第32話 狂躁の幼馴染み③
俺とマナは街灯が優しく照らす薄暗い夜道を無言で歩いていた。
だが決して居心地は悪くなかった。
むしろ、懐かしいとまで思える距離感だ。
あんな事があったってのにな……。
いや……これからバイトが被ればこういう日も増えるし、今この瞬間はそういう時の予行演習だ。
極めていつも通りに行動すれば良い。
関係値が0になった俺達にはそれしか許されない。
どうすれば自然に振る舞える?
どうすれば普通に振る舞える?
どうすれば昔みたいに──
「……クソ」
「……?」
俺は今何を考えようとした?
精算した関係に浸ろうとするなバカ。
だけど……もしもまだこの関係の
どこかでそう思う自分がどうしても居る。
佳南や筑波の慈愛を忘れてな……。
もうずっとだ。
俺の心はあの日からずっとモヤモヤとしたまま。
傷は大切な二人が癒してくれた。
呪いのような想いもあのバカが上書きしていきやがった。
それでもなお、心に残るこのモヤを表現する言葉があるとしたら──
「……罪悪感は中々消えてくれないわね」
「……!」
不意にマナが溢した言葉は俺の心を見透かしての発言だろうか。
いや……おそらく違う。
きっと、マナの心の声が漏れただけだ。
こいつにそんな殊勝な気持ちが存在するかは別にして。
「カナメ。一つ聞いて良いかしら」
「……どうぞ」
不意に立ち止まったマナは俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「どうして……今私を構っているの?」
それは期待と不安の入り交じった問い掛けだったように思う。
この質問に答えるには覚悟が要るな。
佳南と筑波を前にしても全く同じ事が言えるという覚悟が。
俺は一瞬喉につっかえながらも何とかそれを言葉にした。
「俺達がもうお互いで無関心である為の練習……かな」
「……無関心……ね」
「……あぁ。俺達はどっちかがバイトを辞めない限りこういう日が増えるだろ。出勤中だって一切喋らないって訳にはいかない。業務連絡くらいまともに出来る関係にはしとかないと、って感じ……」
すらすらと出てくる言葉に、自分で嫌気が差してくる。
……これは詭弁だ。
そしてそれを見透かせない幼馴染みではない。
例え人の気持ちが分からなくて、理解も出来ないとしても。
俺達はそれくらいの関係を、精算したとしても築き上げてしまっていたから。
「バイトなんてすぐ辞めれば良いのに。ふふ、少し安心したわ」
「何が……?」
マナは口角を僅かに上げ、頬を赤らめた。
「カナメがまだ私の事を好きだって分かったから」
「……どうだろうな」
「否定も肯定もしないのね……?」
たぶん少し前の俺なら強烈に否定したと思う。
今俺がマナに構うのはまだ好きだから……ではないとは言える。
どちらかと言うとさっきのマナのセリフの方がぴったりくる。
──罪悪感。俺の胸を満たす感情はたぶんこれだ。
「……俺は……後悔してるんだ。あの日、あんな終わり方しか出来なかった事に」
「カナメ……」
「1ミリもマナの事が好きじゃないなんて絶対言えないよ。だけど……今の俺には他に手を貸してやりたい奴が……関わっていたい奴らが居るんだ……」
あぁ……やっぱり俺はうじうじと悩んでばっかりだ。
本当は言葉に出来れば簡単なのに、簡単な筈のそれが口に出来ない。
それを言ったら本当に全部終わってしまうから。
幼馴染みでも、友達でも、ましてや恋人でも無くなってしまう。
完全な他人になってしまうのが俺は怖いんだ。
マナをぶん殴った日に決心をつけた筈なのにな……。
佳南と筑波にはこの心の内は気付かれてるのかも知れないな……。
──俺がまだマナに依存してるってことに。
「……でも、それでも……やっぱり俺の中のお前は中々消えちゃくれないんだ……!」
佳南の言った歪んだ愛情ってのはつくづく的確な言葉だったよ。
久しぶりに顔を合わせて少し話しただけで、消えたと思ってたこの気持ちは膨れ上がって来やがる。
下を向いて吐き捨てるように言った言葉を、マナは静かに受け止めた。
そして──
「私は今もずっとあなたを愛しているわ」
「……!」
もしも、今の俺の心拍数を佳南と筑波が知れる方法があったら……たぶん俺はぶっ飛ばされるだろう。
「だけど、私が愛したカナメは今のカナメじゃない」
一瞬言っている意味が分からなかった。
俺はずっと変わっちゃいない。
小さい頃から幼馴染みの事が好きで、ずっと告白出来ずにうじうじ悩んで、裏切られてからも色褪せる事の無い想いを抱えて……。
そして今、俺には考えるべき人達が居て──
「……私の事だけを好きじゃないカナメなんて、私が愛したカナメではないわ」
「お前……」
「私達の関係はもう手遅れ……あなたがそう言ったのよ……初恋なんていい加減忘れなさい」
「お前がそれを言うのか……」
マナは自分の右頬にそっと触れ、恍惚に笑う。
「……私はね、新しい自分に気付けたわ。だからあなたも早く見付けなさい。そして新しい関係を始めましょう」
「……新しい関係……?」
「そう。新しい関係」
火照った顔を隠そうともせず、マナは俺の左手を優しく包んだ。
「飼い主とペットという関け──」
「あれ、真那芽とカナメ君……!?こんな所で何してるの!?」
「琴色さん!?」
蒸し暑い熱帯夜、夜道に突然現れたのは自転車に乗った生徒会長、琴色静音。
見事にマナの言葉を遮った彼女は、俺達を見て目を丸くしている。
俺とマナという取り合わせが余程驚きだったようだ。
「ふ、二人とも……仲直りしたの……??」
琴色さんのせいでマナの言葉がよく分からなかったが、あんなもったいぶったセリフをもう一度聞くのは躊躇われる。
マナは俺とどんな関係を築きたかったのやら……。
そして自分のセリフを遮られたマナは、肩を震わせて強く琴色さんを睨んでいる。
「……静音……私は今本気であなたを葬りたいわ……!!」
「え!?何で!?」
「ふんっ」
「何なのよ……」
マナは若干涙目になって頬を膨らませている。
子供のように拗ねるマナが少し懐かしくて思わず微笑んでしまった。
……琴色さんにはそんな表情を見せれるんだな。
「で、どったの琴色さん。こんな時間に」
自転車に乗ってどこかへ向かおうとしている琴色さんは、妙にオシャレというか……気合いの入った服装をしている。
彼女は何故か気まずそうに顔を逸らして、小さな声で言う。
「……も、元カレ……竜に……呼ばれて……」
「は?」
俺達を見付けた琴色さんよりも、俺は目を丸くした。
だって意味が分からないだろ?
