18.池上兄弟

そういやおめえ、身延の久遠寺には行ったことあるかい?

ねえのか。まあいいや。

身延山ってところは、頂上へ行くと、富士山が山々の向こうから顔を出して、わりと間近にでっかく見える。それがいいところだけど、あとはまあ、身延のあたりは、道は険しいし、食えるもんは少ないし、冬は佐渡に負けないほど寒いし、なかなか気合いが必要なところだ。

身延山や身延沢の「身延」は、もともとは「蓑夫みのぶ」と書いたそうだ。それを日蓮のおやじが、「みのぶ」なら、身を延べながらえる意味の「身延みのぶ」としようと言い出して、地頭の波木井はきり実長さねながもそれは大変けっこうですというから、「身延」と書くことにした。

実長さねながはおやじのためにとりあえず小さな庵室あんしつを作ってくれた。その後しばらくしてそれなりにちゃんとした寺を建てた。これが今の久遠寺だ。


身延でのおやじは、とにかく門下の人たちに手紙を書きまくってた。仏法のことを、書いて書いて書きまくるのがおやじの仕事だった。月に十通ぐらい書いてただろうよ。何しろ、おめえも知っての通り、供養の品へのちょっとしたお礼の手紙ひとつ書くのにも、何かしら経典の話を書いたり、自分が経験してきたことを書いたり、ただでは済まさなかった。それはもう何ていうのか、何かきっかけさえあれば南無妙法蓮華経のことを書かずにおかない、ていう執念と気迫があった。墨も紙も、どんだけ蓄えててもすぐ無くなっていくから、切らさないようにヒヤヒヤしながら調達してたんだよ。


おやじが身延で暮らすようになってからも、門下の人たちは弘教に励んだ。鎌倉はもちろんのこと、駿河、相模、武蔵、安房、それから佐渡でも、おやじに教わった通り、念仏や真言を破折はしゃくして、南無妙法蓮華経の信心こそが正しい、ということを説いて回った。

そうなると、やっぱりいろいろと騒動が起きる。

四条金吾のだんなは、主君の江間光時に向かって、念仏の信仰をやめるように強く説いた。機嫌を悪くした光時は、だんなに辛くあたるようになって、家臣たちもだんなを責めた。

駿河の国の熱原ってところでは、日興と地元の農民信徒たちが、竜泉寺っていう大きな寺の坊主たちと戦った。

それからこの屋敷、池上家の人たちの間では、先代の当主の池上康光が、法華経の信仰を理由に、長男の池上宗仲を勘当するっていう事件が起きた。


池上家は代々、幕府の中では作事奉行っていう役職を務めている。屋敷や寺の建築や修理を取り仕切る役職だ。

その関係で、池上康光は極楽寺良観と親しかった。前にも言った通り、良観は戦乱や災害で行き場を失くした人たちに、寝ぐらと仕事を提供していた。そうやって集めた人足にんそくたちを、建築現場で働かせることもよくあった。池上家が幕府から指示された工事を、良観が集めた人足たちが手伝って、一緒に進めるってこともあったんだ。

だから康光は良観との関係を大事にしたし、真面目に高僧として敬ってもいた。一緒に酒を飲むこともあれば、良観の説法を聴きに極楽寺へ出かけたりもする。もちろんお布施もしっかりやっていた。


その一方で、日蓮のおやじの弟子たちの中でも長老格の日昭は、この池上康光の弟だ。それから、日朗は康光の甥っ子にあたる。おやじが定めた六老僧のうち二人が池上家の出身ってことで、おれたち日蓮のおやじと池上家は、関係が深い。


さて、池上康光の長男、後継ぎである宗仲は、日蓮のおやじの弟子だから、おやじの教えに従って、良観への布施をやめさせようとした。父親の康光に対して、平頼綱と手を組んでおやじの命を狙っているような悪党と、付き合っちゃいけねえってことを説いた。


康光は怒った。それは、怒るよ。仕事の上での大事な付き合いがある相手を、後継ぎとして育てた息子が悪く言う。その大事な付き合いを、やめろとまで言う。世間では、池上んところの長男が良観さまの悪口を言ってるそうだっていう話が広まる。


それで康光はある時、長男の宗仲と、次男の宗長を呼んで、二人に向かって言った。


「わしは良観様の教えを大事にして、南無阿弥陀仏の念仏を唱えている。お前たちも念仏を唱えろ、とまでは言わん。ただ、日蓮の言いなりにはなるな。良観様を悪しざまに罵ることは許さん。南無妙法蓮華経はやめよ。もし日蓮に今後も従うようなら、勘当を申し渡す。親子の縁を切る」


南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏のどちらが優れているのか。どちらも信仰するわけにはいかないのか。極楽寺良観を信じないというだけならまだしも、かりそめにも父親が尊敬する人だというのに、悪人として非難するとは何事か。そういったことは、長年にわたって何度も、康光と宗仲、宗長兄弟との間で、ギャーギャー言い合って来ていた。宗仲も宗長も、おやじが松葉ヶ谷に草庵をかまえたばかりの頃からの弟子だからね。歴が長いよ。


