第12話 筑波珠奈は許せない


 ──次の日。


 うだるような暑さの中、俺は目を覚ました。

 時刻は8時15分。あと5分以内に家を出なければ遅刻確定だ。


 だがそれはいつも通り。

 限界ギリギリに家を出た奴が勝つ競技があれば上位入賞を目指せる自信が俺にはある!


 と、まぁ何のかんのアホみたいな事考えてるが、そろそろ起きなきゃマジヤバい。


「……行くか……」


 お袋が用意してくれていた朝食(バナナ2本)をたいらげ、身だしなみなど気にもせずに家を出た。

 ちなみにお袋の朝飯が残念なのは、2年になって俺にギリギリ癖がついたせいだ。食ってる時間ねぇし。


 すると──


「……遅い」

「佳南……!?」


 家のドアを開けてすぐ、目の前に現れたのは不機嫌そうな俺の協力者様。

 腕を組んで半目で俺を睨んでいる。


「私、もうここで20分くらい待ってたんですけど」

「い、いやそんな事言われても……」


 ふんすっ、と唇を尖らせている彼女。

 更にとんとん人差し指を叩いて、イライラを表現している。

 おぉ……胸の前で、いや胸の下で腕を組んでるせいで、僅かなアクションで揺れる……揺れる──


「朝からお元気なようねぇ?」

「おっと……」

「ったく、これだからバ要は……」

「んだよ。ってかお前、なんで朝からうちの前にいるのん?教えたっけ?」


 俺の当然の疑問に佳南は何故か少し気に入らなそうに答えた。


「……教えて貰ったの」

「え、誰に!?」


 怖い怖い!

 学校で俺の家を知ってる奴なんか、幼馴染みを除けば一人も──


「……筑波さん」

「筑波!?あいつうち知ってたの!?」


 俺の反応に違和感を憶えたのか、佳南は何言ってんの?みたいな感じで疑問を呈してきた。


「そりゃ分かるでしょ?位置情報共有してるんじゃないの?」

「あ」


 そう言えばそうだった!

 相手が常にどこにいるか分かるのが何が面白いのか、分からなくてほっとんど開いてなかったわ……。


「忘れてたの……?」

「綺麗さっぱり。俺アプリいっぱい入ってるから忘れちゃうんだよね」

「ちゃんと整理しなさいよ」

「Android勢は最初っから色々入り過ぎて面倒なんだよ」

「あぁ、あんたオ○ボロイドなんだ」

「おいぃ!?今なんつった!?これだから日本のシェアだけで物事を考える奴は……それに今俺に搭載されてるCPUはお前らのそれを越える!ハイエンドモデルの価格高騰は痛いが、時代は今やこちらに──」

「何か熱心に語ってる所ごめん、もう遅刻確定よ」

「あーーやっちまったぁぁあ!!」

「う、うるさいわねぇ……」


 佳南は両耳を塞いで呆れ返っている。

 俺はこれでも皆勤賞狙ってたんだよ畜生……。


 悔しがる俺をよそに、佳南は玄関で佇む俺の腕を引っ張ってゆっくりと歩き出した。


「お、おい……!」

「遅刻なんて一回くらい良いじゃない。丁度良いし一限も飛ぶわよ」

「えぇ!?」


 お前は遊び慣れた大学生かよ!


