10.寺泊

佐渡に向かうまでの間にもいろいろと面倒なことがあった。

佐渡がどのくらい遠いのか、その頃のおれは全然考えてもいなかったが、とにかく山を越えて谷を越えて、信州から越後へ出て、そこからさらに荒波の上を何日もかけて渡っていくんだから、長い道のりだよ。依智にある本間の屋敷を出てから、越後の国の、佐渡へ渡る船が出ている寺泊てらどまりの港に着くまでだけでも、たっぷり十一日かかった。


このとき日蓮のおやじの周りには、おれと日興、日向、日持、日頂、といった連中がいて、その中に、富木常忍の縁者で、富木法厳ほうげん入道っていういかついおっさんがいた。


このおっさんは、若い頃に比叡山に修行に行ったものの、よくある話で、悪僧たちとばかり仲良くなっちまって、仏法そっちのけで武芸とケンカの戦法を極めたっていう、武蔵坊弁慶みてえな奴なんだが、日蓮のおやじにはコロリとほれこんじまって、ちょいちょい安房から鎌倉へ、おやじに会うため、月に一度は熱心に通っていたんだ。


この寺泊までの旅のとき法厳は、富木常忍に頼まれて、おやじの護衛役としてついて来ていた。体はでかいし力は強いし、その割に機転もきいて、心強かったよ。

信州の山道を行く途中には、山賊の類がうろうろしていたり、念仏の寺の近くを通りかかると、薙刀を振り回す悪僧たちが、南無阿弥陀仏を否定する日蓮がやって来たぞってんで、待ち伏せしていたり、物騒なことが多かったからね。

本間の殿さまが護衛の侍を二十人ばかりつけてくれたから、まあいきなり襲撃ということはなかったけども、因縁つけられたり、ちょっと険悪になることは度々あって、法厳入道はそんなとき頼もしかった。荷物も余計に持ってくれるし、とある沢を横切る時には、おやじの足を濡らさないように、こいつがおやじを背負って歩いたこともあったっけ。


富木常忍は、この法厳ほうげんに、海を渡って佐渡までお供をしておやじを守れと言っていて、法厳もそのつもりで覚悟を決めていた。しかし寺泊に着くと、おやじは法厳を安房に帰らせることにした。佐渡はいいところだけど、流人の暮らしは大変だし、食べるもんなんかも十分には無いなかで、よく飯を食うデカイ男を連れて行くのは考えものだ。佐渡で生きるか死ぬかの苦労をするのは、日興や日持たち、一番近しい門下たちのうち数人で十分だっていうのさ。


同じような理由で、おれも法厳と同じく、引き返すようおやじに言われた。鎌倉へ戻って、池上の宗仲や金吾のだんな、日昭たちと力を合わせて、弟子たちを守ってくれって言われてね。


法厳は安房へ、おれは鎌倉へ、それぞれ引き返す前の日に、おやじはおれと法厳に、こんな話をしてくれた。


「今まで私を信じて南無妙法蓮華経の信仰を続けて来た者たちの中にも、今度のこの騒ぎを聞いて、バカなことを言い出す愚か者が出て来ている。


お前たちも聞いているだろうが、平左衛門尉さえもんのじょう(頼綱)や極楽寺良観のことを、私が大声で非難するのを見て、やり方が乱暴過ぎるという。説いていることは正しいが、やり方が乱暴すぎるから、処罰されるような目に遭うんだ、とな。もっと他にウマイやり方があるというわけだ。法華経勧持品に説かれるような、相手を責めて打ち負かすやり方は、よほどな高位の菩薩にしかできないことであって、我らのような凡人がそれをマネするのは間違いだ、とこのバカ者たちは言っている。


しかし、ここまでついて来たお前たちにはわかっているだろう。仏法の精神を滅ぼそうとする邪師と権力者を目の前にしてしまったからには、島流しにされようと、首を斬られようと、仏法の正義を正面から強盛に訴えるしかない。そうやって、仏法の精神に従って正義を訴えた者が、襲撃されたり島流しにされたりすることは、法華経に説かれている通りだ。佐渡への流罪となることも、法華経に

【悪口して顰蹙ひんしゅくし、数々たびたび擯出ひんずいせられん】

と説かれていること、そのままではないか。なぜそのバカ者たちは、経文の通りに修行しようとしないのか。


生死の苦悩を断ち切り、無上菩提を得るためには、苦しくとも、経文の通りに修行しなければならない。また、経文の通りに私が、伊豆と佐渡、二度にわたって流罪されていることは、今の私たちの行動が成仏への道だという証でもある。このことを、私の言葉として、みんなによく説いて聞かせてくれ」


そう言っておやじは、丸く巻いた手紙をひとつ、法厳に手渡した。


「今話したことをこれに書いておいた。富木殿にこれを渡して、文字の読める者は集まって読み、そのほかの者たちには、わかりやすく噛みくだいて話して聞かせて欲しい」


【勧持品に云わく「諸の無智の人の、悪口あっく罵詈めり等するもの有らん」云々。日蓮、この経文に当たれり。汝等、何ぞこの経文に入らざる。「および刀杖とうじょうを加うる者」等云々。日蓮は、この経文を読めり。汝等、何ぞこの経文を読まざる。「常に大衆の中に在って我らの過を毀らんと欲す」等云々。「国王・大臣・ばら門・居士に向かって」等云々。「悪口して顰蹙し、数々擯出せられん」。「数々」とは度々なり。日蓮、擯出は衆度、流罪は二度なり。】


【日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官としてこれを申す。かの諸の菩薩の加被を請うものなり。

 この入道、佐渡国へ御供なすべきの由これを申す。しかるべき用途と云い、かたがた煩い有るの故に、これを還す。御志始めてこれを申すに及ばず。人々にかくのごとく申させ給え。】


こういう次第で、法厳は安房に向けて出発したんだが、おれはというと、法厳と一緒に旅立ったと見せかけて、こっそりと寺泊に戻った。おやじが何と言おうと、おやじが遠い不便なところに島流しにされて苦しい思いをするってのに、おれが鎌倉でやわらかい布団で寝られるもんか。


佐渡へ向かう船が寺泊を出発するとき、おれはこそこそと積荷の中に身を隠して、おやじと同じ船に乗り込んだ。沖に出ちまえば、バレたところで、引き返しようがないからね。いやあ、子供の頃からコソ泥ばっかりやってきたのは、本当に役に立ったよ。ワハハ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る