だから康光は、もうこの頃には、親子の間でそういった問答をゴチャゴチャ言い合うことはあきらめてた。ただ、相当な覚悟を決めて、

「南無妙法蓮華経の信心をやめなければ、親子の縁を切る」

って、それだけをスパッと言い渡したんだ。


兄弟とも、それは肝を冷やしたそうだよ。父親の命令だもの。しかもそこらへんのボロ家の五人家族の父ちゃんじゃねえ、広い領地に大きなお屋敷を構えた立派な武家の主が言うんだから、重みが違う。


それでも兄の宗仲は、心臓をバクバクさせながら、

「信心は、やめません。勘当されても、やめません」

と、どうにか言ってのけた。

康光は、無言でうなずいた。それから弟の宗長のほうを見て、

「お前は」

と言った。

宗長は、ワサワサと震えながら、何も言わなかった。

「宗長、お前はどうじゃ」

康光は返事を催促した。

それでも宗長は、うつむいて床の一点を見つめたまま、黙り込んでいる。

康光は、二度は催促しなかった。何も言えないで震えている宗長をしばらく見つめたあと、立ち上がって、さっさと部屋を出て行っちまった。

これで兄の宗仲の勘当が決まった。そして弟の宗長は、どうするか、池上家の一族郎党みんなが、あれこれとウワサしながら、宗長の動きに注目した。


池上宗仲が、すぐに身延のおやじのところに使いをよこして、この状況を詳しく知らせた。おやじはすぐに、池上兄弟に宛てて手紙を書いた。特に弟の宗長に向けて、南無妙法蓮華経の信心を捨てちゃいけねえ、過去の宿業を打ち払って、てめえの仏性の力を発揮して、てめえ自身はもちろん、こわい父親もその他の一族もみんな幸せにして行きたいなら、ここを踏ん張って乗り越えて、南無妙法蓮華経の信心を貫かないといけねえ、てことを全力で訴えた。


父親の康光に、信心を捨てるかどうか、日蓮のおやじを捨てるかどうか迫られて、震えるばかりで黙っちまった弟の宗長は、決して臆病な人じゃねえし、優柔不断ってわけでもねえ。度胸もあれば智慧もある。家業の、建築作業の指揮を執る時は、ビシビシと判断して指示して、兄貴に負けず立派なもんだよ。


しかし、普通に考えて、自分の父親に仏法への信心を捨てろと言われて追い詰められるなんてことは、まず無い。まして、信心を捨てなければ勘当されて、仕事も財産も全て失うなんて状況に追い込まれるなんて、この日本国の長い歴史の中にも、そう滅多には無いだろうよ。


だって、この世の中、仏法への信心ってのは、父親が念仏に熱心なら子も念仏をやるし、主君が禅に熱心なら家臣は禅をやるし、念仏と禅と両方やってもよくって、そうすることで、父親も「仏を敬うのはよい心がけだ」って安心するし、主君も、自分の好みに付き合う家臣を可愛く思って、何かとうまくいくようになる。世間じゃ、信心ってのはそういうもんだ。言ってしまえば、仏法ってのは、一家の団結だったり、主君との関係をなめらかにするためにうまく使っていく道具だ。幕府の執権なんかは、民衆をなだめて統制するためにも、仏法を使う。だからみんな熱心に法事をやるし、寺や仏像をどんどん作るんだ。


そういう感覚からすると、自分の信念で親と違う宗派を信仰して、親からやめろと言われても聞かないで、親子の関係を断ち切られて地位も財産も失ってまでその信心を貫くなんて、バカのやることだよ。自分の信念は信念として、まあ自由だとしても、家族や主君とは、うまく折り合いをつけておけば済む話だ。


てえのが世間の常識なんだが、信心ってもんが、そんなんでいいわけがねえ。最初のほうで話した『一生成仏抄』の書き出しで、日蓮のおやじは、


無始むし生死しょうじとどめてたび決定けつじょうして無上むじょう菩提ぼだいを証せんと思はば】


と言っている。不幸や苦しみの連続を止めて、無上菩提を得るために、ハラを決めてやるのがやるのが本当の信心じゃねえか。親も主君も、大事だが、そうやすやすと投げ出しちゃあ、「無始の生死」を止められるもんかい。「無上菩提」が得られるわきゃない。


日蓮のおやじは、弟の宗長に何度も手紙を送って、南無妙法蓮華経の信心を捨てないよう言い聞かせた。


【慈父のせめに随って、存の外に法華経をすつるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて、ともにかなしまんこと疑いなかるべし。】

(◆ 父親の命令に従って法華経を捨てれば、自分が地獄に堕ちるだけでなく、母も父も地獄に堕ちて、共に悲しむ結果になることは疑いありません)


【各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとえば、鉄をよくよくきたえばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。】

