8.竜の口の法難

しかし良観たちは、あきらめたわけじゃねえ。何としても日蓮のおやじを悪人に仕立てあげたい。おやじのほうが間違ってたってことにならないと、自分たちが間違ってたってことが明らかになっちまうんだから、必死だよ。




行敏の訴えはかなわなかったけども、エライ人たちの人脈をたっぷり持っている良観としては、今度は執権北条時宗の片腕、クソ野郎、平の頼綱に泣きついた。




これは知ってるだろうけど、頼綱ってのは、時宗にとっちゃ兄弟みたいな間柄で、一番信頼されていたし、権力もたっぷり与えられていた。頼綱の母親が、時宗の乳母でね。




この乳母が、面倒みてる時宗と、実の息子の頼綱を、一緒に遊ばせたり、勉学や武芸を競い合わせたりしたらしい。頼綱のほうが時宗より七つばかり年上らしいから、時宗にとっちゃ頼もしい兄貴分でもあったんだろう。家柄から言っても、頼綱の一族は代々北条家に仕えていて、頼綱の祖父の盛綱は、承久の乱の時、鎌倉を出発した総大将の北条泰時に真っ先に付き従った十八騎の中の一人だったてえから、相当なもんだ。




さて、あれは夏の暑い日がそろそろ終わって、ちょっと涼しくなってきたころだったな。




おれは松葉ヶ谷の草庵で汗かきながら文字の読み書きの稽古をやらされてた。おやじは安房からのお客さんと仏法の話を熱心にしてた。年齢でいうとおやじはその時ちょうど五十になってたね。ちなみにこの熊王丸さまは十三歳。




馬のひづめの音がパカパカ近づいて来たと思ったら、草庵の前で止まった。何事だろうと窓からのぞいて見ると、きれいな身なりの侍たちが十人ほど立ってる。乱暴者じゃなさそうだけど、ものものしい雰囲気だ。




侍たちはごく穏やかに、おやじに向かって、すぐに頼綱の屋敷まで来て欲しいと言った。頼綱がおやじに、尋ねたいことがあるって。穏やかだったけど、すごみのある声だった。




おやじは笑顔でうれしそうに応じた。




「それは、わざわざご苦労様です。いやてっきり、この屋敷を打ち壊して日蓮の首をとりにおいでになったのかと思ったんですが、頼綱様が話を聴いてくださるとは、珍しい、ありがたいことです。すぐに参ります」




その声もまた、言葉とは逆に迫力があったなあ。侍たちはちょっとひるんだ様子だったよ。




「熊王丸、読み書きの稽古は今日のぶんをちゃんと終わらせろよ。留守を頼んだぞ」




おやじは出かけるとき、おれに言ったけど、じっとしてるもんかね。




ひとまずおやじと侍たちが頼綱の屋敷に向かって去って行くのを見送って、すぐに頼綱の屋敷まで走って行った。




騒ぎを聞いて出て来た近所の人が、駆けていくおれに、気をつけて行けよ、あとでどんなだったか教えろよ、と声をかけてくれた。




ガキのころから不良仲間といっしょに人の屋敷に忍び込んで物を盗むぐらいのことはやってきたからねえ。おかげで、頼綱の屋敷にもぐりこんで、庭の茂みのいい場所を見つけておやじと頼綱の話をのぞき見することができた。昼間だったしね。夜よりも昼間のほうが、番人たちも油断してぼんやりしちまうもんだ。




おやじは大きな広間のはしっこに座って頼綱と家来の侍たちと対面した。向こうは頼綱を中心に三十人ほどいたかな。それぞれ、口をへの字にしておやじをにらみつけてたり、見下すような冷たい目で無表情に眺めていたり。




