第31話 初バイトは超大変
「かー君、そっちじゃないって」
「……」
「かー君、商品出す時は裏のバーコードの下の番号と棚札が合ってるか確認ね?」
「……」
「かー君、それ期間限定品だし前に出してってば」
「あぁぁーーー!!!」
「うぇっなんなん!」
「かー君かー君うるせぇーー!!このクソビッチが!!!」
ドラストの雑貨コーナーにて客が居ないタイミングを見計らって叫んだ。
業務を始めてはや2時間。
俺の教育係という事で作業を教えてくれるビッチ──
「お前にそんな仲良くあだ名で呼ばれる筋合いはねぇ!!」
「はぁー!?急になんなんよ!可愛いじゃん!かー君♡」
「うがぁあー!!」
駄目だ!琴色さんの一件のせいでこいつに対する好感度はマイナスを限界突破している!
距離を詰めて来られるとなんかこう……痒い!!
ぶっちゃけめっちゃ可愛いんだよ!
からかわれるのも段々楽しくなってきちゃった!
だけど中身が終わってるせいで拒絶反応も同時に起こる!畜生!!
俺が一人悶絶していると、納品中の食器用洗剤を持ったビッチが頬を膨らませて俺を睨む。
「あんさー、文句あんならまずかー君敬語で話すとこからでしょ?うち、一個上なんですけど」
「はぁ!?無理無理!こんなクソビッチに敬う所なんか一つもねぇ!!」
そう、七宮さんが俺にだけ敬語を使わないようにな。
「大体あんた──ビッチ先輩の彼氏も俺と同い年だぞ!あいつは敬語なのか!」
「んー?竜の事ー?いや竜は敬語じゃなくて良いもん。それに彼氏じゃねーし」
「へ……?違うのん?」
唐突に意外な事を聞いてしまったぞ。
ももも、もしかして、童貞が夢にまで見るあの淫らな関係──
「うん。せふれ的な?」
「マジですか!?」
「なんで急に敬語だし……。あ、でも竜はうちの事彼女だと思ってっかも」
「ビッチ先輩は違うのけ」
「かー君それ定着させたら犯すから」
「望むとこ──じゃなかった。えーと……」
俺はふとこのクソビッチを何て呼ぼうか悩んでしまった。
すると、ニヤっと笑ったビッチが持っていた洗剤を棚に押し込みながら切り出した。
「茜先輩♡」
「……普通だな」
「うち、名前で呼ばれるの好きなんだぁ。そんでかー君にはうちを先輩扱いしてほしーなぁって思ったから♡」
「あっそ。んで赤羽先輩はあのクズ男を彼氏にしないのさ」
「……意地悪。あー竜ねぇ。うちさ、浮気するような奴とは付き合いたくないから」
「それは意外だ」
見た目も言動も行動も、全てがユルユルのビッチさんから出る言葉とは思えん。
「だったら何で琴色さん──生徒会長にあんな事……」
「竜がね、生徒会長を追い詰めたいって言うから協力しただけだよ?うち個人としては生徒会長は何とも思ってないし」
「……何だそりゃ」
俺はあの時の怒りがまたふつふつと沸いてきた。
あのクズ男に対する怒りは勿論の事、やはりこのビッチにも怒りが沸き上がってくる。
「あんたはそんな酔狂で琴色さんを追い詰めたのかよ」
「そうだよー?竜がうちを必要としてくれたんだもん。うちね、頼りにされると断れないの。自己肯定感?て奴が満たされるってゆーか?」
「……最悪だよ」
一番聞きたくない答えだったよ。
ある意味ではマナよりも厄介なタイプだ。
自分の行動の善悪を考えない、更には自分以外の他人の事は何も考えちゃいない。
「……あのクズ男が彼女にしたがってんならさっさと付き合って琴色さんに二人とも成敗されてしまえよ」
「やーよ。竜は独占欲めちゃめちゃ強い癖に浮気するよーな人だもん。彼氏には絶対しない」
「何なんだよそのこだわり……」
「頼りにされてもそれだけは無理って事~」
クソビッチは「あ、でも」と言って俺の頬をつついた。
「かー君て超うちのタイプだからぁ、かー君なら彼氏にしてあげても良いよ?」
「やだよ、こんなビッチ」
「ひどっ、ん?でもかー君も浮気するタイプか」
「はいー?バキバキ童貞なんすけど」
「だって女の子三人も侍らせてハーレム作ってんでしょ?」
「んなわけあるか!」
「そーなん!なら彼氏にしてあげる~♡後でちゅーもしたげるよ♡」
「いらんわっ!!」
俺はクソビッチから一歩離れた。
しかし……この女は使えるかも知れないな。あ、いやいやらしい意味じゃなくって!
