ただひたすら剣を振る、風雲急を告げる事態に陥る。

「……フランツ先生、あなたは停職処分中のはずだろう。こんなところで何をしている?」



 マルクス先生は警戒を解かない。剣の柄に手をかけたまま問う。

 張り詰めた空気が充満していた。重苦しい静寂が辺りに垂れ込める。



「実はジェシカ学院長に言伝ことづてを頼まれてねぇ。君をさがしていたんだよ。処罰の一環として雑用係をさせられているのさ。そう警戒せずとも大丈夫だよぉ」

「……俺への言伝か」



 小さく息を吐いて、マルクス先生は腰の剣から手を離す。



「哀れな男だね、マルクス・ベッカー」



 すべてを言い終える前にフランツの姿がフッと消える。



「ッ――!?」

「この場に居合わせた不運を恨むがいい」



 気づけばフランツはマルクス先生の背後に立っていた。



「くうッ!」



 マルクス先生は覚悟を決めて剣を引き抜く。が、わずかに反応が遅れる。



「――【黒炎竜巻ヘル・フレイム・ストローム】」

「がぁあぁあぁあああああ!?」



 足元から黒炎が昇り立ち、瞬く間にマルクス先生を呑み込んだ。

 耐え難い苦痛にもがく声が鼓膜を震わせる。



「あっはははははーッ! さすがの君でも、不意を突かれたら"無詠唱魔法"には対処できないだろう? 油断したねぇ! ほら、もっといい声で踊りたまえよ!」



 長い両腕を広げ、狂ったように笑うフランツ。その表情は恍惚に溺れていた。



「おやぁ? もう終わりかい。残念だねぇ」



 フランツはそう言って、つまらなそうに息を吹きかける。

 たちまち燃え盛る黒炎は消失し、そこには黒焦げになったマルクス先生が力なく横たわっていた。



 数秒遅れて、女子生徒たちの悲鳴が上がった。



「――ッ」



 俺は抜刀し、走り出していた。



「はぁああッ!」



 長剣ロングソードを振りかぶり、フランツに全力で叩きつける。刃引きしてあるから死にはしないだろう。



「ギルバートくぅん。どうしたんだい? そんなに怖い顔をしてぇ」



 俺の一撃は容易く受け止められてしまった。



「っ……!?」



 言葉を失い、目を見開く。

 俺の剣を受け止めたのは――フランツの背中から伸びた赤腕せきわんだった。明らかに人間の腕ではない。



「教師に向かっていきなり斬りかかってくるとは……どんな教育を受けてきたのかな?」



 理解が追いつかない。俺の剣を受け止めているのはなんだ? どうしてフランツの背中から生えている?


 必死に頭を働かせて答えを探す中、視界の右端にもう一本の赤腕が映った。

 一度思考を放棄して、即座に回避行動に移る。


 が――間に合わない。



「ッ」



 抗いようのない衝撃にね飛ばされる。視界が凄まじい速さで流れていく。何度も地面に叩きつけられながら転がっていく。



「やっ、てくれたな……ッ」



 遠くなる意識を手繰り寄せ、俺は体勢を立て直す。勢いを利用して跳ね起き、再びフランツに向かって行く。


 これしきの痛みで剣を手ばなすような鍛え方はしていない。右手にある剣を両手で握って、刀身にもっと魔力を注ぎ込む。


 睨む視線の先にフランツが悠然と立っていた。その背中からは禍々しい赤腕が二本生えている。五指を開いてうごめいている。



「おいおいギルバートくん。私ばかりに構っていていいのかねぇ? クラスメイトが危ない……ぞ?」



 フランツは首を傾け、ニタリと笑う。

 嫌な予感が頭をよぎった。俺は急停止してクラスメイトたちの方を見る。



「な、なんだよこれ……うわぁああああああ!?!?」

「嫌よ、わたし、まだ死にたくない……っ!!」



 凶気に満ちた眼を光らせて、暗い森の奥から魔物の群れが現れた。

 まるで誘き寄せられるように、魔物たちは開けた草地に集まってくる。


 動くしかばねスケルトン、吸血蝙蝠きゅうけつこうもりクレイヴブラッド、石の狼ストーンウルフ、いずれも脅威ランクCではあるが、魔物との戦闘経験が乏しい学生には強敵すぎた。それに数が多すぎる。



「みんな、方円陣形ほうえんじんけいよ! 刀剣術ソードアーツの授業で習ったばかりだからできるわよね!」



 リリアンが切羽詰まった声で指示を飛ばす。


 来月の中間テストが終わったらクラス対抗の実戦演習が行われるため、俺たち一年は授業で集団戦のやり方を学んでいた。方円陣形は最初に教えられた基礎的な陣形の一つである。