天下の北条家のお侍ともあろう方々がよ、ただの坊さん一人を相手に三十人も徒党を組んでバカ面並べてさ、おれだったらもうそれだけで恥ずかしくていられないね。




大勢で脅かして、頼綱が何をしたかったかは今にわからねえ。脅かして、へこまして、良観に対するわび状でも書かせるつもりだったのかなあ。




おやじはもう五十歳だったが、頼綱はまだ三十をちょっと過ぎたぐらいの、おやじに比べると若造のくせに、威勢よくでかい声でおやじを問い詰めた。




ま、ケンカは頭に血が上っちまったほうの負けと決まってるけども、この時の頼綱がそうさ。良観たちが吹聴していたおやじの「罪」のことを、あれこれ追及したが、おやじは水でも流すようにするするとそれに答えた。




まず北条時頼や北条重時が地獄に堕ちたと言いふらしてるってこと。そんな、故人を名指しで非難するようなことは、やってねえ。ただ、念仏を唱えるやつは地獄に堕ちるってことは、昔から言っていた。だからそのりくつでいくと、時頼や重時も地獄に堕ちたってことになるんだろうけど、念仏が無間地獄の因だってことは二十年も前から言い続けてることで、時頼や重時が死んだからってそれ見ろとばかり罵ったってわけじゃない。




それから、松葉ヶ谷の草庵に武器をたくわえ、暴徒を集めてるってこと。これはまあ、延暦寺にしろ園城寺にしろ、デカイ寺といえば物騒な荒くれ法師たちがたくさんいて、朝廷にさえ歯向かってくるってのは世間の常識だけども、あの松葉ヶ谷のオンボロの草庵で何ができるってんだ。おやじの弟子たちがそんなことをするもんか。草庵は、何度もゴロツキどもに襲撃されてるから、用心のために薙刀やこん棒もいくらか置いてはある。だがとても兵を挙げるってほどのもんじゃない。これは、この二日後に頼綱のクソ野郎が草庵を襲撃してきた時に証明されるんだけどね。




頼綱がドスの聞いた声で問い詰めても、おやじが平気な顔で答えるもんだから、頼綱は勝手にあせり出した。ナメられてると思ったんだろう。前にも言ったけど、こういうヤカラにとっちゃ、ナメられるのが一番の恐怖だ。あせってさらに大きな声で怒鳴りつけるが、そうするとおやじは、聞こえてるかどうか心配になるぐらいサラッと受け流す。




それから仏法の話にもなったが、そうなるといよいよ頼綱ごときではおやじにかなわない。周りの侍たちも、ちいと経典などかじっているから、あれこれ言うんだが、二言三言で言い負かされて恥をかくばかり。




最後におやじは、これは自分と、良観や道隆たち邪宗の僧たちとの、仏法の正邪をただす勝負なんだから、そこに幕府の役人がとやかく言うな、早く良観たちと公の場で法論をさせてくれ、と頼綱に強く言いつけた。




すると頼綱は、いよいよナメられた侮辱されたと思ったんだろう、おやじのことを悪僧だ国賊だなんだと罵りながらおやじにつかみかかろうとした。おれは思わず茂みから飛び出しそうになったよ。しかしまあ頼綱ってのは恐れられてはいるが腕力は無いからね。すぐに周りの侍たちに止められて、刀まで抜いたりはしなかった。




【詮ずるところ、上件かみくだんの事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんと・をぼさば彼の法師ばらを召し合せて・きこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽にとがに行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう。】




もともと仏法の勝負なんだから、おやじと良観とどっちが悪僧なのか、お裁きでもするんなら良観も連れて来ておやじと良観と両方に話を聞くのが道理ってもんなのに、卑怯な良観は頼綱の陰に隠れて、頼綱は一方的に良観の味方をして、おやじを呼びつけて脅かすんだもの。




そんなことをしてると、幕府の中で同士討ちが起きたり、他国から攻められたりするぞ、とおやじは頼綱に言った。そしたら頼綱は、太政入道平清盛が死ぬ間際に暴れたみたいに、周りで子分の侍たちが見ているのもかまわず逆上してわめきちらした。




