第11話 彼女達の話
「ふぃぃ~……」
浴槽に貯まったお湯にゆっくりと浸かりながら息を溢す。
ちゃぷんと波打つ湯船を見ながら、俺は目を閉じた。
倉橋君達と別れ一人家に帰った俺は、気が付くとぐっすりと眠っていた。
起きたのは22時頃で、お袋には「あまりにも気持ち良さそうに寝てたし起こさなかったよ」と言われた。
この2日間本当に疲れたからな……。
それに約2kmの全力ダッシュのせいか筋肉痛も来ている。
だがその甲斐はあったろう。
佳南の願いであった倉橋君との対話の時間も作る事に成功したしな。
クックック……何て言って驚かせてやろうか。
あいつきっと泣いて喜ぶぞ。
……まぁその後がめんどくさそうだがな。
十中八九、倉橋君は佳南をフるだろう。
泣いて喚いて、もしかしたら冗談じゃなく死ぬとか言うかも知れない。
俺一人で止められるか……?
考えすぎではあるが、俺はこの世は最悪の事態が起こるって事を知ってる。
「筑波にでも頼むか……」
あいつは妙に佳南を気に掛けていたからな。
まぁ元々困ってる奴をほっとけない性格だけど。
とにかくきっと二つ返事でYESと言ってくれるだろう。
あ、そういやカバン……あいつちゃんと持って来てくれるかな……。
……ん?なんか、あいつが持って来てくれたら……何か約束してた……よー……な……。
「ブクブクブク……」
俺が次に覚ましたのは鼻にお湯が入った時だった。
※
──時は放課後直後まで遡る。
旧生徒会室。
「……何なのよこれ……!!」
私は今日の昼休みに送られて来ていたDMを再び開き、繰り返し穴が空くほど文章を読み返していた。
ほんっとムカつく。もしかしてこれやったの陸君に近付いてる女!?
……だとしたら私には何も言う権利はないんだけどさ……。
私はもうダメかも知れない。
今は辛うじて要が居るから一人ぼっちにならずに済んでいる。
ただこれが体育の時みたいに男女別れたら?
あいつが風邪を引いて休んだら?
考えるだけでブルーになる。
ただ要がこの場所を教えてくれたおかげで随分状況はマシになった。
ふふっ、あいつってばほんと期待以上よ。
……なんてね。要には感謝してもしきれない。
これで本当に陸君と時間を作ってくれたら、その時どんなお礼をしてあげようかしら。
……あいつ、昼休みにとんでもないこと口走ってたし、や……やっぱりちょっとえっちなやつの方が良いのかな……?
例えば、胸を揉ませてやる……とか?
いやさすがにダメダメ!
でも巨乳派とか言ってたし……んーーーどうしよ!?
……うん、さすがにそれはダメよね。冷静になれ私。初めてのえっちな事は好きな人と。これ鉄則。
それに要にそんな事されたら私止まれないかも知れないし。
だって──
「ん?」
放課後になってすぐに教室を飛び出した私の元に誰かからLINEが届いた。
友達登録もしてないし見た事のないアイコン……あれ、筑波さん?
メッセージを開くと、何やら急ぎの用件らしく、『今すぐ校門の前に来て』と、笑とか絵文字もなかった。
「な、なんなのよ……」
私はカバンを持って急いで校門へ向かった。
すると自転車に乗った筑波さんが血相を変えてこちらへやって来た。
「ごめんなさい説明は向かいながらするね!後ろ乗って!」
「は、はい……?」
いやハッキリ言って訳分かんないよ。
私、筑波さんとは話すのほとんど初めてだよね?
反応出来ずに固まっていると、痺れを切らした筑波さんが声を張って、ある人物の名前を口にした。
「早く!!高知君の所に向かうから!!」
「……!」
その名前を聞いたら立ち止まっている訳にはいかなかった。
正直、あんたは要のなんなの……?とも思わないでも無かったけど──い、いや思ってないけど!
筑波さんと要が仲が良いことは知っている。
その筑波さんがこんなに焦って私を連れてくって事は、あのバカが陸君と何かやらかしたんだろうってようやく予測出来た。
あのバカ……私なんかの為に怒ってたし何をしでかすか分かったもんじゃない。
私はすぐに筑波さんの自転車の後ろに跨がった。
あ、自転車の二人乗りはダメだよ。お願い!今だけは警察さんに見付からないで神様!
「飛ばすよ!」
「うん……!」
筑波さんは勢い良く自転車のペダルを漕ぎ出した。
ったく……バ要。陸君と喧嘩でもしてんじゃないでしょうね!?