俺がふむ、と一人頷いていると休憩に入る所であったマナとすれ違う。
「7番お願いします」
「……は、はーい」
「うん!」
ちなみにうちの店では隠語を用いており、7番とは休憩の事だ。
マナはそのまま通り過ぎるのかと思ったが、俺達二人を指差して苦言を呈してくる。
「二人とも仕事中に私語しすぎよ」
「ごめんねぇマナちゃん。かー君がカッコ良くてつい♡」
「んなっ!」
こ、この人は……っていかんいかん何を照れてるんだ俺は。こいつはクソビッチ。最悪の人間だ。
「……何を赤くなっているの」
「!」
半目で俺を睨むマナ。
んだよ、お前にそんな反応をされる謂れはないっつーの。
「うっせぇな……さっさと休憩に行って来いよ」
「! ……きゅぅ……!」
「え……?」
な、何だ……?いきなりマナが頬を赤くして俯いたぞ。
心臓の上に両手を重ねて……動悸でもするのか……?高血圧……?
俺が訳も分からず固まっていると、小声でなにかを呟いたマナは「ハァハァ……」と息を切らしている。
「じ、実物は想像以上だわ……!」
「何言ってんだこいつ……?」
「そ、それじゃあ私行くから。仕事はちゃんとやりなさいよ」
『は……はーい』
どうやらクソビッチもマナの反応に戸惑っているらしく、俺達は顔を見合わせた。
「……かー君、知り合いなんでしょ?あれ、なに……?」
「……さぁ……」
俺、もうここのバイト辞めたい……。
※
時刻は21時半を迎え、俺は初出勤を無事に終えた。
人生で初の労働はやはり心身共に疲れるものがあり、今すぐにベッドに飛び込みたい気持ちでいっぱいだ。
「高知君、お疲れ様!バイトは初めてって言ってたけどどうだった?」
俺が休憩室でタッチパネル式のタイムカードを切っていると、店長が気さくに話し掛けてきた。
「そうですね、ぶっちゃけ超疲れました……」
「ははっ、最初はそんなものだよ。うちはそう忙しい店でもないし気楽にやってくれたらそれで大丈夫だから」
「はい。ありがとうございます。それじゃお疲れ様です」
「うん、お疲れ様~」
俺は特に荷物も持って居なかったのでロッカーに触れる事なく、休憩室を後にした。
すると、俺より一足遅くタイムカードを押しにきたマナとクソビッチとすれ違う。
「あ、かー君お疲れ~」
「……お疲れ様」
二人も高校生だからうちの店では9時半までしか働けない。
よく考えたら上がり時間が同じなのは当然か。
俺が二人に短く「お疲れ」と言ってさっさと帰ろうとすると、クソビッチが俺の手を取った。
「ちょい待ち!ね、一緒に帰ろよ~マナちゃんも一緒に!」
「は、はい!?」
「わ……私は構わないですけど……」
チラリ、とマナが横目で俺を見る。
一応気にはしてるのかね……らしくもない。
「ねぇ~お願~い。夜道一人じゃ怖いのぉ~」
「あんたいくつだよ……!」
「かー君と仲良くなりたいのぉ~お願い~」
「あーもうっ、分かったよ!今日だけだぞ!」
「いぇーい♡」
「……相変わらず美人には甘いのね」
「あぁん!?」
「……っ!」
何だ……?また悶えだしたぞ……!?