結局、頼綱はおやじをへこますどころか、自分が取り乱してブザマな姿をさらすだけの結果になっちまった。




これまた、良観と同じく、おやじを恨んだことだろう。自分から突っかかって来といてさ。




おやじは無事に松葉ヶ谷の草庵に帰って来た。心配して駆けつけた弟子たちがたくさんいて、その日は夜遅くまで、頼綱のバカっぷりをおやじが弟子たちに語って聞かせたよ。




頼綱の怒り狂った様子からすると、もうその夜のうちにも松葉ヶ谷の草庵が兵士たちに取り囲まれて不思議はない。おれも日興や日昭も、寝ずにあたりを警戒して過ごしたが、その日も、その次の日も襲撃は無かった。




来やがったのは、そのまた次の日だ。おやじが頼綱から尋問された二日後。




草庵で、そろそろ晩めしの仕度でもしようとしていた夕暮れ時に、平の頼綱を大将として二、三百人もの武装した兵士たちが、どろどろと馬蹄を響かせて迫ってくるじゃねえか。




おれは思わずプッと吹き出したね。丸腰の坊さん一人相手に、北条家で一番の実力者である頼綱が、甲冑を着て馬にまたがって、子分たちにもキラキラした鎧を着せて押し寄せて来るんだもの。




なに、そりゃあひとたまりもないよ。草庵にはおれや日興含めて十二、三人がおやじと一緒にいたが、兵士たちにあっという間に蹴散らされちまった。




恥知らずの兵士たちは、草庵をぐしゃぐしゃに踏み荒らすように、頼綱から命令されていたんだろうね。壁は破るし、鍋はひっくり返すし、経典の巻物やおれの勉強道具なんかもさんざんに踏み散らされた。




頼綱なんかは、いっとうのバカで、やたらと暴れ回って、経典の巻物が体に巻き付くし、墨の壺を蹴り飛ばして顔に黒い墨がベッタリついてるし、わけのわからねえ姿になった。




それを見て日蓮のおやじは、大きな声を響かせた。




おもしろや、お前たちの大将の狂った姿を見てみろ。これが正しい仏法を信じて、阿弥陀如来の教えを守る者の姿なのか。よく見よ。お前たちは、私が謀反を企んでいるというが、どうだ。暴徒は集まっていたか。武器は蓄えてあったか。もっとよく探してみろ悪鬼ども。お前たちは国を破る邪法に味方して、いま日本の国の柱を倒そうとしているぞ。




侍たちにも、少しはまともな心が残っていたみたいで、おやじにこう言われると、急に元気が無くなった。侍たちは、出かける時、謀反を企む邪悪な僧をこらしめに行くんだと頼綱に言い聞かされて出て来たんだろう。ところが踏み込んでみると、謀反の様子は全くないし、丸腰の坊さんやおれみたいなガキんちょに相手に一方的に乱暴をはたらいて、人の家を荒らしてるだけの話だ。日蓮のおやじは堂々としているし、一方で自分たちの大将は感情的になって無様な姿をさらしてる。




【九巻の法華経を兵者ども打ちちらして・あるいは足にふみ・あるいは身にまとひ・あるいはいたじき・たたみ等・家の二三間にちらさぬ所もなし、日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをすと・よばはりしかば上下万人あわてて見えし、日蓮こそ御勘気をかほれば・をくして見ゆべかりしに・さはなくして・これはひがことなりとや・をもひけん】




頼綱はうろたえながらも、家来たちに指示して、おやじを罪人のように縄で縛った。おやじもひと声言い放ったあとはおとなしく縛られて、馬に乗せられ、頼綱に連れて行かれた。




おれは日興たちといっしょにそのあとをついて行った。




向かったのは、北条宣時の屋敷だ。あとでわかったことだが、この無茶な逮捕劇は、まともに評定もされないうちに頼綱と宣時の二人で計画したことらしい。




まだ夕方の、日の残っている時間だったから、鎌倉の街を罪人のように引かれていくおやじの姿を、たくさんの鎌倉の人々が見ていた。頼綱からすると、そうやっておやじが罪人として連行される姿を多くの人に見せることで、おやじが悪い人間だと思い込ませようとしたんだろう。つくづく卑怯で、みみっちくて、恥知らずなクソ野郎だよ。クソの中のクソだ。