 本来なら全力ダッシュするところだが、残念ながら俺の腕はガッチリと佳南に抑えられている。

 諦めるか……昨日の筋肉痛も結構キてるしな。


「はぁ……分かったよ……お前はほんと人を振り回すのが好きな奴だな……」

「あんたが振り回されやすいだけでしょ。私ちゃんと早くから待ってたのに」

「まぁそりゃそうなんだけど……」


 てかこいつは何で俺を迎えに来たんだよ。

 わざわざ筑波に聞いてまで……。


 俺はもう抵抗もしていないのに腕を離さない佳南に嫌味っぽく聞いてみる事にした。


「なぁお前マジで何しに来たの?ぼっちで登校するの嫌すぎて巻き込みに来たの?」

「失礼ね……。そんな理由じゃないわよ。でもあんたが来て欲しいなら毎日来てあげても良いけど?」

「新手のツンデレ止めろ。……そろそろ教えてくれても良くねーか」

「……あの生徒会室に着いたらね。だから今は──」

「……?」


 佳南は俺の腕を抱く力を更に強め、体重をゆっくりと預けて来た。

 まるで、何かに寄り掛からないと今にも壊れてしまいそうな彼女の様子に、拒む事は出来なかった。


「……せめて今だけは……このまま……」

「……」


 俺達はそのまま言葉を交わす事なく、旧生徒会室に向かった。





「……遅い」

「筑波っ……!?」


 俺達が旧生徒会室のドアを開いた時、目の前には腕を組んで半目の天使が居た。


 お、おぉ……こっちはこっちでそこそこに実った蕾が何とも──


「いででで」

「ったく」


 俺の視線に気付いたのか、佳南が俺の頬をむぎゅーっと引っ張った。


「……高知君達、何してたの?」


 じーっと睨みを利かせる筑波は、どうやら俺と佳南が家で何かしてたんじゃないかと疑ってるようだ。

 そして何故だろう、佳南がくっついている辺りに視線を感じる……


 てかいい加減離れて欲しいものだ。

 正直ずっと胸が当たって限界──


「筑波さん遅くなってごめんね……要ったら中々離れてくれなくって♡」


 ──ピキッ。


 俺は確かに今筑波の額に血管が浮いたのを見た……!

 と言うかこいつ何口走ってんの!?誤解されちゃうでしょう!?

 くっついて来てるのはお前だろ!?


 俺は恐る恐る筑波の表情を窺った。

 あ、さすが俺の天使。ちゃんと笑顔──


「高知君も大変だね。捨てられたからってすぐ別の男に乗り換えようとする尻軽さんに近付かれて」

「!?」

「あ、あんた何て事を……!?」


 嫌だ!俺の天使がめっちゃ笑顔であんな事言うなんて!?

 

「お、おい佳南のせいで俺の天使──じゃなくて筑波が超怒ってんじゃん!早く離れろって!」

「私のせいじゃないもん!大体天使ってなに!?あんたあの子の事そんな風に思ってたの!?」

「"私のせいじゃない"!?お前のせいだっつーの!!お前、俺の天使の事をバカにするなら今すぐ倉橋君の所にクーリングオフしてやるからな!!」

「あーーー!!今、今っ!絶対言っちゃダメな事言ったーーーー!!鬼!!悪魔!!このバ要ーーー!!」

「んだとこのバカス女が!!てめぇ今すぐ剥いてやんぞ!!」

「えぇー!?だ、ダメよそんなの……!私達まだ……」

「あっ……そ、そうだな……付き合ってもない男女がそういう事するのは良くないよな……」

「う、うん……あ……で、でも……要がどうしてもって言うなら私……」

「え……?それって──」



「もう……良い???」



『!!』


 最早語るまでも無く表情に温度は無い。

 筑波の放つオーラは人一人くらいなら殺せそうな程に恐ろしいものがあった。

 

 俺達はぶるぶると体を震わせながら首を縦に振った。


『す、すみません……』

「早く授業に戻りたいし、中入ってよ」

『はい』


 筑波は俺達二人を旧生徒会室に招き入れた。

 佳南はよっぽど怯えたのか、そそくさと俺から離れテキパキ机の準備を始めた。

 ……借りてきた猫みたいになってるな。筑波と何かあったの……?


