ただひたすら剣を振る、強くなると改めて心に誓う。
その日の夕方。
屋敷に帰ると珍しくジェシカさんがすでに帰宅しており――
「おかえり二人とも。今日の夜、私の屋敷で食事会をするからね。準備よろしくギルバート君」
と告げられた。断るという選択肢はなかった。
しかも困ったことに今日はレイネさんがいない。だから俺が料理から何まで一人で頑張るしかなかった。
ただ、レイネさんがこないのにも理由があった。今日は食事会という名目ではあるが、
参加するのは俺、リリアン、ジェシカさんの三人に加えて、ノーラ先生と校医のララ先生、そしてハウゼン師匠の六人だ。
ジェシカさんはマルクス先生にも声をかけたらしいのだが、やんわり断られたそうだ。マルクス先生はララ先生のことが苦手らしい。どうしてかはわからない。
「はぁ、レイネさんがいてくれればな……」
着替えを済ませてキッチンに行き、俺は料理の下ごしらえに取りかかる。
「し、仕方ないわよ。事情が事情だもの。その分あたしも手伝うし、ほら元気出しなさいってば!」
やる気だけはある箱入り娘のリリアンが、セーターの袖をまくり上げていた。
「……ありがとうリリアン。でも、あまり張り切りすぎないようにな」
戦力になるかどうかは置いといて、リリアンの手伝いたいという気持ちは素直に嬉しかった。
「よし。とにかくやるか」
それからはもう覚悟を決めて、どんどん料理を仕上げていく。
「リリアン、これも頼む」
「任せて!」
皿に盛りつけた品をリリアンに渡し、キッチンのテーブルに並べてもらった。
と、そこへ――
「おお、もうこんなにつくったのかい? 流石だね」
開いたドアの隙間からジェシカさんが顔を覗かせる。
「あっ、ジェシカさん。皆さん揃いました?」
「うむ。今さっき父上も到着したよ」
ジェシカさんはそう答えて、キッチンの隣にある
数分後。
「これと、これ持っていくね。ララ校医が酒のつまみが欲しいって聞かなくてさ……あっ、美味しい」
つまみ食いしたジェシカさんに、「それはサーベルイカの一夜干し焼きです」と教える。
「えっ!? サーベルイカってあの白くて反りのある珍妙な生き物だよね? ……食べて平気なのかい?」
「ははは、大丈夫ですって。まぁ、この国だとイカを食べる文化がありませんからね。でも母さんの故郷――
怯えるジェシカさんを安心させるために、俺も切り分けた一夜干し焼きを食べる。
……うん、美味しい。噛めば噛むほど味が出てくる。
「ねぇねぇギルバート。あたしも食べてみていい?」
「ああ、もちろんだ」
ひと切れ箸で掴み、リリアンの口に運んでやる。
最初こそおっかなびっくり咀嚼していたが、すぐに目を輝かせておかわりを要求してきた。
「不思議な食感だけど、これがまたいいわね。やみつきになりそう!」
「だろ? これがまた白米に合うんだよ」
「うぅーん。噛むごとに香ばしい匂いが鼻から抜けていく。こっちの木の実を炒ったやつもたまらないね。また酒が進みそうな塩加減だ」
「いやあの、ジェシカさん? つまみ食いもほどほどにしてくださいよ。ほら、これ持ってリビング行っててください」
「ああ、わかったわかった。じゃ、楽しみに待ってるよ~」
つまみ食いが止まらないジェシカさんをなんとか追いやり、俺たちは笑い合う。
「よし。じゃあリリアンも盛り付け手伝ってくれるか? 終わったら二人でリビングに料理を運ぼう」
「わかったわ!」
◆◆◆
時刻は夜の九時を回り、俺とリリアンは食後のお茶をすすっていた。大人たちはまだ酒を飲んでいる。
円卓に並べられた料理は数種類のおつまみを残して完売。つくった者としてはこれ以上ない喜びだった。
「しかし、本当に助かったよララ校医。リトナ君の修道会入りがすぐに決まったのは、君がアナ=マリア大司教に話を通してくれたおかげだからね」
「あはは、別に感謝されるようなことはしてねェっスよ。むしろ母さんには感謝されました。紹介してくれてありがとなって。有望な若者を育てるのが趣味みたいな人でスしねー」
ララ先生は顔の前で手を振り、葡萄酒が注がれたグラスをあおる。
さすがにもう見慣れたが、医務室で見る彼女とはもはや別人だ。口調から仕草までまるで違う。この姿をオーガストが見たら、喜ぶか、悲しむか、どっちだろうな。
「マルクスのおっさんとザナハーク家の坊ちゃんが無事だったのも彼女のおかげっス。試煉の森にウチが駆けつけた時には、もうすでに容体が安定してましたからねェ」
終始ニコニコしているララ先生。ほろ酔い気分で表情が溶けていた。
「ノーラー、お酒おかわりぃ」
「今日はもうやめとこ? 飲み過ぎはお肌に悪いよ、ララちゃん」
「えー、やっと気持ちよくなってきたのにー」
空になった酒瓶を抱えてイヤイヤするララ・ドゥネーヴさん"にじゅうよんさい"。
「ほら、お水も飲まなきゃだめだよ」
ノーラ先生は苦笑いしつつも、付きっきりで面倒を見ている。まるで赤ん坊をあやす母親のようだった。
「おいこらっ。うちは禁煙だと言ってるだろうが」
「いいじゃないっスか一本ぐらい。そんなんだから嫁の貰い手がないんスよ姉御」
「お前コロすぞ」
ララ先生が
……なんとなく、なんとなくだが、マルクス先生がララ先生を苦手に思っている理由がわかった気がした。