北条宣時の屋敷に着くと、それからしばらくは何も音沙汰が無かった。屋敷の外で目を光らせていたおれたちは、日が暮れたあともずっと、メシも食わないし水も飲まないでじっと待っていたよ。この時はどうにも屋敷の中の様子がわからなくて困ったが、クソ野郎の子分の中にも少し心のあるやつがいて、こっそりと、とりあえずおやじは無事だということだけ教えてくれた。




ずいぶんと夜遅くなってから、屋敷の中からゴソゴソと人が出て来て、おやじがまた、四、五十人の侍たちに囲まれて、馬に乗せられて出て来た。この一団の大将はまた頼綱のクソだったが、この時は妙に大人しかったっけ。家来どもも、草庵を襲撃した時とは違って元気がなかったよ。




おれたちはおそるおそるおやじに近づいた。そして侍たちが襲い掛かってくる様子がなかったから、思い切って駆け寄って、おやじに声をかけた。




おやじはおれたちを見て、ちょっと驚いて、それから笑顔になった。そして言うのさ。




「日興、熊王。私はこれまで正しい法華経の行者であるがために邪法の悪鬼どもから恨まれ、罵られ、罪も無いのに伊豆に流された。これは私が正しいことの証明で、とても名誉なことだ。それから哀れな東条景信に襲われて腕を折られ、頭から血を流し、弟子を殺された。これも弟子たちともども名誉の極みだった。ただ、法華経のゆえに首を斬られないことだけが不本意で残念だった。しかし、これからいよいよ、私は首を斬られることになった。これほどの喜びはない。一緒についてきて、よく見ておきなさい。行先は竜の口の砂浜の処刑場だ」




何てこった。あんまり驚いたんで、ガツンと殴られたみたいになって、グラグラと天と地が引っくり返った。また地震が来たのかと思ったよ。おれと日興は、涙をドバドバ流しながらわめいた。何をわめいたか、よく覚えてないけども、とにかく、なんでおやじが首を斬られるんだ、何の罪があるんだってことを、おやじにも言ったし、周りの侍たちにも食ってかかった。




意外なことに、頼綱も侍たちも、しょんぼりしちまって、張り合いがない。別に怒りもしないで、まあまあ、もう決まったことだから、みてえなことを言って、やんわりなだめてくるのさ。侍たちも、なんでこんな真夜中に処刑が行われるのか、誰もわかっちゃいなかっただろうよ。ただ、まともな処刑だったら、ちゃんと裁判をやった上できちんと昼間に行われるもんだってことは常識だから、この真夜中の処刑が、まともじゃねえ陰謀だってことは、侍たちもわかってたはずだ。




そんなわけで、竜の口に向かう一団は真夜中の街をそろそろと進んで、おれたちは涙と鼻水をしゃくりあげながらおやじにぴったりついて歩いた。




鶴岡八幡宮がある若宮大路まで来たとき、ふいにおやじが声を上げた。




「ご一同、待たれよ、しばらく」




なんだなんだとみんな振り返った。




「八幡宮の八幡大菩薩に言うべきことがある」




おやじが馬を下りようとしたから、おれと日興は手を貸して、縄でしばられているおやじを馬から下ろした。まわりの侍たちは、何か言いたそうだったが、口をパクパクさせるだけで何も手出しできなかった。




日蓮のおやじは、鶴岡八幡宮に向かって、大きな声を響かせた。




「八幡大菩薩。お前は、法華経が説かれた時、法華経の行者を守ると釈尊に誓ったんじゃないのか。いまこうして法華経の行者が首を斬られようとしているのに、何もしないのはどういうことだ。あの世で釈尊に会ったら、お前の怠慢を釈尊に言いつけてやるから、そのつもりでいろ。それが恐ろしければ、早くしるしを見せよ」