 だが今は俺も筑波様をこれ以上怒らせないようにしないと……。

 佳南に続いて俺も中に入ると、俺の袖をそっと指で弱々しく掴む感触があった。


「筑波……?」


 彼女は顔を赤くして少し俯いている。

 すると俺の顔を見ないまま、囁くように呟いた。


「……私……天使じゃないよ……もぅ……」

「……」


 たぶん、これは萌えという奴だ。

 俺の天使が天使と呼ばれて天使のような反応を示してるんだ。間違いなくこれは萌え。


 そう、この体の奥底から来る震えは恐怖でなんかでは無く、間違いなく萌えなのだと、俺は繰り返し自分に言い聞かせた。





「それで、二人とも何の用……?」

『……』


 桜庭さんと並んで座る私と向かい合って椅子に座る高知君は、唐突な私達の行動にかなり違和感を感じているようだ。

 そりゃそうだよね、遅刻どころか授業まで出席せずここに居るんだもん。


 それにしてもうちの学校にこんな所あったんだ……。

 桜庭さんが教えてくれた時は驚いたよ。

 だってこんな都合の良い場所、学校に居るのに何でも出来ちゃうよ。


 まぁこの二人に限って──いや高知君に限ってはそんな心配は要らないけど。

 高知君はまだ例の幼馴染みさんを引きずってるから……。


 私も何度か話を聞いた事がある。

 それはそれは酷い幼馴染みさんだったって。


 どうすれば高知君は彼女の事を忘れられるのかな……。

 私は高知君にはもう彼女の事なんか忘れて、関わらないで過ごして欲しい。

 報復とか、復讐とか、心底どうでも良い。

 

「……えーっと……二人とも……?」


 どうやら私だけじゃなく、桜庭さんまで黙ってしまってたらしい。

 

