第21話 夏休み始まりの日


 ──その日、俺こと高知こうちかなめは歓喜の瞬間を迎えた。


「夏休みだぁーーーー!!!」


 最早俺達御用達となっている、校舎の隅の誰からも忘れられた僻地、旧生徒会室。

 その中で俺は両手を上げて最上級の喜びを表現していた。


「試験も終わって明日から、いやもう今この瞬間から夏休み……最高だ!!」


 昨日の内にテスト返しも終わり、今日の午前中に終業式も終わった。

 ……あの苦しんだ1学期も、早くも思い出の中へと消化されつつある。


 そう、消化だ。

 俺の中であの数ヶ月の傷は、身体の隅々まで巡る栄養のように蓄積される。

 

 未だ消えずに残っているものは沢山ある。


 例えば、俺のこの折れた小指とか……。


「高知君、あんまり腕に刺激与えちゃ駄目だよ」


 掲げた両腕、その左腕の先を心配そうに見つめる俺の天使──筑波つくば珠奈じゅな

 綺麗な黒髪をややショートめに切り揃え、前髪を目に掛かるくらいで横に流した、可愛らしい普通の女の子。

 正直これといった特徴がある訳じゃないが、その優しく、愛らしい雰囲気から男子からの人気は絶大だ。さすが俺の天使。


 俺は旧生徒会室で向かい合うように机を挟んで座る筑波にニヤっと笑い掛けた。


「大丈夫だよ筑波。あと3週間もありゃ治るみたいだし!」

「うん、全治1ヶ月にしたくなかったら大人しくしてましょうね」

「は、はい……」


 特徴がないとは言ったが、最近の筑波の笑顔は妙に怖い時がある。ダークエンジェルゥ……。


「要、あんたそれまだそんな掛かるの?」


 机の上で肘をついて俺の小指を指差しているのは桜庭さくらば佳南かなみ

 肩の辺りまで伸びたストレートの茶髪で、スカートは短めという、少々ギャルっぽい美少女。

 だがその豊満な体躯は少女と言うにはあまりのも魅惑的で、その中身の残念さが無ければ明晰な頭脳と相まって完璧と表現出来たのに。


 まぁ……俺が完璧と思えた女の子は別に居る。

 そいつの話は今は置いておくが。


 俺は佳南に左手を向け、固定された小指を軽く振った。


「残念ながら夏休みの半分はこいつとお友達みたいだわ」

「指を固定する器具をお友達だなんて、あんた寂しい奴ねぇ~」

「けっ、ぼっちに言われたくねぇ」

「あー!要さん今言っちゃいけない事言ったーー!!」


 そう、佳南のクラスでの腫れ物扱いは変わっていない。

 俺と筑波が居るから俺達を挟んで喋る事はあっても、佳南が誰かと二人きりで話す事はない。

 

 この旧生徒室から教室に帰る時の憂鬱そうな雰囲気も健在。


 いい加減どうにかしてやりたいんだが、佳南自身それを受け入れているせいで改善のしようがない。

 この状況を招いたのは佳南だし、まぁ仕方ないと言えば仕方ない。


「ふふっ、二人ともあんまり騒いだら駄目だよ」

「だって珠奈ぁ……要がぁ……」

「は、俺は悪くないだろ。筑波、甘やかしちゃ駄目だよ」

「はいはい二人ともごめんなさいしましょうね」

『バブみが凄い』

「え……バブ……なに?」

『いえ』


 筑波の隣に座る佳南は、何やら退屈そうに机に突っ伏した。


「あ~……それにしても暇になるわ。友達も居なくなっちゃったし夏休みどうしよぉ……」


 かつて同情はしないと言い切っていたが、こいつが段々本当に可哀想になってきた。

 いや、マジで同情の余地は一切無いんだけど。


 佳南はしばらくうなだれていると、「あっ」と急に顔を上げた。どうやら何かを閃いたらしい。


「そだ、二人とも夏休み一緒に遊ぼーよ!海かプール行って、花火大会とか行って~後は旅行とか!!」


 名案キタコレ、と言わんばかりに顔をキラメかせる佳南。

 だが残念ながらその提案には乗れないんだなぁ。


「言うと思った。だけど俺はパス」

「はぁぁ!?何で、何でよ!!要と珠奈が遊んでくれないと私自宅警備員しなきゃいけないじゃん!!」


 憐れな……。


「いや筑波は時間あるんじゃねぇの?二人でどっか行ってこいよ」


 俺の少々冷たい物言いに、今度は筑波が反応した。


「私は大丈夫だけど……高知君、夏休み結構忙しいの?」

「俺8月の後半からバイト始めるんだ。骨折が治るまでは海とかもきついし、近所の花火大会は8月の後半だろ?シフトドン被りだと思う」

「……そう、なんだ」

「わりぃな。さすがに骨折治るまでは大人しくしときたいし」

「……ううん……」


 なんか筑波がすげぇしょげてしまった。

 そんなに俺と遊びたかったのか──

 

「まぁそれなら仕方ないね。佳南ちゃん、私海は苦手だから二人でプールでも行こっか」

「!! 珠奈ぁ~大好きぃ~~~!!」


 あ、あれ?今しがたまでの悲しそうな雰囲気は何処へ……?


