに、二所の所領をすてて法華経を信じとおすべしと御起請候こと、いかにとも申すばかりなし。】


(日蓮ひとりだけであれば、暴力、悪口、権力者からの迫害を耐え忍ぶことができても、妻子を持つ仏法を知らない在家の人たちは、どうして耐え忍ぶことができるでしょうか。「かえって信じないほうがよかったのではないか。信心を貫くことができず、少しのあいだ信じただけであれば、人に笑われるだろう」と可哀そうに思っていましたが、度々の迫害、二度の流罪の時に強い信心を見せられただけでも不思議であるのに、このように主君に脅されながら、領地を捨てても信心を貫くと誓われたこと、言葉にできないほど素晴らしいことです。)


おやじは、すぐに三位房を呼びつけて話を聞いた。それから、桑ヶ谷での問答の場にいた人たちや、竜象房や極楽寺良観の近頃の様子を知る人たちの話を集めた。命令書がデタラメなのは間違いないとして、じゃあ実際のところはどうだったのか、細かく確認したんだ。


その上でおやじは、今回の事件を文章にまとめ、金吾のだんなこそ正義であり本当の忠臣であることを強く訴える内容の「陳状」を、書いて、だんなに送った。いざという時はこの陳状を江間親時に読ませれば、理解してもらえるだろうおやじは予想していた。


だが、陳状がだんなの手元に届くまでの間に、状況が変わった。


主君の江間親時が、流行り病にかかって倒れちまったんだ。死にはしなかったが、起き上がるのもやっとの状態が何日も続いた。ついでに竜象房のヤロウも同じ流行り病で倒れて、その後どうなったかのか、助かったのか死んじまったのかわからない。つまり、竜象房との法論から始まった起請文問題は、すっかりそれどころじゃなくなっちまった。


思えば、日蓮のおやじは、だんなのために書いた「陳状」に添えた手紙で、だんなにこう言っていた。


「主君にこう言ってやりなさい『私の領地は、主君の病を法華経の薬によって治した手柄によって賜った領地です。この領地を取り上げるというのなら、病もまた主君に戻って来るでしょう』と」


いやいや、本当にその通りになっちまった。


【「この所領は上より給びたるにはあらず。大事の御所労を法華経の薬をもってたすけまいらせて給びて候所領なれば、召すならば御所労こそまたかえり候わんずれ。その時は、頼基に御たいじょう候とも、用いまいらせ候まじく候」と、うちあてにくぞうげにてかえるべし。】


(「この所領は主君から単にいただいたものではありません。主君が大変な病にかかられたのを、法華経の薬を用いてお助けした功績によっていただいた所領ですので、これを召し上げられるならば、病がまた戻って来ることでしょう。その時は、私、四条金吾頼基に詫び状を示して謝罪なされても、用いることはありません。」と言って、憎らしげに帰りなさい)


親時が病の床につくと、江間家の家来が血相を変えてだんなの屋敷にやって来た。だんなの医学の知識は江間家随一だし、親時の父の光時のころから、ずっと何年も主君の病を診て来た。薬も、主君の体質に合わせていくつも調合してきた。病となったら、まず金吾のだんなを真っ先に頼るしかない。


それみたことか!ていう顔をしたいのを、だんなは我慢して、医学の知識をひけらかすこともせず、病状についてあれこれもっともらしい講釈をたれて崇拝されようともせず、謙虚でいなさいっていうおやじの教えを固く守って、主君に尽くした。


【とののいよいよ来るを見ては、一定ほのおを胸にたき、いきをさかさまにつくらん。もしきゅうだち・きり者の女房たち「いかに上の御そろうは」と問い申されば、いかなる人にても候え、膝をかがめて、手を合わせ、「某が力の及ぶべき御所労には候わず候を、いかに辞退申せども、ただと仰せ候えば、御内の者にて候あいだ、かくて候」とて、びんをもかかず、ひたたれこわからず、さわやかなる小袖、色ある物なんどもきずして、しばらくにょうじて御覧あれ。】


(金吾どのが主君に信頼されて看病しに来るのを見れば、金吾どのを敵対視していた家臣たちは憎しみの炎を胸に抱き、逆さまに息をつくことでしょう。もし主君の家族が「主君の病状はどうなのか」と聞いてきたら、それがどのような人であっても、ひざをかがめて、手を合わせ、「私ごときがどうにかできる病ではないのですが、いくら辞退しても強く求められるので、私は江間家の家臣であるため、仕方なく診ています」と言って、びんもかかず、直垂も控えめなものにして、さわやかな小袖や派手な色の服も着ないようにして、しばらく忍耐を続けて、この先にどうなるか見ていてください)


江間親時の病状は、一時は相当悪かったようだが、金吾のだんなの看病と、調合した薬のおかげで持ち直した。これで親時も、親時の家族も、だんなのことを大いに見直した。その忠義ぶりを目の当たりにして、竜象房の一件なぞどこへやら、だんなこそ江間家随一の忠臣として、信頼するようになった。


その翌年からは、江間親時が出仕する時には必ず金吾のだんなをお供に連れて行くようになった。出仕する江間家の行列を見た鎌倉の人たちは、馬にまたがる金吾のだんなの姿を見て、たいそう立派な武士が江間家にはいるもんだとささやき合ったということだよ。


【殿のすねんが間のにくまれ、去年のふゆはこうとききしに、かえりて日々の御出仕の御とも、いかなることぞ。ひとえに天の御計らい、法華経の御力にあらずや。その上、円教房の来って候いしが申し候は「えまの四郎殿の御出仕に御とものさぶらい二十四・五、その中にしゅうはさておきたてまつりぬ、ぬしのせいといい、かおたましい、むま・下人までも、中務のさえもんのじょう第一なり。あわれ、おとこや、おとこやと、かまくらわらわべは、つじちにて申しあいて候いし」とかたり候。】


(金吾どのがこの数年のあいだ憎まれ、去年の冬は苦しい状況だったと聞いていたのに、今では主君の日々の出仕にお供しているのは、どうしたことでしょうか。ひとえに天の計らい、法華経の力ではないでしょうか。その上、円教房が来て言うには「江間四郎光時どのの出仕にお供していた侍が二十四、五人いたが、その中で主君はさておき、背の高さといい、顔立ちといい、馬や下人までも、四条金吾が一番でした。男らしい、男らしいと鎌倉の子供たちは道々で言い合っていました」と語っていました。)


この一件の後も、金吾のだんなは勇ましく邪宗を破折していたから、逆恨みした連中から命を狙われることが度々あった。それでも、少しも怯まないで信心を貫いてるよ。おやじは何かにつけて、鎌倉にいる四条金吾を頼りにしていた。


熱原の農民たちの法難の時も、金吾のだんなは頼りになった。そう、最後にひとつ、この熱原の農民たちのことは話しておかねえとな。




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