※
私が筑波さんに連れてかれようとしてるのは、大きなショッピングモールから少し離れた小さな公園との事だった。
何やらそこで要が陸君と七宮相手に何かをやらかすつもりらしい。
陸君達がそこに行くのはクラスにいた全員が知っていたから。
大きな声で「今からデートなんだー!」って友達に自慢してたし……。
ただ何をするつもりなのかは教えてくれなかった。
と言うか、筑波さん自身も分かっていないみたいだった。
違和感しか感じなかった私は、筑波さんの自転車の後ろに乗りながら、彼女の背に問い掛けた。
「ね、ねぇ……何で私を連れて来たの……?」
「……ハァッ……フゥッ……そんなの……高知君の為に決まってるでしょ……!」
「……え?」
ますます意味が分からない。
この子の行動に何の意味や理由があるのかさっぱりだ。
「な、ならどうして筑波さんは要の居場所が分かるの?置いてかれたって言ってたよね……?」
「……私と要君、位置情報共有出来るアプリ交換してるから……!」
「へぇ~……──え?」
「……ハァッ……それで要君が向かった場所を見たら、ドンピシャだったから何かあるって思って……間違ってたらごめんなさい。……でもきっと当たってる。私がお願いしちゃったせいで──だからあなたには見届けて貰う……!」
「……」
一体何をお願いしたんだろ──いや待って、今この子凄い事言わなかった?
え?付き合ってる訳でもないのに位置情報を?
アプリの存在事態は知ってるけど。
……どこまで仲良いのこの二人。
少しだけモヤっとする心を抑え込み、自転車の前のカゴに入った要のカバンを見た。
あの他人をほとんど信用していないバ要が、自分の荷物を預けるくらいには信用してるって事だよね……。
きっとそれを本人に聞いたら否定するだろうけど、本当筑波さんと要ってどういう関係なんだろう。
この疑問に答えが出る筈もなく、気が付けば聞かされていた小さな公園の近くに着いた。
「……疲れた……!」
「ご、ごめんねありがと……」
「ううん……とりあえずここからは歩いて行こ……見付かったら高知君に悪いから……」
「う、うん」
どうやら筑波さんには要が何をするのか、予測がついているみたいだ。
気が合うとは言え、さすがに私にも分からないのに……。
まるで前にもこんな事があったかのよう──
「あ、居た……!」
「! 陸君……要……!」
大小様々な風変わりなオブジェクトがオシャレに公園を彩るせいで、この場所には死角が多かった。
そのおかげで思ったよりもあの三人に近付く事が出来た。
はっきりと会話が聞こえる。
『全然駄目だわ俺!やっぱまだマナには許せる部分がどっかにあるんじゃないかって思ってる』
「!」
「……」
……あのバカ。やっぱりまだそんな事思ってたのね。
本当仕方のない奴なんだから……。
あんたはもう十分苦しんだんだよ。
答えが出るまで待つとは言ったけど、もしも要が幼馴染みを許したいって言ったら、ひっぱたいてでも止めるつもりだった。
要に嫌われても良い。絶対それだけはさせない。
じゃないとあまりにも要が報われない……。
『……倉橋君にはヒロインが居るからな。守るものがある奴は中途半端は出来ないだろ?俺は違う。迷って苦しんで、うじうじと悩んでから結論を出すよ』
「あのバカ……」
「しっ、聞こえるよ」
「ご、ごめん……」
それにしても陸君も聞いてたけど、そんな話をする為にこんな所まで来たの……?
その答えはすぐに要が教えてくれた。
『倉橋君、七宮さん。俺の用は一つだ。どうかもう一度だけ佳南と話をしてやって欲しい』
「……」
「……さすがだね高知君」
やっぱりね、と言わんばかりに微笑んでいる筑波さん。
でも私がそんな事に意識が向いたのはほんの一瞬だった。
要は約束を守ってくれていた。
皆から距離を置かれたこの私との約束を。
それだけで胸が締め付けられるように傷んだ。
目の前の光景に目が離せないでいると、七宮が声を震わせながら要を拒絶した。
『……駄目……駄目ですよ……そんなの……許可出来ません……!!』
七宮はその後私がいかに陸君を傷付けて追い込んだのか、どれだけ恨んでいたのかを叫んだ。
要は何も言い返す事はせず、ただその罵声を浴び続けた。
本当なら私が受けるべきものを、ね……。
ムカつく気持ちがないなんて事はない。
むしろ今すぐぶっ飛ばしてやりたい。
でも悪いのは私だ。
間接的に言えば、今要をあんな目に遭わせているのも私。
……私は自分が嫌いになりそうだ。
『……ごめん、要君。本当は君の頼みは聞きたいけど、さすがにエミちゃんに悪いから……本当にごめん』
「……っ……」
「桜庭さん……」
それは陸君からの完全な拒絶の言葉だった。
本当に彼にはもう私に対する気持ちはないみたい……。
いや、もしかしたら最初から──
要はもう十分頑張ってくれた。
ありがとね要……。
私、もう良いからさ……。
もう……ちゃんと諦めるから……!