 私達が今日こうして高知君を待ってたのには当然理由がある。

 このままだと高知君は気さくに「倉橋君が時間取ってくれるってさ。良かったな佳南」とか言って終わらせようとするだろう。


 そんなの、あって良い話じゃない。


 高知君の頑張りは絶対に誰かが受け止めるべきだ。

 だから私達はあの後話し合って、昨日何があったかを見てた事を打ち明ける事にした。


 高知君は怒るかも知れない。

 だけど彼にはちゃんと知っておいて貰わないといけない事がある。


「……高知君。これ」

「あ、俺のカバン!」


 私は話に入る前に、昨日預かっていた彼の少し重いカバンを手渡した。


「中のお弁当も洗っておいたよ」

「マジか!ほんと筑波は俺の天使だよ~ありがと!」

「! ど、どういたしまして……」


 全く……いきなりそういう事言わないで欲しい。

 心臓に悪いもん……。


「むぅ」


 隣の桜庭さんがじと目を向けてくるけど今は置いておくね。


 さてと、そんな事より本題だ。


「高知君、約束覚えてる?」

「! あ、あぁ。俺が佳南に構う理由、だよな」

「あ、それはもう聞いたし大丈夫」

「え」


 さすがに昨日根掘り葉掘り聞いたよ。

 高知君と桜庭さんの特別・・な関係もね。


「きっと何でって思ってるよね。理由は今から言うから約束の内容を変えさせて貰うね」

「それは構わないけど……マジでさっぱり分からんぞ……」


 私はきょとんとしている高知君に、真剣な表情で問い掛けた。


「昨日、ショッピングモールの近くで何してたか聞いても良い?」

「……!」


 一瞬で彼の表情が変わる。

 たぶん今の言葉で全部察したんだろうね。


「……見てたのか」


 ほんの少しだけ、怒ってるようにも聞こえる言い方に罪悪感を感じながらも私は続けた。


 例えこの事で嫌われても、私は高知君に伝えなきゃいけない事があるから。


「うん……。そして桜庭さんもね」

「なっ……」


 隣の桜庭さんを横目で見ると、今にも泣きそうな顔をして視線を下にしている。


 高知君は苦虫を噛み潰したような顔をした後、後頭部をかきながら「あーーー……」と唸り声を上げた。


「……はぁ……見てたんなら仕方ない、か……」


 どこか観念したかのようにため息を吐いて、高知君は桜庭さんに視線を向けた。


 その表情に本当に無理はなく、優しく笑って明るい声を掛けていた。


「ま、そういう事だ。何とか約束は果たしたぞ佳南!良かったな!」

「……しょ……」

「え?」


 ずっと黙りこくっていた桜庭さんは、我慢の限界とばかりに声を荒げた。


「良かったじゃ……ないでしょう……!!」

「……」


 高知君は知られてしまえばこうなる事を分かってと思う。

 だから私達を遠ざけた。それ自体は別に私は何とも思わない。

 優しい高知君の事だから、むしろさすがだねって所。


 だけど、選んだ手段が私は許せない。


「高知君、私も正直今回の事は怒ってる」

「い、いや……筑波も聞いたなら分かるだろ?あーするしか無かったんだって。効率も一番良かったし。大体俺が何しようがお前らには……」

「それ……本気で言ってるの?」

「げっ」


 高知君は何か地雷を踏んだみたいな嫌な顔をした。

 冗談みたいな空気をまた作り出そうとしている。

 だけどそうはさせない。絶対。


「あんなの、無理矢理にでも桜庭さんを引きずり出して、クラスの皆の前でやらせれば良かったんだよ。それが一番効果的だった」

「ちょ、さすがに本人の前では……」

「関係ない。私、本当に今回の事は高知君に嫌われても良いから言いたかった事があるの」

「え……?」


 私は立ち上がってぎゅっと拳を握り締めた。

 

 私も高知君に押し付けた張本人だ。

 こんな事を言う資格はないかも知れない。


 だけど、伝えておかなきゃいけない事がある。


「私さ、高知君に桜庭さんの事をお願いしちゃったよね。私じゃあまり力になれそうに無かったから」

「あ、あぁ。でも別にお前に頼まれなくても俺はやってた思うぞ?」

「だと思う。だけど、そしたら高知君はもっと酷い手段を取ったかも知れない。私ね、困ってる人とか傷付いてる人を放っておけないの」

「分かってるよ……?それが──」


 私は無意識に流れていた涙に気付く事無く、高知君の瞳を見つめた。


「高知君が傷付いて悲しむ人が居るってちゃんと分かってるの……!?」

「筑波……」

「あんなのヤだよ……!もっと自分を大事にしてよ……!!」

「……ごめん」

「謝るくらいなら最初からしないでよ……!私、私……!」


 あまりにも涙を流し過ぎて後は言葉に出来なかった。


 これじゃ私、ただ罵声を浴びせただけだ。

 もっとちゃんと高知君が頑張った事を誉めてもあげたかったのに、高知君の事を心配する私が涙を止めてくれない。


 私が泣いて固まってしまっていると、高知君は桜庭さんにも顔を向ける。


「佳南の言いたい事も同じ感じか……?」

「……私は……」


 桜庭さんは綺麗な茶色い前髪で表情を隠しながら、少しだけ優しく微笑んだ。 


「……ありがとうって、言いたかった。それとバカだねって……後は……」

「……?」

「もう……二度と私なんかの為にあんな事しないでねって。私……要にこれ以上迷惑掛けて嫌われたくないの……!」

「迷惑じゃないさ……でも分かったよ。もう二人が傷付くやり方はしない」

「約束……だよ……高知君……!」


 高知君は「あぁ」と短く返事をした後、私が泣き止むまでずっと待っててくれた。


 そして数分後、高知君は桜庭さんに視線を向けて今後の話を始めた。


「丁度良いし佳南、このまま聞いちまうわ。倉橋君との最後の話し合いいつにする?」


 桜庭さんはあまり迷う事なく答えた。


「今日いきなりじゃあれだし、明日とかでお願いしても良い?」

「大丈夫だと思う。ちゃんと心整理しとけよ?本当にこれが最後だからな。やり直すチャンスは」

「……うん」


 それがきっと無理だって事を二人とも分かってるように見えた。


 一通り話しておかなきゃいけない事を話し終えた私達は、まだ授業の終わっていなかった1限の終盤に教室に戻った。


 クラスの皆がどういう取り合わせ?みたいな顔をしてたけど気にはしない。


 これで高知君がきちんと自分という存在を大事にしてくれたらそれで良いから。

 そしたら、いつか私にも──


 いや、そんな気持ちはもっと心の奥底に仕舞っておかないと。

 私は高知君の一番の他人でいなきゃいけないから。


 その日は特に何も問題が起こる事はなく、時間は次の日、桜庭さんと倉橋君の二人が邂逅する放課後を迎えた──

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