「……ちょっと」

「ん?」


 俺があっさりと引き下がった筑波に困惑していると、彼女の腕に抱き付いている佳南がじと目を向けてくる。


「……あんたほんとに来ないの?泳げなくても良いじゃん。プールの端から見てなよ」

「お前は鬼か」

「……私も来てくれたら嬉しいな。高知君と佳南ちゃんと、三人で遊びたい」

「筑波……」


 なんだ実はやっぱ俺とも遊びたいんじゃないか。良かった、ほんとに。


 しかし……、


「だけどなぁ何が悲しくて一人端っこで──」

「要?」

「高知君?」


 俺は言いながら気付いてしまう。


 この二人とプールに行くという事は、悪魔的なスタイルを持つ佳南、天使のような可愛らしさを持つ筑波、二人の水着姿を見れるという事だ。


「……悪くない、な……」

「! で、でしょでしょ!それにあんたみたいのでもナンパ避けにはなるだろうし」

「んだよ、俺だってそこそこ顔は良いだろ?」

「え?あ、うん……そうだね」

「ちょっと?涙で前が見えないんですけど??」


 と、まぁそんなこんなで俺達はプールへ行く約束をし、佳南の寂しい夏休みの1日を埋めてやる事となった。


 予定を決めていると時間はすぐに過ぎていき、時刻は早くも13時を迎えようとしていた。

 今日は弁当も持ってきていないのでいい加減腹が減ってきたな。


「二人とも、そろそろ帰らないか?後はLINEしよ」

「そうねぇ。お腹も空いたし」

「うん、分かった」

「そんじゃ一応机戻して、いつも通り入った形跡を消すか──」


 俺達がそうやって用意した机に手を掛けた時だった。


 ──コンコンッ。


『!?』


 旧生徒会室のドアがノックされる。

 それが意味するのはこの場所が、誰も知らない筈のこの場所が誰かに知られたという事だ。


 俺達三人に緊張が走る。


 返事をする事も出来ず、ただ顔を見合わせて息を呑む。


 すると、数秒経っても返事が無い事に痺れを切らしたのか、ドアの向こうの人物が話し掛けてきた。


『そこに居る方、少し話があるから今すぐ開けなさい』


 それは聞いた事のない声だった。

 いや、少し違うか。


 聞いた事はあるが、教師や知人の声とは違っていて、すぐには思い出せなかった。


 どうやら筑波や佳南は声の主に覚えがあるらしく、動揺はしていたがドアの向こうの彼女の名を口にした。


『生徒会長……?』

「あっ」


 そうだ、そう言えばうちの生徒会長がこんな声だった!

 少し低くめの声ので、冷徹さを感じさせるこの声。


『? ちょっと?聞いてるのかしら?早く開けなさい!』

「は……はい!」


 俺は掛けていた鍵をすぐに外し、仏頂面を浮かべる、女帝と言って差し支えの無さそうな我が校の生徒会長とご対面した。


「……遅いわ。不届き者の皆さん」

「えと……何かご用で……?」


 冷ややかな視線を向ける、生徒会長こと琴色ことしき静音しずねさん。

 少しだけ色素が抜けて茶色がかった長い髪に、俺とさほど変わらない身長。

 氷のような眼差しは堅物といった印象をさらに強くしている。

 抜群のスタイルも合わさって近付きにくいオーラがビンビンだ。

 俺、これでも175はあるのに……。


 彼女は面と向かう俺、そして部屋の中にいる佳南と筑波を一瞥した後、温度のない口調で言った。


「あなた達がこの場所を誰の許可もなく使っていると聞きました。生徒会長としては見過ごす事が出来ない事態です。今すぐ明け渡して貰えますか?」


 それはいずれ訪れるかも知れない瞬間だった。

 この場所は誰も知らないから俺達が勝手に使っていただけだ。

 俺達が文句を言える事は一つもない。


 だが、俺には一つ聞きたい事があった。


「……それ誰から聞いたの、琴色さん」

「あなたがカナメ君ね。なるほど……面倒そうな人だわ」


 向かい合って少しだけ堅さを解して睨み合う。


 ちなみに彼女は俺達と同じ二年生。

 先ほどの丁寧な物言いは生徒会長としてのものだろう。

 

「誰が面倒そうな人だよ。ってか誰が俺の事そんな噂してるの」

「あら、カナメ君ってば結構評判悪いわよ?二股野郎で手段を選ばないサイテーな人だって。って、それはどうでも良いのよ。あたしも良い迷惑だしもうここに来ないと約束してくれる?」

『あー……』


 ちょっと佳南さんに筑波さん?


 てかマジか俺……いつの間にかそんなに人気落としてたの……?

 お、思いの外ショック……。


 っと、それはともかく、俺はその言葉に素直に首を縦に振ることが出来なかった。


「……それは……」


 校内でプライベートな空間があるという最高な環境を手放したくない気持ちは勿論あった。


 だがそれ以上に、ここが無くなれば佳南の唯一の逃げ場が無くなってしまう。


「……」


 俺は無意識の内に佳南の方へと視線を向けていた。

 佳南は俺の視線に気付き、笑みを向けてきた。

 それは、もう良いよ、という意味の笑顔。

 だってあんなに悲しそうな笑顔、そんな意味でしかないだろう。


 ……こんな時は俺の心の内に気付かなくて良いんだよバカ……。


 俺が何とか交渉に入ろうとした時だった。


 琴色さんは愚痴を溢すようにあいつ・・・の名前を口にした。


「全く……こんな場所、聞いて無いわよ真那芽……」



【作者後書き】

お読み下さりありがとうございます!


ストックが溜まり出したので連載再開致します!

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