話し合いはここで終わりだろう、そう思った時だった。
「要……!?」
「……!」
待って、あのバカ何しようとしてるの……!?
急に姿勢を落として膝を地面につけて……。
……ダメ。私そこまでしてなんて頼んで──
『お願いします。あいつは君らが思うあいつより、ほんの少しはマシな奴なんだ。倉橋君も俺の幼馴染みの話を聞いたろ?あんな奴よりも随分マシなんだ。酷い事をしたろう、言ったろう。でも、最後のチャンスくらい与えてやって欲しい。俺に出来る事なら何だってする。だからどうかこの通りだ……どうかお願いします……!!』
私は、今この瞬間、初めて自分がしでかした事の重さを理解した。
私は陸君を傷付けて追い込んだ。
それは教えて貰ったから客観的に「あぁそうなんだ」ってくらいにしか思ってなかった。
だけどそんな軽いものじゃなかったんだ。
私がしでかした事は要にあそこまでさせるものだった。
あれは本来なら昨日私がしなきゃいけなかった事。
それを協力関係なんて何の重みもない言葉で要に押し付けた。
つくづく私は人の気持ちが分からない人間だと痛感する。
「……」
私は無意識に足を要達の方に向けていた。
一歩、足を進ませようと前に重心を傾けた時だった。
私の腕を筑波さんが引っ張った。
「……離して」
私は脅すように低い声でそう言った。
だけど筑波さんは一つも怯える事なく言い返してくる。
「何するつもり?もし高知君の頑張りを無駄にするような事するなら許さないよ」
私が今すぐ要の土下座を止めさせて、この場所から連れ出そうとしたのを気付かれたみたい。
良いから離しなさいよこの女。
要はあんな事する必要ないの。
私なんかの為に……要が……!
私は筑波さんの方を振り返って強く睨み付けながら腕に力を込めた。
「離せって……言ってるでしょ……!これ以上要にあんな事──」
──パチンッ!!
強く、乾いた音がオブジェクトに反響する。
右の頬が熱い。後から痛みがやって来る。
「私、言ったよね?見届けて貰うって。あなたにはその責任がある。そして相談した私にも。これはあなたと私の罰だよ」
「……っ!知ったような事──」
私は無理矢理にでも腕を振りほどこうとした。
だけど、彼女の顔から一筋の涙が溢れたのを見て止まる。
「高知君はね……優しいんだよ。度が過ぎて優しいの。だからもしかしたこんな事になるんじゃないかって思ってたのに……。そして高知君はあなたの為に頑張ってる。それをそのあなたが知らないなんてあんまりだもん……!」
「……」
彼女は今にも血が出そうな程に拳を握り締めていた。
……筑波さんも今すぐ止めに行きたいんだ。
だけど出来ない。要が必死に頑張っているから。
筑波さんは要の為に出来る全部をしている。
私をここに連れて来て、見守らせて……。
「お願いだからここでじっとしてて……!」
「……っ……」
私はもう無理に筑波さんの手を離そうとはしなかった。
ただその代わりに次々に涙が溢れて来る。
私は足が震え、地面にぺたりと座り込んでしまった。
『そこを曲げて頼む。ほんのちょっとの時間でも良い。あいつに時間を与えてやって欲しい』
なんで……なんでそこまでするのよ……!
私の同情を誘うやり方を取りなさいよ……!
なんであんたが自分を犠牲にしてそこまでするのよ……バカ……!!
『都合が良いのも卑怯なのも全部分かってる。だけどどうかっ……!』
もう……それ以上言わないで。
止めて、心臓の音を強くさせないで。
要は陸君以外で初めて私に出来た頼れる男の子。
要からしたら私はただの協力者。
見返りがあってやってる可能性もある。
だけど、きっとあいつにそんな打算はない。
純粋に私の為に頑張ってくれている。
ねぇ……要……あんた本当バカだよ……。
もう引き下がれなくなって、自分の首を絞める事になるよ……。
私はもう懲り懲りなの……。
私は誰かに依存して傷付ける事しか出来ないの……。
そんな本当に酷い女なの……。
だからお願い。お願いだから。
もう私に誰かを好きにさせないで──
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