 だが、生徒たちのほとんどは狂乱状態に陥っている。練習通りにはいかない。思うように動けない。



「しっかりなさいッ! 貴方たちは誇り高きルヴリーゼ騎士学院の生徒でしょう!」



 リリアンの叱咤激励が響き渡った。

 正気を取り戻した生徒たちが続々とリリアンのもとに集まってくる。



「名門ローズブラッド家の天才剣士――リリアン・ローズブラッドか。ふんッ、生意気な小娘だねぇ。しかし、何故Aクラスの奴がここにいる?」



 フランツが爪を噛みながらブツブツ呟いていた。



「ん? まだそんなところにいたのかギルバートくぅん。君も早く助けに向かった方がいいのではないか? 大事なクラスメイトたちが魔物の餌になってしまうぞぉ?」



 フランツはそう言って、また壊れたように笑い出す。



「……どうして魔物はお前を襲わない?」

「魔物はねぇ、本能的に自分より力のある魔物には手を出さないんだよ。君の目にも映っているだろう? この逞しい腕がさぁ!」



 見せびらかすように二本の赤腕を広げるフランツ。

 その人ならざる腕を見て、俺は「まさか」と声をもらす。



「ははッ! どうやら自力で答えに辿り着いたようだねぇ。そのまさかさ! 私は魔物の腕を自らの肉体に移植したんだよぉ! これはもともと脅威ランクSの魔物――上級悪魔"アークデーモン"の腕なんだ。いいだろう? 羨ましいだろぉ?」



 剣を握る手に自然と力が入る。額から流れ落ちる汗が頬を伝う。

 ……こいつは狂ってる。魔物の腕を自分の体に移植するなんて、どうしてそんな恐ろしいことができるんだ?



「ほらほら、早く助けに行きなよ。本当にクラスメイトたちが死んじゃうぞ?」

「……覚悟しておけよ。騎士団に突き出してやるからなッ」



 一瞬の逡巡しゅんじゅんの後、剣を腰の鞘に収める。



「おお、怖い怖い。あは、あはははははーッ!」



 牽制するようにフランツを睨みつけ、俺もリリアンのもとへ駆け出した。



「……よかった。まだ息がある」



 その途中、マルクス先生の安否を確認する。俺は安堵の息を吐き、マルクス先生を抱きかかえた。



「すまない、遅くなった」

「マルクス先生は無事なの?」

「ああ、まだ生きている」



 リリアンの表情が明るくなる。だが、彼女はすぐに真剣な顔をつくって、



「ギルバート、貴方は戦況に応じて魔物の討伐と味方の援護をして」

「任せろ。Eクラスのみんなを頼む」

「ええ、あたしが指揮をとるわ。誰も死なせはしない」



 俺たちは頷き合い、ただちに行動に移る。



「リトナ! ちょっとこっちに来てくれ!」



 叫びながら膝をつき、マルクス先生を地面に横たわらせる。

 俺の声を聞きつけて、すぐにリトナが駆け寄ってきた。



「は、はい。ギルバート君」

「マルクス先生に回復魔法をかけてくれ。今ならまだ間に合うかもしれない」

「……っ」



 瀕死のマルクス先生を見て、リトナが一歩後退あとずさった。

 無理もない。俺だって目を背けたくなる。それだけ悲惨な状態だった。

 でも――



「頼むリトナ。マルクス先生を助けられるのはお前だけなんだ」



 今はリトナに頑張ってもらうしかない。Eクラスで回復魔法を使えるのはリトナだけだ。しかも彼女は一節魔法の【癒光ヒール】だけではなく、二節魔法の【大癒光ハイ・ヒール】まで習得している。魔法練度も高い。



「……すぅー、はぁー……」



 俺の言葉を受けて、リトナは深呼吸を繰り返す。



「私、やります」



 しっかりと俺の目を見て、リトナは力強く頷いた。

 俺も頷きを返し、立ち上がった。



「死にたくなかったら剣を構えなさい! でも無理して命を落とすんじゃないわよ! 怪我をした人はすぐに陣形の内側に退避! いいわね!」



 リリアンの声に生徒たちが奮い立つ。授業で習った通りに陣形を組み、魔物たちを迎え撃つ。



「よし。俺も自分に与えられた役目を果たすか」



 腰の剣を抜き放ち、戦場と化した草地を駆ける。

 剣を引き絞った俺はそのまま加速して、



「アーサー流剣術――雷剣らいけん・【鳳穿華ほうせんか】ッ!」



 回転を加えた渾身の突きを繰り出す。

 一閃の稲妻がストーンウルフの群れを蹴散らした。

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