第96話 沸き上がるもの

 俺は、瞑った目を開けられない。直ぐ近くに横たわっているビクトリアの亡骸を見る勇気がなかった。

 封印したはずの、彼女との楽しかった思い出が、湯水のように沸いてくる。

 なぜ、こんな気持ちになるのか、自分でも理解できない。

 落ち込んで気力がなくなり、放心状態に陥ってしまった。


 その時、突然、大きな声が響いた。



「エッ! 死体が消えた?」


 ベアスの叫ぶ声が聞こえ、恐る恐る目を開くと、そこにあるはずの、ビクトリアの亡骸がなかった。



「あっ、イース …。 そのう …。 あの時は、本当に悪かった。 今では分かる。 あの狡猾なシモンに嵌められたんだろ!」


 ベアスが、いきなり謝罪してきたが、俺は、それどころではない。



「なぜ、ビクトリアの亡骸が無い? 斬った感触と、肉を断つ音がしたから間違いなく殺めたはず …。 おまえも、見ていただろ!」


 俺は、ベアスを責めるように問いただした。

 そんな俺の姿を見て、彼は不思議そうな顔をしている。

 二人は、全く噛み合っていない。



「ああ、見ていた。 いきなりイースが現れて、ビクトリアに斬りかかった時に、空間が歪んだように見えた。 彼女の強力な結界が破られたんだと思った。 そして、次の瞬間、彼女の胸の下あたりに光の線が見えたかと思ったら、身体が二つに切断されていた。 それが、ほぼ同時に地面に崩れ落ちたとき、なぜか、身体が消えた。 ビクトリアは3傑の一人だ。 誇り高い彼女は、自分の亡骸を隠すため、事前に何かの魔法を掛けていたんじゃないのか?」



「そんな魔法は、聞いた事がない …」



「ビクトリアほどの魔法使いなら、最後を迎えるための術式を心得ているんじゃないか? あれは、確かに死んだ」


 ベアスは、自分を納得させるように、深く頷いた。



「斬った時に、血しぶきは見えたか?」



「陽気や魔力の波動で斬られた場合、血しぶきは吹き出さない。 イースも、その事は分かっているだろ。 あの強い剣撃の波動で斬られたんだから一瞬で肉塊になって終わりさ」


 ベアスの言う通りだった。

 自分の中の、やりきれない気持ちが、俺の冷静さを失わせている。



「ビクトリアは、イースを裏切ってシモンに靡いたような女なんだから、死んで当然だろ! 気にする必要はないさ」



「 ・ ・ ・」


 俺は、答えられない。

 ベアスのビクトリアに対する辛辣な言葉を聞いて、なぜか、モヤモヤした。

 彼女が俺にした仕打ちを思うと、心が晴れるはずなのに、そうはならなかった。



「ビクトリアなんて、どうでも良い! 何とも思ってない …」


 何とか、言葉を絞り出した。

 本当は、 ビクトリアの事が気になっていたが、敢えて否定した。

 ベアスに、心の内を気付かれないように、自分をごまかした。



「なあ、イース。 俺は、 以前のような関係に戻りたい。 あんな女の事を考える必要はない! それより、また親友に戻ってくれよ」


 ベアスは、以前のような笑顔で近寄って来る。

 しかし、俺は、剣先を向けて、それを制した。



「無理だ! 絶交を言い渡したのは、おまえの方だろ。 簡単に、以前のような関係には戻れない。 そんな事より、何で、祖国を裏切ったんだ? 俺にしたように、国までも裏切れるのか!」

 

 ベルナ王国の事など、どうでも良かったが、俺の中で、ベアスに対し言いようのない怒りが込み上げてきた。

 頭の中は、ビクトリアの事を含め、グチャグチャだった。



「ダンジョンの街で、俺たちは、マサンとイースと戦った。 惨敗だったがな …。 俺は、おまえのフードが捲れた瞬間、イースの名前を呼んでしまった。 それを聞いている者がいて、スパイの嫌疑をかけられ、酷い拷問を受けた。 幸い、その疑いは晴れたんだが、不信感だけが残った。 そんな時に、ある人物が近づいてきて心を救ってくれた。 俺は、その時から、この国に居ながら、この国を捨てたんだ!」



「そいつは、プレセアの諜報員だぞ! 軍に紛れ込んでいるのか?」



「詳しくは言えないが、かなり居る。 俺以上の階級の中にも居る」


 ベアスは、言いながら顔を伏せた。恐らくは、言ってはならない秘匿事項なんだろう。



「ビクトリアの暗殺を手引きするよう指令があった時には、さすがにビビった。 あのビクトリアだぞ! 暗殺が成功するとは、とても思えなかった。 正直に言って、死を覚悟したさ。 でもな …。 暗殺者がイースだと聞いて、凄く嬉しくなった。 おまえに会えると思って、飛び上がって喜んだんだ」


 そう言うと、ベアスは、俺に笑みを浮かべた。



「俺も、ベルナ王国に恨みを抱いているが、その本質にあるものは、おまえとは違う。 残念だが、俺は、ベアスを信じられない …」


 俺の言葉にベアスは落ち込んだが、気を取り直したのか、直ぐに明るい表情になった。



「ベルナ王国は腐っている。 だから国を裏切ったんだ。 俺は、イースと同じように、サイヤ王国に雇われている。 自分はスパイで、イースは傭兵だ! だから、仲良くやろう!」



「傭兵は、もうじき辞めるんだ。 ビクトリアの暗殺に成功したら、契約を解除することになってる。 ベアスとは、違う側面から、ベルナ王国を攻撃する」


 俺は、ベアスの誘いを断った。

 しかし、彼は落ち込んでいないようだ。



「いくらマサンの弟子だからって、一人じゃ何もできない。 マサンも行方知れずだって聞いてるぞ。 俺と、サイヤ王国に行こう。 直ぐに親友に戻れなくても良いから …。 ベルナ王国打倒という共通の目標に向かって、一緒に戦ってくれ!」


 ベアスは、俺が向けている剣を気にする事なく近づいて来た。

 そして、剣を握る手の上に、自分の手を添えてきた。

 俺は、何とも言えない嫌な気持ちになった。


 そして …。その時に、異変が起きた。

 制御できないエネルギーが、身体の中から込み上げて来たのだ。

 俺は、凍り付くような寒気を覚えた。



「イース、その目の色と光は …。 一体、どうしたんだ?」

 

 ベアスは、飛び下がって離れると、驚愕の表情を浮かべた。

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