ただひたすら剣を振る、学院の生活にも慣れてくる。

 一年Eクラスの教室へ駆け込み、時計を見上げる――八時十分だった。



「……久しぶりに本気で走ったな」



 俺は膝に手をつき、大きく息を吐く。乱れた呼吸を整える。

 思ったより早く到着した。ホームルームは八時十五分からだ。まだ余裕がある。



「おはようギルバートさん」

「おはようございます」



 ひと息ついて自分の席に向かおうとしていたところに、エリカとリトナがやってくる。

 彼女たちともだいぶ仲良くなった。クラスの中で呼び捨てにできる女子はこの二人だけだ。



「おはよう二人とも」

「今日は遅かったわね」

「……いや、んん、色々あってな……」



 レイネさんとのことを思い出し、俺はすぐさま顔を伏せる。無意識にエリカの胸元を見てしまいそうになった。



「? まあいいわ。でも、明日からは余裕をもって登校するのよ。ギルバートさんはこのクラスの"副学級委員長"なんだから」

「わかってる。気をつけるよ」



 苦笑しつつもそう返すと、エリカは「よろしい」と頷いた。

 今の会話でわかるとおり、俺はクラスの係決めで面倒な役職に任命されてしまった。目の前にいる学級委員長にな。



「うぇいアーサー。今日も一日、頑張ろうぜッ」

「おはようございますアーサー氏!」

「ああ、みんなおはよう」



 入学してもうすぐ二週間が経つ。クラスメイトたちとも打ち解けてきた。



「ギルバートぉぉおお!」

「オーガストもおはよう」

「挨拶なんかいいから助けてくれよぉおお!」



 駆け寄るやいなや俺の両肩を掴み、激しく揺さぶってくるオーガスト。



「お、い、やめ、ろ、」



 相変わらず力が強い。言葉が途切れ途切れになってしまう。



「こらオーガ! 落ち着きなさい」



 エリカが助けてくれた。

 頭頂部にチョップを喰らい、オーガストが頭を押さえる。



「……わりぃ、ギルバート」

「気にするな。で、どうした」



 俺がそう尋ねると、オーガストは無言で振り向いた。その視線の先を辿る。



「……なるほど。またに占領されたのか」



 教室の一角に、存在感がありすぎる少女が座っていた。

 朝の日差しを浴びて、金髪縦ロールがキラリと光る。



「どうにかしてくれぇ。お前しか頼れるやつがいないんだ」



 Eクラスの生徒たちが怯えている。彼女の周りだけ不自然に人がいなかった。



「…………」



 黒タイツに包まれた美脚を組み、少女はただ静かにこちらを見ている。

 だが、俺は怯むことなく彼女のもとまで歩いていき、



「おいリリアン、俺の友達に迷惑かけるな」



 その頬っぺたをつねってやった。



「はにゃっ!?」



 リリアンが素っ頓狂な声を出す。



「い、いきなり何すんのよ!」

「その席オーガストに返してやれ。困ってるだろ」



 俺の背中から顔だけ出して、何度も首を縦に振るオーガスト。こいつのほうが大きいので体を隠しきれていない。



「あ゛?」



 と、赤くなった頬を撫でつつリリアンがすごむ。強くつねりすぎたか。すまん。



「ひぃぇっ!」



 かわいそうに。オーガストはガクブル震えていた。



「だからやめろって」



 思わずため息がもれた。俺は痛むこめかみを手で押さえて、



「そもそもお前はАクラスだろ。自分の教室に戻ったらどうだ? ホームルーム始まるぞ」



 教壇の上にある時計に顎をしゃくる。もう十五分になろうとしていた。



「フフッ。自分の教室? 確かに、ここはあたしの教室じゃないわ」



 言いながら首を振って、リリアンは「でもね」と話を続ける。



「Eクラスでホームルームを受けちゃいけないなんて校則はないのよ」



 ……何言ってんだこいつ。



「とにかく、自分の教室に戻ったほうがいい。また怒られるぞ」

