11.千日尼

あー、いかん!

思わずおでこをピシャリだよこれは。

おれとしたことが、今まであれこれ話しておいて、重時しげときだの極楽寺良観ごくらくじりょうかんだの、いかついジジイばかり出て来て、きれいどころがひとつも出て来てないじゃねえか。


仏性ぶっしょうってのは当然女人にょにんにもあるから、日蓮のおやじは女たちにも丁寧に仏法を教えて聞かせた。

念仏の坊さんたちだって、女たちに優しく阿弥陀の教えを説いたし、男も女も差別は無いんだってことを語ってたさ。ご婦人が喜ぶかんじでうまいこと説法するやつってのもいるからねーこれまた。けれど連中の言うことは、ありがたい阿弥陀様が、男も女も差別なく極楽浄土に迎えてくださるっていう、ただそんだけのことだ。


日蓮のおやじは違う。男にも女にも仏性が有って、男も女も仏になれるんだってことを教えたんだ。法華経に説かれてる、竜女の成仏の場面なんかを語ってね。知ってるだろう。竜王の娘の、竜女っていう八歳の女の子が、法華経の教えを聴いてたちまち仏になるってやつだよ。八歳の女の子の仏様さ。おかしくもなんともねえだろう。それが法華経だよ。なんで阿弥陀に救ってもらう必要があるんだい。極楽だって行きたければ行くさ。


で、何だっけ。

そうそう、佐渡には、千日尼せんにちあまっていうべっぴんさんがいてねえ。一見おっとりしていて穏やかだが、度胸はいいし、頭も賢いし、えらい尼御前さまだったよ。阿仏房あぶつぼうっていうおっさんの女房でね。ええと。待て待て順番に話すよ。


日蓮のおやじとおれや日興を乗せた船は、越後の国の寺泊てらどまりを出て、佐渡に着いた。

おやじがちょうど五十歳の年の、十月二十八日のことだ。

船を降りてからはしばらく歩いての旅で、十一月の一日に、本間の殿さまの館に着いた。


本間の殿さまってのは、さっきも話したかも知れねえが、平頼綱よりつなと手を組んでおやじを処刑しようと企んだ北条朝時ともときの家来で、朝時の代官として佐渡でお勤めしてた本間六郎左衛門尉重連さえもんのじょうしげつらのことだ。・・・あ?何しろ佐渡の殿さまなんだよ。


それから、本間の殿さまの館の近く、塚原ってところにあるガタガタの粗末なお堂に案内された。そのボロ小屋で今日から暮らせっていうのさ。

流罪人だから、ひどい扱いを受けるってのは知れきったことだが、このお堂はそれにしてもちょっとひどかったねえ。その塚原ってところは墓地でね、死んじまった奴を、墓に埋める前にしばらく安置しておく場所が必要だから、そのために建てられた、三昧堂さんまいどうっていうお堂があって、そこがおれたちの住処すみかだった。三昧堂なんて言って、つまりは死体置き場だからね。人が住むために建てられたもんじゃないから、壁も屋根もすき間だらけで、お堂の中にいるってのに、風が吹けば髪がそよそよとなびくし、雪が降れば床のところどころに小さな雪の山ができやがる。まあここで暮らす大変さは、話し出すとキリがねえから、ちょっと置いておこう。


おれたちがこのガタガタの塚原三昧堂を見てぼう然としていた時だ。お堂の前の広い原っぱの向こうから、べっぴんさんがやってきた。千日尼が、夫である阿仏房のおっさんと、家人けにんを五、六人連れてやって来たんだ。


佐渡では、百姓たちの家々があるていどひとくくりになって、「在家ざいけ」って呼ばれる集落を営んでる。その在家のまとめ役を「名主みょうしゅ」ていうんだが、阿仏房は、塚原三昧堂があるあたりの「在家ざいけ」の「名主みょうしゅ」だった。だから一応、名主として、阿仏房は流人であるおれたちの世話と監視を命じられていたんだ。佐渡では、名主が責任もって流人を監視するのが決まりだそうな。


おれは、千日尼たちが姿を見せたとき、何だこいつら何しにきやがったと思って、眉をひそめてジロジロ見てたんだが、日蓮のおやじはすぐ、千日尼たちに向かってしっかりとふかーく頭を下げた。だからおれや日興もあわてていっしょに頭を下げた。


「鎌倉より参りました日蓮と申します。しばらくの間、ここでお世話になります」


おやじは神妙な声色でそう言った。


千日尼たちは、ちょっと面くらった感じだったね。幕府にケンカ売って流罪になったような奴らが、そんなに礼儀正しく丁寧なあいさつをするとは思わなかっただろうさ。


「まあ、お坊さま、そのような・・・こんな粗末なお堂ですみません」


つい、千日尼はそう言っちまった。おやじの神妙な態度に釣り込まれちまったっていうのかな。

おやじはまだ頭を下げたまま、顔を上げずに続けた。


「いえ。仏法の正しさを説いたばかりに幕府の怒りを買い、一度は首を斬られようとした憎まれ者です。野に捨てられてしまわないだけありがたい。本間六郎左衛門様にも感謝しております」


