第58話 醜悪な晩餐会

 長いテーブルの突き当りの正面に、グラン伯爵が単独で座り、俺を見て満足そうな笑みを浮かべていた。


 グランの方に近づくと、右側手前の角目の席に、金髪の美しい女性が座っているのが見えた。


 この女性は、グランの正室で、シモンの母親のメディアだった。



「そこに座りなさい」


 グランより、俺の座る席を言い渡された。

 そこは、角目から一つ手前、あろう事かメディアの隣の席だった。


 改めて、メディアを見た。

 彼女は、存在するだけで周囲を和ませるような雰囲気があり、実際の年齢より、かなり若く見える。目の色は深い緑で、その美しい顔立ちは、シモンに似ていた。



 俺が着座すると、周囲から品定めするような、好奇の目が降り注ぎ、まるで見せ物のように感じた。

 正直、ここに座る意味が分からない。



 グランは、背が高く痩せぎすな男で、貧相な顔を口髭で隠しているように見える。但し、目は梟のように爛々と鋭く光っており、油断がならない男である事が伺えた。

 シモンの容姿は、明らかに母親似であった。



 メディアの正面には、息子のシモンが座っており、その隣、つまり、俺の相向かいには、ビクトリアがいた。



 さらに、長いテーブルの末席側を見渡すと、王宮で目撃した重鎮の姿が所々に見える。

 ダデン家を中心とした派閥メンバーが集結しているようだ。



「あなたは、イーシャって名前だったかしら?」


 伯爵夫人のメディアが、俺に尋ねてきた。 



「はい。 今日から女中としてお世話になります」



「その容姿で …。 女中?」


 メディアは、不思議そうな顔をした。



「はい、女中です」


 俺は、執事長のザーマンから聞いた夜伽の話は伏せた。



「女中ねえ …」


 メディアは、可笑しそうに笑うと、優しい顔で続けた。



「それにしても可愛い人ね! 貴族の慣習に早く慣れるのよ。 私に気兼ねしないで、主人の言う通りにすれば良いのよ」


 そう言うと、メディアは意味ありげに微笑んだ。明らかに、夜伽の話を知っている口調だ。

 貴族の婦人とは、皆、この様に割り切っているのだろうか?

 だとしたら、凄く気持ち悪い。


 しかし …。

 

 メディアの表情は、どこか虚で儚げに見え、違和感のようなものを感じた。



 チラッとシモンの方を見ると、こちらを気にする様子もなく、隣のビクトリアに熱心に話しかけており、時折、人目も憚らずキスをした。

 それに対しビクトリアは、嫌がる様子もなく、シモンにされるがままである。昔の彼女なら、考えられない節操のなさだ。


 人目を憚らずイチャつく姿は、盛りのついた獣のようで気持ちが悪い。

 そんな2人の姿に殺意を覚えたが、奥歯を噛み締めてグッと堪えた。ビクトリアを軽蔑する心を増幅させ、何とか冷静さを保った。


 そんな心を知ってか、誰かが俺の肩に触れる。透明のマサンが側にいて、俺の怒りの炎を沈めてくれた。

 彼女の優しさが心にしみる。



 

 そして、冷静になって考えて見た。


 メディアは『感情の鎖』によりグランに縛られていると、フィアスは言っていた。

 そうであるならば、ビクトリアもシモンに『感情の鎖』で縛られていると考えるべきだろう。

 ビクトリアはシモンより高魔力だから、隷属されるのは行動のみで、精神まで縛る事はできないはずだ。

 しかし、あの仲睦まじい姿を見ると、ビクトリアが心を偽っているように見えない。

 彼女は『感情の鎖』抜きでシモンに心を奪われたのだと思えると、ビクトリアへの気持ちが、急速に萎えて行った。



 ここに来る前に『感情の鎖』の事を、マサンからレクチャーを受けた。また、難解な魔道書を読み、自分なりに知識を得た。



 いにしえの昔、魔王が、人の王を誑かす道具として、女性の魔族に与えたのが始まりとされる。

『感情の鎖』は、世界に一つしかない珍しい魔道具で、これを使うと魔王が発する魅了と同等の力を発揮する事ができるという。


 一旦、掛けた魔法は、その術者であっても解く事ができない。また、『感情の鎖』の所持の有無に関わらず、一旦、掛けた魔法は掛かりっぱなしとなる。


 術を解くには、掛けた者を殺害するか、『感情の鎖』を切断するしかないのだ。


 また、『感情の鎖』は、術者が身につけている間は、肉体に溶け込み同化するため、外したタイミングでないと切断できない厄介さがあった。




 俺は、ふと、周りに目をやった。

 

 時間が経過し酔いが回ったのか、上機嫌に大きな声を出す者が増えた。

 中には自分の席を離れ、上座である、こちらに来て、グランやシモンのご機嫌を取りに来る者もいた。



 俺は少し食事を口にしただけで、誰とも喋らずにいた。


 いや、誰一人として声を掛ける者がいなかったのだ。グランが俺を守護するように目を光らせているためだ。シモンでさえ、話しかけて来なかった。


 その反面、ご機嫌取りに来る者は、決まって俺を見て、気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

 

 俺は、これ以上、この席に座っている事に耐えられなくなっていた。



「すみません。 トイレに行かせてください」


 グランに声を掛けると、直ぐに執事が来て、俺をトイレの場所に案内した。



 一人で中に入ると、魔石から魔力を注入した後、自分を透明にして、女性の分身を出現させた。



 トイレから出ると、待ちかねたように執事が、俺の分身に詰め寄って来た。



「遅いじゃないか!」


 怒られる分身を見て、俺は不思議な感覚に陥った。

 また、それと同時に、分身である事がバレていないのに安堵した。


 とっ、その時である。



「少し良いかしら?」


 突然、若い女性の声がした。


 声のする方を見ると、いつの間にか美しい女性が立っていた。


 

「ビクトリア様」


 執事の、驚く声が辺りに響いた。

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