13.開目抄

おれたちが塚原の三昧堂で暮らしたのは、おやじが五十歳の年の11月から、翌年の4月の初めまでだった。だいたい五か月か。そう思うと短いね。そのあとの二年ほどは、いちさわってところにある、近藤家という佐渡の武家の一族がが持っていた屋敷の一室で暮らしたよ。


そっちの屋敷には多少マシな屋根と壁があったが、前にも言ったように、塚原は、とにかく寒かった。いい思い出といえば、その塚原問答でおやじのすごさを見せつけてやったぐらいさ。あとはまあずっとガタガタ震えて暮らしてたよ。おれも初めて知ったが、どんなに疲れていて眠くても、寒いと目が覚めるんだね。夜が寒くて、冷たい風がすき間からビュービュー吹き込んでくるときには、疲れていても一睡もできない。これには恐れ入った。仕方がないから、南無妙法蓮華経の題目をみんなで唱えるんだが、これも寒くて、正座していられないから、三昧堂の中を、おやじとおれと日興と、日向にこう日持にちじ日頂にっちょう、そのほか十人ほどで輪になって、ぐるぐる歩いて回りながら唱えたりした。しまいには小さく駆け足になって、ドンドンと床を踏み鳴らしながら、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、って、やったっけ。暗闇の中で。今でこそ笑い話だけど、その時は必死だったよ。昼間、少し暖かくなってくると、眠れるのさ。寝るのは昼間に交替で寝ていたよ。夜は寒くて寝ていられない。


そんな中でも、おやじはたくさんの御書ごしょをこしらえた。


特におやじが、雪もとかすような迫力で書いたのが、『開目抄かいもくしょう』って呼ばれてる御書だ。寒さで死ぬか、飢えて死ぬか、念仏のゴロツキどもにやられるか、明日どうなるかわからないなかで、おやじは自分の考えをしっかり書き残しておこうと思ったんだ。


【去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるるならば日蓮が不思議とどめんと思って勘えたり。この文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬えば、宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。】


日蓮のおやじは言ってたよ。


「釈尊は、ご自身のお考えを紙に書き残すことができなかった。釈尊の教えは、その入滅後、弟子たちがそれぞれの記憶を頼りに、石板に刻みつけ、木簡に記していった。今は、紙と筆がある。人々に教え伝えるべきことを自分で書き残すことができる。だから、私は、書いて書いて書き続けなければならんのだ」


凍り付くような塚原の三昧堂でも、おやじは、かじかむ手にハーハーと白い息を吹きかけては、筆を握りしめて、どんどん書いた。とにかくものすごい量を書いた。法然や空海、伝教大師だって、そりゃあたくさん書いただろうが、おやじにはとてもかなわないだろうよ。


そんで、おれや日興は、紙と墨汁を調達するために、阿仏房や国府こうのおっさん、本間の殿さま、そのほかいろんな人のところを駆けずり回った。この時はもう盗みなんかはしてないからねおれも。いつも腹が減っていたが、日蓮のおやじが大事な御書を命がけでこしらえてることを思うと、米や魚が手に入るより、白い紙の巻物がどっさり手に入ることのほうが嬉しく感じたもんだよ。


この『開目抄』だが、もちろんおれは読んでもわからねえ。なに、自分で読んでみたけりゃ、四条金吾のだんなに頼んでみるんだな。だんなの屋敷に大事にとってあるはずだ。


ただ、だいたい何が書いてあるのか、おやじが話して聞かせてくれた。


まずは、一番すぐれた経典は、法華経だってことが説明してある。念仏の阿弥陀経や、真言の大日経、そのほかの経典には、仏性ぶっしょうのことが説き尽くされてない。仏性はどんな奴にでも備わっていて、ぜんぶの人が仏なんだってことは、法華経で初めて明かされたことだ。


