間話1 クッキーをあなたに

 夕食後のキッチンにリリアンとレイネの姿があった。



「よしっ。やるわよ!」



 気合十分のリリアンが、エプロンの腰紐をキュッと結ぶ。

 そんな彼女の姿を見て、レイネは微笑ましそうに「はい」と返し、さらに続けた。



「それではリリアンお嬢様、お手元のレシピをご覧ください」

「え、ええ。わかったわ」



 言ってリリアンは一枚の紙を手に取る。緊張のせいか少しばかり硬い表情をしていた。



「お嬢様、まずはリラックスです。そんなお顔でつくったクッキーをギルバート様にお渡しするつもりですか?」

「そうよね。ふぅ……」



 すべてのはじまりは今日の昼休み――


 ギルバートは甘いものが好きだという情報を得たリリアンは、屋敷に帰ってくるなりレイネにお菓子作りの指導を頼んだ。そして話し合いの結果、クッキー作りから始めようということになり、今に至る。  


 ちなみに情報提供者はオーガストだ。ギルバートは昼食後すぐに剣の素振りへ向かったため、その場にはいなかった。



「……今さらだけど、勝手にお菓子作りしちゃってもいいのかしら。ここ学院長先生のお屋敷よね……」



 おもむろにレシピから顔を上げてリリアンは言う。



「ご安心ください。ジェシカ様よりキッチンの管理を任されておりますので、後片付けさえしっかりすれば問題ありません」



 仕える主の不安を吹き飛ばすように、レイネは小さく微笑んだ。

 



「レイネがそう言うなら安心ねっ!」

「はい、リリアンお嬢様」



 二人は顔を見合わせ頷き合う。

 そして――



「やるぞっ、おー!」

「おー、です」



 と仲良く拳を突き上げた。




 ◆◆◆




 「…………うん。見た目は今まで一番いいわ」



 ほっと安堵の息をつくリリアン。その視線の先には焼きたてのクッキーが並んでいた。



「あとは味、ですね」



 言ってレイネはクッキーを掴み上げ、「いただきます」と口に運ぶ。

 しんと静まり返ったキッチンに、軽やかな咀嚼音だけが響いていた。



「ど、どう?」



 おそるおそるリリアンが問う。



「…………お嬢様」



 ごくりと飲み込んで、レイネはリリアンの顔を見る。



「ちゃんと焼けてます。美味しいです」



 瞬間、リリアンは満面の笑みを浮かべると――



「やったーーーーーっ!!」



 勢いよくレイネの手を取って、きゃっきゃっと声を上げて喜ぶ。



「成し遂げましたね、ギルバート様もお喜びになると思いますよ」

「うーんっ、本当においしい! あたしって、もしかしてお菓子作りの天才かしら!」

「うふふ、そうかもしれませんね」



 嬉しそうなリリアンの姿に、レイネも自然と笑顔になっていた。

 と、その時である。



「……なんだ、リリアンとレイネさんか。ジェシカさんが帰って来て一人寂しく夕飯を食べているかと思ったんだが、あの人はまだ学院か。相変わらず忙しそうだな」



 汗だくのギルバートがキッチンに入ってきた。また剣の素振りをしていたのだろう。その手には黒檀こくたんの木刀が握られていた。



「「っ!?」」



 リリアンとレイネは考えるより先にクッキーを隠すように立ち塞がった。



「で、こんな時間に二人して何やっているんだ?」



 言いながらキッチンの時計を見上げるギルバート。

 時刻はすでに二十二時を回っていた。



「レイネさんはともかく、リリアンは朝弱いんだからそろそろ寝たほうがいいぞ」

「よよ、よけいなお世話よ!」



 リリアンの目が泳ぐ。予期せぬギルバートの登場に焦り散らかす。



「……ギルバート様、すごい汗ですね」

「あ、すみませんレイネさん。見苦しいところを見せてしまいました……」

「いえいえ、そんなことはありません。ですが、一刻も早くお着替えになったほうがよろしいかと。お風邪を引いてしまいますよ」

「確かにその通りですね」



 ギルバートは納得したように頷き、着ていた服の袖で顔の汗を拭う。

 レイネの機転により危機は脱した。クッキーを焼く練習をしていたことがバレるという最悪の事態にはならずに済んだ。



「……ふぅ」



 リリアンは小さく安堵の息をつきながら、ありがとうレイネと心の中でお礼を伝える。



「では、お邪魔しまし――ん? そういえばなんか甘い香りがするな」



 鼻をくんくんさせるギルバート。彼は回れ右をして、テーブルの方へ歩いていく。



「…………ギルバート様、実はですね」

「レイネっ!?」



 これはもう隠し通すのは無理だと悟ったレイネは、クッキーを焼いたことを白状した。ただ、甘いもの好きのギルバートのためにリリアンがお菓子作りの練習を始めたことまでは言っていない。



「なんだ、そうだったんですね。焼きたてのクッキーか」



 ギルバートの腹がぐぅと鳴った。



「……お食べになりますか?」

「え、いいんですか?」

「ぜひ。そして、ご感想をいただけるとありがたいです」

「俺でいいならいくらでも言いますよ。……リリアンもいいか?」



 ギルバートは念のためリリアンにもく。



「……別に、いいけど……」



 投げやりに言ってリリアンはぷいっと横を向いた。

 事情を知らないギルバートは彼女の様子に首を傾げたが、まあいいかと気を取り直して椅子に座り、「いただきます」とクッキーを食べ始めた。



「こ、これは……!」



 よほど気に入ったのか、ギルバートの手が止まらない。

 レイネはそんな彼の様子を横目で眺めつつ、準備していた紅茶をティーカップに注ぐ。



「……あなた、甘いものが好きなの?」



 知らないふうを装ってリリアンが尋ねる。



「ん?」



 食べる手を止めたギルバートは顔を上げると、



「ああ。実は甘いものに目がないんだ」



 そこまで言って言葉を切り、レイネに感謝を伝えてから淹れてもらった紅茶を飲む。


(糖質はエネルギー源になるだけでなく、疲労回復にも効果抜群だからな)


 腹が満たされ、幸せそうに目を閉じるギルバートの心の声は誰にも聞こえない。



「へぇー、そうなのね。……じゃあ、これからはあたしがお菓子つくってあげてもいいわよ。毎日は無理だけど」

「本当かッ! それは助かる」

「え、ええ」

「すまんリリアン、俺はお前のことを少し侮っていた。料理はできないけど、お菓子は作れるんだな」

「やっかましいわね! だいたいあなたはいつも一言余計なのよ!」



 そんな二人のやり取りを少し離れたところから見守りながら、



「よかったですね、リリアンお嬢様……」



 レイネは慈愛深い独り言を口の中だけで呟いた。

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ただひたすら剣を振る、そして俺は剣聖を継ぐ ゲンシチ @genshichi_080_

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