「そんなこと言って、あたしを遠ざけようとしてるんでしょ。無駄よ。我が永遠の好敵手ライバル――ギルバート・アーサー」



 立てた人差し指をチッチッチと振って、



「あなたの強さの秘密を暴くまでは、どこまでもついていってやるんだから」



 リリアンは好戦的な笑みを浮かべた。



「だから何度も言ってるだろ? 強さの秘密なんてないんだよ。俺はただひたすら剣を振ってきただけなんだ」

「フッ、よほどあたしに知られたくないようね」



 本当に隠している秘密なんてないんだけどな。まあ、こいつには言うだけ無駄か。



「懐かれちゃったわね、ギルバートさん」



 俺の肩を叩き、エリカが耳元でささやいてくる。



「そうだな。厄介なやつに目を付けられてしまった」

「でも、いつの間にそんなに仲良くなったのよ。昨日の敵は今日の友ってこと?」



 言葉に詰まった。一緒に生活しているうちに自然と仲良くなったと答えれば済む話だが、俺たちがジェシカさんの屋敷で同居していることを言うわけにはいかない。


 リリアンは名門ローズブラッド伯爵家の人間だ。貴族でもない男子生徒と共同生活していることがバレたら、それこそ王都を揺るがす大スキャンダルになりかねん。



「? 急に顔色悪くなったけど……大丈夫?」

「あ、ああ。問題ない」



 どう答えるべきか悩んでいたその時、重々しい学院のチャイムが鳴る。

 ……危なかった。ありがとうチャイム。



Msミズ.ローズブラッド! Aクラスに帰りますわよ!」



 チャイムが鳴り終える直前、勢いよく教室の戸が開いた。

 俺も含め、生徒たちの視線が教室の出入り口に向けられる。

 現れたのは青髪の貴婦人――Аクラス担任のクローディア先生だった。



「……貴方は何度言ったらわかるのです。またEクラスの子たちに迷惑をかけて」



 クローディア先生はリリアンを見下ろし、血も凍るような声で言う。笑顔ではあるが、額に青筋が立っていた。



「先生、アタシにはすべきことがあるのです」



 しかしリリアンは動じず、負けじと言い返した。



「これは天命なのです。ローズブラッド家に生まれた者として、避けては通れぬ道……なのです」



 それっぽいことを言っているようで的を得ていない。口が達者なリリアンお得意の論点ずらしだ。

 だが――



御託ごたくはいいから行きますわよ! ほらっ、立ちなさい!」



 クローディア先生には通じなかった。リリアンの耳を引っ掴み、問答無用で連行していく。



「痛い痛い痛いですわ!? 耳が取れてしまいますわよ先生!?」

「黙って足を動かしなさい。まったく、手のかかる子ですわね」



 そのままクローディア先生は教壇の前を通り過ぎ、



「ごめんなさいね、ノーラ先生。毎日毎日、あたくしのクラスの生徒がご迷惑をおかけして……」



 教室の入口付近で足を止め、申し訳なさそうに謝罪する。

 そこには苦笑いを浮かべた俺たちの幼女先生が立っていた。



「いえいえっ、お気になさらないでください」

「ありがとうございます。……みなさんもお騒がせしました」



 最後に、クローディア先生は深く頭を下げて、Eクラスの教室を後にした。

 お嬢様らしからぬ悲鳴が廊下に響いていたが、それも徐々に小さくなっていく。

 ……お前はそれでいいのか、リリアン・ローズブラッド。



「はいはい、みなさん! 席についてくださーい。ホームルームをはじめますよっ」



 手を叩いて、ノーラ先生が促した。

 一斉に動き出した生徒たちは自分の席に向かう。


 俺も腰の剣帯から長剣を取り外し、肩から鞄を下ろしながら着席する。

 ようやく朝のホームルームがはじまった。

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