「で、ジェシカよ。話は変わるが、王都で続いていた行方不明事件の犯人……やはり魔人の仕業と見て間違いないのか?」
ハウゼン師匠は白い顎ひげを撫でている。いつになく真剣な顔つきだった。
「はい、父上。フランツの邸宅を捜査していた騎士団からの報告によると、怪しげな地下室にて先日行方不明になった我が校生徒の遺体を発見したそうです」
「……そうか」
「食事時にする話ではありませんが、どうやらその地下室では人体実験が行われていたようです。損傷が激しい複数の遺体も確認されています」
ジェシカさんの言葉に場の空気が凍りついた。
「……ふぅ。とにかく奴のことは騎士団に任せよう。儂たちは今回みたいなことが二度と起こらぬよう警備体制を一から見直すぞ」
「そうですね……」
円卓の上で指を組み、ジェシカさんは深く息を吐く。
「しかし、私がフランツをもっと早く解雇していれば、このような事態にはならなかったかもしれません。奴が事件を起こす少し前にギルバート君から相談も受けていましたし」
確かに俺はジェシカさんに相談していた。魔物生態学の授業でゴブリン討伐の課題を出された日の夜にな。
でも――
「ジェシカさんは悪くありませんよ。血統主義者をあえて教師として雇っていたのも、生徒のためを思ってのことなんですから」
話を聞いた俺は知っている。これはジェシカさんなりの優しさなんだ。
社会に出れば血統主義の思想を持つ貴族とは嫌でも顔を合わせなければならない。騎士として仕事をする上で、絶対に避けては通れない問題だ。
だからこそ、学院に通っている間に爵位の低い生徒や平民出身の生徒が、少しでもそういう人間に慣れるよう"必要悪"としてフランツを雇っていたそうだ。
「お主だけの責任ではない。一人で抱え込むな」
「はい、父上……」
「それにしても小憎らしいのう。儂が三年生の引率で学院迷宮に潜っている時に事を起こすとは」
「ハウゼン先生がいない時を狙って計画を立てていたのでしょう。学院の教師ならば授業日程など容易に把握できますからね」
「「「「…………」」」」
俺の右隣の席に視線が集中する。そこには何食わぬ顔で銀髪少女が座っていた。
「アーサー。お茶、おかわり」
と湯飲み茶碗を差し出されたので、俺は「はい」と急須でお茶を注いだ。
「ところでギルバート君……別にリディエ君を呼ぶのは構わないのだが、できれば事前に一言教えて欲しかったな」
不意に、ジェシカさんがそんなことを言う。
「いやいや、ちょっと待ってください。俺は呼んでいませんよ。てっきりジェシカさんが声をかけたんだと……」
「? 私でもないぞ。参加者は前もって君に伝えていただろう」
首を傾げ合う俺とジェシカさん。他のみんなも首を横に振っている。
不穏な空気が流れる中で、リディエ先輩はお茶をすすっていた。
「あっ。ちなみにボクは誰にも誘われていませんよ」
スッと手を挙げて白状するリディエ先輩。
それを聞いた瞬間、俺の背中に冷たい汗がにじんだ。
……じゃあこの人は、どうしてこの場にいるんだ?
「なるほど、話を聞いてスッキリしました。魔素溜まりの異常発達による魔物の大量発生なんて変だと思っていましたが、試煉の森でそのようなことがあったのですね。まったくひどいではないですか仲間外れにするなんて。ボクはこの学院の生徒会長なんですよ?」
「……どこで嗅ぎつけた」
ジェシカさんの目が鋭くなる。しかしリディエ先輩は何も答えず、ただ笑みを浮かべていた。
「それよりジェシカ学院長、何故アーサーをこの屋敷に住まわせているのです? 学生寮に入っているはずの彼の部屋が見当たらなかったので、少し、調べさせてもらいましたよ」
「そ、それは……」
あっという間に攻守が入れ替わった。
ジェシカさんは目を泳がせ、ごにょごにょと弁解する。でも、ほとんど聞き取れなかった。
「さて、そろそろお開きにしようかのう」
問い詰められている愛娘を尻目に、ハウゼン師匠が席を立つ。
それに続いて、俺たちも逃げるようにリビングを後にする。
「ま、待ちたまえみんな! 私を一人にしないでくれぇ!」
「ジェシカ学院長、いい機会です。今日は腹を割ってじっくりお話しましょう。まずは生徒会についてです。先生は我々のことを便利屋か何かと勘違いしていませんか?」
「わわ、わかった! 話を聞こう! だが、まずは落ち着きたまえ!」
こうして、今宵の食事会は幕を閉じた。
魔人ダンタリオンが起こした事件も表面上は一件落着となったわけだが……油断はできない。
魔道機関〈
正直、最初は退学しようと考えていた。俺が学院にいることで、たくさんの生徒、教職員を危険に晒してしまう。
しかし、ジェシカさんとハウゼン師匠に引き止められた。
学院を去る必要はない。生徒である君の安全は我々が全力で守るから――と。
「……でも、甘えてばかりはいられない」
部屋の窓を開け放ち、夜空に浮かぶ二つの月を仰ぎ見る。
「もっと、強くならないとな……」
自分の身は自分で守れるように、俺のせいで誰かが傷つかないように、俺は改めてそう誓うのだった。
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