それから、念仏や真言の連中が、分際もわきまえずにその一番の経典である法華経を見下してバカにしてること、日本の法華経の総本山であるはずの比叡山の天台宗までも、法華経の教えを歪めて真言密教に染まっちまって台無しにしてしまってることを書いた。


そうやって法華経の教えが失われてしまってるとなれば、誰かが何とかしないといけねえ。仏法が滅びてしまった時に、それでも法華経を説いていく「末法の法華経の行者」がいたら、そいつを探し求めて師匠とも親とも思って敬っていくほか、仏法は無い。


経典によると、仏法が滅びたあとに法華経を説く「末法の法華経の行者」ってのは、ひどい目に遭うもんらしい。法華経の行者は、国主や大臣、邪宗の坊主たちから、さんざん罵られ、棒で殴られ石を投げられ、追放されてしまうんだそうな。そりゃそうだろうよ。今だって、念仏、禅、真言、それから極楽寺良観の律宗のデタラメを暴いて、法華経の信心こそ仏法なんだってことを主張したら、罵られるし、襲撃されるし、島流しに遭っちまう。


それは誰のことだい?法華経を説いて、罵られ、殴られ、島流しにまでされちまったやつといえば、日蓮のおやじの他にいねえじゃねえか。経典に説かれたことにピッタリ当てはまる「末法の法華経の行者」ってのは、日蓮のおやじに決定だ。


しかし、おやじのことを悪く言う連中は、そうは思わない。


なぜかってえと、釈尊の仏法が滅びたあとの人々を教え導くような、すげえ人なんだったら、仏天の加護があるはずだ、それに、法華経の行者がひどい目に遭うのは、経典のとおりだとしても、そのひどいことをした奴らにはすぐに仏罰が下されるはずだ。極楽寺良観や平頼綱が元気でピンピンしてるのはおかしい。そんなザマじゃあ、日蓮のおやじが法華経の行者だとは信じられない。そう言うのさ。


臆病なヤロウどもってのは、何を言い出すかわからねえね。おやじが鎌倉にいたころは、おやじの後ろに隠れてやいのやいの言ってたくせに、おやじが佐渡に流されていなくなったら、すぐにこれだもの。


じゃあなにかね。法華経なんざ信じたって千人に一人も幸せになれない、捨てろ閉じろ、ヒミツの密教じゃなきゃダメだ、座禅を組んで経典の教えに目を閉ざしてすやすや寝息をたてないとダメだなんてデタラメばかり教えている邪宗のクソ坊主どもがいて、災害や飢饉に苦しみながら何とか幸せを求めている人たちが、そんな教えを信じ込まされているのを見ておきながら、邪宗の坊主を破折して怒らせて仕返しされても仏天の加護でちゃんと守られる保証がなけりゃ何もしないのがお利口だとでも言うのかい。


仏天の加護があるとかないとか、それが一体なんだってんだ。人々から、主君とも師匠とも親とも仰がれる法華経の行者なんだったら、たとえ首をちょん斬られようと、かまわずに、悪党どもを責めないといけないはずだ。おやじは、十六歳のころから、日本の国の柱になる、苦しむ人々を乗せて進む大船になる、ていう大願を打ち立てて突き進んでるんだから、仏天の加護があるとかないとか、気にするもんか。


まあ『開目抄』にはそんなことが書いてあるそうだよ。釈尊の仏法が失われた今、おれたちにとって一番大事な「末法の法華経の行者」は、釈尊でも天台でもなく日蓮のおやじなんだ、てことだ。おれにとっちゃあ当たり前のことだが、そんな簡単なことをくどくど説明されないとわからない奴らもいるってのは気の毒なことだね。


【詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責めを堪えざるゆえ。久遠・大通の者の三・五の塵をふる、悪知識に値うゆえなり。善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆずらん、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ねん、念仏申さずばなんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。その外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん等とちかいし願いやぶるべからず。】


この『開目抄』は、どっしりと重たい巻物に二巻に分けて書かれて、佐渡から金吾のだんなに送られた。




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