14.日妙聖人

正月早々から塚原で問答をやって、それから『開目抄』が出来上がって、そのすぐあと、二月十八日のことだ。塚原問答のときもちょっと話したが、北条時宗の兄、時輔ときすけが京の都で謀反を起こした。


本間の殿さまの屋敷に、急に主君である北条宣時のぶときからの使いがやってきてね。二月なんて一番海が荒れる時なのに、どんな急用かと思ったら、京と鎌倉で戦があったというんだ。


京にいた北条時輔が謀反の疑いで討たれて、鎌倉では名越の時章ときあきら教時のりときの兄弟が、北条時輔の仲間だと疑われて討ち取られちまった。この人たちも、黙って討たれはしないから、ちょっとしたいくさになった。


驚いた本間の殿さまは、すぐにおやじをたずねて塚原の三昧堂までやって来た。塚原問答のときのおやじ忠告が現実になったもんだから、おやじのことを信じるようになって、神妙な顔でこう言ったよ。


「日蓮上人。あなたのお言葉の通りとなりました。私はこれから鎌倉に向かいます。幕府はこれからどうすべきでしょうか。私はどのように奉公していけばよいでしょうか」


おやじの言う通り、念仏ももうやめるから、これからのことについて教えを乞いたいというんだ。


【二月の十八日に島に船つく、鎌倉にいくさあり京にもあり・そのやう申す計りなし、六郎左衛門尉・其の夜にはやふねをもつて一門相具してわたる日蓮にたな心を合せて・たすけさせ給へ、去る正月十六日の御言いかにやと此程疑い申しつるに・いくほどなく三十日が内にあひ候いぬ、又蒙古国も一定渡り候いなん、念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん永く念仏申し候まじ】


外国から攻められることと、身内で謀反が起こることは、何十年も前に「立正安国論」に書いているし、おやじはずっと言い続けて来た。でも、それが的中して、おやじが平気でいたわけじゃない。特にこの時輔の乱のときは、おやじもおれたちも、詳しいことを聞いて驚いたし、ひどく心配した。


北条時輔の仲間だってことで討たれた名越時章と教時は、四条金吾のだんなの主君である名越光時の弟だ。時章と教時が討たれたとなると、光時もその勢いで抹殺されちまうかも知れない。金吾のだんなは大変だ。日蓮のおやじから受け取った「開目抄」を、ぜんぶ読むか読まないかのうちに、主君が危ういってんで、光時の屋敷に駆けつけた。このへんのことはまたあとで話すけども、金吾のだんなは、光時が討たれるなら自分もひといくさしていっしょに死のうっていう魂胆だったそうだよ。結局、光時まで討たれることはなくて、だんなの命も助かった。けども、この戦に巻き込まれた人の中には、おやじの弟子や知り合いもたくさんいて、おやじはずいぶんと気をもんでいたよ。


【京・鎌倉にいくさに死せる人々を書き付けてたび候え】

【当時のいくさに死する人々、実・不実は置く、いくばくか悲しかるらん。いざわの入道、さかべの入道、いかになりぬらん。かわのべ山城得行寺殿等のこと、いかにと書き付けて給ぶべし】


日蓮のおやじは、謀反のことを前から言っていたとはいえ、佐渡の島で話だけ聞いても、具体的に何をどうすればいいか指南できるわけはないが、本間の殿さまには、何しろ南無妙法蓮華経の題目を唱えて、騒ぎが大きくならないよう、犠牲になる人が少なくてすむよう尽力してくれと頼んだ。


塚原問答で邪宗のやつらを打ち負かし、「立正安国論」の時から言っていた謀反のことも現実になって、これで世の中も少しはおやじのことを信用するだろう。と思ったら、実際は逆だった。塚原でおやじに言い負かされたやつらはおれたちのことを怨んだし、味方してくれていた本間の殿さまも鎌倉に戻っちまったから、おれたちへの嫌がらせはそれまでよりひどくなった。


まず阿仏房が、塚原を含めたもともとの土地から引き離されて、別の土地に移り住むことを命じられた。日蓮のおやじにこっそり食糧を提供していたこともバレてね。つまりは一種の追放処分だ。


それから、おれたちは塚原から少し離れたところにあるいちさわという土地に引っ越しすることになった。この一の谷にある、地頭である近藤家のお屋敷の一室がおれたちにあてがわれて、鎌倉に帰るまでの二年ほどの間、ここで暮らしたんだ。