おやじが顔を上げないままだから、おれも腰をかがめたまま、首だけ持ち上げて千日尼をちらりと見たよ。まつ毛の長い大きな目をキラキラさせて、べっぴんさんは興味しんしんという感じでおやじのことを見ていた。


「なぜ、仏法の正しさを説いて、憎まれることになるのですか?」


と、尼御前は尋ねたけれども、阿仏房がそのそでをグイと引いた。おやじとそんなに会話をしちゃいけねえ、ていう合図さ。幕府からにらまれている危険人物だもの。名主として最低限の世話はするけれども、ヘタに関わり合っちゃいけねえ。


ところが尼さん、旦那の阿仏房の手をパンと振り払っちまった。


「日蓮さま、聞けばあなたは、阿弥陀如来を罵り、念仏を唱える者は地獄に堕ちると説いているそうではないですか」


このときようやく日蓮のおやじは顔を上げたから、おれたちも解放されて腰を伸ばした。


「尼御前さま。ひとつは間違っており、ひとつはその通りでございます。私は阿弥陀如来を罵ってはおりません。阿弥陀如来は、法華経を信ずる者を守護するありがたい仏さまです。しかし悪僧、法然ほうねんは、法華経を捨てることを人々に教え、法華経への信心を閉ざしたうえで南無阿弥陀仏の念仏を唱えることを教えました。ですから法然を信じて念仏を唱える者は、法華経を捨てる罪によって地獄に堕ちるのでございます」


「せ、説法はいらん!」


たまらず阿仏房が叫んて、おやじと千日尼の間に割り込んで来た。


「今は、お役目が先だ!日が暮れる前に、三昧堂の点検をするのと、流罪人としての決まり事を説明せねばならん!」


「は、承知仕りました。恐れ入ります」


おやじはすぐに引き下がって、阿仏房のメンツを立てた。千日尼はちょっとむくれていたなあ。


しかしこの阿仏房は、おとなしく千日尼の尻にしかれてはいたが、地域のまとめ役なだけにしっかりした誠実な男で、この最初の時も、ぶつくさ言いながらも、荒れ果てた三昧堂をそれなりに片づけて掃除して、自分たちで煮炊きなんかもできるよう、いろいろと整えてくれたよ。


そのころの決まりで、佐渡に流されたやつには、本間の殿さまから一日一升の米と、一勺いっしゃくの塩が与えられることになっていた。もしそれがちゃんともらえたとしても、おやじの他に、おれも日興も、ほか三人ばかり若い食べ盛りがいたから、ちょっと足りない。それだってのに、その米と塩が、なかなかちゃんとはもらえない。運搬の不都合があって届いていないとか、届いたけど虫がわいてたんで出せないとか、別のところで入用になったんでそっちに回しちまった、とかなんとか言って、くれなかったり、くれても決まった量より少なかったりする。


それに向かって、文句なんか言おうものなら、罪人のクセにでけえ口きくんじゃねえ!と、やられる。だから、命綱の米がもらえなくても、へいへいと従っておいて、届いた分のわずかな米をちょっぴりずつ分け合って、しのぐしかなかった。


仏法の正義とか威勢のいいこと言ってても、ひもじいのにメシが無いのはみじめだったよ!ところが、そんなことがしばらく続いた、ある夜、おれたちが身を寄せ合って寝ていたら、外でどすんと音がした。


どうも人の気配がするんで、誰だ?とたずねたら、これが、阿仏房のおっさんだった。


「日蓮どの、お受け取りください。妻がどうしてもきかぬもので・・・他の者に見つからないうち、早く隠してください。誰にも知られてはなりません」


阿仏房は、戸も開けないで、お堂の外から早口にそれだけ言うと、帰って行った。


なんのこっちゃと思いながら戸をあけると、戸の前にパンパンにふくらんだ大きな麻袋が置いてある。


「早く中に入れんか!」


日蓮のおやじにどやされて、おれはあわてて麻袋をお堂の中に引っ張り込んだ。わくわくする重みだったねえ!雪あかりを頼りに袋の中をのぞいてみりゃあ、期待どおりだ。米に塩、魚の干物、野菜の漬物なんかが、たっぷり入っていやがった。


塚原の三昧堂にいたころには、阿仏房と千日尼が、何度もこうやって食いものを届けてくれたよ。本間の殿さまは、まじめな武士だから、決まりどおりにおれたちに米を届けるつもりでいたし、そう指示していたんだが、その下の連中が、何かと悪い知恵を巡らせてね。日蓮のおやじに米が届かないよう仕向けてた。


そういう話は、名主みょうしゅを務めている阿仏房の耳にも入って来る。阿仏房のおっさんてのがまた、生真面目一本の男で、そういうねちねちした嫌がらせが大キライだからさ。自分が名主として預かっている人間が、そんないやがらせを受けてるってのがまず気に食わなかった。それに加えて、べっぴんの女房さまが日蓮のおやじの説く法華経に興味しんしんだったから、だんだんとおれたちの味方をしてくれるようになった。