琴色さん、あれ程あの男を憎んで許せないって言ってたのに……。
琴色さんが水原の名前を出した途端、マナもすっと表情を戻していた。
どうやら彼女達の関係を知ってるようだな。
「ごめん……呼び止めたのは私だけど、も、もう行くね……!」
「ちょ、そんな訳にいくか!」
俺は急いでペダルを漕ごうとした琴色さんに手を伸ばす。
だが俺の手は空を切り、彼女は一漕ぎして離れてしまった。
だが、
「待ちなさい」
「わっ!」
俺達から逃げようとした琴色さんの自転車の前にマナが立った。
……今だけは素直に認めるよ。ナイスだ。
「琴色さん、悪いけど事情は話して貰うぞ。俺の中ではまだ協力関係は継続中なんだ」
「カナメ……あなたそんな事してたの……」
「事情があったんだよ……」
琴色さんは俺達から視線を逸らし、俯いた。
そして素直に俺の要求通りぽつりぽつりとだが語り出してくれた。
「……さっき、悪かったって……LINEが来て。許して欲しいって……言われて……」
「……へぇ、それはまたえらく急ね」
確かに、な。
あいつさっきクソビッチと一緒に帰ったばかりだけど……。
……凄く嫌な予感がする。
「あたし……許せないよ。だけど……やっぱり竜が好きな自分が居てさ……!!倉橋君への想いもあるのに……それでも竜が本当に改心してくれたならって……!!最悪だよねあたし……でも、でも……!!」
目尻に涙を浮かべる琴色さん。
俺が彼女に掛ける言葉を探していると、マナが腕を組んで一言。
「あなた、良いように利用されて終わるわよ」
「……っ」
「お、おいマナ……!」
いくらなんでも言い過ぎだ……!
「別に私はあなたの友人でも何でもないから言うけれど、あの男はカスよ。私の御しゅ──カナメに手を出すようなね」
ん?こいつ今俺の事なんて呼ぼうとした?
ま、まぁ良いか……。
マナの言葉を聞いた琴色さんは酷く驚いたような顔をして俺を見た。
「か、カナメ君……竜に何かされたの……!?」
「い、いや……別に大丈夫だよ。それより、琴色さん自分で分かってるんじゃないか?あいつの元へ行ったって──」
琴色さんは俺の言い掛けた言葉を遮って叫んだ。
「分かってるわよっっ!!!竜があたしをどう思ってるかなんてっっ!!!」
「だったら──」
「だけど駄目なのよ……!!竜を好きだったあたしが諦めさせてくれないの……!!!」
『……』
その想いは俺達二人には酷く解る──解ってしまうものだった。
彼女のあまりにも真っ直ぐな想いに、一瞬気を緩めてしまう。
それはマナも同様で、俺達の隙を突くように琴色さんは自転車を走らせた。
「あ、おいっ!!」
「静音……」
クソ……どうして俺はいつもこうなんだ……!!
琴色さんがあの男の所に行って良い目に遭うわけがない。
俺達に苦汁を飲ませられたばかりだ。相当にストレスが溜まっている筈だ。
あのクソビッチも居る。
何が起こるかなんて、考えたくもない……。
「おい、マナ……」
「何かしら」
きっとこの後俺が何を言うかなんてとっくに気付いている筈だ。
証拠に何も聞き返さず、逆にマナは問い掛けてきた。
「言っておくけれど私は役に立たないわよ」
「知ってるよ。習ってた空手も外では使うなって言われてるんだろ」
「さっきは特別よ♡」
「嬉しくねぇよ」
「きゃうぅ……!」
こいつはさっきからマジで挙動がおかしい。
だがそれに構う時間はない。
俺は1ヵ月振りの運動の準備を整えつつ、マナに視線を向けた。
「マナ、協力しろ。言っとくけど拒否権はねぇぞ」
「ひゃ、ひゃい……!!」
頬を真っ赤にしてマナは頷いた。
こいつ、本気でどうしちゃったの……?
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