(◆ あなた方はこれまで、法華経の信心をしっかり続けて来たからこそ、償うべき過去世の重罪が明らかになったのでしょう。たとえば、鉄を熱して叩いて刃物などを作るとき、叩くことによって傷が現れるようなものです。石は焼けば灰になります。鉄は焼いて鍛えることで真金になります。)


【百に一つ、千に一つも日蓮が義につかんとおぼさば、親に向かっていい切り給え。「親なればいかにも順いまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給えば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候えば、すてまいらせて兄につき候なり。兄をすてられ候わば、兄と一同とおぼすべし」と申し切り給え。すこしもおそるる心なかれ。】

(◆ 百に一つ、千に一つも私の言う通りにしようと思ってくださるならば、父親に向かって断言してください。「親には、どんなことであっても従うべきですが、法華経の敵になってしまわれたので、従っては親不孝となってしまいます。私は父上を捨てて兄につきます。父上が兄を勘当して捨てるのであれば、私も同じく父上のもとを去るとお思いください」と言い切ってください。少しも恐れる心があってはなりません。)


この親子の対立は、一年ほど続いた。最後には、宗仲、宗長兄弟の誠意と努力が実って、康光は日蓮のおやじのことを理解してくれるようになり、宗仲の勘当も許された。それで今は宗仲が池上家の当主として頑張っているよ。そのおかげで、おれたちも今こうしてこの池上家のお屋敷で話し込んでいられる。もし宗長が、康光の言うことに従って極楽寺良観の弟子にでもなっちまってたら、今ごろどうなってただろうなあ。


【良観等の天魔の法師らが、親父・左衛門大夫殿をすかし、わどのばら二人を失わんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちいありしゆえに、二つのわの車をたすけ、二つの足の人をになえるがごとく、二つの羽のとぶがごとく、日月の一切衆生を助くるがごとく、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい、ひとえに貴辺の御身にあり。】

(◆良観らの天魔の僧侶たちが、父上である康光どのを言いくるめて、あなたたち兄弟二人を陥れようとしていたところ、宗長どのが聡明にも私、日蓮の諫めを聞き入れてその通りにしてくださったので、二つの車輪が車をたすけ、二つの足が人を担うように、二つの羽が飛ぶように、太陽と月がすべての人を助けるように、あなたたち兄弟のお力で父上を法華経の道に入らせたことは、ひとえに宗長どのの努力で成し遂げたことです)


【末代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。このことは一代聖教をも引いて、百千まいにかくとも、つくべしとはおもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候えば、事々申さず。あわれ、あわれ、いつかげんざんに入って申し候わん。また、むかいまいらせ候いぬれば、あまりのうれしさにかたられ候わず候えば、あらあら申す。】

(◆仏法が滅びる末法であるにも関わらず、宗長どのは聡明である上、欲も無い身と生まれ、父親と兄弟二人、三人とも仏になられ、父方、母方の一族も救うこととなりました。また、宗長どのの子供たちも、未来に向かって栄えていくとお考えください。このことはたくさんの経典の言葉を引用し、百千枚の紙に書いても、書き尽くせるとは思いませんが、病もあり、体も苦しいため、細かくは申しません。たいへんに感慨深く思われ、いつかお会いしてお話しましょう。また、お会いしたときには、あまりの嬉しさに語ることができないので、おおまかにお伝えしておきます。)


池上宗仲、宗長の兄弟が頑張って信心を貫いてくれたことを、おやじは本当に喜んでたよ。父親の康光が、兄貴の宗仲の勘当を許したという報せを聞いたときには、おやじは具合が悪くて寝ていたけども、布団をはねのけてむくっと起き上がって、布団をバシバシたたいて

「よくぞ!よくぞ」

と叫んでいた。それから、手を合わせて目を閉じて、南無妙法蓮華経を口の中でつぶやきながら、しばらくじっと何かを念じていた。それは、おれが思うには、遠く武蔵の国にいる池上兄弟の、特に弟の宗長の、心の奥にある仏性に向かって礼拝らいはいして、その仏さまを賞賛していたんだと思う。


おれたちが佐渡に流された時、おやじは、鎌倉とかに残された門下の人たちが次々にこの信心をやめていったという話を聞いて、悲しんでいたし、悔しがっていた。おれなんかは、そんなやつらはさっさとどっか行っちまえとしか思っていなかったが、おやじはそうはいかない。本当に、一人やめたと聞くごとに体を一部ちぎられるぐらいの感じで苦しんでいた。


やっぱり、おやじが近くにいるからこそ信心を続けられるんであって、おやじが近くにいないと、もろい。ダメだ。目上の人や家族に揺さぶられると、すぐそっちに流されていっちまう。おれだって、ずっとおやじと離れないでいたから今まで続いているけど、鎌倉に残される側だったら、どうなったかわからねえ。


そんなだったから、おやじが身延で暮らすようになって、離れたところにいる門下の人たちは、今度はどうなるかと、おやじは遠くから見守っていた。


池上兄弟は、おやじがいなくても、父親の反対を押し切って信心を貫くことができた。自分がいなくても、立派にやってみせてくれたってことが、おやじには格別に嬉しかったんだ。




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