夜中にこっそりやって来るだけじゃなくて、もちろん阿仏房と千日尼は、昼間にもちょいちょい三昧堂に来ては、おやじやおれたちと話をした。それでもう一月も過ぎた頃には、おれたちと一緒に南無妙法蓮華経の題目を唱えるようになってたよ。


千日尼は頭がお利口さんなほうで、経典なんかも読むし、おやじと仏法の教理の話をするのが好きだった。どんな話をしてたかって?うーん、いちいち覚えちゃいないが、たとえば念仏について、まだ知り合った最初のころ、こんな話をしてたかな。そのころは阿仏房も千日尼もまだ念仏の信者だった。


千日尼は、亡くなったおっ母さんの言いつけとかで、子供のころから阿弥陀を信じていたんだそうだよ。


「日蓮さま。わたしは阿弥陀如来様が好きなんです。ほんとに大好きなんですよ。小さい頃から、わたしの母は、つらいことがあったら、そのつらい気持ちを、なんでも、阿弥陀様にお話しなさいって、そう言っていたんです。阿弥陀様は、こころの優しい仏さまだから、なんでも受け止めてくれるし、守ってくれるって。だからわたしは毎日、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、って、阿弥陀如来様に語りかけてきました。特に母が亡くなってからは、阿弥陀如来様のお名前を唱えている時間が、こころの中で母とお話する時間にもなって、優しい母と阿弥陀如来様が並んでほほ笑んでいらっしゃる姿が浮かんで、こころが安らぐのです。今年のような厳しい冬でも、そういう、仏さまとつながる安らかなひと時があればこそ、わたしたちはつらい生活を乗り越えられるのです。日蓮さま。それをあなたは、念仏は無間地獄だとおっしゃいます。それは、ひどすぎるのではないですか?」


千日尼と日蓮のおやじは向かい合って座っていたが、おやじは身を乗り出すように前かがみになって真剣に千日尼の話を聞いて、うなずいていた。ちなみにそのとなりにいた日興は、もう涙ぐんでいた。おっ母さん話に弱いからねあの兄貴は。


「尼御前さま、お話をうかがい、母上の優しいお姿が目に浮かぶようです。あなたにとっては、母上こそ仏さま、阿弥陀如来こそ母上なのでしょう」


「そうかも知れませんね。でもそれをあなたは、地獄だなんだと」


「尼御前さま、先日も少しお話しましたように、阿弥陀如来が尊い仏さまであることは間違いありません。また、あなたの母上の愛情の深さには、阿弥陀如来すらかなわないと、わたしは思います。阿弥陀如来を敬い、母上の深い慈悲につながっていこうと思われるならば、わたしたちと一緒に、南無妙法蓮華経の題目を唱えましょう。阿弥陀如来の優しい慈悲の心を名付けて、妙法蓮華経といいます。母上の大きな慈悲の心もまた、妙法蓮華経です。そして妙法蓮華経は、尼御前、あなた自身の、母上を慕う優しい心の名前でもあります。ですからわたしたちは、阿弥陀如来に南無するのではなく、妙法蓮華経に南無していかなければなりません」


「な、なぜ・・・なぜ、南無阿弥陀仏ではいけないのですか」


「法然!」


おやじは、急に大きな声を出して、三昧堂のぼろい床をドンと叩いた。千日尼はびっくりしてたけど、おれは平気だった。そろそろ来るころだとわかっていたよ。


「尼御前さま。阿弥陀経の中で、念仏を唱えなさいと教えているのは、誰でしょうか」


おやじは千日尼に尋ねた。


「お釈迦さま、釈尊です」


「そうです。阿弥陀経や無量寿経を説いたのは釈尊です。念仏を唱えなさいと教えたのも釈尊です。そしてその釈尊は、阿弥陀経のあとに法華経を説いて、法華経を信ずる者はすべて一人残らず仏になると教えています。にも関わらず、法然は、その法華経を捨てて、南無阿弥陀仏の念仏だけを唱えよと教えた。法然の邪説が、誤りの根源です」


「でも、それは法華経の教えが難しすぎて、わたしたちにはわからない、誰も成仏などできないからでしょう。法然上人はそう言ってます」


「法然ごときに何がわかるでしょう。釈尊が、全ての人を仏にする道として説いた法華経を、わかりにくいからやめてしまえだのなんだのと、どの口が言うのでしょうか。それこそ、智者の慢心、大慢心というものです。あるいは仏法を滅ぼそうとする悪鬼あっきが法然の身に入ったのでしょう。釈尊は阿弥陀経のなかで念仏の教えを弟子の舎利弗に対して説いていますが、その舎利弗は法華経によって仏になりました。念仏も、釈尊の教えのひとつではありますが、最終的に仏になる道は、法華経を置いて他にありません」


日蓮のおやじは、そそくさと正座をして、両手を合わせた。お、題目だなと思っておれたちも正座をして手を合わせた。


「さあ、尼御前さま、母上の聖霊に向かって、南無妙法蓮華経の題目を唱えましょう。わたしも、母上の浄土での安穏を心から祈らせていただきます」


それが、千日尼が題目を唱えた最初じゃなかったかなあ。たしか阿仏房も一緒にいたと思うよ。

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