その一の谷で、大変なことが起きた。二年半の佐渡での暮らしの中で一番の大事件だ。


そいつは、日蓮のおやじの叫び声から始まった。


二月の北条時輔の乱から三ヶ月ほどたって、佐渡にも春が来て、その春の日差しもだんだん夏の強いお日さまに変わりはじめた五月のはじめごろのことだ。近藤家の屋敷のすみっこに押し込められていたおれたちの部屋に、近藤家の一族のひとりで、おやじから一の谷の入道と呼ばれてたヒゲづらのおっさんが来た。このおっさんは、今もうお亡くなりんなっちまったが、顔のわりに気の優しいおっさんで、近藤家の連中の中ではただ一人、おやじに味方してくれた人だ。


「日蓮どの、お客人が来ておりますが」


けげんそうな顔で、一の谷の入道がそう言った。


「どうも、よくわかりませんが、女子おなごで、小さい娘を連れておりまして、鎌倉からやって来たと」


それは確かにわからねえ。さすがにおやじも見当がつかなくて、首をかしげた。ともかく、おやじは日興を連れてその客人の女とやらを、屋敷の正門のところまで出迎えに行った。おれは部屋で待っていた。


そしたら、しばらくして、おやじの野太い叫び声が聞こえたんだ。うおーっ、てな。屋敷がビシビシ震えたよ。もちろんおれは、何事かと、すぐに部屋を飛び出した。


屋敷の廊下を全速力でドタドタ走って、正門まで駆けてつけてみると、三十手前ぐらいの女性が一人と、十歳ぐらいの女の子がいて、なんだか知らねえが、地面にへたりこんでいる。そんで、その女性と向かい合って、日蓮のおやじが地面にひざをついてかがんでいるんだ。日興もそのそばにしゃがみこんでる。女性は泣いてるし、女の子は嬉しそうに笑ってるし、日興はまた泣いてやがるし、おやじまで、ちょっと目に涙が浮かんでるじゃねえか。


よく見ると、その女性ってのは、池上家の一族のひとりで、宗仲たちと共におやじの門下として信心に励んでいた人だ。夫がいたんだが、娘ひとりを残して先立ってしまってね。池上二郎といった。その女房が、鎌倉からはるばる佐渡の島までおやじに会いに来たんだよ。十歳の娘、名前は乙御前といったが、その子を連れてね。


おれだって、驚いて息を飲んだよ。おれたちが佐渡に来たとき、相模の国の依智から越後の国の寺泊まで旅をするのだって、道は険しいし、山賊みたいなのはいるし、護衛の武士たちに守られていてさえ、大変な道のりだった。それをこの乙御前の母上さまは、小さい女の子の手を引いて、山を越え谷を越え、はるばるやって来たってえんだもの。よく途中で盗賊や山寺の悪僧にさらわれなかったもんさ。特にその頃は、北条時輔の乱もあって、世間が騒がしかったころだ。


【相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子あり・あづくべき父も・たのもしからず・離別すでに久し。】


いやいや、本当に、今もって信じられねえ話だ。あの長くて険しい道のりを、子供づれの女が旅して佐渡まで来るとはね。それはびっくりするよ。竜の口で、首をちょん斬られそうになったときも平然としてた日蓮のおやじが、あんな大声出して驚くぐらいだから、これ以上の奇跡は無いだろうよ。


ヒゲの入道が一室を用意してくれて、おやじと乙御前のかあさまはそこであらためて対面して話をした。おれや日興、乙御前のお嬢ちゃんも一緒だ。


かあさま、無事に到着されて何よりですが」


おやじは少し厳しい表情で話し始めた。


「女性の身で、お子まで連れて旅をするなど、あまりにも危険。なぜ、そのようなご無理をなされたか。周りの者も止めたでしょうに」


「叱られるのは承知で参りました」


乙御前のかあさまは、神妙ながら、腹の座った声で答えた。これは見ものだぞ、とおれは震えたね。おやじは、かあさまと会えて嬉しかったし、苦労してまで会いに来たことを偉いとも思っていたけど、まずは、無茶な冒険をしたことを叱らないといけないと思っていた。それでちょっとコワイ顔になっていた。それだってのに、かあさまはおやじの厳しい眼差しを受けてもひるまずに、堂々、口ごたえする構えだ。


「私たちに南無妙法蓮華経の信心を教えてくださって、首を斬られそうになっても私たちのために正しい仏法を説いてくださっている日蓮さまが、佐渡で苦しい生活をなさっている。いてもたっても、いられましょうか」