さらっとそれだけ言って、また馬に乗った。




「かたじけない。さ、参ろう」




頼綱も侍たちも、一言もなかったよ。ただもう、気を飲まれたというのか、もう頭が追いつかなかったんだな。八幡大菩薩といえば、源氏の氏神で、武士ならば誰もが敬う存在だ。執権より将軍よりずっとエライ。それに向かって、おやじは、注文をつけるんだもの。




【夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうじにうちいでて、四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云わく「各々さわがせ給うな。べちのことはなし。八幡大菩薩に最後に申すべきことあり」とて、馬よりさしおりて高声に申すよう、「いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気清丸が頸を刎ねられんとせし時は、長一丈の月と顕れさせ給い、伝教大師の法華経をこうぜさせ給いし時は、むらさきの袈裟を御布施にさずけさせ給いき。今、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。その上、身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。また、大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におわすべきか。】




【さて最後には、「日蓮、今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まず『天照太神・正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれ』とさしきりて、教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らいあるべし」とて、また馬にのりぬ。】




竜の口の処刑場に行く道は、金吾のだんな、四条金吾頼基の屋敷の近くを通るんだが、だんなの屋敷が近くなった時、おやじはおれに言った。




「熊王。すまないが金吾殿の屋敷へ行って、日蓮がこれから竜の口で首を斬られる、と知らせてもらえんか」




よしきたとおれはだんなの屋敷に向かって暗闇の中を駆け出した。




だんなはもちろん寝ていたけど、おやじが斬られると聞くと飛び起きて、馬の用意をする間もなく、草履すらはかねえで、はだしのまま屋敷を飛び出した。




【しばし・とのばら・これにつぐべき人ありとて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子を・つかわしたりしかば・いそぎいでぬ】




何しろ短気な人だからね。金吾のだんなと話をしたことはあるかい?最近は年もとったしちょっと優しくなったけど、何というか、頭はいいんだが、何がきっかけで怒り出すかちょっとわからねえようなおっかないところがある。おやじからもよく注意されていた。ただ真面目で一途なのは筋金いりだ。




四条金吾頼基がやってきたとなると、頼綱も子分たちもちょっとざわついた。しかしおやじはしっかり金吾をなだめたし、頼綱も北条光時の家臣である金吾のだんなにはうっかり手を出せない。




だんなも涙をドバドバ流しながらおやじの馬のくつわを取ってお供をした。




ともかくこの時おやじはおれたちに、頼綱たちに手向かいしないよう繰り返し諭した。そうでなけりゃ、おれだって、日興だって、金吾のだんなだって、おやじが斬られるのを黙って見ていたりはしない。侍たちに斬り刻まれるのを覚悟でひと暴れしたさ。けどおやじは、これでいいって言うんだ。法華経の行者として首を斬られることこそ、ずっと願って来たことで、その願いが叶うんだから黙って見ていろと言うのさ。




それでとうとう、竜の口の砂浜に着いた。夜空はよく晴れていて、宝石をブチまけたみてえにたくさん星が出ていたよ。




おやじはおとなしく首の座につく。砂浜の上に敷かれたむしろの上に正座して、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と唱えた。おれは恐ろしくて震えながら、朗々と響くおやじの題目の声を聞いたよ。だって、その題目が途切れた時、おやじの首はゴロンと落ちるんだから。




金吾のだんなは武士だから、刀を抜いて、服の前をくつろげて腹を出して、そこに刀の先をあてた。おやじの首が落ちると同時に、自分も腹を切って死のうってのさ。




おやじの後ろに首切り役人が立って、刀を抜いて振り上げると、金吾のだんなは目玉をひんむいて叫んだ。




「只今なり」




それを聞くと、おやじはちょっとこっちを向いて言った。もう今にも斬られようってのにね。




「なぜ死のうとする、金吾殿。生きて法華経を弘めては下さらんのか。愚かなお方よ、これほどの喜びはない、笑いなさい」




その時だ。




夜空を、バカでかい光の玉がブワーッと横切っていった。真っ白なすごい光だった。夜なのに、そこにいた人々の顔がみんなハッキリ見えたほどだ。空全体が光ったっていうか。ほんの一瞬のことだったけど、これにはみんな度肝を抜かれた。