俺が不気味なものを感じ取っていると、二人は勤怠を切りに休憩室へ向かった。
すぐに二人が戻って来る。
そして、何故か俺を挟む形で歩き出した。
特にクソビッチは俺の腕を取っている。
まだ店の中だから正直止めて欲しいが、胸が当たっているせいで強く拒めない。男ってほんと……。
「……あの、近いんすけど」
「嬉しいくせに~うりうりぃ~」
「……」
若干マナの視線がきついが、俺達はそのまま店を出た。
すると、出入口のすぐ横に見覚えのある顔の人物が立っていた。
そいつは俺達を見るなり、驚いたように声を荒げた。
「お、おいっ茜さん何やってんだよ!!」
「ありゃ、竜」
いくら人の顔を覚えるのが苦手な俺でもきちんと記憶に残るその男は、琴色さんの元カレ……確か水原竜だっけか。
こいつ……わざわざ待ってたのか。
執着心が強いというのはどうやら本当らしい。
「おい、お前──」
「はぁ!?」
粗暴、そう言わざるを得ないそいつはいきなり俺の胸ぐらを掴み、クソビッチから距離を取らせた。
「俺の女に手出してんじゃねぇよ!」
「……っ!?」
「ちょ、竜!止めなさいって!」
おぉっ……思ったより首が絞まってる……!
だけどな、お前には言いたい事が腐る程あんだよっ……。
俺は体に残った酸素を全て使い、何とか言葉を吐き出した。
「……女の子っ……はな……もっと大事に扱わないと……すぐ捨てられっぞ……!あぁ……好いてくれてた幼馴染み一人も抱けないお前には……分かんねぇか……!?」
「あぁ!?てめえ何言って──」
それはとうとう水原が俺に向かって拳を振り上げた時だ。
俺の胸ぐらを掴む左手を、マナが真っ直ぐに蹴り上げた脚が弾き飛ばしたのだ。
俺は反動でそのまま後ろに倒れ込み、水原はさすがの体幹か僅かに後ずさるだけでマナを睨んでいる。
「いってぇ……な……!!」
マナはドスの効いた脅しに怯むどころか、更に低い声を出した。
「私の幼馴染みに手を出さないで貰えるかしら……!!」
「あぁ!?俺は女だからって──」
「もう止めなさい竜っ!!」
水原を引き止めるようにクソビッチが奴の体を抱き締めた。
「かー君とは別に何もないから……一緒に帰ろ……?帰っていっぱい気持ちいーことしよ……?」
「……茜さんがそう言うなら」
水原はそのままクソビッチの腕を引っ張って去って行く。
そのすれ違い様に微かに耳元に聞こえたのは「ごめんね」という呟きだった。
「……クソ……あいつほんとに同い年かよ……」
「大丈夫……?」
本当に心配そうに手を差し出したのはマナだ。
だが俺はその手を取る事なく立ち上がった。
「……きゅぅ~……!」
「……?」
なのになんで顔を赤くしてんのこいつ……?
俺は尻を払い、ふと考える。
このまま二人で帰る流れになるんじゃないのか……と。
そんな所、万が一佳南や筑波にでも見られたら大変だ。
まず間違いなく大喧嘩になる。
一人で帰るのは簡単だ。
友達に呼ばれたからとでも言えば良い。
だけど……今マナを一人で帰らせて、さっきの水原が何か仕掛けている可能性も0じゃない。
それに時間も遅い。女の子一人で夜道を──
……って、俺は何を言い訳を探してるんだ。
あんな、女の子に手を上げるような事をしておいて何が心配だよ。
「なぁマナ……」
「何かしら?」
俺はこいつを許せないし許したい。そうだったろ。
だからあの日終わらせたんだ。
そう、俺達はもう終わった関係なんだ。
なら必要なのは言い訳じゃない。
「……一緒に帰るか」
「……」
マナは何も言わずただこくん、と頷いた。
それはおよそ半年振りの言葉だった。
俺に必要なのは言い訳じゃなかった。
必要だったのは今も昔も変わらない簡単な事。
"普通"に振る舞う。
たったそれだけで良かったんだ──
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