「その志は、よくわかっております。たいへん尊いことです。しかし、旅の途中で命を落としたり、大事な乙御前が賊にさらわれでもしたら、どうしますか」


「一切、覚悟のうえでやって参りました。日蓮さまがひもじい、寒い思いをされているのに、お腹いっぱいに白いごはんを食べ、あたたかい寝床で眠ることはできないのです」


おやじは「ウーン」とため息をついたきり、黙っちまった。乙御前のかあさまはさらに言った。


「法華経の如来寿量品には『一心いっしん欲見よっけんぶつ不自惜ふじしゃく身命しんみょう』と説かれています。これは、仏さまに一目会いたいという思いで、命も惜しまないという意味なんだと学びました」


日興がこくこくとうなずいていた。おやじもあきらめたのか、笑顔になった。


「よく体を休めてください。ともかくも、お会いできてよかった。乙御前さまも、退屈な場所で申し訳ないが、ゆっくり遊んでいかれませ。熊王丸、相手をしてやってくれ」


おれは乙御前の遊び相手をおおせつかって、男の子ならともかく、十歳の女の子とどうやって遊べばいいのか困ったが、引き受けた。


おやじは紙と筆を用意して、さらさらと紙に、『一心いっしん欲見よっけんぶつ』と書いた。


「乙御前の母上さま。さきほどおおせになった、法華経の如来寿量品の『一心欲見仏』ですが、これまでの解釈では、母上さまが理解されている通り、『一心に仏を見たてまつらんと欲す』、つまり、仏さまに会いたいと懸命に願う、という意味であるとされています。しかし、私は、また別の読み方をすべきと思っています。『一心欲見仏』は、この日蓮の仏法では、『一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり』と、読みます。仏を求め、仏法を求める懸命な「一心」こそが仏であり、仏性なのです。仏は、会いに行くものではなく、仏法を一心に求める母上さまの胸中にいらっしゃる。その母上さまのお姿が仏さまなのです」


紙に書かれた『一心欲見仏』の文字をじっと見つめたかあさまの目から、涙がぽろぽろとこぼれた。


【日蓮云わく「一」とは妙なり、「心」とは法なり、「欲」とは蓮なり、「見」とは華なり、「仏」とは経なり。この五字を弘通せんには、「不自惜身命」これなり。一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり。】


それからおれたちは、日蓮のおやじを中心に、みんなで南無妙法蓮華経の題目を唱えた。乙御前に合わせてずいぶんゆっくりな題目だった。百ぺん、千べん、一万べんと唱えたけども、乙御前のかあさまはすぐに大泣きに泣き出して、終わるまでずっと泣いてた。それをおやじの背中が、南無妙法蓮華経と唱えながら優しく見守っていたって風情だったよ。なんでかあさまは泣くのかと、乙御前のお嬢ちゃんがおれに聞くから、涙はいろんな時に出るもんで、これは悲しくて泣いてるんじゃないし、病気でもないから大丈夫だと答えておいた。後でかあさまに聞いたところでは、おやじに会うまでは気が張り詰めて、ひとめ会うことしか考えていなかったけれども、佐渡まで来てしまうと、安心もしたし、よく考えると突然押しかけてずいぶん迷惑なことをしてしまったと、申し訳ない気持ちもして、安心したのと嬉しいのと、申し訳ないのと、それでも優しく包んでくれるおやじの大きさに感激したのとで、泣けて仕方なかったんだとよ。


本当なら、七日でも十日でも遊んでいって欲しかったが、屋敷の一室に押し込められた流人であるおれたちがそんなもてなしをできるわけもなくて、二日後には、乙御前とかあさまは鎌倉へ帰った。おやじが帰り道の心配をしたことは、ただごとでなくて、一の谷のヒゲの入道とか、中興入道とか、ツテをまわって頭を下げて銭を借りて、旅の軍資金としてかあさまに持たせた。あとは、無事鎌倉に着いたっていう報せが届くまでの間、ひたすらみんなで南無妙法蓮華経の題目を唱え抜いたよ。


乙御前のかあさまは、その後も元気で、おやじが身延にいた時には、身延にもやってきた。乙御前も今では立派になってちょっとしたお姫さまさ。おやじはこのかあさまの信心をたいへんにほめたたえて、このかあさまのことは「日妙にちみょう聖人しょうにん」と呼ぶように、とまで言ってたよ。おやじが佐渡に流されて、それまでおやじを信じていた人も、信心をやめたり、逆におやじを非難したり、自分だったらもっとうまくやるのに、なんて、バカなことを言い出すやつらがたくさんいた中で、まあ無茶ではあったけども、女性の身で、命も惜しまず佐渡のおやじのもとに駆けたその心が、おやじは格別に嬉しかったんだと思う。


【いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を(中略)当に知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。】




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