おやじの首を斬ろうとしていた侍は、アッと叫んで刀を落として、ピョンとうしろへ飛びのいた。よっぽど恐ろしかったんだろう。それきり砂の上に丸くうずくまって、ガタガタ震えて動かなくなっちまった。




ほかの侍たちも同じようなザマさ。もともと、よく事情も飲み込めねえまま真夜中に罪も無い人の首を斬ろうとしてんだもの、それだけでも気持ち悪いのに、突然夜空が光ったりしたもんだから、もういけないよ。腰を抜かして動けなくなるやつ、逃げ出そうとして砂に足をとられて転ぶやつ、無様のきわみだったね。




そこへおやじは、いよいよ大声を張り上げて言うのさ。




「おい、早く斬らんか!これほどの罪人を、なにゆえ逃げ惑うか!夜が明けたらお前たちに都合が悪いんだろう、早く斬るがいい。こっちへ来い、逃げるな!」




だが、すっかり肝をつぶした侍たちは、返事することもできやしねえ。




【左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頸切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし。】




日興と金吾のだんなは、たまらず駆けだして、おやじに両脇からすがりついて、わんわん泣いた。おれはびっくりし過ぎて、ぼんやりしちまったけども、頼綱はどうしてるかと見ると、気の利く子分がいるもんで、これはもう処刑は中止すべきだと説得していた。




それでまた、侍たちの間でぼそぼそと話し合いが始まって、空も明るくなり始めるころ、もう首切りは中止にして、今度は北条宣時の家来の本間六郎左衛門って人の屋敷に行くことになった。あっちへこっちへご苦労なこった。




金吾のだんなは再びおやじが乗っている馬のくつわをとって、本間の屋敷のある、依智ってところまで歩いた。何しろおやじの首が落ちるところを見ずに済んだんで、おれはすっかり安心してしまって、この依智までの道のりは眠たかったよ。その前の日の夕方にクソどもに襲撃されてからずっと、おれも日興も寝てないし食ってないしだったからなあ。




歩いて歩いて、依智にある本間の屋敷に着いたころにはもうお日様がてっぺんまで昇ってた。その間に、話を聞きつけたおやじの弟子たちも駆けつけて、食いものやら酒を本間の屋敷まで届けてくれた。それでおやじはご機嫌になって、本間の屋敷の一室に通されると、酒と食いもんを並べて、頼綱の家来たちにもふるまってやってたよ。処刑されかけた罪人が、てめえを殺そうとした連中に酒をふるまうんだからね。なんとも愉快なおやじだろう。このころには、頼綱の家来たちも大半はおやじに懐いてしまって、もう念仏はやめる、法華経を信じる、と誓いを立てる者が何人もいた。




これでひと段落ということで、頼綱の家来たちは、お役目を本間の殿さまの家来たちに引き継いで解散した。金吾のだんなも自分の屋敷に戻った。




うまの時計りにえちと申すところへ・ゆきつきたりしかば本間六郎左衛門がいへに入りぬ、さけとりよせて・もののふどもに・のませてありしかば各かへるとて・かうべをうなたれ手をあざへて申すやう、このほどは・いかなる人にてや・をはすらん・我等がたのみて候・阿弥陀仏をそしらせ給うと・うけ給われば・にくみまいらせて候いつるに・まのあたりをがみまいらせ候いつる事どもを見て候へば・たうとさに・としごろ申しつる念仏はすて候いぬとて・ひうちぶくろよりずずとりいだして・すつる者あり、今は念仏申さじと・せいじやうをたつる者もあり、六郎左衛門が郎従等・番をばうけとりぬ、さえもんのじようも・かへりぬ。】




この本間の屋敷には一ヶ月ほどいて、それから佐渡に出発するんだが、ちょっと待て。




ちょっとしょんべんに行ってくる。まだまだ続きがあるから、待ってろ。いやここからが大事なところよ。待ってろよ、いいな。寝るなよ。よし。




※前半ここまで※

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